東京の田舎から

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御嶽山・奥ノ院を登ってきた

2018-12-28 16:18:13 | 旅行
11月28日、青梅市・御嶽山の奥ノ院へ行った。御嶽山まではケーブルカーで登り、そこから奥ノ院に登るコースである。
多くの神社では「奥ノ院」は、普通にお参りする本殿からさほど離れていない場所にある。しかし、御嶽山の奥ノ院は“別の山”である。そして、御嶽山から奥ノ院までは、険しい山道が続き、一寸した登山である。このためか、本殿までのお参りに来た人が「ついで」に行くのは難しい。そして余り行く人はいない。このためであろう、本殿の脇、奥ノ院のある山を望む場所には、奥ノ院の遥拝所がある。その遥拝所から、ほぼ三角形の山が聳えている。ここから奥ノ院を遥拝するのである。










御嶽山本殿の前でお参りして、多くの人はそのまま降りてしまう。しかし、本殿の裏には、旧本殿、その他の小さな祠がたくさんある。そして、美しく色づいた紅葉がある。山の上は空気が違うのであろう。紅葉は美しい。



 奥ノ院までの道は、ここから、一度、少し下り、そして、だらだらと山道を歩き、それから急な山道を登る。途中には岩場もあり、鎖場もある。途中に出会った人は数人であった。

 そして、頂上の少し手前に奥ノ院の社殿がある。本殿と比べると随分と小さい。しかも、本物の社殿は、一回り大きな建物の中に保護されて建っている。



そこから少し登ると、頂上である。ここで、昼食にした。この頂上にも、石造りの小さな祠がある。お賽銭が剥き出しで供えられている。この山は、全体が神聖なる場所なのである。



 そして、下りは鍋割山を経由して帰ることにした。歩こうとして・・ふと見ると・・先ほどの祠の脇に、何と! 人間の、それも大人の物と思われる、大きなしっかりとした落し物がある。ティッシュペーパーもあるので、ここで用を足したようである。神聖なる霊山の頂上で、しかも、祠のすぐ脇で、このように罰当たりをする輩がいるとは・・・信じられないことである。折角の良い気分が台無しである。因みに、御嶽山周辺の登山道には、トイレはあちこちに設置されている。
 先ほどの遥拝所から、多くの人が拝んでいる神聖なる山にこのようなものがあるとは・・・。遥拝所では、このようなものが有るとは露知らず、拝んでいるのである。御嶽山へ参拝をしに来た人を冒涜している。
 過去には、韓国人が靖国神社で爆発を起したり、放火をしたりした。また、最近では、新聞紙を燃やした中国人がいた。おまけに、新聞紙を燃やしているところの映像を撮り「英雄になろうとしていた」という。さらに、全国の寺社に油を掛けた韓国系の輩もいた。これらの事件と、今回の“落し物”との連想をどうしてもしてしまう。もちろん、今回のことが、日本人も含めて、誰の仕業であるかは不明である。しかし、誰であろうと、怪しからんことである。これは、御嶽山への参拝者だけでなく、日本人に対する冒涜である。このような神域・寺域での、怪しからん行為は、テロとして特別に厳罰に処すべきであろう。

 さて、下りの鍋割山へ続く道も岩が多くある。やっとのことで下った。


そして、岩だらけの道を下りると平坦な道である。これが、御嶽山へ続く道か? と「ホッ!」としたが、違っていた。更に小さな登りと下りを繰り返して、御嶽山へ続く記憶にある通に合流できた。
 これで、帰りの道は安心である。前回の大岳山の登山のところで書いた、芥場峠の道標を見て、ここからは下りである。そして、岩石園の上流に位置する場所の橋を渡り、上り下りを繰り返して、御嶽山の領域に入る。ここで少しばかり心に余裕が出てきた。前回は、ここら辺を歩いているときに、足が痛くで、亀の如くの歩みであったが、今回は余裕である。しかし、油断大敵である。転がっていた石に乗ってしまい、これが転がり尻もちをついてしまった。

ところで、今回は前回の大岳山に懲りて、随分と早く出発した。しかし、御嶽山のケーブルカー駅に辿りついたときには、やはり暗くなってしまった。山の日暮れは本当に早い。


  御嶽山の御師(≒神主)集落の灯


着いてすぐにケーブルカーの発車である。しかし、往復で買っていた切符が出て来ない。駅の人に聞くと「あと、40秒ですヨ!」とのこと。やっと探して、改札を入ると、「急いで・急いで」と。やっと間に合った。ケーブルカー釣瓶になっているので、発車は山頂と下と同時発車であるためであろう、時間厳守のようである。
 
 今回の登山での反省は、もっと早く出発しないとダメであることを悟った。若い頃、御嶽山は、庭の如く、サンダル履きで、ヒョイヒョイと登っていた。所要時間は、案内の6~7掛けで大丈夫であったとの記憶である。それが、今回は登山靴を履き、所要時間は、案内にある時間の1.5倍~2倍である。やはり「トシ」である。
ところで、ケーブルカー駅の手前の山道からは、山の下まで続く山道が見える。随分と昔、この山道は、木の根が飛び出していたり段差や岩があった。その当時、「ジープで登った外国人がいた」などと聞いたことがあったが、相当な覚悟でないと車では登れないであろう道であった。しかし、凡そ50年余の今では、その便利さの良し悪しは別として、自動車がスイスイと通っている。時代の流れを実感した次第である。


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1 コメント

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奥の院登山 (いしいさん)
2018-12-30 06:41:21
久し振りの投稿、待っていましたよ❗️
ずいぶん厳しそうな山歩きのようだったネ、この歳で登ってこられるなんて、尊敬しちゃうよ。
所で、今回の話にもエピソードと話のオチがあり楽しく拝読しました、元気のようでなによりです。
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