雑感「日々是好日2」

NO MUSIC,NO LIFE.音楽好きなのんびり屋さんの日常をつづってゆきます。きょう一日が良い日であるように…。

育ててくれた場所への愛情

2007-05-13 23:34:52 | Weblog
 昨晩からきょう午後にかけて、広島県尾道市内へ
泊りがけで出かけておりました。
 学生時代に所属していた、音楽関係の部活動仲間が
ほんとうに久しぶりに顔を合わせて、
旧交を温める集まりでした。
 

 今回幹事を務めてくださった先輩の計らいや
きめ細やかで丁寧な心づかいが
心底ありがたく思えました。
平生のお仕事や暮らしも
きっとそんな感じなのだろうなと
思いました。

 しまなみ海道を隔てた両県のみならず、
関東や東海や関西在住の方も来てくださっておりました。
今回残念ながらご都合が折り合わなかった方の中には、
メールや電話をくださった方も
少なからずいらっしゃいました。


 顔を合わせたその瞬間から、
時計が一気にその当時に戻ったかのようで、
話が尽きることはありませんでした。
 当時の写真や、当時の演奏音源、演奏会チケット、当時の記憶…など、
大事に大事に保管されていた思い出を
めいめいが持ち寄っておりました。


 学校を卒業してから、
みなさんが一生懸命に、丁寧に
その瞬間その瞬間をおろそかにしないで、
生きてこられたんだろうな、ということも
なんとなくですが
感じることができました。

 
 人生の中である意味、いちばん
教科書以外で得るものや覚えるものが多くて、
成長していくような年代を
ともに過ごした仲間それぞれが、

自分がかつて過ごした場所を…
お互いに育ち育てられてきた場所を…
いまでもいとおしく思い…
愛着を持ち続けていることが
とてもとてもうれしくて
とてもとても誇らしく思えました。
 
 
 当時は楽器も機材も活動環境も
今とは全然違っていたはずなのですが、
当時の演奏を今聴いてみて
恥じ入る部分は微塵もありませんでした。
ミスタッチとか音の拾い違いが少しばかりあっても
そんなものは全然問題なかった。
 演奏スタッフは、
イヤーモニターのなかった時代に、
唯一モニタースピーカーから聴こえるバック音を頼りにしつつ、
集中してひとつの音世界を奏でようとしていたし、
 音響スタッフは、
それをしっかり下支えしていた。
 そして、音色の選択ひとつひとつに、
配慮やこだわりもあった。。
 既成の譜面のない楽曲(が大半でしたが)は
自力で音をひとつひとつ拾って譜面に落としていった。
今考えても「よくやったよなぁ」と…。

 当時演奏したことのある曲が
ふと街なかやCMで流れていると、
いまだにハッとするんですよ。
 「亡き王女のためのパヴァーヌ」とか「ヴォカリーズ」とか、
「POP Muzik」とか「時へのロマン」とか…
…ボズ・スキャッグスなどもそうですよね…。

「展覧会の絵(キエフの大門)」は
自分の山陰時代のライヴで
強引なメドレー(真赤な太陽~Sunny~ラブ・ユー東京~木蘭の涙~Jupiter)を
ピアノ1本弾き語りでやったときに、
エンディングに2小節ぐらい入れてしまいましたから


 今回参加させて頂く前は、
ほんの少しですが…
「学校を卒業して以来
 初めてお会いする方に
 『どちらさまですか?』とか訊かれたら
 狼狽しそうだな、大丈夫かな?」とか
少し心配や気後れも正直ありましたが、
それは杞憂に終わりました。

 2日間とも天候に恵まれました
2日めのきょうは、
幹事さんのご案内で、
尾道市内を散策し、
ロープウェイにも乗り、
美術館でポスターアートも鑑賞し、
手捻り仏様を粘土でつくる面白さを
すこしばかり教えていただき、
商店街と隣り合うように海岸が広がる
尾道独特の町並みを堪能することもできました。
尾道ラーメンも初めて食べました。
 石段や坂道を下りる時、
視力の関係でゆっくり下りなければならなかったのですが、
「ゆっくり下りていいからね」と
先輩方をはじめ
皆さんが変わらず思いやってくださって、
それもありがたく思えました。


 昭和の古いスタイルの商店街が、
いまだに現役で存続しているような…
尾道のそんな風情が、
なつかしいのになぜかあたらしい…
そんなふうに感じられました。

 それは、自分たちがかつて
楽しみながら、苦労しながら
懸命につくろうとしていた音の世界に
なんとなく似ていました。
デジタルばかりではなく、
アナログばかりでもなく、
双方が同一時間帯・同一空間の中で
寄り添い共存するすがたでした。
 セピアカラーじゃなくて
フルカラーで現在に息づいているような
なんともいえない体温…あたたかみがありました。


 私は同じ広島県内に住んでいますが、
尾道を訪れたのは今回が初めてでした。
 また、初代新幹線の丸いフォルムを唯一残す車体である
「こだま」にも
往復で初めて乗りました。
今回の機会がもしもなかったとすれば、
尾道を訪れることも、
「こだま」に乗車することも、
なかったかもしれません。 
 


 今回の参加メンバーの中には、
発起人、創立者と申しますか、
創部当時のメンバーが多数いらっしゃいました。
幹事さんもそのなかのおひとりでした。
 もし創部してくださらなかったら、
きのう・きょうのような楽しい時間は過ごせなかったし、
それ以前に、
時を経てなお大事に思える
宝箱のような思い出を
持ちえたのかどうなのか
わからないな、と感じます。

 学校に入ってからは、
ぜったいに音楽関係のところに入部するのだ!と
決めていたのですが、
所属先をなかなか決められずにいました。
最終的に、少し遅れてから入部した理由は、
ある意味「なんとなくここだ!」という
ヒラメキでしかなかったのですが、
いまとなっては、
それが縁、というものだろうと思います。 


 成立ギリギリの人数で産声をあげたわが部も
その後大所帯に成長したようで、
いまでも存続している、とのことです。
 われわれが手作業で活動していた当時とは 
様子が全然違うのでしょうけれども、
現役部員の方々には、
いましか得られない経験を共に重ねながら、
「思い出せる場所」をこころのなかに
築いていってくださればと願います。

 
 身体の調子が戻ったら
自分で曲を選んでまた歌いたいな。。
シロウト音楽はとりあえず
続けられるうちは続けようという…
あらためてそういう気持ちになりました。
 ヤマハの発表会イベントの後で、
先生が選曲なさったのが中島美嘉の「見えない星」。
しのりょーのドラマ「ハケンの品格」を見られなかったので、
曲ほとんど知らないんですけど
(SonyのスポットCMでサビ聴いて…着うたダウンロードしただけ)、
楽譜を追うときれいなメロディーの曲だったので、
大事に掬っていきたいです。
 



 繰り返しますが、
今回2日間御一緒できた皆様、
おつかれさまでした。
そして、
ほんとうにほんとうに
ありがとうございました。  

 また逢おうね!


 ちなみに
きょうは「母の日」でした。
母親にはプリザーブドフラワーを贈りました。