デイリー句会入賞発表

選者 高橋正子
水煙発行所

●注意事項/水煙のルール●

2008-06-28 15:45:13 | ご案内
無法の本法(真のルールはルールを作らないこと)
溪仙は、「仙の芸術」について次のように記している。
「仙和尚は型の反対に自在がある。森羅万象が日々に新に又日に新に生れ出て来る。ここが和尚の道力である。画である。書である。詩である。歌である。俳句である。活発に地に躍動してゐる。従って、これと云う塊が無いから、自も他もない。」また、自らの芸術観について、「美術家は単なる技巧家であってはならない。深い深い宇宙観とか世界観とかができてこそ芸術観となる。」といっている。仙とか、溪仙とかの芸術は、その宗教的経験から出て来た宇宙観や世界観を離れては、存在し得ないのであろう。「無法の本法」といった「自在」の境地でもある。こういった境地の作家から生まれた俳句が生き生きとして新鮮なのである。(高橋信之俳論抄 2000/4/16)

与えられた現実の容認
子規の写生は、芭蕉の考えとそれほど違っているとは思われない。<草花の一枝を枕元に置いて、それを正直に写生して居ると造化の秘密が段々分って来るやうな気がする。>(病淋六尺/子規)と、<松の事は松に習ヘ、竹の事は竹に習ヘ>(三冊子/芭蕉)とは、本質的には、同じであり、また、時宗の祖として知られている捨聖一遍上人が、次のように語っているのと同しであろう。<華の事は華にとヘ、紫雲の事は紫雲にとヘ、一遍はしらず>(一遍上人語録)
子規のリアリズムの本質を探っていけば、それは、結局日本人の古くからある思惟方法と、全く同じものであると気づく。つまり、『比較思想論』というユニークで綿密な業績をなしとげだ中村元氏が言っている「与えられた現実の容認」ということなのである。ただ、何を、「与えられた現実」と認識するか、によって、大きな差異が生じる。(高橋信之俳論抄 2000/4/9)

去るものは追わず、来るものは拒まず
あるがままに任す、ということであるが、日本の思想本来のもので、「無法の本法」といったことでもある。水煙に気楽に入会していただけるし、水煙の行き方に合わなければ、水煙をいつでも退会していただける、ということである。

伝統文化、あるいは、伝承文化
俳句は、伝統文化、パソコン操作は、伝承文化、と思っていただきたい。そのルールは、先ずは、主宰や先輩の見よう見まねから始める。マニュアル、ルールから始めるものではない。

組織評価の場
水煙は、勉強の場であるので、評価を気にする必要は無いが、水煙のサイト(インターネット俳句センター)がどのような評価を得ているか、知っておくべきであろう。知的無知であってはならないのである。
ユネスコのサイトに早くから日本では、唯一の詩(現代詩・短歌・俳句など)のサイトとして紹介された。グーグルの検索では、約500万の俳句関連サイトの中で常に10位以内にランクされている。

組織の意思決定とその伝達
水煙のサイト(インターネット俳句センター)の意思決定は、代表の高橋信之が行い、その伝達は、<トップダウン>により、<ボトムアップ>によるものではない。組織がIT(ネット、パソコンなど)に深く関わっている場合は、<トップダウン>にならざるを得ないし、組織のトップのリーダーシップが問われる。

伝言・連絡の方法手段
水煙の代表あるいは主宰への伝言・連絡は、原則として、メールを使わないこと。水煙の各種ブログの<コメント>に書くか、または電話を使ってください。パソコン・ネットは、伝承の世界で、先輩のすることを注意して見て、その真似をして学んでください。水煙以外の遣り方を持ち込まないでください。水煙は、<トップダウン>であって、<ボトムアップ>ではない。

俳句勉強の場
水煙のネット句会は、「俳句勉強の場」である。俳句大会や俳句コンテストなどの「俳句評価の場」とは違う。そこを間違ってはならない。「俳句評価の場」は、「より客観的な評価」を求め、マスコミなどの社会での評価が問題になる。一方、「俳句勉強の場」は、「より主観的な勉強」を求め、勉強の主体である本人が問題となる。水煙という俳句の座で、「評価」に目が向けば、「水煙」のマスコミなどの社会での評判が気になり、「勉強」に目が向けば、「水煙」の仲間一人一人の俳句が気になる。水煙という俳句の座は、「俳句評価の場」ではなく、「俳句勉強の場」であって、座のそれぞれが自分の俳句を育て、お互いがお互いの俳句を育てる。水煙という俳句の座では、俳句の評価を気にしなくてもよい。俳句を楽しみながら俳句を育てるのである。

投句について
デイリー句会の投句は、嘱目句、あるいは、今日の句に限ってください。水煙は、嘱目句を推奨していますので、嘱目の勉強を心掛けてください。嘱目の意味は、広辞苑では、「①目をつけてよく見ること。注目。②俳諧で、兼題・席題でなく即興的に目にふれたものを吟じること。嘱目吟。」となっています。嘱目句、あるいは、今日作った句以外の俳句は、選者宛のメールで送ってください。

本名でお書き込みください。匿名はご遠慮ください。
□「ネット上の議論、主張からは原則として匿名を排すべきです。匿名は身の上相談とか、ゲームとしての論争とかに限定する。/西垣通・東大教授/朝日新聞1月4日より」匿名は、俳号とは違って、自分の存在を知られたくない、という点を認識すべきでしょう。俳人や詩人は、社会的に自分の存在をはっきりしたものにしなければならないのです。(高橋信之 2000/1/9)

私たちの俳句/高橋信之(水煙代表)
□私たちの俳句は、「明るくて深い」ところのある現代語の俳句を求め、日常の作句生活では、「細く長く」をモットーとして、自らの生活体験から生まれる俳句を大切にします。俳句の座としての、私たちの「俳句雑誌水煙」は、1983年10月1日に高橋信之が創刊し、インターネット俳句センターは、「俳句雑誌水煙」のホームページとして、1996年11月27日に開設しました。「水煙」という「俳句の仲間」は、個々の俳句にとっての不可欠な「俳句の座」であって、感性の共同体といったものです。少人数ながらも家族的な暖かさのある仲間達です。大きくなることを望まずに、内面の充実した少数の仲間達です。私たちの歩みは、マスメディアに紹介された以下のページ http://www.suien.net/index2.htm をお読みください。

朝日新聞にブログ句会が紹介されました。

2006-04-25 09:47:01 | ご案内
4月23日(日)の「朝日新聞/日曜版be」に水煙のブログ句会が紹介されました。その他では、ライブドアとKDDIの俳句のブログが紹介されています。

(2006.4.23朝日新聞/日曜版be)
<ぶらりネット>
「手軽なブログで五・七・五革命」

前文略

俳句雑誌「水煙」を発行する高橋信之さん、正子さん夫妻は、96年に俳句のウェブサイトを開設。昨年秋からはブログ句会(blog.goo.ne.jp/npo_suien102/)も始めた。約30人の会員が毎日、自分のブログを使って投句し、高橋夫妻が定期的に入賞句を選んで発表する。「ネットで俳句をするなら、操作も手軽なブログをお薦めします」と信之さん。「IT化が進む社会で、俳句はどのように新しい創造ができるのか。これは俳句のIT革命なんですよ」(冨岡史穂)