日暮しトンボは日々MUSOUする

自分勝手で無責任な姉のこと (1)

世間に迷惑をかけて他界した次女の香苗のことは、以前にカテゴリー「家族」で書いた。 今回は長女の文子の呆れるほどのバカさ加減を書いてゆく。 
当時、私たちは5人家族で相模原にある父の会社の社宅団地に住んでいた。 長女の文子は高校を卒業して父親のコネで三菱キャタピラーの事務係として入社した。しかし、仕事が短調でつまらないと言う理由で1年で退社して父親のメンツを潰した。そしてどこで知り合ったかわからないが、右手の指が2本欠けている男と結婚した。本来なら許すはずもない結婚だが、すでに姉の腹には子供がいたので止むを得なかったのだ。 文子はその後、男の子を出産したが、父親と言ってもまだ二十歳そこそこの旦那は、普通の仕事をやめて、キャバレーの呼び込みの仕事をするようになった。どんな理由か知らないが店側とトラブルになり、姉と子供を連れて九州の実家(宮崎の都城)に、逃げるように引っ越して行ったのだ。 去年の11月29日投稿の話はここまで。 今回はその続きから。 
九州のとんでもない山奥に住む羽目になった長女の文子は、やったことのない畑仕事や家畜の世話を手伝わされることになり、毎晩のように実家に泣きながら電話をしてくる。 私たち家族も一度招待され伺ったことがあるが、山の中のアスファルトの林道の周辺は、隣家も商店も何ひとつない自然の中で、森の樹々に囲まれていた。まるで当時はやっていた横溝正史の映画の舞台みたいだった印象しかない。 姉は結婚するまで料理も家の手伝いも一切したことがなかったのだから、長男の嫁としてまるで役に立たなかったのは言うまでもなく、当然、親戚連中(近所は全部親戚)には東京からきた嫁は何も出来ない役立たずと言われ、見事に母親のメンツも潰した。 と言っても私の母は、娘に教えられるほどの主婦のスキルは残念ながら持ってないので、言われて当然かも知れない。 姉は九州で1年半くらい我慢したが、本来堪え性がない性格なので、ついに子供を置いて一人でこっちに逃げ出してきたのだ。 向こうに必要なのは子供(家の跡継ぎ)だけだから、子供を置いてくれば自分を追ってくることはないと思ったのだ。 向こうの家にも旦那にも黙って飛び出してきたので、急にいなくなったから熊にでも襲われたのかと、親戚中で山の中を探し回っていたらしい。 まさか着の身着のままで実家に帰るとは思わなかったのだ。 後でそれを知ってホッとしたのと同時に、物凄い怒っていた。 
姉はしばらく、実家の2階の余っている部屋で暮らしていたが、九州に残してきた息子、ヨシユキ(仮)5歳が毎日、お母ちゃんに会いたいと泣きながら電話をかけて来る。 そこで父が九州にひとりで出向いて、親戚中が集まる中、娘がやらかしたことへのお詫びに頭を下げた。 そして帰ってきたときには息子のユシユキも一緒に連れてきたのだ。 普段は温厚でおとなしい父が初めて見せた男らしい行動に、私はこの時ばかりは自分の父を尊敬した。 
ヨシユキは母親とまた一緒に暮らせることに喜んでいたが、姉の内心はそうでもないようだ。 ただ目の前の嫌なことから逃げ出しただけの姉は、それから先のことは何も考えていない。 離婚するのか、子供を引き取るのか、自分一人で子供を育てられるのか…    そのことを思うと姉の気持ちが重くなっていたことは明らかだった。 







 




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