功山寺決起

青山繁晴事務所から自由民主党の党員になりました。(2020年)

外務省の担当局長も来ているとアナウンスはありましたが(2021-11-20 04:04:11)

2021-11-20 09:31:04 | On the Road
▼中国製の武漢熱が荒れ狂うこの2年、外交はほんとうに大きな、大きすぎる制約を受けてきました。
 そのうえ、日本外交はどうしてもアメリカ、中国が主で、世界戦略に欠け、また大きくない国を軽視する傾向があります。国会議員になってからではなく、民間の専門家の時代から痛感してきました。
 そこで議員となった今、旧東欧諸国や、遠い南米諸国のような国との連携をつくるよう、それなりに努力してきました。
 こうした国のひとつから招待を受けたことがありましたが、政治献金も受け取らないふだんの姿勢を外交でも貫いて、招待はお断りしました。



▼先日、11月17日水曜、経済対策の「政調全体会議」の2回目が長時間、開かれたあと、まずは夕方に、先の総選挙で落選された護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) に属した前議員と、議員会館の青山繁晴事務所でお会いし、現状と先行きを話し合いました。



 そのあと、令和4年度の税制改正について電気業界の関係者と議論し、厳しい意見を申しあげました。
 というのは、福島原子力災害をめぐる公平な真実、たとえばチェルノブイリとはまったく根源的に違って放射線障害で亡くなった方は居ない、政府の間違った避難指示のために関連死なさったかたが多いにもかかわらず、安倍政権でも現政権でもチェルノブイリと福島を同じ「レベル7」 ( IAEA・国際原子力機関の事故基準 ) にしたまま放置していること、それから知られざる現状、たとえば森の新芽、新しい樹木には、福島原子力災害で環境に出た放射性セシウムがもはやほとんど含まれず、森の再生が始まっていることについて、世論の反発を気にして何も発信していません。
 政府も電力業界も事実を発信せず。森は絶望だということにされたままなので、伐採がおこなわれず、光が届かず、せっかくの新芽が育ちにくい情況になっているところもあります。
 それを地元の、現場のかたがたの努力で森に入り、伐採を始めたところもあります。

 政府の無策だけではなく電力業界も、こうした地元の尊い努力と眼に見える連携をせず、身を縮めて見せているだけだから、税制についても言うべきを言えないで居る、そのことについて客観的に厳しく申しあげました。
 電力業界から多額の献金を受け取ってきた与野党の議員から、福島の真実について正確な発信がされた例にぼくはただの一度も接していません。ぼくが不明にして知らない例があることを祈ります。
 ぼく自身はどこからも、どなたからも政治献金を1円も受け取りません。業界に対しても世論に対しても、ありのままに語っています。国会質問でも、福島原子力災害をめぐる真実を指摘して問うています。



▼こうした日程をこなしてから、アルゼンチン大使館に行き、日本アルゼンチン協会の遠藤信博会長がアルゼンチンの勲章を受章なさったレセプションに参加しました。
 立法府で申せば、日本アルゼンチン友好議員連盟は、会長ら幹部を今回の総選挙で喪いました。
 また、武漢熱でいかなる行事も凍結されていた日本の各国大使館において、これは久方ぶりの行事です。 ( 冒頭の写真がそれです )
 そこで、万難を排して出かけました。

▼こちらの事務所の都合で、冒頭しか参加できなかったのは、残念至極でしたが、それでもアルゼンチン大使をはじめチリの大使、ブラジルの大使らと話せたのは、良かったです。
 外務省の担当局長も来ているとアナウンスはありましたが、なぜかなんの動きも無く、どこにいらっしゃるかすら分かりませんでした。
 まぁ、あとからゆっくり動かれたのかも知れませんが、諸国の外交官とずいぶん違います。不可思議な感は残りました。

 日本外交は不可思議なことが日常的に、山積みです。
 しかしそれを批判して済ませるのではなく、とにかく身体を運んで、ちいさな努力を重ねていきます。



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何が、誰が敵かをみなに伝える (2021-11-19 23:31:05)

2021-11-20 00:50:32 | On the Road
 その敵とは、日本の内なる敵です。
 敵はひとりでも一種類でもありませぬ。

 いったい何のことか。
 できれば、ここをご覧ください。

 ほんとうは、胸の裡 ( うち ) で呆れ果て、怒り狂い、あくまでも既得権益にしがみつく連中にもはや我慢できず力任せにぶっ叩こうかと思い、また味方の顔、味方の声をして足にぶら下がり引っ張るかたがたにも疲れ果て・・・

・・・いや、すべてを呑み込んで、我慢を続け、疲れをみせず、どなたにもにこにこして、懸命にユーモアも交えようと努め、ようやく下手な話をば、みなさんに差し上げているのが、ここなのですよ。


 我慢するのは当然です。
 なぜなら、敬愛するケンジ・ミヤザワは仰っているではありませんか。
 アラユルコトヲ
 ジブンヲカンジョウニ入レズニ
 ヨクミキキシワカリ
 ソシテワスレズ

 宮澤賢治が大々好きです。
「注文の多い料理店」や「セロ弾きゴーシュ」のような、何がテーマかはっきりしないものが、とくに、子どもの頃から好きです。
 上記はみなさんがよくご存じの通り、有名な「雨ニモマケズ」の一節ですね。
「雨ニモマケズ」を、ぼくは詩とは考えていません。それも子どもの頃からの印象、いや、ありのままに言えば子どもながらにじっくりと考えた思考の結果です。
 手帳に記した、みずからへの宣言だったのでしょう。

 最後には、南無安立行菩薩と記されています。
 賢治は宗教家ではありません。法華経をひとに詠んで聞かせようと賢治が思ったとは、ぼくには考えられません。
 病の高熱で倒れて遺書を書いた、その翌々月に手帳に記したのが「雨ニモマケズ」です。
 死を身近に感じつつ、もしも再起があるとするなら、こうしよう、こんなひとにきっと成ろう、そのおのれへの宣言だったと考えます。

 ぼくの仕事机にはいつも、「注文の多い料理店」の初版の復刻版があります。
 なんとも言えないほど、秘かに、そして丁寧に、励まされるのです。
 鬱屈の魂にとって、わずかな、ありがたい、静かな支えです。






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