信州の友人、茅葺職人の渡辺拓也さんが、長者ヶ原遺跡の竪穴住居の修復に来ている。
右が渡辺さんで左がお弟子さん。渡辺さんと出会ったのが、3年ほど前の縄文イベントだった。
遺跡公園はいってすぐの20号住居は、だいぶ前から煙だし付近から雨漏りしており、雨降りの縄文キャンプの夜に赤い傘をさして寝ていたのが、イダキ演奏家のKnobさんだった( ´艸`)
棟部分にかぶせる杉の樹皮と結束用の藤蔓
クリ材の又首(サス・屋根垂木に相当)も痛んでいて、部分的に交換したそうだが、今時クリ材が入手できるとは流石に信州の職人だ。
古い言葉で屋根の棟を串(グシ)というが、髪もオグシともいう。
渡辺さんの仕事を見学して、棟の部分の茅を左右にふりわけて編みこんでいく工程が、まるで女性が髪を三つ編みする様を連想した。
なるほど棟をグシと呼ぶのは、茅葺屋根時代は家の髪として認識されていた名残ではないか?と納得。
滅多に見られない茅葺職人の技、今日が最終日である。タイミングよく今日は遺跡で縄文体験会があるので、子供たちに究極のSDGs建材、茅を触ってもらおうではないか。
糸魚川最後の茅葺職人さんは、お亡くなりになった能生谷の渡辺さんで、掘立柱建物の修復をしていたのは私がUターンして丸木舟を作っていた10年ほど前。孫の世代の信州の渡辺さんが引き継いでいるのも何かの縁か。
願わくば、天津神社や白山神社の茅葺も、渡辺さんに修復して欲しいものだ。彼と話していると、わたしのヒスイ加工と共通している部分が多く、話が尽きないのだが、こんな人に地元の神社の修復をして欲しい。
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