雑感「日々是好日2」

NO MUSIC,NO LIFE.音楽好きなのんびり屋さんの日常をつづってゆきます。きょう一日が良い日であるように…。

2019.2.24.三浦大知さん

2019-02-25 01:20:00 | 音楽

平成最後の2月最終日曜日。

 

体調がすぐれず、

予約していた美容院さんに電話して

事情をお話しして予約キャンセルをお願いし、

家でずっとおとなしくしておりました。

 

家に居たのにもかかわらず、

公共放送様FMラジオの不定期神番組

「今日は一日◎◎三昧」で

コバタケ(小林武史氏)特集が放送されることを

すっかり失念していて、

気付いた時には放送終わっておりました💦

 

「天皇陛下即位30周年記念式典」の放送も

夜になってから部分的に

ニュースのウェブなどで拝見した程度です

“非国民” とお叱りを受けてしまうでしょうか?💦💦

 

その「天皇陛下即位30周年記念式典」において、

天皇陛下が作られた歌詞(琉歌)に

皇后陛下が曲を付けられた楽曲を

三浦大知くんが独唱することになっていました。

 

見る側があまりの緊張で吐きそうなぐらいの

独特な空気感の国立劇場。

 

千住明氏のピアノ、千住真理子さんのバイオリンに合わせて

大知は堂々と歌いました。

素晴らしい楽曲へ敬意と愛情を持って

真摯に向き合い、

うちなーぐち(沖縄方言)で紡がれた詞を

丁寧に歌い切りました。

歌唱後のほほ笑みは、

慈愛に満ちているようにも思えました。

 

そんな大役を務め終えた大知が

いつもに増して凛々しく大きく見えて、

とても誇らしく思えました。

 

大知や満島ひかりさんなどが在籍したグループ

Folder を知っていたので

(Folder今思えば小森田さん(コモリタミノル氏)の作る楽曲がFolderに合っていて、素晴らしかったんだろうなと思います。リードヴォーカルを務める大知が9歳の小学生ということに驚いてばかりでしたけど)

ブレイクするかなり前から

大知の存在は知っていて

曲もいくつか聴いていました。

「ああ!Folderのあの子か!!」と。

 

日本のR&B、日本のダンスミュージックには

欠かせないソロヴォーカリストへと

成長を遂げていました。

 

かつての「Folderのあの子」が

記念式典に呼ばれ、

両陛下の御前で

紳士らしく振る舞い

唯一無二の歌唱を披露した。

だいちゃーさん(大知のファン)には

感無量の忘れられない一日となったことでしょう。

 

皇后さまがそのお身体を乗り出されるように

惜しみなく拍手なさっていたお姿が

とても印象的でした。

 

生きていて良かったと思えました。

大知お疲れ様。ありがとう。

 

 

 

Folderの楽曲を作られた小森田さん(コモリタミノル氏)といえば、

音楽繋がりの友達がかつて聞かせてくれた

こんなお話をふと思い出しました

「SMAP ダイナマイト が売れた時にさ、

小森田さんの親御さんがお身体悪くて

その後たぶん亡くなったか何かだったかな?

だから、

『小森田さん親孝行できて良かったねえ』って

皆が言ってたんだよね」

 

九大大学院まで行って

大手企業の研究所への就職決まっていたのにそれを蹴って

バンドミュージシャンとしてデビューして

芸能界入りされた方らしいですよね、小森田さん。

地方生まれ地方在住の者のひとりとしては

親御さんがさぞかし反対されただろうなと思うし、

「親孝行できて良かったねえ」の言葉の重みも

よく分かります

 

近頃では

ダンスヴォーカルグループ

“Da-ice” 

Fakeshowという楽曲を

小森田さんが手掛けていらっしゃいます。

「作詞・作曲・編曲コモリタミノル」。

もはやパワーワードです。

すべてが凄いです。

その感性はいまだ健在です。

 

https://www.youtube.com/watch?v=iiBG3NMz1-k&feature=share 

 


早いものでもう2月

2019-02-06 01:26:10 | 日常

早いもので平成最後の2月。

しかも、立春を過ぎ、

「2月5日」も先ほど終わりました。

「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」

あっという間に終わってしまうのでしょうかね

一日一日それぞれは

長く感じることもありますけど

映画「センセイ君主」の中で

「漫然と生きるのやめたら?」という台詞があるのですが、

2019年も日々流されて

漫然と生きているような気がします

誕生日にSNSからお祝いのメッセージをくださった方が、

その日に急逝されていたことを

あとから知りまして、

かなり衝撃を受けましたが

その方がお元気でいらした頃の

逞しくも優しい御様子を

記憶に留めておこうと誓いました。

感謝の気持ちとともに。

過ぎ去ったばかりの一日

「2月5日」は、

「プロ野球の日」「ピカチュウの日」だそうですが、

語呂合わせから(25ニコニコ)

「笑顔の日」でもあるのだそうです。

添付画像は、今月に入った折に

ケータイ画面のスクリーンショットを

保存していたものですが、

手のひらの中の御守のようなもの。

ロック画面はコチラに設定しています。

キュートな笑顔の竹内涼真くん。

Smile.


平成最後の誕生日

2019-01-10 23:28:09 | 日常
本日、おかげさまで、平成最後の誕生日を迎えることができました。

昨年末、学校時代の先輩がかなり前に早世されていたことを
遅ればせながら知りまして…

その際、別の先輩からは
「健診ちゃんと行って、身体に気をつけるんだよ」的な
メールを頂戴しておりました。


たまたまですが、今年度の健診は
誕生日当日でした。
もっと早くに受けるつもりでしたが、
予約が詰まっているとのことで
本日健診となりまして、
これまでの人生で初めての誕生日健診でした。

自らの身体でありながらも、
初めて知ることが未だに多々ある…



ちなみに、初詣(1月2日に行きました)のおみくじは「末吉」でしたが、
内容がことごとく救いのなさげなもので、
ここ数年の中で最悪でした😅


石段が大きめで段数が少なく、手摺りもある神社。
ありがたいことです。



問題のおみくじ。









「浮かれないように注意しながら生きろ」ということなのかな?と
思うことに致しました😅



平成から次の年号の時代へ。

持病の治療方法については、素人患者の目からは進展がなさそうに感じられて、
難儀なのは変わらんような現実かと思いますが
(個人の感想です)、

時代の変わりめに生きられるご縁があるのならば
「平成の次の時代をこの目でしっかりと見たい!」
そんな欲が出てきたことも事実です。

年齢をひとつ重ねられたことのありがたみを
噛みしめて
生きてゆけたらと思います。



あ!ホ◎プロスクエア様のメルマガ会員なので、
恒例バースデーメール届きました。

たとえ定型文でも嬉しいものです
「涼真より」。

あと何回このメールを目にすることができるのだろう…?
一年一年積み重ねられたらありがたいですね…

なりゆきでやめてみました

2018-12-14 06:43:43 | 日常
高校卒業以降使い続けてきた(ブランドなどにこだわりがないので、使う商品はその都度変わっていますが)洗顔フォームを
やめてみました。


…と言っても、
強い意志を持って
「やめるぞ!」というわけではなく、
洗顔フォームを買いそびれてしまったので
いわゆる「顔にもからだにも使える石鹸」に
変えてみただけなのですが…

いまのところ
特段支障なさそうです…


長らく続けて(続いて)いたものを手放すきっかけは
案外こんな感じなのかなと思った、
平成最後の師走半ばです。

「蒼い空へ」

2018-11-20 22:46:11 | Weblog
「蒼い空へ」
新刊書のタイトルです。

「『青い』ではなくて『蒼い』なんだな」って…
初めにそう思いました。
個人的に、「蒼」の字が表すイメージについて
どことなく寒々としたもの、ややダークなものだと
とらえていたからかもしれません。
「顔面蒼白」の「蒼」だよね、的な…。


「青空」と同様の意味で「蒼空」という字を当てることも
昨今ではあるそうですが、
他方で、春の淡い空のことを「蒼天(そうてん)」と呼ぶそうで、
そこからあえて著者の木本美紀さんが
「蒼」の字を当てられたのかな、とも思いました。


木本美紀さんは、今年(2018年)5月に亡くなった、
広島市東区御出身の歌手・西城秀樹さんの奥様です。

広島が輩出した音楽系有名人の方達は多数いらっしゃいますが、
西城秀樹さんは、分かりやすくメジャーな存在でいらした
スーパースターのひとりに相違ないと思います。

63年という短かった生涯のうち、約20年間を
脳梗塞との闘病に費やすしかなかった運命は
つくづくもったいないし、惜しまれます。

今年夏、西日本を襲った集中豪雨災害に際し、
御遺族はすみやかに、秀樹さんの郷里広島県への寄付をなさいました
(広島県の各種ソーシャルアカウント様の御投稿によると)。
ありがたいことだと思いました。




秀樹さんの訃報は、お昼時間に携帯電話のニュース速報が流れて知りました。
驚いたと同時に、
「長い御闘病お疲れ様でした」との心情がありました。

難病の末に早逝してしまったNさん(秀樹さんの大ファンであり、音楽や語学に精通した、心やさしい友達でした)に
思いを馳せました。



そして
「蒼い空へ」を一読したあと
言いようのない、せつなく重たい気持ちになりました。
感想としての言葉が出てきません。

御結婚してから、子育てそして旦那様の御闘病のケアにすべてを捧げてこられて
気丈にならざるを得なかったであろう奥様や、
物心ついた頃からずっと、お父さんが脳梗塞の後遺症に苦しみながら闘っている姿を目の当たりにしてきたお子さま達…

そうした御家族がおられたからこそ、
表舞台に立ち続けること、そして
壮絶なリハビリ含め闘病する姿をメディア通じて公開することを
選択された西城秀樹さん。


私は父を数度の脳梗塞(最後は硬膜下血腫からの約2年寝たきり〜廃用症候群〜心不全でした)で亡くしましたが、
父の場合は年取ってからの脳疾患罹患でした。
秀樹さんは40歳代での罹患です…





「秀樹さんを忘れないでください」と
奥様美紀さんは記しておられました。

存在そのものや歌声そして楽曲などを忘れずにいることが
供養になるのであれば、
広島に住むしがない素人の音楽好きではありますが
忘れずにいようと思います。
映像メディアや音楽メディアのありがたみを感じます。


元気な姿を覚えていようと。

和漢彩染でも…

2018-09-01 01:18:54 | Weblog
ものすごく久しぶりのブログ投稿です。

日付変わって2018年(平成30年)9月1日。
平成最後の9月です。

今年を迎えるにあたって、
雑誌Hanakoの表紙(添付画像=雑誌HanakoさんのInstagramより)で竹内涼真さんが
「2018年も、いい年にしよう。」と記されていて、
「そうだな、いい年にしなきゃな…」と思ったのもつかの間、
あっという間に9月になってしまいました。


8月最後の日曜日、
いい加減放置しすぎた髪の毛に
色を入れるべく
以前からお世話になっている美容院さんに行きまして、
和漢彩染という方法で染めていただきました。

元々は普通のヘアカラーで他の美容院さんにお世話になっていて
それで何ともなかったのですが、
持病(線維筋痛症)症状を抑えるための服薬が欠かせない身体になって以降急に
ヘアカラー施術を受けた後の夜中または翌日、
頭皮に痒みが強く出るようになってしまいまして…

とある皮膚科さんに罹ったのですが、
ローション渡されて終わりでした…

美容院さんでは、頭皮にオイルを塗ってから
オーガニック染料に変えてカラーをやってくださるなど
いろいろ手を尽くしてくださったのですが、
ヘアカラーについては
そちらの美容院さんで取れる手法が私には難しくなってしまったみたいで、
ジアミンのごくわずかな「和漢彩染」を扱う
他の美容院さんに移るしかありませんでした。


いわゆる若白髪で、学生の頃から白髪があり
(学生の頃は自分で抜いてました 汗)、
就職して年月の浅い頃、会社の先輩から
「アナタ、白髪が目につくわねぇ!
苦労してんのねぇ(冷笑)」と
わざわざ標準語でイヤミともなんともつかないお声をかけられるありさまでして…

地毛が真っ黒でしたから
白髪が余計に目立つ目立つ…

20代後半ぐらいから
無難色に髪を染めていました。


今回、「和漢彩染」にもかかわらず
翌日から一睡もできないくらいに
頭皮が痛痒い…

一度、炭酸ヘッドスパも試みたのですが、
少し時間が経つと痒みがぶり返してしまいました…


お顔の肌(の質)が変わってゆくのと同様に
頭皮も変わるでしょうし、
普通のヘアカラーが使えなくなる経緯と
同様なことが
「和漢彩染」でも起こるのが早かったなぁ〜と…

ごくごくわずかしか、ジアミンが含まれていない、
頭皮に(比較的)やさしいカラーと称されていて、
広島市内で扱いのある美容院の数は少ない。
そんなすぐれた染色方法(のはず)なのですが、
持病服薬が身体にもたらす影響で
和漢との相性が良くないほうへ傾いたのかもしれないなぁとも思います(個人の感想です)。

また、この夏は酷暑ですが、
家のエアコンが壊れてしまいまして、
業者さんがおみえになるまでの約半月の間、
扇風機と除湿機で
真夜中でも30℃を下回ることのない日々を
汗だくで過ごすのを余儀なくされました。
正直「きょうは持ったな」と
一日一日が勝負の日々で、
疲弊はピークに達していました。

この疲弊も
少なからず影響したのかもしれません…



かと言って、
他界した父の体質を受け継いだ私は
尋常じゃない汗っかきですので、
ヘアマニキュアに移行する方法が取れません…
汗で染料が流れて
着衣に付いてしまう可能性大ですから…

ジアミン抜きの方法としてまず思いつくハナヘナ(100%ヘナ)については
基本オレンジとインディゴ(紺)の2色づかいなので
色みの調整が困難と聞きますし、
所要時間がかなりかかるとも聞きます。
私の身体の状態だと
待ち時間や往復の時間などを含めて3時間ぐらいしか持たないので、
和漢〜でいっぱいいっぱいな感じ。

悩みは尽きない。



「暑さ寒さも彼岸まで」とは言い切れないですが、
平成の次の時代まで
どうにか生きるべく、
推しの力を借りながら
9月を過ごせたらと思います。

2018年は
まだ終わってはいないので。



惜別

2017-07-23 20:58:42 | Weblog
ずいぶん久々のブログ投稿になってしまいました。
SNSのアカウント運営に主軸が移ってしまい
(意図的に、積極的に主軸を移した、というワケではなく…汗)
こちらの更新がおろそかに… 滝汗

きょうは、こちらに記しておきたい出来事がありました。
正確には…きょうの早朝、SNSを通じて
察した出来事(出来事、という表現はニュアンス違うように思うのですが… 言葉が浮かばなくて…)なのですけれども…


同じアーティストさん(ボーカリストさん)のファンとして知り合い、
遠距離間で交流させていただいていた、
親愛なるNさんが、
先日旅立たれていたことを
今朝早く知りました。
同世代の方でした。
旅立つには早すぎる。


Nさんは、かつて、インターネット黎明期に
そのボーカリストさんのファンサイトを共同で立ち上げられ、
管理運営なさっていた方で、
その後、個人さんでの管理運営ファンサイトを
改めて立ち上げられていたかと思います。

音楽にお詳しく、音楽への愛情も深く、
また、語学も御堪能でありながら、
親しみやすくお優しいお人柄を感じさせるようなサイトで、
楽しく、また、学ばせて頂く気持ちで
愛読しておりました。
たくさんのファンの方に愛されていたサイトだったかと思います。

ここのブログを始める前に、
短期間ですが、
愚弟の教えを乞いながら
つたない個人ホームページを
立ち上げていたことがありました。
某電話会社さん系の個人ホームページドメインを
使用する形で。
(現在は、その会社さんが
ホームページサービスを停止してしまっているようです…)
田舎に生まれ育ち、広島で就職した、素人の音楽好きが
転勤の間に少しずつこさえたような
ささやかなホームページでしたが、
Nさんも、目を通してくださっておりました。

そのアーティストさん=西城秀樹さんなのですが、
かつて(代表曲と言われる、ヴィレッジピープルのカヴァー「YOUNG MAN(Y.M.C.A)」よりずっと後のこと)、
濱田金吾さんなどなど
いわゆるシティ・ポップスと当時称された方達の
楽曲提供やプロデュースの元で
(シティ・ポップス、AOR、メロウ・サウンド、ブラコン…当時いろいろ称されましたが、
それらの音楽は、現在で言うJ-R&Bのはしりだったと思います)、
実に質の高いアルバムリリースを続けていたこと。
ボーカリストとして高みを極めていたこと。
自分もそうしたアルバムが好きで、影響を受けたこと。
その作品群は、もっと評価されて良い、
すぐれた仕事だということ…。
そういったことなどを、つらつらと
綴っておりました。

共感を示してくださり、反応してくださるファンの方達がいらっしゃるのは
とてもありがたく嬉しいことでした。
Nさんは、音楽面で特に反応してくださり、
思わずこちらも笑顔になりつつ
やり取りさせて頂くようになったことを
覚えております。


まだ私が動けていた頃、秀樹さんのコンサートが
神奈川または大阪で開催されて、
自分の仕事の休みの日と重なった時は、
地方から出掛けておりました。
秀樹さんのプロデビュー当初からのファンであられる先輩方に交じって、
生の音に接する貴重な機会を得るばかりでなく、
同じアーティストさんを通して知り合えて、
日頃ネットやメールなどでお世話になっている「秀友さん」に、
直接お顔を合わせて、日頃の感謝をお伝えして、
お互いの再会を願い誓う機会でもありました。

Nさんは、多くのファンの方から愛され好かれていた方で、お忙しいであろう中を、
お時間を割いてくださり、
終演後まだ熱の冷めやらぬロビーなどで
数分間ですが語らうひとときをたびたび設けてくださいました。
快活で、可愛らしく、お優しい印象の方でした。


SNSで相互フォローさせて頂いていて、
御自身が難しい御病気に罹られていたにもかかわらず、
私に励ましの温かいお言葉をくださったり、
また、
私の書き込みにも目を通してくださっているようでした。
竹内涼真さん主演の「仮面ライダードライブ」を契機に、
私が日曜朝の特撮番組を視聴するようになったこと、
そして、
特撮や、涼真くんの活躍も励みのひとつとしつつ
いわゆる指定外難病と闘っていることも
ご存じでした。

私も、Nさんをきっかけに、
高橋優さんの動画を
動画サイトで検索して拝見するようになり、
高橋優さんが音楽番組に御出演の時には
時折拝見するようになっておりました。


昨日、通院先の開業医さんの待合室でふと
「NさんのSNS更新止まったままだったよなぁ
どうしておられるかなぁ」と思い、
Nさんのアカウントを遡っておりました。
…虫の知らせ、とはよく言ったもので、
Nさんが既に天に召されていたことを
翌朝早くに知ることになろうとは
思いもしませんでした…。


あまりにも早い旅立ち…
Nさん御自身のお気持ち
図り知れないものがあります…
他方で、
詳しい病名までは存じ上げない間柄ですが、
御闘病お疲れ様でした、と申し上げたいです…
いまの医療をもってしても
治療法が解明されていない病気がたくさんある…
その当事者のひとりになったとはいえ
分からないことが、たくさんたくさんあります…
Nさんの御病気もまた
難しい御病気の御様子だったようです…


Nさん、
出逢ってくださったことに、
ご縁があったことに、
心から感謝しております…

大好きな音楽を
お空の上でもどうか楽しまれてくださいますように…

Nさんの御愛息様が、大学で学ばれたことを生かされて
近い将来、
特撮関連などには欠かせない分野で
御活躍なさる日々を
心の中で待ち望みながら、
承認薬の力を借りて
こちらの世界で、気候に翻弄されつつも
日々踏ん張って生きていこうと思います。


「また逢う日まで 」
秀樹さんが、放送局か何かのオーディションで
歌われた楽曲のタイトルですね…










6年経ちました…

2017-03-11 22:29:32 | 雑記
東日本大震災から
きょうで6年が経ちました。

あの日は金曜日だったかと思います。
広島では揺れませんでしたが、
事務室のテレビの中継に
皆目を疑うと同時に、
「おおごとが起きた」ことは分かりました…

時間が経過するにつれ
いかに「おおごと」なのか
報道の映像で知ることになりました。
神戸(阪神淡路大震災)の時を
思い起こしていました。


3.11は余震がその後も絶えず続き、また、
東北のみならず
関東などでも大きな揺れがあり
公共交通機関が動かなかった、と
報道されていた記憶があります。
どれだけ恐怖だったことかと…


当時、持病の症状があまり芳しくなかった私には
現地へ赴くことも
何かお手伝いすることも
何もできませんでした。

当時、糸井重里さんが
「できることをしよう」と提唱なさっていた、
そのフレーズが
救いであり、頼りであり、
そのフレーズに甘えてもおりました。


阪神淡路も復興までには
長い年月がかかりました。

東日本大震災、そして熊本の震災…
それぞれの土地に伺うことは出来ませんが、
たとえば、広島に物産展が来れば
そこに足を運ぶ。
あの日のことを忘れずにいる。

そうしたことが、わずかですが
自分なりの供養になるのかなと…。



「できることをしよう」

きょう2017年3月11日の
Yahoo!Japan特設サイトです。


2/18土曜日から糖質制限加わりました

2017-02-22 22:43:57 | 闘病
肝臓医兼消化器科医の先生の御指示で、
体幹トレーニングを開始して数か月後から、
これまたさらなる御指示(というか御命令)で
カロリー制限もしておりました。
一日ほぼ1,000〜1,100kcal程度になるように。

この時点で、果物(∵果糖が入っている)、芋類や根菜(∵甘みがあって太りやすい)、小麦で出来ているもの=パンや麺類(∵身体に溜まるだけ)も制限がつきました。

「鶏むね肉を材料にしたサラダチキン(または蒸し鶏ほぐし)&おむすび1個&野菜サラダ(ドレッシング抜き)」が
食事の基本パターンになりました。



ただし、昨年末〜今年初めにかけて、酷い胃腸炎で普通の食事が入らなくなった間だけは、おうどんを噛んでひと口ずつ慎重に身体の中へ運ぶ日々を続けておりました。

肝臓医さんで毎回体重測定があり、酷い胃腸炎の間は3kgほど体重が減っていたのですが、
食事が回復するにつれ、また元に戻ってしまいました。

以前にも書いたことがありますが、
リ◎カを使い始めてから、
私の場合、一旦劇的に持病のほうの症状が改善された代わりに
一気に20kgほど激太りしてしまったのです。
(薬の副作用の出方には、個人差があります)
しばらくして、更に酷く疲れやすくなったので
肝臓を疑って肝臓医さんを訪ねたという経緯も
以前書いたとおりでして…。

そして!!
2月18日の診察で(うどん食から脱して体重が増えていた日)、
カロリー制限だけでなく、糖質制限、炭水化物カットをやろう!という御指示を賜りました。

厳密に考えればこれはきびしいです。
和食の煮物や炒め煮やすき焼きなどの味付けに入っている
味醂やお砂糖もNGですし、
焼肉のタレもNGかもしれません。
カレールーとかシチューとかグラタンもNGです。

意外にも、お魚のアブラ(DHAとかアタマに良いと言われますよねえ)も、アブラはアブラなので、
お肉よりもむしろ太るよ、とのことで、
大大大大好きな鯖の塩焼きや
鮭の塩焼きもガマンすることになりました。

ちなみに、もともと間食とかおやつを食べる習慣はありませんでしたが、
昼食で固形のヨーグルト(◎-1)を食べていた事について、
「お菓子を食べるようなものだから控えましょう」と御指導が入りまして、
現在はヨーグルトも口にしていません。

体幹トレーニングのトレーナーの先生にも
お医者さんからの御指示について相談しまして、
朝と昼はそれぞれご飯1膳(おむすび1個)ずつだけ許そう、と。夕飯は炭水化物を抜こうと。
そういうことになりました。

手っ取り早く、お肉と根菜以外の野菜が入ったひと皿を摂るようになりました。
たとえば青椒肉絲。


ほかだと、サラダチキンとサラダだけ、とか。

青椒肉絲にこんな小皿↓↓(あっさりつるんの、葱ぽん酢餃子)を付けてしまったので、
餃子の皮が炭水化物ですけどもねぇ(苦笑)


三日坊主にならないように、
また、
命取りにならないように(ウェブ記事によると、糖質制限をしていて、骨粗鬆症や寝たきりや脳卒中になった症例もあるそうで、糖質制限や炭水化物カットは、危険性をはらんだ方法でもあるようなのです)、
気長に無理せずがんばりたいと思います。







イミダゾールペプチドのサプリメント

2017-01-28 22:15:53 | 闘病
イミダゾールペプチドのサプリメント、
慢性疲労症候群的随伴症状の対策で
試しに使ってみることにしました。
自ら人体実験。

親友さんからこのアプリの存在を
教えていただきまして、
その後いろいろと検索。

産官学プロジェクトから生まれたシロモノらしい。
休みなく飛び続ける渡り鳥や、
回遊魚に注目して
そこから生まれたとか何とか。



効果があると実感している、と書かれた方もいらっしゃるし、
自分にはあまり効かなかった、と書かれた方もいらっしゃる。


私の場合、長引く胃腸の不調や、逆流性食道炎(これも随伴症状のひとつなので…意外と厄介です)の影響で
普通食をセーブしているので、
この際サプリメントで補うこともやむを得ない、ということで
マルチビタミンサプリを一時的に使用していますが、

サラダチキン(=鶏むね肉)も長らく食べていないので

(自分の場合「おむすび1個、サラダ、サラダチキン」の組み合わせが、
カロリー計算上も糖質制限上も
理にかなってオススメとの御教示ありまして、
普通食の間は極力それを守っていたのですが…)、

たまたまですがその代替みたいな形になりました。


某メーカーのサプリを通販で取り寄せまして
開封。
正直「鶏くさいなぁ」と思いました
(個人の感想です↑↑)。
当たり前っちゃ当たり前ですが。


速効性があるものではないようですので、
ある程度続けてみて
また判断していきたいと思います。



ところで…
きょうのぐーぐるせんせのトップに
鶏さんが。
「旧正月だから」ってことらしいです。