お久しぶりです。
コロナに負けています。香川県はあまり感染者が出ていないので、
何か現実味がないのですが、仕事の方にはかなり影響が出ていまして、
今年はなんとか乗り切れたけど、来年はどうなるのか。
ともかく、歴史のお勉強を再開したいと思います。
おへんろ文化について勉強していますが、歴史好きのお仲間が次々と宿題を
出してくれます。
宿題「三途の川のほとりにいると言われる奪衣婆は三途の川のどっちにいるのか」
え、濡れた衣服を衣領樹という木にかけるのだから、三途の川を渡った向こう側でしょ?
ところが調べてみるといろいろな説があります。
「地獄で最初に会うのが奪衣婆、初七日」と書いているものもあれば、
「初七日で秦広王の裁きを受けて、三途の川を渡り、奪衣婆に衣服をはぎ取られる」と書いてあるものもあります。
三途の川は、無実の人は金銀七宝で飾られた「有橋渡」を渡り、
罪が軽い人は「山水瀬」と言われる浅瀬を
罪が重い人は「江深淵」と言われる深い激流を泳いで渡らなければなりません。
それが平安時代後期には、六文銭を渡せば、誰でも船で渡れるようになるのです。
その六文銭を渡すのも奪衣婆だそうですから、その時は、川を渡る前のこちら側にいることになります。
簡単な宿題だと思っていたのに、なんだか面倒です。
インターネットで何度もググっているうちにこの人のサイトにたどり着きました。
たしか「中陰の花」という小説で芥川賞を取ったお坊様です。
その頃、父を亡くしたばかりだったので、とても心に響いた本でした。
今回はこの人の説を答えとしたいと思います。
昨日の続きで、
三途の川を渡って、十王の裁きを受ける様子がわかるサイトを見つけました。
鎌倉の十王像があるお寺、円応寺のサイトです。
それにしても、地獄のお話、設定がめちゃめちゃ凝っていますね。
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