「軍師官兵衛」の話と自分の関わりと…その9
さてさて何を書こうかと思ったら
「三木合戦」の激戦地となった
播州地方の最古の古刹とされている
『増位山随願寺』
聖徳太子が高麗の僧・慧便に建てさせ、
のちに行基が中興したという天台宗の古寺。
官兵衛の叔父・黒田高友は出家して増位山に住んだ。
書写山円教寺と並称される名刹。寺伝によれば、
古今を通じて朝野の信仰が厚く、山上にはもと30坊もある
大寺院であったという。
天正元年三木の別所長治に攻められ全山焼失しましたが、
天正13年秀吉により再興された。
現在の本堂は姫路城主・榊原忠次の建立によるものです。
自分とのかかわりは・・・
「増位山随願寺」は小学校の遠足のハイキングコース。
何度も山に登ったなあと思い出す、低学年のときは親と
高学年になったら低学年の子達の手を引いたりもした。
登ってお寺の広場で弁当を食べて、レクレーションで
みんなで歌をうたったこともあったなあ。
「たしか六年の最後の遠足のとき、その当日に自分の
声変わりして当日いきなりで歌をうたえなかった記憶が・・・」
自分の出身の中学校は「増位中学校」という
その山の名前が由来なんでしょね、ふもとにあり
広峯山もあるしなあ。なんてパワーのあるところに
学校があったのかと今更ながら思いますね。
さてさて何を書こうかと思ったら
「三木合戦」の激戦地となった
播州地方の最古の古刹とされている
『増位山随願寺』
聖徳太子が高麗の僧・慧便に建てさせ、
のちに行基が中興したという天台宗の古寺。
官兵衛の叔父・黒田高友は出家して増位山に住んだ。
書写山円教寺と並称される名刹。寺伝によれば、
古今を通じて朝野の信仰が厚く、山上にはもと30坊もある
大寺院であったという。
天正元年三木の別所長治に攻められ全山焼失しましたが、
天正13年秀吉により再興された。
現在の本堂は姫路城主・榊原忠次の建立によるものです。
自分とのかかわりは・・・
「増位山随願寺」は小学校の遠足のハイキングコース。
何度も山に登ったなあと思い出す、低学年のときは親と
高学年になったら低学年の子達の手を引いたりもした。
登ってお寺の広場で弁当を食べて、レクレーションで
みんなで歌をうたったこともあったなあ。
「たしか六年の最後の遠足のとき、その当日に自分の
声変わりして当日いきなりで歌をうたえなかった記憶が・・・」
自分の出身の中学校は「増位中学校」という
その山の名前が由来なんでしょね、ふもとにあり
広峯山もあるしなあ。なんてパワーのあるところに
学校があったのかと今更ながら思いますね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます