母の8回目の命日です。家の掃除、仏壇は少々きれいに、シャワーでさっぱりしてお墓参り。市営公園墓地です。芝生墓地で私が抽選に当選した当時は、墓石の規格が限定されていました。ですからほとんどの墓石は同型です。この数年のうちに建てられた物にはデザインされた物が見受けられます。「みんな同じ」ではいやと要望が増えたのでしょう。所詮限られた墓地たいしたことはできませんが、なかには「これ音楽家?」「書家かネー?」と一目でわかるものもあります。
母は、30歳前から子供を育てるためにただ働き続けました。造船所の下請け、米軍弾薬庫の草刈り、病院の雑役婦に雇用されてからは同じ勤務先で定年まで働けました。家庭内の葛藤、子供たちの不始末の後始末、一人で二役三役をこなした56歳までの人生でした。定年後は私と同居し、孫娘二人の面倒を見ることになりました。これが30年間。86歳で逝ってしまいましたが、最後の夜偶然私は病院からは何も言われませんでしたが、一晩付き添いました。これが「虫の知らせ」とでも言う物でしょうか?夕方の容態を見て「今晩泊まるわ」とかってに決めました。深夜ベッドのそばで寝顔を見ながら「この人の86年間っていったい何だったのだろう!苦労の連続で」としみじみ思いました。しかし、後半の30年間は息子夫婦とはともかく孫娘とは、楽しく過ごしその分取り替えさえたのかな?終わりよければすべてヨシ!と言うし。
未明容態が急変し「家族を呼んでください」と言われた時は手の施しようがありません。「家族がそろうまで心臓だけは動かせておきますか?」と問われた時はいささか腹立しくなりました。もう良い!安らかに休ませて!丁重にお断りしました。
命日で久しぶりに思い出しました。公園墓地に咲いていた花です。