「縄文人は白いヒスイを好んでいた」と、考古学の先生方は仰るけれど、ヒスイ職人の私から観ると「特に中期は白地に黄緑の模様がはいったヒスイを好んでいた」と認識している。
それも前期は二例しか出土例はないけど琅玕 (ロウカン・深い緑色をした半透明な最上級のヒスイ)、中期が白地に黄緑模様、弥生時代は深緑、古墳時代は深緑を好みつつ、ヒスイならなんでもいいからとにかく量産!といった印象を持っていて、各時代ごとの色相の変化はあっても、基本は緑が好まれているように思う。
卑弥呼もヌナカワ姫もカワイイ!キレイ!と、勾玉を太陽に透かして見ていたに違いないと思うのデス
中期の大珠のようにでかいとそれほどでもないが、勾玉のように小さく、より立体的な装身具だと、白地に黄緑がより映えるように思う。大珠はある意味で平面的で、勾玉こそ白地に黄緑の模様がはいったヒスイの魅力を引き出すに、最も適切な立体造形物だと思うのが、ぬなかわヒスイ工房の考え方
ところが白地に黄緑をしたヒスイ製装身具は縄文中期の大珠以外にみた記憶があまりなく、縄文・弥生・古墳の人に、こんなのいかが?と感想を聞きたいもんだと、いつも思っている。