さあ~てと 帯しめましょか。

人生、山あり谷あり
向かうはわが身の置き場所よ。
帯締め、気を染め、往きましょか・・・  ~part 2~   

仏教の話 ☆ 20 ≪釈迦の教え≫

2012年05月19日 12時53分30秒 | 神・仏教・民俗の話

“釈迦” “イエス”・・・・・歴史的・肉体的存在を重視した時の呼称。 

“仏陀” “キリスト”・・・・肉体性・歴史性を捨象とし、衆生・人類の「救済者」
             である側面を重視した時の呼称。
       

≪在家信者の救済者としては仏陀≫

『マハーパリニッパーナ経』(『小乗涅槃経』ともいう)
   釈迦の入滅前後の出来事をリアルに描いた経典(史実に近いもの)
   釈迦が晩年に接触していた人物はほとんどが在家信者
   出家した弟子はあまり登場しない 
       
   涅槃のとき、侍者は阿難(あなん)アーナンダーただ一人、
   ゆえに、釈迦は引退していたらしいと思われる。
   
釈迦の最後を看取ったものも2~3人の比丘を例外として、
        在家信者たちだった。


釈迦は最初は小乗仏教として理念を燃やし、出家者のみに教えてきて
いたが、途中から、在家者をも救いたいと思って釈迦自身も知らず知らず
大乗仏教の道を、仏陀としての道をすでに歩んでいたのだろう。
そのため、弟子達との間に乖離が出来たのだろうではないか、
入滅前は孤独だったのではないだろうか、とひろさちや氏はいう。

 

≪古代のインドには「永遠」はない≫

古代のインド人は輪廻転生(りんねてんしょう)を信じていた。
地獄・餓鬼・畜生・人・天の5つの世界を、われわれ人間は生まれ変わり、
死に変わりして流転転生する。
5つの輪廻の世界で輪廻転生がインド人の常識だった
蘇生しなくても必ず再生する(生き返る)から蘇生は奇蹟とならなかった
    ↓
紀元1世紀ごろ(=大乗仏教が興起するころ)
輪廻の世界は修羅(阿修羅)の世界がおかれ6つになる。

 

【釈迦の時代の四姓制度】

① 婆羅門(〈バラモン〉プラーフマナ)・・・司祭者。知的エリート階級。
② 刹帝利(〈せつていり〉クシャトリヤ)・・・王族。支配者階級。
③ 吠舎(〈べいしゃ:毘舎ともいう〉ヴァイシャ)・・・庶民。
④ 首陀羅(〈しゅだら〉シュードラ)・・・隷民。肉体労働者階級。

このうち、婆羅門が「宗教的人間」だが、釈迦は刹帝利に属するから
「政治的人間」。その釈迦が、釈迦国を捨てて出家したとき既に「政治」
を放棄していた。出家後の頻婆娑羅王の仕官への誘惑をもきっぱりと
断絶していたのである。

 

★『死んだ子を生き返らせる薬』の話

インドはコーサラ国の首都、舎衛城(しゃえじょう:シュラーヴァスティー)に、
クリシャーガウタミーという名の女がいた。彼女の名はガウタミーであったが、
あまりにも痩せていたので、“クリシャー(痩せた)”の名を冠して呼ばれていた。

彼女もたった一人の男の子を失った。
クリシャーガウタミーの生家は貧しかった。ところが、幸運にも彼女は旧家に嫁いだ。
いや、それが幸運か否かはわからない。旧家に嫁いだが故に彼女はいびりに遭った。
いじめ抜かれたのちに、クリシャーガウタミーは男児を産み、それでようやく婚家に
地位を獲得した。その男児が死んだ。
彼女は半狂乱になって、舎衛城の街を死体を抱えて走り回る。

「どなたか、この子の生き返る薬をください!」
彼女の叫び声に、だれもどうしてやることもできない。そこに釈迦が来る。
「わたしがその薬を作ってあげよう。」釈迦は言う。
そして、その薬の原料になる芥子種(からしだね)をもらって来いと命ずる。
「ただし、その芥子種は、これまで死者を出した事のない家からもらって来る事。」
釈迦は条件をつけた。

クリシャーガウタミーは、舎衛城の家々を尋ねて回るが、そんな条件に合う家はない。
どの家も死者を出している。
そのうちに、彼女にもわかってくる。死による離別を体験したのは自分ひとりではない。
誰もが悲しみのうちに生きている。それがわかった時、彼女の狂気は鎮まった。

「女よ、芥子種は手に入ったか?」
戻って来たクリシャーガウタミーに釈迦が訊く。その質問に彼女はきっぱりと答えた。
「世尊よ、芥子種はもう不用でございます。」
彼女は釈迦に願い出て、出家して尼僧となった。

 


このような話をひろさちや氏は仏教における奇蹟という。
奇蹟に対する解釈が仏教とキリスト教ではちがうはずだと氏はおっしゃる。

仏教では奇蹟を神通(じんずう)という。
その能力が超人間的であるから“神”といい、また自由無碍(むげ)である
ところから“通”と
名づける。不思議な力である。
この不思議・不可思議といった言葉も仏教語であり、「奇蹟」に通じる言葉と
いう。人間が思議できない、おもいめぐらすことの出来ないものが「不思議」
「不可思議」であるという。

【六神通】

1 神足通(じんそくずう)(神境通)・・・自由に欲する所に出没できる超能力。
2 天眼通(てんげんずう)・・・千里眼。遠くのものを見ることの出来る超能力。
3 天耳通(てんにずう)・・・普通の声のすべてを聴くことのできる超能力。
4 他心通(たしんずう)・・・他人の心中を読む超能力。
5 宿命通(しゅくみょうずう)・・・自分および他人の過去世の生存のあり方を知る超能力。
6 漏尽通(ろじんずう)・・・仏教で得られる「悟りの智慧」のこと。
                “漏”とは「煩悩」であって、現在の生が苦であることを知り、その
                煩悩を全て断じて、二度と迷いの世界に生まれぬことを悟る超能力。

【三明(さんみょう)】・・・特に重要とされるもの

1 天眼通・・・自分及び他人の未来世におけるあり方を知る能力。  
2 宿命通・・・自分および他人の過去世の生存のあり方を知る超能力。
3 漏尽通・・・仏教で得られる「悟りの智慧」
         これだけは、仏陀にしか獲得できない超能力とされるようになる。

 

布教における釈迦は不必要なときには神通を使うべきではないとして、
六神通の使用を避けていたが、必要なときには使っていた。
(たとえば、同じ宗教者(プロ)などに対しては徹底的に神通を使って闘い、
相手を説き伏せて弟子としている。)

ある時期、釈迦の侍者をしていたスナクシャトラが釈迦に神通を見せてほしいとせがんだが、
必要がないと神通を示さなかったので彼は仏教教団を去ったという。

また、コーサラ国による釈迦国の殱滅のときにも釈迦は神通を禁じた。
原因は釈迦国の人々がコーサラ国の国王に非礼したことにあるとされ自暴自得
なのだが、釈迦は故郷
に対する愛情表現として、釈迦国に通じる街道の枯れ
木の下で座禅をし、コーサラ国の将軍がそれをみて軍を引き返すということを
三度繰り返した。

「世尊よ、どうして枯れ木の下で座禅をなさっているのですか?」
「将軍よ、枯れ木といえども、親族の陰は涼しいのです」

そして、これ以上やったり、将軍を説得したりすることは軍人になり政治家となってしまうと、
「問題解決」となる政治的行動となるのを避け、あくまでも「愛情表現」に留めた。

「釈種(しゃくしゅ)、〔=釈迦族〕は今日、宿縁すでに熟す。今、まさに報を受くべし」

と言って、みずからも座禅を中止した。4度目、将軍は釈迦の姿を見なかったので、
そのまま軍を進めて、釈迦国の男女を一人残らず殱滅したのである。

これが、「仏の顔も三度」ということわざの由来とされている。

(参考URL→ こちら

 

 

 

【釈迦が教えた「あきらめ」】

滅びる運命にあるものはどうしたって滅びる。ジタバタしても仕方がない。

それが釈迦の基本的態度であったようだ。

釈迦が人々に与えた「救い」は、本質的に「あきらめ」であった。

 

〔明らめ〕

① (心の)曇りを無くさせる。
② 明瞭にこまかい所までよく見る。
③ (理にしたがって)はっきり認識する。判別する。
④ 事の筋、事情を明瞭に知らせる。弁明する。
⑤ 片をつける。処理する。

〔諦め〕

⑥ 断念する

現代の日本語では、「断念する」の意の方が強いが、古語においては
「(理にしたがって)はっきり認識する」のが基本的な意味である。
釈迦が与えた救いは、このような意味での「あきらめ」であった。

クリシャーガウタミーに対しても、釈迦は、死んだ子の生き返る道理
のないことを彼女に「あきらめ」させ、それによって彼女を救った。
スナクシャトラがいくら懇願しても、釈迦は神通を使わなかった。
釈迦にすれば、神通を使わなくても人々を「あきらめ」させることが
できるのだから、使う必要がなかったわけだ。

 

 【釈迦が説いた「智慧」の宗教】

仏教語の「無明」=心理に暗いことをいう

「無明」がゆえに人間は迷い、苦しむ。

「無明」の闇は「智慧」の光によって消滅する。

光によって破られぬ闇はない。

釈迦はその「智慧」を教え、その「智慧」によって「無明」は克服され、

人間の苦悩も克服される。

 

その「智慧」を教えるため教団を作り、「智慧」を磨くにはエリートを養成する

しかないと最初は思っていた釈迦だが、本当はその「智慧」は誰もがもって

いるものだと気が付いたのだと思う、とひろさちや氏はいう。

 

最初はそれに気づかず、煩悩にまみれて世俗に生きる人間は「智慧」

を磨けぬ、と差別の目で人間を見ていたとしても責められない。

しかし、全ての人々に対して平等に接したことはその時代においては

超人的なことだったといえる。

釈迦は在家の人間とも接触していて、晩年は教団の指導を殆どせず、

在家信者たちの救済活動をしていたらしいことから、いかなる人間にも

生得の「智慧」があることを気づき始めたのだろう。

それは、普段は眠っていて、釈迦の人格に触れたとき突然、活性化する。

ずーっと後になって、その「智慧」を「仏性(ぶっしょう)」と呼ぶようになった。

 

釈迦は、あらゆる人間に「智慧」が具わっていることに気づきはじめていた

が、それを活性化するのに釈迦という偉大なる人格が必要だということに

釈迦自身は気づいていなかったようだ。

 

そして釈迦の入滅500年後現れたのが、肉体を持った釈迦ではなく、

時間と空間を超越した「仏陀」の説いた仏教が大乗仏教である。




 『釈迦とキリスト』 ひろ さちや著:参考

 

 

 

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2 コメント

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宗教研究会(名前検討中 (村石太キッド&検索レディ&papiru2世 )
2013-11-08 11:35:58
釈迦 超能力 で 検索中です
人は 釈迦に 近づく 釈迦になることが できるだろうか?
大乗経 と 小乗経 に違い とは~。
人生とは 何か 哲学~。
僕の 過去世 は 芸人かなぁ?
医学は どこまで 進化していくのだろうか?
返信する
宗教研究会(名前検討中 様へ♪ (obichan)
2013-12-25 00:58:44
はじめまして。
お返事遅くなって申し訳御座いません。

≪人は 釈迦に 近づく 釈迦になることが できるだろうか?≫

単刀直入に言って、できません。
人間は、自分は自分にしかなりえないのですから。
釈迦もなりたくてなったわけではなく、
廻りが勝手にお釈迦さまに仕立て上げたのです。

≪大乗経 と 小乗経 に違い とは~。≫

大乗経と釈迦本人とは無縁のもの。
後世に生きた釈迦を慕う人々が、
釈迦の弟子たちの言葉から作った経典より創り上げたもの。

本当に釈迦が思っていたことばかりとは限らないと思います。

小乗経とは釈迦に直接見たり聞いたりした人たちの声で創られたもの。
やはり釈迦自身が思っていたことではないでしょう。
また、解釈者により随分と変わるものでもあるでしょうね。

~~~~~~
★ネット検索でこんな記事を見つけました。
  私の思う近いことが書かれていましたので、参考にしてください。

(参照→ http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/739.html

従って、当然のことだが、カリスマ的指導者である仏陀の没後に、
教団は崩落した。

それは<神秘哲学の閉鎖的実践集団>から、<教祖を神格化した
布教集団>への変貌、或いは教えの民衆化という運動に現れた。
これを追求した者たちは、自分たちの運動を<大乗>と呼び、
仏陀の本来の教えに忠実な者たち(上座部仏教)を侮蔑の念をこめて
<小乗>と呼んだ。「乗」とは<乗り物>の意味であり、<大乗>の方
が多くの民草を救えるという自負が呼ばせたものだ。
~~~~~~

≪過去世≫

生まれ変わりは、生きてる人間の欲が観させるもの。
少なからず、私はそう思っています。
ねっ、想像するだけで楽しいと思いませんか。

≪医学は どこまで 進化していくのだろうか?≫

そうね・・・  たぶん、

人間が滅びるまで・・  じゃあないかしら。


コメント有難う御座いました。
またのご訪問お待ちしております。
返信する

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