縄文人(見習い)の糸魚川発!

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水煙土器をモチーフにしてみたが・・・。

2015年10月15日 19時55分06秒 | ぬなかわヒスイ工房
戦後まもない頃まで、原始時代の出土品としか評価されていなかった縄文土器の芸術性を発見したのは、芸術家の岡本太郎。
 

上野の国立博物館に展示されていた縄文土器に出逢って、「なんだ これは!」と衝撃を受け、以降は著述活動で縄文の芸術性を高らかに謳い上げ、また彼自身の作品に大きな影響を受けていく。

太郎が衝撃を受けた縄文土器は、中期(五千~四千年前)の八ヶ岳周辺から出土する「水煙土器」だったそうだ。越後の豪壮な火焔土器に対し、信州から甲州にかけて出土する水煙土器は、女性的で優美な姿。個人的には火焔土器より、独特の動きのある水煙土器の方が芸術性は高いと思う。

 

縄文芸術の影響を受けた太郎の作品の代表作が、1970年に開催された大阪万博のシンボルであった「太陽の塔」だろう。

近代科学主義を象徴するモダンなパビリオン群にあって、万博会場の中央に聳えていたのが、土俗的でアンチモダンな原始の太陽のモニュメント。

発表当時に関係者からは酷評されたらしいが、万博が始まってみたら最も人気のあったパビリオンが太陽の塔だったそうで、全てのパビリオンが万博終了後に解体されていったが、唯一現在まで残っているのも太陽の塔である。

水煙土器をモチーフにした石笛

 

そんな訳で、太郎は縄文土器(芸術性を)を発見した功労者という評価さえある。

後年にある新聞記者が、「岡本先生が最初に縄文土器を発見されたそうですが、どこで発掘されたのでしょうか?」と真面目に質問されて、太郎は「上野の博物館だよ」と答えたそうだ。

 

その水煙土器をモチーフにした作品を作りたいと長年構想を練ってきたが、ついに形になった。

蛇紋岩を素材にした石笛である。

小さくて難しい・・・。造形技術も稚拙だし、デザインだって中途半端だ。

もっと自由に、もっと大胆に、攻めろ攻めろ!と自分を鼓舞したが、情けない事に固定観念が邪魔している。

次回作はもっともっと大胆な作品にしてみたい。



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