さあ~てと 帯しめましょか。

人生、山あり谷あり
向かうはわが身の置き場所よ。
帯締め、気を染め、往きましょか・・・  ~part 2~   

悩める子供たちへ・・天上天下唯我独尊を知ろう!

2012年10月14日 13時43分55秒 | 神・仏教・民俗の話

―― 最近の友人達との話。

 

「最近、なんでこんなに子供の自殺が多いのだろうね。」
「死ぬ気やったら何でもできると思えへんのかなあ?」
「やれることやれ、ちゅうねん!せめて親に相談するとかぐらい
してもらわんと勝手に死なれたらたまらんわ~。」

なあんて話から出るわ出るわ・・

身近な友人、親戚、知り合いでの自殺者がいるとのこと。
いつも、「えっ! なんで~?」と思うんだって。
親にも廻りの友人達にも先生にも相談してなかったらしい。
けれど皆殆ど、なんとなく噂(?)のような感じで知っているとか、殆ど
遊んだ事のない子の自殺でもメールで回って来て知ったりするらしい。
 

 


また、自分の息子が結婚して幸せ一杯だと思っていたのに、
たった新婚3ケ月で新妻が自殺した人の話も聴いた。
彼女の場合は、欝のような病気だったのかもしれないが、
はっきりはわからず、誰も彼もそれこそ新郎の方も突然の事で
納得できない、受け入れることができない状態・・・

母親としては息子が心配で心配で仕方がないのだという。
しかも相手の親にはDVとか思われて責められたのだとも・・・
もちろん誓ってそんなことはしていないし、彼女におかしなところも
無かったという。


「親とのおしゃべりは、小さいころから癖のようにつけた方がいいね。
出来るだけ“後でね”ということは避けたほうがいいね。一旦もういいやっ
思い込むと二度と自分の気持ちを言わなくなるし、学校であった事
さえ言わなくなるから。」

毎日話をする友人達の子供たちは、どちらかというとよくしゃべる子たち
なので他人事のように思っていたけど身近にも聞く様になったと自分の
子にも気をつけねばと心配している。


          


『損得でくらべる宗教入門』という本で著者中村圭志氏は、
「日本語に「宗教」という言葉があったわけではなく、明治になって欧米の
文献を訳すに当たって「religion」の訳語としてこの字を当てはめただけで、
全くの近代の「流行語」なのだ、と書いている。 


~ 以下引用~

もともと釈迦オリジナルの悟りというのは、人間の欲望の空虚さを見抜いて
心がぶれないようにするものだった。神も仏もどうでもいいのである。
対するイスラム教には、「アッラー」と呼ばれるはっきりとした概念があるが、
日本の「宗教」教団の信者は自分とこの神様がなんという名前のどんな神様
なのかわかっていないことも多い。

極端にいえば、我々にとって神様とはお飾りであってライフスタイルだから、
教団員どうしお互いに助け合うことが「神様の道」であり「人間の道」なのである。
「宗教」にちゃんとした定義があるわけではないし、世界各地の伝統のライフ
スタイルや「生活の知恵」を定義しようとすること自体無謀で、学者や役人の
驕りだと中村氏はいいきる。


まあ、神頼みなんぞを始めると、家族は不満に思うかもしれない。
しかし、ここで頭の体操、究極の選択だ。

①家族を棄てて自殺する。

②家族を巻き込んで心中する。

③家族を棄てて宗教に走る。

④家族をなんとか丸め込んで宗教に走る。

のどの選択肢が望ましいかといえば、自殺だの心中だのより宗教に走った
ほうが(③か④)断然いい。死んで花見が咲くものではないからだ。

(ヒント:死にそうなほど困ったときは、あなたの思いつくあらゆる選択肢を
数えあげなさい。その中の一番実質的な得の多い選択肢が、とりあえず
貴方の答えだ。これはユダヤ伝来の考え方である。
宗教とは人を安易死へとお誘いするようなものではない。
命根性汚くこの世に踏みとどまることを命じるのが宗教の本筋である。)

                                   ~引用 終わり~ 
 


悩んだ時とにかく大事な事は「我に返る」こと。

宗教は知ることが大切であってそれが真か偽かなんて論証すること

はできない。今自分がイメージして考えたり行動したりしているのは、

今ここにいる自分自身(我)が主体であることに変わりないのだから・・・ 

まさに、天上天下唯我独尊(※)である。

  

「故事ことわざ辞典」より~~~~~~~~~~~~~~~~~~

天上天下唯我独尊  

【読み】てんじょうてんげゆいがどくそん

【意味】 この世に個として存在する「我」より尊い存在はないということ。
             人間の尊厳をあらわしている。
      
「唯我独尊」はこの世に自分より優れたものなどないという
              思い上がりの意味でも使う。

【天上天下唯我独尊の解説】

【注釈】  釈迦が誕生したとき、四方に七歩ずつ歩き、一方の手で天を、
          一方の手で地を指して唱えたという『長阿含経』の話に基づく。
            「我」は釈迦本人の意味ではなく、個々人であるとする。
            それぞれの存在が尊いものであるということ。
            「てんじょうてんがゆいがどくそん」とも読む。 
【出典】  『長阿含経』 
【注意】  「自分が一番えらい」というような、うぬぼれの意味では使わない。
誤用例 「この世の中を自分が支配して、天上天下唯我独尊にしてやろう」 
【類義】  唯我独尊 
【対義】  - 
【英語】  - 
【用例】  「自分と意見の違う人がいても、天上天下唯我独尊の気持ちで
      理解し合えるよう努めたい」 
 
 

          

 

最近は、宗教を信じない日本人が多くなったと言われるが、

宗教って中村氏の言うように本当はその国ごとのライフスタイルなのだと思う。

先祖代々やってきたから自然とそのスタイルにはまってしまっているのだと。

特に日本においては、強制されたような時代もあったから殆どの人々は、

人間が社会で生きていくためのルールやモラルなどを教えるのに都合いいもの、

もともと信用するというより、概念としてとらえてきたものではないだろうか。

 

  

今現代の子供たちに願う!

宗教を信じる信じないなどどうでもよい。

しかし、次のことわざは覚えておこう。

「天上天下唯我独尊」 (上記の※を見てね)

この世に存在する「我(=自分自身)」より尊い存在はないということを

しっかりと胸にとどめ、人間誰しも、親であれ友人であれ、誰であろうと、

相手も皆そうなのだからできるだけ仲良くしてほしいし、

お互いの自分自身を、命を、大事にしてもらいたいです。

そしてどんな生き方でもいいから生きてほしいです。

 

 

 

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