ゴリぽんの「・・・」日記のつもり

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「黒田官兵衛ゆかりの地めぐり・・・英賀」について

2014年03月28日 | 「軍師官兵衛」の話と…
歴史に名を残した豊臣秀吉の軍師・官兵衛の足跡を
たずねてと英賀保地区をまわると様々な名所・史跡がある。

官兵衛が毛利の水軍5千を打ち破った英賀合戦。
英賀は城主以下、一向宗徒になって織田信長に抵抗し、
豊臣秀吉により落城となった。
黒田官兵衛の名前を世にひろめた司馬遼太郎「播磨灘物語」の石碑もある。

「官兵衛の時代、英賀は単なる城ではなく播磨最大の港町。
 英賀本徳寺を中心とした一向宗徒の町でもありました」

姫路市の作成しているゆかりの地めぐりということで
所要時間65分で徒歩でめぐることができる。
山陽姫路駅から飾磨駅で乗り換え、山陽網干行きに乗り換え
「西飾磨」駅にて下車(4駅 約10分・230円)

西飾磨駅より

①「英賀城の堀跡と土塁」
  迷子になりそうな細い路地道に残る堀や土塁の跡。
  東西にのびる溝がかつての堀跡です」

②「英賀薬師(旧 法寿寺跡)」

③「英賀神社」
  播磨風土記にある英賀彦神・英賀姫神を祀る古い神社。
  町名の由来も神社からきているという。本殿裏には
  英賀城跡の土塁ものこっている。

④「司馬遼太郎 文学碑」
  司馬遼太郎のルーツは祖父の代までこの地で、自ずからも
  愛情こめて播州門徒の末裔と名乗っていたとか。

⑤「英賀本徳寺 石碑」
  現在の歌野橋の上流約100mの地域にありました。
  昭和12年の新日鉄広畑製鉄所建設にともない、夢前川の
  川床になっているという。

⑥「田井ヶ浜址(巽地蔵)」
  1576年に毛利水軍5000人が田井ヶ浜に上陸、官兵衛は500の
  勢力で毛利軍を追い返し播磨に名を高めることになる。

⑦「英賀城本丸之跡 石碑」
  鎌倉時代には砦がおかれ、室町時代には播磨の守護大名・赤松氏の
  一族が守りました。その後、三木氏が豊臣秀吉に滅ぼされるまでの
  140年間の間・・・三木氏の居城として栄えた。


英賀城の落城のはなし。
黒田家は英賀の三木氏に官兵衛の妹を嫁がせている。
官兵衛の初陣といわれる「青山の戦い」には三木氏は
援軍をおくったとされている。
しかし、官兵衛が織田信長につくと英賀は官兵衛の敵方となり
毛利勢とともに姫路を狙うこととなる。
三木城が落城後も城主以下、一向宗徒の英賀は信長に抵抗する。
秀吉の弟の秀長を総大将に支城を落としながら付城をきずき
英賀城攻めをはじめます。
英賀衆も激しく戦いますが、一夜にして英賀の町は炎につつまれ
落城して英賀の栄華は幻と消えました。


いにしえの栄華を想像しながら散策・・・
細い路地道を歩いてみるのもいいですね。
ちなみに自分は仕事場がこの英賀保界隈にて20数年ほど
この地域でお世話になっています。

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