東京の田舎から

日々の雑感や思いを書いています。

大岳山に登って来た

2018-11-04 17:15:40 | 旅行
10月29日/月曜日、快晴である。友人と奥多摩三山の一つである「大岳山」に登ることにした。友人は、定年サンの私よりもひと廻り年上で、昔の上司である。
 ここのところの私は、「グータラ生活」を送っていた。朝は「ゆくりと」10時頃に起床していた。しかし、友人が「せめてもう少し早めて」と言う。そのため、今日は、早起きをして出発したつもりである。
 青梅線・御嶽駅で下車。駅前にあるバス乗り場は、既に行列である。10分程で「ケーブル下」に着く。ケーブルカーも行列である。私のような定年サンと思しき人もいるが、若い人も多い。平日でも「こんなに混むのか・・・」と、若い人が平日に観光地に来られることが不思議である。
 ケーブルカーに乗ると、6分余で御嶽山駅に着く。到着は10時であった。ここからが大岳山(東京都檜原村)登山の始まりである。しかし「登山」という程の気分はなく、昔の記憶によれば、散歩程度の「筈」であった。この勘違いが、大間違いであったのであるが・・・。
 私は10代から20代の“若い頃” 御岳山、大岳山は当然として奥多摩の山をサンダル履きでかけずり廻っていた。その頃の記憶では、大岳山と御岳山は「すぐ隣」である。何のことはないと思い込んでいた。しかし、ケーブルカーまでは混んでいたところ、その後、人々は何処へ行ってしまったのか? 大岳山へ行く路の人影は疎らである。

 歩き初めて、昔の記憶とは全く違って、遠い・遠い。大岳山がこんなに遠いとは・・・?大岳山までの所要時間は、精々が2時間半の筈である。しかし、昔の記憶ではもっと近かった。
ヒョッとして道を間違えたか? でも、案内板の表示は「御岳山⇔大岳山」とある。「遠回りでもしたか?」と不安になる。
この道標であるが、何故、行き先しか書いてないのであろうか? この例として、途中の「芥場峠」でのことである。自分のいる位置がよく判らない。すぐ近くの「鍋割山分岐」と勘違いしてしまった。暫くの間、この道標の案内と大岳山の位置から進行方向が「逆では?」と、困惑した。道標に、地図にある現在地が書いてあれば随分と判りやすい筈である。

写真は芥場峠に設置されている道標である。


そして、景色を見ながら歩いて行くと、途中、若い人に抜かれていく。その結果、2時間半のところ、何と4時間も掛かって大岳山頂へ辿りついた。しかも、途中の岩場や鎖に掴まって通る所は随分と怖かった。落ちたら、大怪我では済まないであろう。しかし、昔の記憶では「怖かった」という覚えはない。



苦労して到着した大岳山頂ではあるが、その苦労を吹き飛ばしてくれる程に眺望が素晴らしい。眼前には富士山が聳え、他の山々を従えている如し、遥か遠くまでの眺望である。そして、山頂には立派な石造りの「大岳山頂 1266.4m」、「東京都」の表示が建っている。この石塔は高さが2メートル程であり、昔の木製はその後方に建っている。設置して間もないのか? 石はピカピカである。まさか、都知事選挙の時に公約していた「三多摩格差をなくします」の象徴か? 何か違和感のある程に立派に過ぎる標識である。



 山頂に到着したのが14時である。やっとの昼食である。ところが、友人は「それ戻るぞ」と、やけに急がす。「もう少し頂上にいたい」ところであるが、「行くぞ・行くぞ」と寸秒を惜しむが如くである。余りに急がせる。しかし、そこは友人とは言え、先輩の言うことである。仕方なしに従った。後に、これが大当たりの結果になるなど、予想もしていなかった。昔の記憶からは、下りは1時間、精々が1時間半もあれば楽々と勘違いしていた。4時間もかかって来ていることを忘れていたのである。

 そして、30分程で昼食をとり、下山を開始した。登るときに苦労した岩場を何とか降り、怖かった鎖場を通り過ぎて来た。しかし、行くときに比べて「怖い感」は少ない。やはり慣れであろうか。もっとも、この岩場や鎖場は、慣れている人にとっては、雰囲気作りの「飾り」程度なのかも知れない。



 そして、30分ばかり降りたところで、若い男女の3人連れとすれ違う。「こんにちは~」と、友人が「これから登るのですか?」と聞くと「ハイ」とのこと。友人が「もう3時だ・・」「登頂を止めようか?」と。「いや・・行くと言っているのに・・・」と。ところが、それから暫くして、こちらは、やっと岩場・鎖場を抜けてホッとしているとき、先ほどの3人連れが追い付いて来た。抜かれるとき、「さっきの人ですよね!?」、「行って来たのですか?」「はい、行ってきました」と、そして、私達に対して「気を付けてお帰り下さ~い」と、さっさと抜いて行った。何と、止められるべきはこちらの側のようである。

 更に、登っている途中で、駆け足で登っている人がいた。「いや~元気がいい」などと思い声をかけた。「なに、大岳までですけどね~」と、簡単すぎて物足りないという言い方であった。 
ところが、こちらがようやく1時間ほど下ったとき、先ほどの人に抜いていかれた。「もう山頂からの戻りですか?」「そうで~す」とのこと。凄いものである。これが私の若い時の記憶であったようである。
その人とすれ違ったとき、丁度、御岳山・奥ノ院の山腹が見えた。絵に描いたような見事な紅葉である。まさに「山の秋~」という景色である。しかし、光の加減からか? 写真ではその見事さが判らない。これは残念であった。


 そして、亀の如くの歩みをしていたところ、暫くすると足がツッテしまった。慌てて、以前にこのブログで紹介した特効薬を飲む。しかし、暫くは痛いままである。亀が更に遅くなって、ほぼ平坦な場所に出て気が付いた。どうにも腰が痛い。久々にリュックを背負っているので、普段、使っていない筋肉がビックリしているのであろう。そして、身体のバランスが取れていないのではと? リュックを前に背負い? 歩いた。楽である。その格好で歩いて、やっと御岳山の領域に入ったと思われるとき、早くも日没である。秋の山の日没は早い。「アッ」と言う間の日没である。薄明の中、御嶽神社まで辿りついたとき、御岳山の住人と思しき人から声を掛けられた。そして、「17時50分のケーブルに乗らないと連絡バスは無くなりますよ」と、親切である。ところが、御岳山の参道からケーブルカーの駅までは起伏がある。足の痛さは増すばかりである。「あと何分」「あと何分」と、何かの映画でみた「痛さで死んだ奴はいない」との台詞を思いだしつつ、痛さに堪えての小走りである。しかし、小走りのつもりであって、実際には遅々として進まない。そして、何と、5分程前にケーブルカーの駅に辿りついた。「ホッ!」として、「ギリギリで間に合わせるのが“私の技である”」と冗談のつもりである。しかしその顔は引きつっていたであろう・・・私は、以前から、ギリギリで間に合わせる名人?なのであるが・・・今度もギリギリで間に合った。その結果、ギリギリに対して更なる自信を持ったのである。

ところが、ケーブルカーの下の駅からバス停までは急坂である。間に合わないと困る。友人に「先に行って」、「発車となったときは、少し待ってくれるように頼んで」と言って歩いたが、精々が200~300mの距離の遠いこと。

ようやくバス停に着いた。しかし、友人が、「バスの時刻が書いてない」と。そのとき、バス停にいた女性が「18時18分がありますよ」と。しかし、ちょっと見たところ、確かに書いてない。聞けばその女性は、仕事で御嶽山の上に通っているとのこと。通勤客である。それならば大丈夫と安心した。しかし変である。そして、訝る友人に対して、その女性が指差してくれた時刻表を見る。すると、写真にあるように、判りにくいが確かに書いてある。これは、初めて見る人や慌てている人には判らない書き方である。恐らくは、バスの運行系統が違うのでそのように書いてあるのであろう。しかし、これは利用者の目線での書き方ではない。例えば、「無印は御嶽駅行」「(青)印は御嶽駅 経由 青梅行」と書いて、同じ枠内に書いてくれれば、一目瞭然の筈である。バス会社には是非にも改善をお願いしたいものである。 
 
 

今回の登山で、
1、朝はもっと早く出発すること。
2、若い人は確かに早い。恐らくは、解説書に書かれているよりも早いであろう。しかし、自分の若かった  頃の記憶を信用してはならない。
3、トシを考えて、途中で歩けなくなることも計算に入れておかなくてはならない。

と反省して、これからの教訓にした。
しかし、帰ってからの気分は、あのような痛さを経験しても、「また行きたい」と思う程に気持ちが良いものであった。これからは近くの丘を歩いて、慣れておくことにする。因みに、解説書では御岳山から大岳山の登山は「初心者」とあった。ガックリである。