日暮しトンボは日々MUSOUする

その背中に一発くらわせたい女 (姉のこと・その4)


ミサキちゃんは私が絵を描いているのを見ているのが好きだった。 学校の課題をしている時も彼女は横に座ってじっと見ている。 私の指先が白い紙の上を器用に走り回り、みるみるうちに絵が完成していく様は、いくら見てても飽きないらしい。 そして時々、下の台所にいってコーヒーを入れて来てくれる。 ミサキちゃんは我が家の台所に自由に出入りできるほど馴染んでいる。 ついでに父と母にもコーヒーやお茶を入れてあげるので、両親には印象が良いのだ。 いつだったか、父が風邪で寝込んだ時に、ミサキちゃんは冷蔵庫に余ってる食材でパパッと雑炊を作ってあげた。 父にはそれが嬉しかったらしく、それ以来ミサキちゃんを気に入ってる。 彼女は普段から自分の家でも手伝いをしているので、こういうことはすぐ気が付いてサッと動ける人なのだ。

ねえ、アンタ本当にミサキちゃんと結婚すんの? 姉は唐突にこんなことを聞いて来た。 僕はそんなことまだわかんないよ、と答えると、姉は同じ事を何回も聞いてくる。 まるで今すぐにでもハッキリしてくれないと自分が困るようなしつこさだった。 親の金でデザイン専門学校に通っている身分としては、己の将来さえも見えてないのに、結婚なんて考えられるわけがない。今の時点ではミサキちゃんはただのガールフレンド(彼女)と位置付ける以外はないのだ。 

その日も、いつものようにミサキちゃんは下の台所に湯を沸かしに降りていった。 何か姉と話をしてるみたいだった。 しばらくしてからコーヒーカップと2つ持って部屋に戻って来たが、気のせいかイマイチ元気がないように思えた。 その日からだったろうか… 彼女が私の家に来なくなったのは。 仕事の帰りにちょくちょく寄っていたのに、さっぱり寄らなくなった。 後になってわかったことだが、あの時台所で姉に何か言われたらしい。 彼女は何もなかったように振る舞おうとしたが、私はなんとか彼女の重い口を開かせた。   あの時、いつものように台所でコーヒーを入れようとしたら、母がおいしいクッキーがあるよと言ってまだ封を切ってない少し高級そうな箱を戸棚から出そうとした。 その時姉が「あ〜母さん、なんでそれ開けちゃうの 私が最初に食べようと思ってたのに」と言ったので、ミサキちゃんは「いえ、コーヒーだけで大丈夫です。お姉さんどうぞ食べてください」と気を使って遠慮した。それがまた姉の気分を害したのだ。 クッキーくらいで意地悪をする卑しい女と見られたと思ったのだろう「別に食べたらダメって言ってるわけじゃ無いんだから、遠慮なく箱ごと持ってったら」と、嫌味ったらしく言ったらしい。 私はミサキちゃんに、あの人はいつもああだから気にしなくていいよと必死で宥めたが、やはり彼女は気にしてるみたいで、自分が図々しく他人の台所を使うのはやはり良くなかった…と、自分のせいだと落ち込んでいた。 私は普段から姉の言動には、いい加減に頭に来ていたので、家に帰るなり姉に問いただした。 すると姉は、え、何のこと? 知らな〜い、わたしそんなこと言ったっけ、とか、わざとらしくすっとぼけた。 身に覚えがあるときは、いつもこんな感じで忘れたフリをするのは姉のいつもの手段だ。 私の怒りはさらに膨らんだ。 いい加減にしろよな!と、大声を上げ、彼女に謝れ!と怒鳴ると、別にわたしは悪くないでしょ、これから出かけるんだからそこどいて。 と、私の肩をこするように玄関に向かう姉は小声で「ウチにビッコの嫁はいらないんだよ」と、ぼそっと言った。 私はその瞬間、普段温厚だと思っていた自分でもあり得ないくらい血が頭に逆上した。 玄関で靴を履こうとする姉の背中に、思いっきり飛び蹴りを喰らわしてやろうと本気で思った。 (昭和30年以前の生まれの人は、カタワとかビッコとかチンバ等の戦後の肉体的差別用語を平気で使う) いつもよりも激しい大喧嘩になった。 奥の部屋から襖が勢いよく開いて「お前たち、いい加減にしろ!」と、父の雷が落ちた。 この時ばかりは滅多に怒らない父も、今まで聞いたことのない大きな声で怒鳴った。 姉はサッサと逃げるように玄関を閉めて出て行ったので、残った私だけが叱られた。 いつも喧嘩を仕掛けてくるのはむこうなのに、今回ばかりはどうにも納得がいかなかった。 この時私は決意した。これ以上この女と同じ家に居たくないと。
その後、私はミサキちゃんとの仲を修復をしなかった。 ケンカした時に姉に言われた「親の金で女と遊んでないで真面目に絵の勉強でもしてろ」の言葉が腹立たしい反面、どこかで自分もそんな甘えがあったのを感じていた。 しばらく一人で考えようと思って、何となく連絡を取るのを控えていたら、彼女との仲は自然消滅してしまった。 これを機に私は、実家を出てひとり暮らしをする決意をし、学費もこれからは自分で払うからいいと父に言った。父は寂しそうな顔をしたが、姉は私が出ていくのを喜んだ。 なぜなら私の使っていた六畳の部屋が使えるからだ。 2階の狭い四畳半から隣の六畳まで使えるので、早速新しい家具を買う構想を巡らせている。 生活が出来なくなってしっぽを巻いて帰ってきても、もうアンタの部屋はないからね。と、姉は出て行く私に釘を刺した。

そして半年間バイトでに貯めた金で実家を出て、国分寺の近く(恋ヶ窪)にアパートを借りた。これは姉に部屋を譲ったのではなく、来年は小学生になるヨシユキのために譲ったのだ。 その時の私にできることはそれだけだった。



名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

最近の「家族」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事