東京の田舎から

日々の雑感や思いを書いています。

大雄山最乗寺の紅葉

2018-11-17 13:15:25 | 旅行
清々しい晴天である。11月16日に神奈川県にある大雄山最乗寺の紅葉を見に行った。このお寺の紅葉は、過日、テレビ神奈川の放送で見事な紅葉を放送していたのを見て行く気になっていたものである。
 カーナビによれば、ほぼ高速道路だけで行けて、筆者の家からの所要時間は1時間半との案内である。まあ気軽な距離である。実際には、超の付く安全運転であったためか、約2時間弱を要したが・・・。
 最乗寺に続く道路の脇には旅館が何軒もあり、そして、進に連れて道路には太い杉並木が現れ、それが延々と続き、幽玄さを醸し出している。入り口からして、大きな寺であることが予想された。なお、最乗寺は建立から600年とのことであるから、建立当時からの植栽であれば、樹齢は600年以上であろう。それだけの風格を保っている立派な並木である。

最乗寺に着いて、いや~驚いた。随分と大きなお寺である。境内は宏大である。入り口付近には「茶店」や土産物店もあり、観光地然としている。それにもかかわらず、拝観料、駐車料金は無料であった。これは驚きである。京都の寺社では、一寸した拝観でも数百円は必ず徴収される。








 そして、平日であったためか、比較的空いている。ゆっくりと紅葉を見て、石段を上がっていくと大きな下駄が奉納されている。天狗の下駄である。天狗伝説は次のように書かれている。








最乗寺を建立した、
****** 寺の案内に書いてあることを以下に示す *****
了庵慧明禅師の弟子だった道了尊者は、師匠の了庵慧明禅師が最乗寺を建立することを聞いて、近江の三井寺から天狗の姿になって飛んできて、神通力を使って谷を埋めたり、岩を持ち上げて砕いたりして寺の建設を手伝いました。そして了庵慧明禅師が75歳でこの世を去ると、寺を永久に護るために天狗の姿に化身して舞い上がり、山中深くに飛び去ったといわれ、以来、寺の守護神として祀られています。
*****

 とあり、天狗の神通力も加わって建立したとのことである。この天狗は、境内の処々に像が建てられていた。但し、蛇があちこちに絡まり、詳しく見ると余り気味の良いものではない。



 奥の院までの参道は石段である。300段との説明である。途中まで上ったが、降りることを考えて中止してしまった。後に、茶店で聞いた話では、帰り道は、平坦な道路があるとのこと。惜しいことをしてしまった。
 
 肝心な紅葉であるが、寺の建物と紅葉のコントラストは見事である。但し、時期が早すぎたのか、その見事な風景は、少々、限定的ではあったが・・・。



    


   


 帰りに茶店に寄り、遅い昼食をいただいた。
 店の人が、いろいろと話してくれた。その主人は「寺の役員をしている」とのこと。そして、僧侶の数は「今は少なくて30人程度」とか・・・私の感想では「随分と多い」と感じたのではあるが、主人によれば、毎年、本が出されていて、「ここのところ、随分と少なくなっている」とのこと。
寺の規模を考えると、少ないのであろう。その話の中で、「どこから来たのですか?」、「青梅です」と答えると、「あ~、チューリップを見に行ったことがある」「あの近所かな?」とのこと。「チューリップは、羽村市ですよ」と言うと、「そうそう羽村だ」と。「青梅市は隣でして」と。そして、その主人が言うに「通ったことがあるような?」と。
青梅市は、自然が豊と自称しているが、「自然」すなわち、山と多摩川しかない。観光資源のようなものは特にない。ただの田舎である。隣の羽村市は、元々は何もないところである。しかし、休耕田を使って、春には見事なチューリップ畑を作り、努力して観光地としている。青梅市は何も努力していない。これが、知名度の差となってきているのであろう。

ところで、カーナビは便利である。余りに便利であるため、行先を確認しないで来てしまった。「最乗寺」と入れたら案内してくれたのである。そのため、今、自分のいる場所がよく判らない。茶店で観光地図を戴き、確認していたら、先ほどの主人が来て、観光地案内、帰り道の案内などと、寺の行事などを話してくれた。いや、何とも親切な人である。これは、天狗のパワーのご利益と思い、雑談も楽しめた。

 帰りの圏央道のパーキングでも面白い出来事があった。これも天狗のパワーの為せるところであろうか?
 トイレ休憩して戻って来ると、「この車はダンナのか?」と、「はいそうですが、何か?」と、内心では「何か不都合でもあったか??」と。すると「いやーいいですねぇー」という「・・・???」である。聞けば、筆者の乗ってきた骨董品の車を褒めてくれるために、戻って来るのを待っていたようである。
 その方は、元、白バイの警察官をしていたとのこと。曰く、冗談ではあろうが、「自分が白バイで走っていたら、この車は捕まえないよ・・アハッハ!!」と豪快な笑いである。筆者にしてみれば、余りに骨董品で余り自慢のできるものではないと、多少なりとも恥ずかしさがあったのであるが・・・。この方は、広島から柏へ戻る途中とのこと。そして、温厚そうな方でもあるので、いろいろな雑談をしてきたのであるが・・・面白い一日であった。そして、杉並木の素晴らしさ、寺の建物と紅葉の見事なコントラストを楽しめた一日であった。

またやらかした「NHKの誤送信」

2018-11-12 12:27:24 | 時事問題
NHKは、前回、アレフ(オウム真理教)についてのインタビューを個人が特定できる形で、当事者であるアレフに誤送信するという不始末をした。今度は、下請け会社が、街頭インタビューの音声ファイルを誤送信したという。

不思議なのは、
・「だれに送ったか判らない」という。普通は、送信したときはその控えがフォルダに残っていて、どこへ送ったかはすぐに判る筈である。その宛先に連絡すれば良いではないか?
 知られてはマズイ所へ送ったので、ファイルを削除したのか? 疑いが残る。

そして、
・この送信してしまった「ファイルを開けないようにする措置をとった」とのこと
 「エ!!」そんなことが出来るのか?
 メール添付で送ったファイルは、相手先のコンピュータに保存されてしまうのであり、送ってしまったファイルを後から加工できるとは、少なくとも筆者は知らないし、仕組みの上からも不可能であると考える。もっとも、相手のコンピュータにウイルスでも送り込めばできるかも知れないが、これは犯罪である。

NHKはこんな素晴らしい技術があるのであれば、是非その方法を公開してほしいものである。
それこそが罪滅ぼしである。是非とも公開されたい。

韓国・「徴用工」訴訟で考えるべきこと

2018-11-09 16:16:19 | 時事問題
韓国の裁判所が「徴用工」に対して、賠償をせよとの判決をしたことが報じられている。ここでは、その詳細は省くが、ここで「徴用された」として訴えた輩は、自称「徴用工」であり、「徴用」は嘘である。正確には、募集に応募してきた「普通の労働者」である。この労働者の人権の回復が必要とかで、韓国の最高裁判所は、珍妙なる判決をした。
この判決によれば、日本の不法な植民地支配で、「徴用」されて、苛酷な労働に従事させられたとして、韓国人の「元」「徴用工」に対して、被告である新日鐵住金に対して、一人当たり約1千万円を支払えという。
 この判決の、珍妙なのは、
まず、日本は韓国を含む朝鮮を植民地にはしていない。当時、朝鮮が、北からのロシアの脅威にさらされているところ、朝鮮側からの申し入れによって、条約によって、韓国を含む朝鮮は、日本と合邦(同一の国家になること)をした。結果、朝鮮人の中には、日本の国会議員までなっている者もいた。これだけでも植民地支配とは言えないであろう。朝鮮という国は、常に強い国に小判サメの如くにつくのである。
 日本についてきたとき、日本は莫大な資金を朝鮮半島に投じて、朝鮮半島のインフラを整備した。合邦前の朝鮮は、人が安全に通れる道すら整備されていなかった。ところが、日本が統治してから、朝鮮のインフラは格段に整備され、その結果、農業生産も増大して、人口は2倍にも増えている。苛酷な植民地支配をされているのに人口が2倍にも増加するものか否かは考えなくても判るのではないか。マスコミの報道等では「過去の植民地支配」と解説し、日本が「植民地にした」と肯定するが如きの報道をし、日本人の多くがそのように思わされている。これは、敵(朝鮮)の情報戦に引っ掛かっているのである。
なお、このような合邦が行われた時代は、今とは異なり、欧米諸国が東南アジアをまさに植民地として、苛酷な労働をしいていた帝国主義の時代であったことを忘れてはならない。時代背景が今とは全く違うのである。

ところが、日本が大東亞戦争に敗けると、「朝鮮は日本として」負けた側にいたにも関わらず「戦勝国にしてくれ」と戦勝国に申し入れている。この図々しい申し入れは、当然に戦勝国から拒否されている。しかし、朝鮮人は、「自分らは戦勝国だ」との妄想に浸っている。そして、韓国の憲法では、「日本に勝って、独立を果たした」と書かれていて、日本は永遠の敵国と書かれているのである。韓国が自ら日本は敵国と位置付けているのである。日本からに見て、これが敵国でなくて何なのか? 韓国に対して、日本のテレビでは韓流などと持てはやしていた。売国テレビである。

 事実は、朝鮮は日本統治の後に、米国を中心とする連合国の統治になった。しかし、その統治の最中に、朝鮮は「北朝鮮」と「南朝鮮」とに別れて、内戦を起こした。この戦争は、日本の残した重工業生産設備を有する北朝鮮が有利であった。しかし、半島の共産国化を恐れた、米国を中心とする連合国軍によって、朝鮮戦争は、38度線を境に分断されたのである。これは、彼らの起こした内戦であり、日本の責任は全くない。なお、この休戦は、連合国軍と北朝鮮・中共の自称、義勇軍との間で休戦協定が結ばれたもので、韓国は当事者として入っていない。
朝鮮戦争の休戦後に「朝鮮半島」唯一の政府と称して、棚からぼた餅の如く、独立できたのが、韓国である。韓国の言い分では、北朝鮮は、韓国の領土を不法に占拠している反乱軍である。
ところが、韓国は、敗戦後の日本に対して、大東亞戦争の戦後賠償を要求した。しかし、日本と韓国は戦争をしていない。また、大東亞戦争での韓国・朝鮮の被害は僅少であり、賠償の必要はなかった。そもそも朝鮮半島に置いて来た、莫大な日本資産の賠償は受けていないのである。ところが、このとき韓国は、日本の領海に対して、勝手に李承晩ラインと呼ばれる領海線を引いた。現在、韓国によって不法占拠されている竹島はこのときに奪われたものである。そして、当時の日本は、敗戦国として、連合軍の占領下にあり、これに対抗する手段、すなわち、武力は皆無であった。
このように、日本が弱っているとき、李承晩ラインを越えたとして、韓国は、日本の漁民に対して、銃撃し、船を拿捕した。このときの死傷者は44人(うち、死者8人)拉致・監禁された者3929人、拿捕・没収された漁船は328隻である。そして、拉致・監禁された漁民は「この世の地獄」と表現されるような劣悪な環境に閉じ込めていた。拉致は北朝鮮のお家芸ではない。
このような状況の中、韓国は日本に戦後賠償を求めてきた。
しかし、先にも述べたように、日本と韓国とは戦争をしていないので、「戦後賠償」は成立しない。逆に、日本は、朝鮮半島に莫大な日本資産を置いたままにしているのであり、賠償を受けるのは日本側の筈であった。しかし、韓国は、前記の拉致・監禁している漁民を人質にして、経済協力・・・要するに「カネを寄こせ」と迫ったのである。漁民を人質にされている状況であり、結果として韓国側の主張に沿う形で決着した。
結論として、下記の条約・協定が結ばれた。なお、これらの条約・協定は長いので、下記に示した「略称」が条約・協定に示されている。

1、「韓国との基本関係条約」
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/A-S40-237.pdf

2、「韓国との請求権・経済協力協定」
https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/A-S40-293_1.pdf
上記は、昭和40年12月18日 効力発生があり、
さらに、
3、在日韓国人の法的地位協定
    https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/A-S40-335.pdf
  昭和41年1月17日 効力発生
の三つの条約・協定がある。これらの文書は、インターネットにて外務省のホームページから閲覧できる。各条約・協定の下にあるアドレスで、その文書を見ることができるので、ぜひとも一読されたい。

これらの条約・協定の上記の2、韓国との請求権・経済協力協定の第二条 1 において、
「両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。」とあり、日本と朝鮮半島との間での賠償等は既に決着していることである。
 ところが、韓国の最高裁は「日本政府の朝鮮半島に対する不法な植民地支配および侵略戦争の遂行に直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権」は、請求権協定の適用対象に含まれていない。と判断したとのことである。
 まず、嘘は
・「強制動員」ではない。応募してきた輩である。
・不法な植民地支配ではない。合法的に条約によっての合邦である。
・請求権協定には「完全かつ最終的」とあり、「適用対象に含まれていない」と判断できる
記述はない。
・しかも、請求権協定の付属文書によれば、当時の日本政府は、「個人補償を日本側で行いたい」旨の申し入れをしているが、対して、「韓国政府で行うので金を寄こせ」と受け取っている。おまけに、北朝鮮の分も寄こせとして受け取っている。そして、この金を個人補償に使わずに韓国政府が使ってしまったのである。このことは韓国国民には知らせていない。
韓国の文在寅大統領は、司法権は独立であるから、「政治の介入はできない」と、知らん顔を決め込んでいる。しかし、最高裁判事は文在寅が任命した人物である。文在寅とグルになってのインチキ判決である。幸い、日本政府は「毅然とした対応をする」とのことであり、新日鐵住金はカネを支払うことはしないと考えられるのが救いである。

 さて、問題は、将来のことである。
 今、日本国内では「労働力が不足している」とのことで、何と、経団連は外国人を導入しようと画策している。そして、多くの韓国人も入れようとしている。
良く考えてもらいたい。70余年前、労働力として、朝鮮半島で募集して、応募してきた人たちを雇っただけの企業が、今になって訴えられていて、判決は、一人当たり約1千万円である。
今、韓国人を雇用すると、将来、また、難癖・・・「騙して働かせられた」などと言われて「謝罪と賠償を求める」とされる可能性がある。70余年前に労働者として雇用したとき、今になって「1千万円支払え」などと言われるとは思っていなかった筈である。
 韓国は憲法で「永遠の敵国」とされているのである。このような国、すなわち、韓国は日本を敵視しているのである。敵国の人物を雇ってはならいない。将来に禍根を残さないために、このことを考えるべきである。経団連は金に目が眩んでいる売国団体となってはいけない。
 今、世の中は、大きく変わろうとしている。いわば、新しい産業革命の真っただ中にいるのである。今、人手不足として、外国人を・・・特に、特定アジアの人たちを雇用することは、将来に対するリスクを増やしてしまうのである。
近い将来、自動化が進み、人手はさほど必要がなくなるのである。
特定アジア、特に韓国人を日本国内に入れて雇用することは危険極まりないことであることを認識すべきである。
 韓国という国は、盗難してきたと判っても、難癖を付けて文化財(仏像)を返さない国である。法も国際的な取り決めも、こと日本となると機能しないのである。マトモなくにではないことを認識すろべきである。

なお、文在寅は、以前にも書いたようにも北朝鮮の工作員である。ここで、日本に嫌がらせをして、国交断交に持って行きたいのであろう。それも日本から言わせようとしているのであろう。
北朝鮮は、核とミサイルは手放さない。米国の政権が交代するまで、グダグダと時間稼ぎをしているのである。北朝鮮の非核化は、武力以外では無理である。
 そして、文在寅は北朝鮮の代理人の如く、北朝鮮への経済制裁を中止させようとしている。文在寅の目的は、北朝鮮と韓国を「核・ミサイル付」で統一しようとしているのである。それも北朝鮮に飲み込まれる形での統一である。核とミサイルを持ち、日本への更に強力な恫喝を目指しているのであろう。
日本にとって、「チンピラの強盗国家」が隣りにあることは何とも運が悪い。出来る限り、近づかない、近寄せないことが肝要である。そして、憲法改正をして、日本は普通の国家になるべきである。しかし、国会中継を見ていると、「憲法改正には韓国も反対している」などと言う、敵国である韓国が、日本が強くなることに反対するのは当然である。何故、敵国の言い分を国会で質問するのか? かように変な人物が参議院議員 藤末健三である。このようなトンチンカンな輩が多々いる。日本の国会も北朝鮮と韓国に侵略されているのかも知れない。怖いことである。

NHKの誤送信は本当に“誤り”なのか? 故意ではないか?

2018-11-05 12:18:30 | 時事問題
「オウム真理教」改め「アレフ」という自称宗教団体の活動は、嫌悪感を持って見られている。過去に大量殺人事件を引き起こしているこの団体は宗教法人としての認証は受けられていない。また、公安調査庁の監視団体でもある。周辺住民に嫌悪感を持たれるのは当然である。
この団体の施設が札幌市にある。
NHK札幌放送局は、この施設の周辺住民にインタビューしたとのことである。インタビューを放送に利用するのであれば、音声は加工して、誰の発言かを秘匿する必要がある。これは当然のことである。相手は、あの大量殺人事件を起こしたオウム真理教の後継団体である。ところが、驚いたことに、NHKは、この音声をそのまま、アレフ本部・広報に「誤送信」してしまったという。
この音声は、インタビューに応じた住民の身元を特定することが可能な内容も含まれているとのことである。しかし、この極めて重大な事実をNHKは殆ど報じていない。NHKにアレフの信者がいるのであろうか? 
「誤送信」された音声の主に対する補償はどうするのか?
「誤送信」した人物の処分等はどうするつもりなのであろうか?
いったい、どうするのか対応策を示すべきである。

 NHKは、その巨大さを武器に、不都合なことは報道しない。加えて、国益を害する、そして、敵国同然の国を擁護するような捏造番組を垂れ流す。そしてその“活動資金”集めは、技術的に可能であるスクランブルは絶対に使わずに、そのような技術の無かった時代のカビの生えたような放送法によって、受信機を設置しているだけで、受信料を強制的に取っている。ヤクザの見ヶ〆(みかじめ)料の如くである。
 政治が、これにメスを入れようとすれば、放送や他の媒体を使って、その人物を潰してしまう。従って、怖くて手を出せないのである。「公共放送」などと称しているが、その内実は、まさに、暴力団以上のやり口を実行している危険な組織である。

 なお、マスコミの取材・放送では、過去にはTBSもひどいことをしている。
オウム真理教に反対する活動をすすめていた坂本堤弁護士が出演しているインタビュー映像が放送されることを知ったオウム真理教は、そのビデオを見せるように要求し、TBSは、その要求を受け入れて、放送前にオウム真理教の関係者に見せた事件がある。これをもし、政治家がすれば、「言論弾圧」だとして大事件として報じられるであろう。しかし、RBSはこのことを、後に発覚するまで隠していた。これとの因果関係は不明ながら、その後、坂本弁護士一家は殺害されている。この事件は、オウム真理教の関与が極めて濃厚であるとされている。しかし、犯人は捕まらず、事件は迷宮入りとなっている。

このように、マスコミ、否、マスゴミは、無責任極まりない。インタビューに出会ったときは、注意して臨むか、拒否するべきであろう。そもそも、人から話を“無料”で聞き、それで商売をしているのである。
 反日・反社会的なマスゴミは相手にしてはならない。

大岳山に登って来た

2018-11-04 17:15:40 | 旅行
10月29日/月曜日、快晴である。友人と奥多摩三山の一つである「大岳山」に登ることにした。友人は、定年サンの私よりもひと廻り年上で、昔の上司である。
 ここのところの私は、「グータラ生活」を送っていた。朝は「ゆくりと」10時頃に起床していた。しかし、友人が「せめてもう少し早めて」と言う。そのため、今日は、早起きをして出発したつもりである。
 青梅線・御嶽駅で下車。駅前にあるバス乗り場は、既に行列である。10分程で「ケーブル下」に着く。ケーブルカーも行列である。私のような定年サンと思しき人もいるが、若い人も多い。平日でも「こんなに混むのか・・・」と、若い人が平日に観光地に来られることが不思議である。
 ケーブルカーに乗ると、6分余で御嶽山駅に着く。到着は10時であった。ここからが大岳山(東京都檜原村)登山の始まりである。しかし「登山」という程の気分はなく、昔の記憶によれば、散歩程度の「筈」であった。この勘違いが、大間違いであったのであるが・・・。
 私は10代から20代の“若い頃” 御岳山、大岳山は当然として奥多摩の山をサンダル履きでかけずり廻っていた。その頃の記憶では、大岳山と御岳山は「すぐ隣」である。何のことはないと思い込んでいた。しかし、ケーブルカーまでは混んでいたところ、その後、人々は何処へ行ってしまったのか? 大岳山へ行く路の人影は疎らである。

 歩き初めて、昔の記憶とは全く違って、遠い・遠い。大岳山がこんなに遠いとは・・・?大岳山までの所要時間は、精々が2時間半の筈である。しかし、昔の記憶ではもっと近かった。
ヒョッとして道を間違えたか? でも、案内板の表示は「御岳山⇔大岳山」とある。「遠回りでもしたか?」と不安になる。
この道標であるが、何故、行き先しか書いてないのであろうか? この例として、途中の「芥場峠」でのことである。自分のいる位置がよく判らない。すぐ近くの「鍋割山分岐」と勘違いしてしまった。暫くの間、この道標の案内と大岳山の位置から進行方向が「逆では?」と、困惑した。道標に、地図にある現在地が書いてあれば随分と判りやすい筈である。

写真は芥場峠に設置されている道標である。


そして、景色を見ながら歩いて行くと、途中、若い人に抜かれていく。その結果、2時間半のところ、何と4時間も掛かって大岳山頂へ辿りついた。しかも、途中の岩場や鎖に掴まって通る所は随分と怖かった。落ちたら、大怪我では済まないであろう。しかし、昔の記憶では「怖かった」という覚えはない。



苦労して到着した大岳山頂ではあるが、その苦労を吹き飛ばしてくれる程に眺望が素晴らしい。眼前には富士山が聳え、他の山々を従えている如し、遥か遠くまでの眺望である。そして、山頂には立派な石造りの「大岳山頂 1266.4m」、「東京都」の表示が建っている。この石塔は高さが2メートル程であり、昔の木製はその後方に建っている。設置して間もないのか? 石はピカピカである。まさか、都知事選挙の時に公約していた「三多摩格差をなくします」の象徴か? 何か違和感のある程に立派に過ぎる標識である。



 山頂に到着したのが14時である。やっとの昼食である。ところが、友人は「それ戻るぞ」と、やけに急がす。「もう少し頂上にいたい」ところであるが、「行くぞ・行くぞ」と寸秒を惜しむが如くである。余りに急がせる。しかし、そこは友人とは言え、先輩の言うことである。仕方なしに従った。後に、これが大当たりの結果になるなど、予想もしていなかった。昔の記憶からは、下りは1時間、精々が1時間半もあれば楽々と勘違いしていた。4時間もかかって来ていることを忘れていたのである。

 そして、30分程で昼食をとり、下山を開始した。登るときに苦労した岩場を何とか降り、怖かった鎖場を通り過ぎて来た。しかし、行くときに比べて「怖い感」は少ない。やはり慣れであろうか。もっとも、この岩場や鎖場は、慣れている人にとっては、雰囲気作りの「飾り」程度なのかも知れない。



 そして、30分ばかり降りたところで、若い男女の3人連れとすれ違う。「こんにちは~」と、友人が「これから登るのですか?」と聞くと「ハイ」とのこと。友人が「もう3時だ・・」「登頂を止めようか?」と。「いや・・行くと言っているのに・・・」と。ところが、それから暫くして、こちらは、やっと岩場・鎖場を抜けてホッとしているとき、先ほどの3人連れが追い付いて来た。抜かれるとき、「さっきの人ですよね!?」、「行って来たのですか?」「はい、行ってきました」と、そして、私達に対して「気を付けてお帰り下さ~い」と、さっさと抜いて行った。何と、止められるべきはこちらの側のようである。

 更に、登っている途中で、駆け足で登っている人がいた。「いや~元気がいい」などと思い声をかけた。「なに、大岳までですけどね~」と、簡単すぎて物足りないという言い方であった。 
ところが、こちらがようやく1時間ほど下ったとき、先ほどの人に抜いていかれた。「もう山頂からの戻りですか?」「そうで~す」とのこと。凄いものである。これが私の若い時の記憶であったようである。
その人とすれ違ったとき、丁度、御岳山・奥ノ院の山腹が見えた。絵に描いたような見事な紅葉である。まさに「山の秋~」という景色である。しかし、光の加減からか? 写真ではその見事さが判らない。これは残念であった。


 そして、亀の如くの歩みをしていたところ、暫くすると足がツッテしまった。慌てて、以前にこのブログで紹介した特効薬を飲む。しかし、暫くは痛いままである。亀が更に遅くなって、ほぼ平坦な場所に出て気が付いた。どうにも腰が痛い。久々にリュックを背負っているので、普段、使っていない筋肉がビックリしているのであろう。そして、身体のバランスが取れていないのではと? リュックを前に背負い? 歩いた。楽である。その格好で歩いて、やっと御岳山の領域に入ったと思われるとき、早くも日没である。秋の山の日没は早い。「アッ」と言う間の日没である。薄明の中、御嶽神社まで辿りついたとき、御岳山の住人と思しき人から声を掛けられた。そして、「17時50分のケーブルに乗らないと連絡バスは無くなりますよ」と、親切である。ところが、御岳山の参道からケーブルカーの駅までは起伏がある。足の痛さは増すばかりである。「あと何分」「あと何分」と、何かの映画でみた「痛さで死んだ奴はいない」との台詞を思いだしつつ、痛さに堪えての小走りである。しかし、小走りのつもりであって、実際には遅々として進まない。そして、何と、5分程前にケーブルカーの駅に辿りついた。「ホッ!」として、「ギリギリで間に合わせるのが“私の技である”」と冗談のつもりである。しかしその顔は引きつっていたであろう・・・私は、以前から、ギリギリで間に合わせる名人?なのであるが・・・今度もギリギリで間に合った。その結果、ギリギリに対して更なる自信を持ったのである。

ところが、ケーブルカーの下の駅からバス停までは急坂である。間に合わないと困る。友人に「先に行って」、「発車となったときは、少し待ってくれるように頼んで」と言って歩いたが、精々が200~300mの距離の遠いこと。

ようやくバス停に着いた。しかし、友人が、「バスの時刻が書いてない」と。そのとき、バス停にいた女性が「18時18分がありますよ」と。しかし、ちょっと見たところ、確かに書いてない。聞けばその女性は、仕事で御嶽山の上に通っているとのこと。通勤客である。それならば大丈夫と安心した。しかし変である。そして、訝る友人に対して、その女性が指差してくれた時刻表を見る。すると、写真にあるように、判りにくいが確かに書いてある。これは、初めて見る人や慌てている人には判らない書き方である。恐らくは、バスの運行系統が違うのでそのように書いてあるのであろう。しかし、これは利用者の目線での書き方ではない。例えば、「無印は御嶽駅行」「(青)印は御嶽駅 経由 青梅行」と書いて、同じ枠内に書いてくれれば、一目瞭然の筈である。バス会社には是非にも改善をお願いしたいものである。 
 
 

今回の登山で、
1、朝はもっと早く出発すること。
2、若い人は確かに早い。恐らくは、解説書に書かれているよりも早いであろう。しかし、自分の若かった  頃の記憶を信用してはならない。
3、トシを考えて、途中で歩けなくなることも計算に入れておかなくてはならない。

と反省して、これからの教訓にした。
しかし、帰ってからの気分は、あのような痛さを経験しても、「また行きたい」と思う程に気持ちが良いものであった。これからは近くの丘を歩いて、慣れておくことにする。因みに、解説書では御岳山から大岳山の登山は「初心者」とあった。ガックリである。