縄文人(見習い)の糸魚川発!

ヒスイの故郷、糸魚川のヒスイ職人が、縄文・整体・自然農法をライフワークに情報発信!

災害史から防災を学ぶ・・・磯田道史著「天災から日本史を読みなおす」

2025年01月09日 07時25分43秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
いつやってくるかわからない災害も、歴史を調べると予測がついて備えることはできる。
本書によると最後に富士山が噴火した「宝永の噴火」は、群発地震の5年後に発生。12日間も江戸市中の空を火山灰がおおい、昼でも提灯が必要なほど暗くなり、ガラス質の降灰が目の中にはいって往生した人が多かったらしい。
 
歴史上、富士山や浅間山が噴火すると冷害となり、飢饉が数年つづいたことも忘れてはならない。
能登豪雨の後も泥濘が乾いて粉塵となって舞い、喘息になった人もいたし、泥だし作業には防塵マスクとゴーグルが必需品だったと聞く。
 
とくに首都圏在住の人は、ゴーグルと使い切りタイプの目薬、防塵マスクを常備しておいたほうが無難だろう。
防塵マスクは普通のマスクで兼用せず、乾いた個体粉塵用の「DS1」規格以上の個体粉塵向けの業務用を推奨したい。数値が高いほど集塵率が高く、使い捨てタイプの市況価格は1枚200円前後だ。
 
 
 
 

わたしがヤマサ醬油を贔屓にする訳・・・「稲むらの火」のモデルの濱口梧陵は「無私の日本人」だった

2025年01月08日 07時26分52秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)

稲束に火をつけて、安政の地震の津波から避難させた「稲むらの火」のモデルの濱口梧陵(はまぐちごりょう)は、「無私の日本人」の典型のような人で、幕末から明治期に「一隅を照ら」しつづけた偉人だった。


絵本「稲むらの火」より

地震のあとの梧陵さんの獅子奮迅は「稲むらの火」の後もつづく。

私財をなげうち生活の糧を失った人々への生活支援をおこない、次いで津波対策と失業対策を兼ねた「広村堤防」の築造を幕府に願い出て独自に完成させている。

そんな奇特なことができたのは、梧陵さんがたぐい稀な商才と、窮民救済思想を併せもつ、ヤマサ醤油の7代目当主だったからで、わたしがヤマサ醤油を贔屓にする由縁だ。

晩年の梧陵さんは紀州藩の勘定奉行に抜擢され、維新後は和歌山県の大参事(副知事)、初代郵政大臣、初代和歌山県会議長jを歴任して、政治の世界でも活躍した

ヤマサの商標は、歴代当主が襲名する濱口儀兵衛の儀をカタカナにしたギを意匠化したもので、最初は山にキであったが、紀州藩の船印だかに似ていたためにキの字を横にした結果、山にサに見えたからヤマサになったなど諸説ある。傘の右上の上という文字は、江戸幕府から最上醤油の称号を授与されたことに由来する。

 

開業当初のヤマサは和歌山の味噌屋だったが、本家を銚子にうつして発展し、幕末には各地に支店をもつ大企業になった。梧陵さんは和歌山にのこった分家から本家の養子となった人物だから、「稲むらの火」は和歌山での逸話。ヤマサは歴代当主に傑物を輩出して現代に至る。

現在の貨幣価値で19億円相当もの費用と、4年の歳月をついやして完成させた「広村堤防」は、91年後の昭和の南海地震の津波から民草を護った。

劇画「JIN・仁」にも、ペニシリンの製造の資金と醸造場の提供をする人物として実名で登場するが、じっさいにはコレラの種痘の普及に尽力していて、「無私の日本人」ぶりは多岐にわたっている。



「広村堤防」は今も現存していて、写真で確認する限りでは、日本海沿岸に多い自然堤防のように見え、その涼やかな風景は国指定文化財に認定されている。

世のため人のために尽くしたこの篤志家は、「黒船来航」の際も、世界情勢を鑑みれば開国して貿易するのが得策とする提言書を幕府にだす先見性もあり、維新の元勲たちがかすんでしまうほど傑出した人物であったようだ。

梧陵さんが能登半島地震の復旧の現状や、首都圏直下型地震と南海トラフ地震の対策の見解を聞いてみたいものだが、お金持ちのAmazonやMetaも梧陵さんを見習ってほしいもんですな。

 

 



#無私の日本人 #濱口梧陵 #輪島漆器義援金プロジェクト #防災 #窮民救済 #稲むらの火 #ぬなかわヒスイ工房 #翡翠


座骨神経痛が教えてくれた「人間」の意味・・・磯田道史著「無私の日本人」

2025年01月05日 07時53分36秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
新年の福の神がやってきた。現実に3日遅ればせながらの歳神様の到来だ。
 
能登から帰宅した翌朝から酷い坐骨神経痛で、正月の準備もできずに寝込んでいた。年末の作品展直前のギックリ腰、秋は左膝に激痛、春は左耳が突発性難聴になったりもあったが、整体協会指導者の矜持として自分で乗り切ってきたが、年内のボランティア活動を終えた途端に我慢が限界点をこえたようだ。
床について9日目、上越市の池田なつき嬢から、漆器の汚れ落としボランティアの申し出。情けないが、四つん這いになって玄関にでて新年の挨拶。
 
ところがだ、漆器の洗い方を教えているうちに神経痛の痛みを忘れ、ふき取り作業まででき、爺さんのような姿でも、杖なしで歩けるようになっていた。
 
かっての日本では自然災害や疫病が流行ると、朝廷も年号をかえたりしたし、民草は1年の途中であっても新しい歳神様を招来して新年とする風習があったと聞く。
 
その伝でいうなら、なつき嬢が歳神様として「病みついた場」を刷新してくれたので、彼女がやってきた4日がわたしの新年の元日といえる。
 
なぜか展示販売会のボランティア活動をしてくれるのは女性ばかり。こちらは都内文京区の「ホピショップ」の天川彩さんとスタッフの恭ちゃん。
 
これまで独りで抱え過ぎていたのだな。支えてくれる友人たちの存在を忘れちゃダメだぞと、座骨神経痛が教えてくれたように思う。
 
イキモノとしてのヒトは、他者と響き合ってこそ人の間と書いて人間たり得るのだと実感。ではその人の間には何がある?共有された場ではないか?それが家族、友人といった最小単位の社会であって、その集合体が故郷やクニを形成している・・・と愚考した次第。
折しも磯田道史著「無私の日本人」の最終章を読んでいた。本書で紹介されているのは江戸期の「無私」の偉人たち。
珠洲市のHさん一家と漆器の汚れ落としをする長崎県で展示販売会をしている早崎さん(右端)。
 
彼らほど聖人君子でなくても、ボランティアを名乗りでてくれた仲間たちは「無私の日本人」に違いない。
長野県安曇野で展示販売会をしてくれた加瀬さんと相棒のオリーブちゃんw
 
奈良の天河大辨財天社が、インフルエンサーに扇動された現世利益を求める参拝者でごったがえし参拝制限をしたらしいが、そんな我欲丸出しの了見で神社に行くより、困った人のためにボランティアをしたほうが神様だって喜ぶと思うがな。
 
 
 

戦国のボランティア侍たち・・・映画「七人の侍」

2025年01月04日 07時48分00秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
年末にBSで放送された「七人の侍」を観て、戦に翻弄される百姓がそのまま自然災害と人の関係とも言え、改めてテーマの普遍性に感嘆する。
ボランティアの語源はラテン語の自由意志による志願兵が原義と聞いたことがあるが、七人の侍たちも「腹いっぱい食わせる」だけが条件の原義通りのボランティアだ。
 
冒頭のクレジットの協力者に「香取神道流」とあることも気付いて、東映系の派手な殺陣とは異質な、厳かな抜刀と納刀の所作のリアルさにも納得。学芸会やサムライコスプレにしか見えない今どきの時代劇とはちがい、本物の武芸者にみえる俳優たちの存在感も見事だ。
 
何度見ても発見がたくさんあるのは名画ならではだが、毎回モヤッとするのは、野武士の砦に夜討ちする場面。
 
馬を分捕ってから夜討ちしたなら、村での決戦は疾走する騎馬武者にてこずらなかったし、百姓に慣れない竹槍を持たせるなら、5人一組にして1人は馬に投石させてさせて落馬させた方が、騎馬武者対策になるぞ( ´艸`)
 
投石は印地(インジ)という立派な戦国時代の戦闘技術だ。
 
 
 

時空をこえて輪島功一 の奇跡のリターンマッチを輪島市に贈る・・・輪島漆器義援金プロジェクト

2025年01月03日 07時11分22秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
能登半島地震1周年となる元日は、輪島市の皆さま方に想いを馳せ、「炎の男」輪島巧一の伝説のリターンマッチを観た。
 
輪島功一 vs 柳済斗(1976)奇跡の王座奪還! リターンマッチ!(15Rフルバージョン)
 
輪島姓は輪島市の輪島埼が発祥で、北前船で移住した人が多かったのか、石川県に次いで北海道に多い苗字であるらしく、北海道の貧しい漁師の家に生まれた輪島巧一のご先祖も、やはり輪島出身であったのかも知れない。
 
中学時代からアルバイトではなく、プロの漁師として海にでていた苦労人の輪島は、蒸気機関車を思わせる力強く、泥くさい変則ファイトが評論家からは酷評された一方、ファンは熱狂的に支持した。
 
しかし力強くスタイリッシュなボクシングスタイルの韓国の強豪、柳済斗にKO負けした時の輪島は、当時の常識では引退が取り沙汰される年齢となっており、所属ジムからもリターンマッチは反対され、下馬評も低かった。
 
ところが序盤から攻勢にでた輪島は、終始、倒す姿勢を崩さず、予想外の番狂わせに観客は熱狂した。
 
アウェーの柳済斗には気の毒なのだが、観客の声援が「わっしょい!わっしょい!」と泣きながらの大合唱になったことは、今も語り草になっている。そして最終ラウンドにKO勝ちし、二度目の王座帰り咲きに成功した。
 
この試合の翌日、銀行に立て籠もる強盗に警官が「逆境からたちあがった輪島の試合をお前もみただろ?輪島を手本にして人生をやりなおせ!」と説得され、自首した逸話もある。
 
輪島市のみなさんに、時空をこえて輪島巧一がファイティング・スピリットを贈りますぞ!ガンバレ~!負けられん輪島!
 
 
 

 

 

 


漆器洗いのボランティア募集!・・・輪島漆器義援金プロジェクト

2024年12月31日 08時24分37秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
漆器洗いボランティア募集!
 
内容;漆器の汚れ落としと乾拭き
場所;山田の家の台所(自宅に持ち帰っての作業も可)
日時;1月中旬までなら随時
性別年齢;不問
報酬;極楽行き
 
80膳分もあった輪島市のK家の最後の二箱を回収してきました。大量の漆器がこんなに早く売れるとは思っていなかったKさんは、汚れ落としをしていなかったのですw
 
やってみると楽しい作業ですので、在宅ボランティアしてみませんか!興味あるひとはコメントか連絡ちょうだい。
 
 

希望と憂鬱がいりまじった震災1周年をむかえる被災者の現実・・・輪島漆器義援金プロジェクト

2024年12月30日 11時25分45秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
よく利用していたコンビニが9月の豪雨災害で閉店して、泥だらけゴミだらけになっては再建は無理かなと思っていたら、何事もなかったかのように復活していて目を疑った。
10月はじめは泥だらけで休業していたのだが・・・
11月後半に復旧したとのこと。オーナーの自宅とお母さんの家も二重被災したと聞くので、お見舞いがてら「寄りそう正月モチ」を贈った。
輪島のあとに珠洲市へ。「いろは書店」さんにモチを持っていったら、わたしが面白いと推薦した「能登怪異譚」が並べられていて、売れてますとのこと。元はいとえば糸魚川の「ブックス・サカイ」のw主任の選書ですぞ。
能登町宇出津で、2月から地元民無料で入浴させていた「湊湯」にもモチを贈る。腰を曲げて薪で風呂を焚いていた高齢のご主人が「雑煮が食えるとは思わんかったわいね!」と、翁面のような顔で相好をくずした。
 
奥能登から南下して、すっかり暗くなってから能登島に寄ったら、震災以降ずっと閉店していたダイビングショップ「ドルフィン・スマイル」にイルミネーションが点いていて、ご無沙汰していたオーナーのアンさんに最後に残ったモチ一袋を渡して帰ってきた。
 
外来のボランティアの目からは能登に日常がもどりつつあるように見えても、おめでとうございますとは言えない。被災した事業者たちにとっては貯蓄を取り崩したり、借金をして収入源を復旧したに過ぎず、自宅再建の現実が立ちはだかっているのだ。
 
能登での活動を終えて帰宅してから、張りつめていた気が緩んでほぼ4日間寝込んだが、疲れだけなら休息すれば日常はもどる。
 
しかし家と仕事を失った被災者の非日常が、向こう数十年間は続くであろう現実を前にすると暗澹たる思いがする。
 
夏までは次々とやってきていたNPOボランティア団体も、秋には来なくなり、近くの仮設住宅で炊き出しの案内もなく、蚊帳の外にいるのが自主避難している被災者。
珠洲市でビニールハウスに自主避難している米農家の9人家族のHさんは、損壊した農機具の見積もりをとって営農再開への意欲をみせていた。
 
ところが震災から1年経とうとする現時点で、個人の努力ではいかんともしがたい水源の復旧工事が計画されてないとあっては、離農して珠洲市をはなれる選択肢が現実味を帯びている。農業委員会や珠洲市農政課は動いているのだろうか?
 
震災で営農できなくなった農家の苦境を置き去りにして、なにをもって過疎対策というのか?そもそも珠洲市に原発を誘致しようとしたのは、過疎対策ではなかったか?
 
珠洲市の原発推進派と反対派の震災後のレポートがラジオから流れていた。推進派だった自民党市議の口は重いが、誤った政策だったと認めてはいるようだ。
 
一方で、原発ができていれば復旧ははやかったハズという推進派もいたが、同じく過疎対策で建設された志賀町の過疎化は相変わらず右肩下がりということや、フクシマの現実を無視しているようだ。
 
国会質疑で山本太郎議員が「なんで自衛隊を派遣しないんですか!」と語気鋭く質問していたが、ごもっとも。
 
わたしができるのは漆器を代行販売してお金を渡し、「寄りそう正月モチ」を贈ることくらい。
 
寄りそう仲間を増やしていくことくらい。
 
支援物資を持っていきましたぁ!みなさん喜んでましたぁ!と、SNSで自画自賛するボランティアもいるが、わたしはそんな気にはなれないネ。
 

漆器を売ってお渡しできた義援金620万円、集まった浄財170万円・・・輪島漆器義援金プロジェクト

2024年12月28日 06時57分48秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
「寄りそう正月モチ」と漆器の売上金をお渡しをして能登から帰宅。一夜明けたら、真っ白に燃え尽きてたw
「あしたのジョー」の有名な最終回の「真っ白に燃え尽きた」場面だけど・・・
芥川賞作家の開高健が従軍記者としてベトナム戦争に行き、ベトコンに待ち伏せされて200名いた部隊のうちの17名生き残った時の「生き残った・・・」写真の方が近い感じ。
約10ケ月かかって漆器を売って渡せた義援金は620万円!・・・写真は都内の「ホピショップ」の展示販売会で売り子のボランティアをしてくれたワハハ本舗の佐藤正宏さん
 
募金を呼び掛けた訳でもないのに集まった浄財が170万円!
 
チャリティイベントでお金をあつめてくれた友人もいたし、20年ちかくも音信不通だった昔の整体仲間が噂をききつけて多額の寄付をしてくれたりもあった。
その浄財で水害で二重被災した地域を厳選して「寄りそう正月モチ」を贈ることにした。現地の実情にあわせた支援の在り方の相談にのってくれたのは、門前町浦上の仮設住宅をとりまとめる公民館の喜田館長。高校の校長をしていただけあって見識深く公明正大な方。モチにはメッセージを添付してもらった。
こちらはちかくの七浦公民館の掲示板。どこの公民館も事前告知が行き届いていて、「モチはまだか?」と仮設住宅の住民が待ち構えていたのでたじろぐ。
浦上仮設住宅は公民館の前にあるので各自が取りに来るシステム。「正月モチ食えるとは思わんかったわいね!」「二年ぶりに雑煮が食えるわいね!」「モノ米100%のホンモノのモチなんて久しぶり!」と予想をはるかにこえて喜ばれた。
 
今年は正月モチを食べる前に被災したので、一次避難所に持ちよって非常食として食べた人が多かったし、まったく口にはいらなかった人も多かったのだ。まだ非日常がつづくが、せめて正月モチを食べる間だけでも日常をとりもどしてほしい。
 
浄財で買って配った「寄りそう正月モチ」は850世帯だから、余った浄財だけでも来年はもっとたくさん配れる見込み。
 
これも多くの善男善女が、在宅であっても「能登を見捨てない」と意思表示をした結果だし、そのお金で「今昔物語」に出てくるような逸話も生まれた。
震災で自宅の倒壊はまぬがれたが裏山の蔵が全壊してお墓が倒壊した家族が、漆器をうったお金でお墓の修繕と補強をした。9月の豪雨災害で裏山が地滑りして自宅を直撃!という寸前でお墓が土砂を塞き止めてくれて助かった・・・ご先祖様が護ってくれましたねぇと顔を見合わせる。
 
来年は「在宅ボランティア」から1歩すすめ、「能登の人と共にある参加型の在宅ボランティア」の仕組みを構想しているが、しばらくボーとして気力体力の回復をまつ。
 
漆器をお求めになった方、展示販売会をしてくれた方、浄財を喜捨してくれたみなさま方、ご協力ありがとうございます。
 
 
 
 

災害ボランティアを祭りにする・・・「時空フェス2024」顛末記

2024年12月24日 07時04分13秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
「時空フェス2024」閉会3時間前にして、山のようにあった漆器が完売目前の図!
集計の結果、ライブや講演の合間の休憩時間の実質4時間くらいで、39万円の売上があった!パチパチパチやんややんや(拍手と歓声)
 
このお金が何人かの漆器の持ち主たちに還元され、正月前の臨時収入となり恵比須顔の花が咲く。
 
お求めになった方に漆器の持ち主のプロフィールを伝えていたら、後から花柄の封筒にいれた手紙を託してくれた人もいた。なんて優しいんだろうネ・・・ちゃんと渡しますゾ。
 
「寄りそう正月モチ」基金には6,620円の募金があったが、開催中に20年ちかくも音信不通の整体仲間から電話があり、高額な寄付の申し出あり。昔の仲間たちにも口コミが広まっているのだ。
 
たった独りではじめた「輪島漆器義援金プロジェクト」も、無我夢中のうちに多くの仲間たちに支えられている。
 
こうなると孤高のランナーの悲壮感はなく、祭りの運営委員長のようだ。みんなでわいわいがやがやとつくる愉しい祭り。共にあると思うから、いつも大団円の三本締めをする訳。
 
ヒスイ製品も売れるたびに酉の市のように三本締めをしていたが、壁を隔てた会場にいたひすいこたろうさんにも聞こえていて、盛況でよかったぁと思っていたそうだ。おかげで交通費と宿泊費もでた。
 
思えば遠くへきたもんだとシミジミ。
みなさん、おおきに!あいがとネ!(能登方言)。
世の中まんざらでもないネ。
 
 

漆器が完売御礼!みなさんありがとう!・・・「時空フェス2024」大団円のオチ

2024年12月22日 21時05分54秒 | 災害(輪島漆器義援金プロジェクト・ボランティア・サバイバル)
1,000人もの参加者が「ぬなかわヒスイ工房」+「輪島漆器義援金プロジェクト」のブースに怒涛のように押し寄せて、大盛況で終わった「時空フェス2024」。
なんと160サイズの段ボール二箱分の輪島漆器がほぼ完売!
かさばる漆器は宅急便でおくった。
ヒスイはカートで運搬したが、重いので往生した・・・帰りはだいぶ軽くなって楽したケド。
今回はビニールハウスで暮らす九人家族のHさんと、通販で売りにくい高額な漆塗りの三宝など一点モノが多い輪島の漁師Tさんの漆器だけに絞ったが、義侠心に燃えた参加者が我も我もとお求め。
 
冒頭で壁を隔てた会場から、ひすいこたろうさんが輪島漆器義援金プロジェクトのアナウンスと、わたしに関するこそばゆい褒め言葉が聞こえてきた。
開演前から人だかりがしてすごかった。ちょっと少なくなった時に撮影
ラスト3時間前にはT家の黒と赤の三宝と、H家の重箱を同じ人がドカンと買ってくれた。最後には一輪挿しと椀類もほとんど売れた(´;ω;`)
 
ヒスイ製品もかなり売れたのだが、参加者の網代さんがボランティアで会計や接客を手伝ってくれたので、集計は帰宅後。
 
HさんとTさんに、けっして少なくはない年越しのお金が渡せるので、また泣かせてしまうかなw。
 
声をかけてくれた、ひすいさん、辰島親子、財目さんなど時空フェス関係者、お手伝いしてくれた網代さんに感謝。
 
漆器をお求めになり、正月モチ義援金に募金してくれた参加者のみなさんに感謝。
 
HさんTさんに、この人たちの温かい気持ちを伝えなければならない。双方共にありがとうの関係性が大事なのだ。
 
 
大団円でおえた「時空フェス2024」から帰宅したら、10月にひすいこたろうさん一行を珠洲市の被災地を案内した時にお連れした、「いろは書店」さんから礼状が届いていた。
 
「時空フェス」に参加するきっかけになった案内だったので、格好のオチがついたことになる。(ヘミングウェイ風)
ぬなかわヒスイ工房の屋号が「ぬなかわヒスイ工場」とあるのはちょっと嬉しい誤字だが、フォロー数5万人超えのひすいこたろうさんが「漫画家の集団」のリーダーのように思われているらしい・・・ヒヒヒ。
漫画家集団のリーダーひすいさんは5冊の自著にサインして贈呈・・・文面にはひすいさんのYouTube動画を毎日みて励まされているとあるから、有名なインフルエンサーであるとは認識はされているようだ。
ひすいさん一行を珠洲市に案内した時の記念撮影。右から「いろは書店」さんご夫妻、マッキーさん、ひすいさん、辰島親子
 
一行5名の中で漫画家は震災を漫画化した冊子をつくった辰島詩織さんだけで、神話研究家のマッキーさんが店に置いてあったピアノを弾いていたからお笑い系に思われたのかもしれないが、見守りを継続できる「在宅ボランティア」のきっかけができた愉しい思い出。
やたらに気が合うマッキーさんは初対面だったが、神話方面では有名なインフルエンサーらしい。
 
今日は休息がてら会計処理をして明日から能登へ。
 
年内の漆器の売上金を個々の被災者に還元すると同時に、「寄り添う正月モチ」を贈るプロジェクトを完遂し、年内のボランティア活動を締めくくる。