私の人生の中での忘れられないことを、「思い出語り」として書いています。
今は、 『看病記3☆3』 高校1年生、冬休み前~春休みの時の話・・
第3部_3話 ≪貧血≫
その日はひとまず、入院の用意をするため家に帰りました。
父が帰りにぼそっと切り出しました。ーーーどうも貧血のようです。
「輸血しやなあかんらしいわ。何でも・・自分で血液を作らんねんてぇ。
輸血して自分で血を作るようになるかみてみるらしいわ。」
「ふーん。そうなん。」
「とにかく、自分でも血を作るように、血になるもの・・、
レバーが一番 いいらしいから、レバーを毎日でも料理して
差し入れして下さいだってさ。
どんどん食べさせて血をつくらせてくれやてぇ」
え っ、ええええ・・ 私はレバーが大の苦手なのです。
料理の仕方も知りませんでした。
「しゃーないなあ。お惣菜屋さんででも、さがしてみるか・・」
と気楽に考えてました。
「血ィ、集めなあかんねん。明日会社の人にあたってみるわ。」
ーーー えっ、血を集める ・・何
それ・・
一瞬、私は聞き違えたのかと思いました。
すぐにドラマで見た光景が浮かびました。
よく、隣で直接輸血する場面が浮かんだのです。それが輸血の
仕方だと思いこんでいました。【枕元輸血】とかいうらしいです。
しかし、この方法でないことを知るのは、2日後のことでした。
ーーー このころ私はといいますと、
高校では、クラッシックギター部に入っていました。
秋の文化祭が終わって、春の大会に向けての練習が
週3~4回ありました。まだ冬休みには入ってなかったので
私は学校の帰りに毎日病院へ寄ることにしました。
母も今回は一応自分で歩けてました。
ーーーずーと付いていなくてもよさそうだなあ。
つづく。。。
自分で血を作る様にするまで
やはり重い病なのでしょうね
脊髄辺りの病ですかね
病気に関してはこれから明らかになって
いきますので、また続きを読んでください。
・・といいつつ、すみません。
今日は看病記、お休みさせて戴きます。
ドクターKさん、怒らないで、かんにんしてね
ゆっくりと書いてください
昔はよく聞きましたが、昭和20年代主流の枕元輸血は今は絶無だそうです。
感染症のチェックができないこと、また、もらった血に攻撃されるという危険性もあるらしいからです。
今は献血制度で、しっかり検査されたものを輸血するようです。