【 彼岸 】
春分・秋分を中心とした前後三日間。
彼岸(ひがん)・・・「向こう岸」=阿弥陀仏の住む極楽浄土
(先祖の霊が安んじるところ)
此岸(しがん)・・・「こちら岸」=生老病死の死苦がある娑婆の世界
(生きてる現世)
人は皆極楽往生したいという
――生死の此岸を離れて涅槃(ねはん)の彼岸に至る――
によって、彼岸という習俗が生まれてくる。
インドの古語サンスクリット
パーラミター(paramita 波羅密多〈ハラミタ〉)
波羅密多とは、パラマparama(最高)を語源として、
完全、悟りという意味
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向こう岸に着くこと(到彼岸、パーラミター)
一切の曇りの無い完全な世界、悟りの境地、貪・瞋・痴
の煩悩を開脱した心境、全ての煩悩の火が消えて
とらわれの無い涅槃の境地に達したこと
≪仏教の教えと農事のめぐり合い≫
彼岸の思想は仏教に由来するが、日本固有のもの。
パーラミターを説教して村々をまわった僧が、
「此岸より彼岸に至る」
といって仏の教えを説いてまわった時期
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春分の頃=春の種まき時期、
秋分の頃=秋の刈り入れの時期
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農民が田圃で働いている時だったので、説教僧が来ることを隠喩的
に「もうじき『彼岸』が来るぞ」と農民の間で言い習わして彼岸という
語ができたといわれている。
春分・秋分の日は太陽が真東から出て、真西に沈むので西方浄土
を想うには最も適している。水の川と火の川を貪(むさぼ)りと怒りに
たとえ、この二つの河にはさまれた太陽の沈む一筋の白い道――
二河白道(にがびゃくどう)――を、お釈迦様と阿弥陀様の招きを
信じてひたすら念仏を唱えながら、死者の魂はやがて西方浄土に
達するのである。
彼岸に達したであろう先祖の霊を慰め、自分もまた彼岸に至ること
を願って、彼岸と言う行事が仏教国・日本で生まれたのである。
≪平安時代に始まった彼岸≫
【日本初の彼岸会】
延暦25年(806)、桓武天皇が早良親王の法要を行ったのが始まり。
無実を訴えながら絶食をして命を絶った弟、早良親王のあと、
次々と桓武天皇の夫人・生母・皇后・皇太子がなくなり、
地方では天然痘が流行し死者が続出した。
全ては早良親王の祟りという占いから、延暦19年(800)、
早良親王に祟道天皇とおくり名して霊をなぐさめた。
延暦25年(806)御霊神社に祭り彼岸会をとり行った。
これが日本初の彼岸会といわれている。
≪江戸時代の彼岸≫
貞享暦(1685)・・・彼岸は春分・秋分の翌々日を「彼岸の入り」
として暦に記し、七日間を言うようになった。
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宝暦暦(1755)、寛政暦(1798)
春の彼岸・・・春分から五日前を「彼岸になる」とし、
春分の翌日を「彼岸の終わり」とした。
秋の彼岸・・・秋分の前日をはじめとし、秋分後五日目を
終わりとした七日間だった。
≪彼岸はなぜ七日間?≫
波羅密多に至るには、六つの徳目を修行しなければならない。
彼岸の中日をはさんで、一日に一づつ修行して実践して、涅槃
の境地に達するという意味で、彼岸は七日間あるわけである。
【六つの徳目(=六波羅密)】
布施 dana ・・・・・物を施し与え、法を説き、衆生の恐怖を払って心を救うこと
持戒 sila ・・・・・・戒律を守り、常に反省すること
忍辱 kshanti ・・・迫害に耐え忍ぶこと
精進 virya ・・・・・ひたすら実践すること
禅定 dhyna ・・・・心を統一して、安定して真理を悟ること
智慧 prajna ・・・・道理を正しく判断し、命そのものを把握すること
六波羅密は人に与えることに始まって最も深い理性に達する修行をいう。
明治11年(1878)6月5日(大政官達第23号)より、
☆春分の日(春季皇霊祭)
☆秋分の日(秋季皇霊祭)
天皇が皇霊殿で歴代の天皇のみたまを親しく祭られる祭儀
がとり行われる、国家の祭日となった。
この皇霊祭は大正・昭和に引き継がれ、昭和23年7月20日、
国民の祝日に関する法律によって国民の祝日となった。
春分の日→生物をたたえ、自然を慈しむ日
秋分の日→先祖を敬い、亡くなった人を偲ぶ日
≪おはぎの異名≫
【ぼたもち】
日本古来の太陽信仰によって、「かいもち」ともいい、
春には豊穣を祈り、秋には収穫を感謝して、太陽が真東
から出て真西に沈む春分・秋分の日に神に捧げたもの。
仏教の影響を受けて、彼岸に食べるものとなった。
「ぼた」=サンクスリットのbhuktaやパーリー語のbhutta(飯の意)
「もち」=mridu,mudu(柔らかい)
砂糖が庶民に流通し始めた頃現在のもとと同じ意味になった。
並べると白い砂糖が牡丹の花のように見えるので「牡丹餅」
と言われるようになった。
【おはぎ】
小豆の粒の散らしたものが萩の花に似ている=「萩の餅」
【北窓(きたまど)】
北の窓からは月が見えないから。
【月知らず】
“搗(つ)き知らず” という洒落から。
【夜船(よふね)】
いつの間にか着(搗)いている意。
【隣不知(となりしらず)】
人に知られぬよう音を立てずに作るので、隣家でも
気がつかないことから。
『年中行事を科学する暦の中の文化と歴史』 永田久著:参照
友達に自慢できそうです
今までなんとなくしか知らなかったことばかりで、
親の真似でいいかって思ってきたけど、
こうやって由来を知ると納得、なかなか面白いですね。
まだまだ、私も勉強中で~す。