糸魚川市には二つも国指定の縄文遺跡がある。
長者ケ原遺跡と寺地遺跡であり、どちらもヒスイ加工遺構を持つ遺跡で、これは国内唯一の宝石質ヒスイを産出する糸魚川ならではのお国自慢。
毎月のように何人ものお客さんを遺跡に案内するが、長者ケ原遺跡は世界最古のヒスイ加工遺構を持つ遺跡(厳密には違うのだが)というばかりでなく、非常に特異な遺跡でもあるので今回はそのご案内。
例えば棟持ち柱を持つ掘立て柱建物の存在である。
長者ケ原遺跡の掘立柱建物。地面が掘り下げられた円形の竪穴住居と違い、地面は平らで四角い建物。中央の柱が棟持ち柱。豪雪地帯特有の建物遺構なので、冬期間の共同作業場や集会所とも考えられているが、周囲に林立する細長い石は土壙墓なのでマツリに関係した建物とも推測されている。
棟持ち柱とは、伊勢神宮に代表される神明造(しんめいつくり)の神社に代表される、建物の妻側中央部で屋根の棟を支える柱の事である。
神明造の神社の特徴は、「棟持ち柱を持つ・掘立て柱・切妻屋根・屋根の上に千木(ちぎ)と鰹木を持つ・屋根材が板葺・平入り・直線的な構造」などで、長者ケ原遺跡の掘立柱建物は、棟持ち柱と掘立て柱、平入りである三点が共通項なのだが、問題なのは棟持ち柱の存在。
私が知る限り、国内では長者ケ原遺跡が最古級の棟持ち柱ではないだろうか?
もっとも棟持ち柱を持つ四角い建物とされる根拠は発掘した時の柱痕の孔だけなので、縄文時代当時の姿は単に六角形の建物だったりして(笑)
この柱は力学的にも建物を建てる作業上も無くても良い柱で、象徴的な柱だと考えられているのだ。
上棟式に観られるように、日本では建物に命が吹き込まれるのは屋根の基礎である棟木が据えられた時。
その棟木を支える柱が棟持ち柱・・・柱とは諏訪の御柱に代表されるように神の憑代だ。
そしてハシとは、端と端を繋ぐモノ・・・橋は陸地を繋ぎ、箸は食べ物と人を繋ぎ、柱はカミが降りてくるモノ、という事らしいぞ・・・。
ラオスの山岳地帯の村では、穀物蔵が申し訳程度の棟持ち柱を持つ掘立柱の高床式が多く、破風(はふ・屋根の妻側の端っこにある風に対する補強材)の所で交差する千木まであった。神明造が穀物蔵をルーツに持つとされる由縁。
六年前のUターン帰郷の前に、東南アジアを三ケ月間旅をしたら、北部ラオスの山岳地帯の村で驚きの光景を沢山見た。
鳥居はあるわ、棟持ち柱があるわ、日本独特の文化と思い込んでいたものがあったのだ。
村の境や家の前には祠があったが、棟持ち柱モドキが!この構造上不必要で、取って付けたような棟持ち柱という所が象徴という意味を際立たせているのではないだろうか?
破風が千木で止まるのは、神明造の特徴!注目して欲しいのは、千木の端が垂直と水平の二種類で切り揃えられている事で、神明造の神社では垂直が男神、水平が女神を祀られているのだ。ラオスでもそうなのか?聞きたくてもド田舎なので英語が通じません!
これでもか!という位に申し訳程度の棟持ち柱(笑)
カンボジアには、沢庵も納豆もあった。
日本文化の源流の一つが「照葉樹林帯」とされるネパールから東南アジアにある事は確かだが、五千年も前の長者ケ原遺跡の棟持ち柱との関係を知りたいもんである。
どっちが古いのだ?!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます