noribo2000のブログ

特定のテーマにこだわらず、意見やアイデアを表明するブログです

ジャストシステム 逆転勝訴 ~一太郎ヘルプアイコン裁判~

2005年09月30日 | 科学技術・システム・知財など

前のブログで復習しておいた一太郎ヘルプアイコン訴訟について、本日判決が出ました。

一太郎訴訟、松下逆転敗訴 「特許は進歩性欠き無効」

まだ判決文を見ていませんが、論旨はほぼ私のブログで述べたものと同じようです。つまり

  1. 一太郎ヘルプアイコンそのものは松下の特許に抵触する。
  2. しかしながら、松下が出願する以前に外国の著作物に類似の発明が記載されているので、松下特許には進歩性がない。
  3. 従って、松下の特許は無効であり、一太郎の発売差し止め要求は却下。

ということです。2.の「外国の著作物」のくだりは私の考えていた「キーもアイコンも、ある役割が割り付けられた「もの」を「指定」するものという本質的な意味では同じである。またキーからアイコンに換えたことによる技術的な工夫が請求項に記載されていないため、進歩性が確認できない。」とする論旨とは外れますが、著作物がすでにあるのであれば、より強固な証拠になりうるのでそちらをベースに判決のロジックを組み立てたのだろうと思います。(そのような著作物が無かったらどういう判決になったか、というところも興味がありますね。)

技術者の目から見て、本件については知財高裁はなかなかやるなーという印象を持ちました。これからも、くだらない特許の権利行使による技術の停滞を防ぐべく頑張ってもらいたいものです。しばらくは知財高裁の判断に注目ですね。


小選挙区制の問題と中選挙区復活について~中曽根さんのコラムでも指摘~

2005年09月29日 | 政治・社会

少し前のブログで、小選挙区制によって自民党が投票数の比とは比べ物にならないほど多くの議席を獲得したことを述べました。また、小選挙区制のもとではいかに50%を超えるか、というところに注力すればよいため、ムードをうまく作れば何とかなり、カッコいい党首を選出する、一言二言でわかるスローガンを印象付ける等といった作戦になる、と述べました。このような政治の空洞化を解消するためには中選挙区制のように投票数比が議員構成比に近くなるような制度が必要ではないかと考えていました。

そんな折、9月25日の読売新聞の「地球を読む」というコラムで、中曽根康弘元首相が小選挙区制の問題について言及しています。一部分を抜粋して紹介しますが、私の言いたかったことをずばり指摘しています。中曽根さんや、小泉さんまでもが小選挙区制にはもともと反対だったのですね。

政治台風襲来の後、全国の選挙民は自己が引き起こした劇場型選挙の予想外の結果について、異常なことと驚いている。まず今回の選挙の特色を探り、従来のものと比べその様相・性格の変化と問題点を考えてみたい。

正直なところ、小選挙区制採用には小泉首相も私も反対であった。選挙民は多元社会において白か黒かの二者択一を強いられ、結果は公認権を持つ総裁や幹事長の権力が強大となり、議員・党員は執行部の顔色をうかがって行動するようになる。中選挙区制においては、複数の候補者を選ぶ結果、演説会が中心となり、候補者の立会演説も行われ「考える選挙」の性格が強い。

これに対し選挙区制は「スローガンの政治」「印象の政治」となり、劇場型の選挙は政治の深みや社会の多元性の喪失を招く。そして政党は総裁独裁型になる可能性が大である。そのような理由から反対していた小選挙区制を100%駆使して、小泉首相が今回の選挙で大勝したことは歴史の皮肉でもある。


ブログ党を提唱している私も、やはり中選挙区制が望ましいと考えます。理由は以下のとおりです。

■民意をほぼ正確に反映でき、第二、第三の意見も取り入れられる。

■小政党や個人にも魅力があれば当選できる可能性がある。政党本位ではなく、人物本位で議員を選ぶことができるようになる。

■選挙区が広くなっても、インターネットを選挙活動に用いることで選挙費用の増加を最小限に食い止めることが可能となる。従って中選挙区制が廃止になった1994年当時に比べ政治汚職の可能性は低減した。

前回のブログでも言いましたが、自民対民主の得票数は56:44です。6対4ですらありません。割と接戦だったのです。しかし結果は自民圧勝。これでは民意を反映しているとは言いがたいですね。是非とも選挙にインターネットを活用し、民意を正確に反映できる中選挙区制の導入を期待したいものです。


カテゴリー分けの変更

2005年09月28日 | 雑感

8月よりブログをはじめ、もうすぐ2ヶ月になろうとしています。従来なんとなくカテゴリ分けをしてきたのですが、もう少しキチンと分けた方がよさそうなので、今後は以下のようにしたいと思います。

「政治・ブログ党」      ・・・ブログ党の話や政治関連の話
「NHK関連」         ・・・NHK関連の話
「マーケティング宗教論」  ・・・マーケティング宗教論の話
「知的財産関連」       ・・・著作権、特許関連の話
「社会」             ・・・その他の社会の話
「noribo2000よりお知らせ」 ・・・ブログ運営上の連絡

今後ともnoribo2000のブログをよろしくお願いします。


松下 vs. ジャストシステム ヘルプアイコン訴訟の復習

2005年09月26日 | 科学技術・システム・知財など

2005/9/30に知的裁判高等裁判所にて松下電器とジャストシステムとの間で争われている「ヘルプアイコン訴訟」の判決が出ます。これは、ワープロソフト「一太郎」のヘルプアイコン機能が、松下の特許を侵害しているとして訴えられた件で、今年2月東京地裁では松下の主張を認め特許権侵害があったとしてジャストシステム側に「一太郎」の製造停止を命令しました。これに対しジャストシステムは控訴しており、その判決が9/30に出ることになっています。今年2月に地裁の判決が下りたときは、コンピュータ業界の中でも多くの議論があったので記憶されている方も多いのではないでしょうか。

判決が出る前に地裁判決の復習をかねて、私見をまとめてきたいと思います。


過去の議論をネットで調べてみるといろいろな意見がありましたが、私はこの裁判のポイントは2つあったのだろうと思います。

ポイント1: 松下の特許を「一太郎」のヘルプアイコン機能が侵害しているか否か

ポイント2: 松下の特許は本当に特許性を有するのか?(特許としてふさわしいものか?)

松下特許の請求項及び判決文に書かれているジャストシステムの反論をざっと見た感じでは、「一太郎」のヘルプアイコン機能がこの請求項とは異なるものであるというジャストシステム側の主張には無理があるように思えます。従ってポイント1について、私も「一太郎」のヘルプアイコン機能が松下特許を侵害していると考えます。

しかしながら、松下特許の請求項と判決文を読んでみると、ポイント2について、松下特許に特許性(新規性、進歩性)があるのかどうかという点が疑問になってきました。

(注)特許の新規性→出願時点で公知になっていないこと
   特許の進歩性→出願時点において出願内容が属する技術分野に従事する技術者が容易に思いつかない(想到し得ない)ものであること

従って本ブログでは、ポイント1を肯定した上で、ポイント2について議論してみます。

× × ×

まず、松下の特許は以下のとおりです。

特許番号   第2803236号
発明の名称  情報処理装置及び情報処理方法
出願日    平成元年10月31日
出願番号   特願平1-283583
公開日    平成3年6月20日
公開番号   特開平3-144719
登録日      平成10年7月17日
特許請求の範囲請求項1
「アイコンの機能説明を表示させる機能を実行させる第1のアイコン,および所定の情報処理機能を実行させるための第2のアイコンを表示画面に表示させる表示手段と,前記表示手段の表示画面上に表示されたアイコンを指定する指定手段と,前記指定手段による,第1のアイコンの指定に引き続く第2のアイコンの指定に応じて,前記表示手段の表示画面上に前記第2のアイコンの機能説明を表示させる制御手段とを有することを特徴とする情報処理装置。」

一方、ジャストシステム側は松下特許の出願時点で、ワープロのあるキーを押した直後にヘルプキーを押すと最初に押したキーの説明が画面に表示される機能について記載した特許出願が開示されていることから、松下特許は容易に類推可能であることとしています。


その公開特許広報は以下のとおりです。(これは三洋電機が出願しているので、以下「三洋特許」と呼ぶことにします。)

公開番号 昭61-281358号
発明の名称 ワードプロセッサの機能説明表示方式
出願日    昭和60年5月14日
出願番号   特願昭60-102080
公開日    昭和61年12月11日
審査請求   未請求   
特許請求の範囲請求項1
 「文字・記号キー、削除、挿入などの編集処理を指示する機能キー及び操作説明キーを有する入力手段、該入力手段からの入力に基づいて文書もしくは操作ガイダンスを表示する表示手段を有するワードプロセッサにおいて、上記操作説明キーと上記機能キーとが連続して入力されると該機能キーにより特定される編集処理機能を説明する説明文上記表示手段に表示することを特徴とするワードプロセッサの機能説明表示方式」


両者を見比べると、松下特許は単に三洋特許の「キー」の部分を「アイコン」に置き換えただけのように見えます。従って私はジャストシステムの主張のとおり、松下特許には「進歩性」がないと考えます


しかし、判決では「アイコン」と「キー」とは異なるものであり、当時の当業者(同じ技術分野にいた通常の技術者)はヘルプアイコンを実現する方法を容易には思いつかなかったであろう、としています。

判決は以下のとおりです(判決文はこちらから取得できます)

第4 当裁判所の判断
4 争点(3)(権利濫用)について
(2) 本件第1発明(noribo2000注:松下特許の請求項1)の進歩性について

ア 前記(1)アで認定したとおり,引用例には,機能キーと操作説明キーを有するワープロにおいて,操作説明キーと機能キーが連続して入力されると,機能キーにより特定される処理の説明を表示する発明が開示されている(以下「引用例発明」という。(noribo2000注:三洋特許のこと))。
したがって,本件第1発明と引用例発明を対比すると,本件第1発明は,表示画面上におけるアイコンに関する発明であって,「アイコンの機能説明を表示させる機能を実行させるアイコン」を有するのに対し,引用例発明は,キーボードのキーを対象とする発明であって,操作説明キーを有しているが,上記のようなアイコンがないという点において,相違するものということができる。
本件第1発明は,従来キーボードのキーに担わせていた役割を,現実のキーボードのキーと対応する必然性のない「アイコン」という別個の概念に担わせているものであるのに対し,引用例発明は,あくまで現実のキーボードのキーに関するものであるところ,キーボードのキーを対象としており,表示画面上のアイコンというもの自体が全く想定されていない引用例発明について,キーボードのキーをこれとは質的に相違するアイコンに置き換えることを示唆する刊行物はないから,キーボードのキーに関する引用例発明からアイコンに関する本件第1発明に想到することが容易であったとはいえない。


ここでの判決に最も違和感を覚えるのは、「従来キーボードのキーに担わせていた役割を,現実のキーボードのキーと対応する必然性のない「アイコン」という別個の概念に担わせている」から進歩性がある、と断じているところです。

地裁の上記の文章は発明の「新規性」を主張する文章であるならば理解できます。三洋特許では「キー」で実現するとしか記載されていませんが、松下特許では「キー」とは技術的に異なる「アイコン」で実現すると記載されているからです。従って、三洋特許と松下特許は違うものである、即ち松下特許は出願時点で新規のものである、ということは可能だと思います。

しかしながら、「進歩性」を議論するならばこれでは不十分と考えます。私は、ある役割が割付けられた「キー」を「指で押下する」という行為と、ある役割が割り付けられた「アイコン」を「マウスでクリックする」という行為とは、共にある役割が割付けられた「もの」を「指定する」という行為であり、これらは本質的に同じであると考えています。両者は現実世界のものか、画面上の仮想世界のものか、という部分だけが異なっています。このような「キー」と「アイコン」の間の本質的な同一性については、既にアイコンという概念が松下特許出願時に公知であったことからすれば、当業者の共通認識であったと思われます。

もちろん本質的には同じであっても、「キー」から「アイコン」に置き換える上でで必要な技術的な工夫が請求項に記載されていれば進歩性が認められるのですが、上で挙げた松下特許にはそのような技術的な工夫が一切記載されていませんので、当業者に容易に想到しうると判断されてしかるべきと考えます。よって松下特許には、進歩性がないと考えています。


× × ×


結論

松下特許には「進歩性」が無いため、松下特許の請求項に記載の内容と「一太郎」のヘルプアイコン機能とが同一かどうかに関わらず、「一太郎」の販売差し止め請求は却下されるべきであると考えます。


高裁はどのような判決を下すのでしょうか。上記のような判決になれば良いのですが、地裁の判決が支持されてしまうとすると、今後ますますほとんど工夫の見られない、取るに足らない「特許」によって、ソフトウェア産業が萎縮してしまうのではないかと危惧しています。


SONY構造改革 社内カンパニー制の廃止について

2005年09月23日 | 政治・社会

9/22にSONYは社内カンパニー制を廃止して経営資源を集中し、ヒット商品を出せるようにすることを中期経営計画として発表しました。今回のブログでは、社内カンパニー制について議論したいと思います。

社内カンパニー制を導入すると、各事業部が独立に採算を勘定することになるため、採算の良いカンパニーと悪いカンパニーがガラス張りとなります。それによって

  • 不採算カンパニーの建て直し・切捨ての判断が迅速に実施できる
  • カンパニー間の競争を自動的に促す効果が生まれすべてのカンパニーで採算性が向上する
  • カンパニーの判断で新商品を出せるようにすることで市場投入タイミングを迅速にする

などの効果を期待して経営効率を高めようとする方法で、5-10年前に流行しました。 しかしながら、あまり成功していないように見えます。その理由として例えば下記のようなことが挙げられます。

  • 各カンパニーで同じような商品を作ってしまう。結果として開発費の重複投入や、結局それぞれが中途半端な商品となって、市場に受け入れられない。
  • 他カンパニーとの取引において自カンパニーの採算のみを考えて行動するために、自カンパニーがよければ他のカンパニーや会社の収益なんか二の次だ、とのメンタリティーが従業員に染み付いてしまう。
  • オーバヘッド組織(総務とか経理とか)をカンパニー毎に設ける必要があるため、アウトソーシングなどによるスリム化効果が薄い。

私見では、社内カンパニー制とは実はまやかしではないかと考えます。事業領域がまったく異なり、シナジー効果もほとんどない、ということであれば別会社として経営すればよいはずです。事業部毎に対象とする市場が重なるのであれば、多少事業内容が違っていても同一会社とし、持てる経営資源を最大限活用して商品を開発する必要があるのではないか、と考えるからです。

 上記で示した社内カンパニー制導入の理由を見てみると、どうも市場よりも「経営の都合」を優先しているように思えます。あるいは短期的な「株主に対するわかりやすさ」を優先しているように思えます。確かに社内カンパニー制であれば経営は一見やりやすそうです。数字で採算性が出てくるので、その背景を考慮することなく不採算部門についてプレッシャーをかけたり、一律xx%カット、みたいな経営ができるでしょう。こういう風に構造改革します、といわれれば株主も「なるほど」と思えてしまいそうです。

 しかし、これは極端な言い方をすれば、経営を各カンパニーに「丸投げ」している状態といえるでしょう。そもそも、うちの会社はこの商品で勝負する、この分野からは撤退する等といった会社全体の戦略なしにどうやって会社の業績を伸ばしてゆくのでしょうか。社内カンパニー制では経営の実態を商品単位・市場単位で見ることなく、カンパニー単位でみてゆくことになります。どうしても時が経てば(といっても1年程度の時間ですが)現実の市場の実態とカンパニーの事業領域との間にずれが発生するため、毎年のようにカンパニーの事業領域見直しが発生します。実際カンパニー制導入後のSONYの迷走ぶりはakoustamさんのブログに詳しいです。本当に1年毎に組織の見直しが入っています。これはカンパニー組織が市場の要請に対応できていないことを示しています。

経営を各カンパニーに丸投げしていては、会社としての「選択と集中」は実施できないのは明白です。選択と集中というのは単なる人減らしのリストラではなく、有限である経営資源を利用し、いかに効率よく市場に便益を提供するか、ということを考え抜く作業になるわけです。これは会社の命運をかけた重要な仕事であり、これこそ経営陣の手腕が求められるところです。 この経営層が実施すべき重要な仕事をサボってきたつけが、今のSONYの状況にあわられていると思います。9/22の中期経営計画の発表ではそのことに触れ、不採算部門からの撤退、コアコンピタンスな部分に経営資源を集中するとしています。これからのSONYに注目してみましょう。


著作権についてのパブリックコメント(2)ミラーサーバも著作権侵害?

2005年09月22日 | 科学技術・システム・知財など

これまで著作権問題に関するパブリックコメントでは「私的録音録画補償金」の問題点について言及してきましたが、ちょっと毛色を変えて今回は「機器利用時・通信過程における一時的固定」、いわゆるPC内部のバッファにおけるデータのキャッシュ、キャッシュサーバによるWebコンテンツのキャッシュについて、著作権上の「複製」に当たるかどうか、という議論について私見を書きます。

【問題の内容】

文化審議会著作権分科会法制問題小委員会デジタル対応ワーキングチームの作成した「文化審議会著作権分科会法制問題小委員会デジタル対応ワーキングチーム検討結果報告」資料の第二章に「機器利用時・通信過程における一時的固定」に関するワーキンググループの検討結果が記載されています。

この報告資料を読む限り、一時的にRAMにキャッシュされるデータは瞬間的な蓄積のため「複製」ではない、とされています。またキャッシュサーバに保存されるデータについては「一時的固定(複製)」であり現状のままでは著作権上の「複製」とみなされる可能性もあります。

しかし一時的固定については以下の3要件すべてに該当する場合は権利を及ぼすべきではないとされており、キャッシュサーバに保存されるデータはこれらの要件を満たすため、権利を及ぼすべきでないと結論付けられています。  

1. 著作物の使用又は利用に係る技術的過程において生じる(複製であること)  

2. 付随的又は不可避的(な複製であること)(著作物の本来の使用・利用に伴うもので、行為主体の意思に基づかない)  

3. 合理的な時間の範囲内 (で実施される複製であること)

ここまでは、まあ妥当な検討結果であろうと思われます。

しかしながら検討結果資料では、一時的固定(複製)でも上記3要件から外れるものについては、権利が及ぶ可能性があることを指摘しています。

ミラーサーバの場合:コンテンツのミラーリングは付随的または不可避的ではない(ネットワーク事業者が計画的にコンテンツを蓄積させる)こと、および長時間にわたる蓄積の可能性があることから、上記2、3の要件を満たせない可能性が高い。

ディザスターバックアップの場合:バックアップなので、著作物の使用または利用にかかる技術的課程ではない(著作物は基本的に利用しない)。またバックアップは付随的・不可避的ではなく、バックアップしようとする主体がバックアップを計画する。さらにバックアップなので、期限はきわめて長いのが普通である。従ってこれは1~3すべての要件に反する。

これらについては、社会的な要請として権利を及ぼすべきでない、とするワーキンググループの見解が述べられています。どのような形でこれらの権利の除外を法制化するか、慎重に検討し、2年後の2007年に結論を得たい、ということでした。

【提案】

私はこのような著作物の円滑な運用をサポートする装置に対しては、権利を及ぼすべきではないと考えます。 問題はどのように法制化するかです。一時的固定をすべてOKとしてしまうと、それこそ複製はやり放題になってしまう。「いずれ消す」ことを明言するだけで、インターネット上にCDをmp3化したコンテンツをアップロードし放題になったり、CD-Rは一時固定ではないのでだめだけど消去可能なCD-RWは一時固定なので、コピーし放題になってしまい、まったく権利の行使ができない状態になってしまいます。かといって、「ミラーリング」「バックアップ」のみ可、などと技術を限定して権利が及ぶか及ばないかを規定するのは、新技術が現れるたびに法改正が必要があり、混乱を招く可能性が高くなってしまいます。

そこで、パブコメでは下記のような条件を定義する提案をしようと思います。

1) 一時的固定であって、1~3の要件に該当するものは、著作権者の権利が制限される。

2) 一時的固定であって、1~3の要件に該当しないものについては、以下の要件をいずれかを満たすことを条件に、著作権者の権利が制限される。

(a) 一時固定リソース(サーバなど)に対し、著作権者は自由にアクセスでき、必要があれば一時固定コンテンツを削除できる。  

(b) 一時固定リソースの管理者に一時固定コンテンツの削除を強制することを可能とする。

3) 上記以外の一時的固定は、通常の複製の場合と同様に扱う。(通常であれば権利が及ぶが私的複製に相当する場合などは権利が及ばない、等)

1) については、ワーキンググループでの議論のとおりです。 2) が重要です。最初は損失が発生しないと思っても、しかる後に損失が発生する場合も考えられます。その場合でも、著作権者がいつでも消せるという状態にしておけば著作権者の損失を最小限に食い止めることが可能となります


著作権についてのパブリックコメント (1)私的録音録画補償金制度の撤廃について つづき

2005年09月21日 | 科学技術・システム・知財など

先日のブログで私的録音録画補償金について考察し、その内容を暇人#9さんのブログにトラックバックしたところ、「補償金額は利益のマイナス分の補填ではない。」という点と「『私的複製』の議論に広げるならば、CDレンタルやエアチェックなどについても考察が必要である。」という点を指摘していただきました。パブコメを出す上で、大変参考になりました。今日のブログではこの2点について私見を整理してみたいと思います。

(1)「補償金額は利益のマイナス分の補填ではない。」について

先日のブログでは、

「つまり、私的複製が可能な機材が存在することによって、3%の利益のマイナスが生ずるので、レコード会社はそれを補償してもらった、という風に解釈することができるのです。」

と書きましたが、それは私的録音録画補償金が創設されたときの歴史的経緯からして正しくない、と暇人#9さんにご指摘を頂きました。創設時には実際にはそのような損失の計算をしたわけではなかった、とのことでした。

これが事実であればとんでもない話で、損失があるかないか、あったとしてどの程度なのかの評価も無く、暇人#9さんの言い方を借りれば「「権利者」の脳内ファンタジー」だけでユーザから補償金を徴収しているということになるのでしょうか。

私は、損失が発生しているならば何らかの補填手段が必要であると考えます。その補填手段が権利者と利用者の間でおおよそのコンセンサスが得られるのであればそれでよいと思います。しかしながら損失が発生していないのにあたかも発生しているように見せかけて、強制的に補填を迫るのは到底許しがたいと考えます。私は少なくとも損失の存在がある程度定量的に示されない限りは、どのような補填手段であれ納得することができません。


前回のブログでは自身が購入したCDの複製による損失は存在せず、従って私的録音録画補償金制度はおかしい、ということを主張しました。そこに抜けがあったことは暇人#9さんの指摘するところです。そこで今回のブログでは暇人#9さんの指摘に従って、レンタルCD、エアチェックについて損失が発生しうるかどうか、検討してみました。


(2)CDレンタル エアチェックによる損失について
(2-1)CDレンタルによる損失について

■損失は存在するか(定性評価)
単純に考えてCDレンタルで借りれば商品のCDを購入する必要が無いわけですから、レンタルCD事業がある以上はレコード会社に少なからず損失が発生しているものと思われます。

■CDレンタル事業者による利用料(報酬)の支払い
CDのレンタルについては、1985年に著作権法が改正され、CDリリース後1年間のレンタルの許諾・禁止を決定できる「貸与権」とその後著作権が消滅するまでの49年間にレンタルすることによる報酬を取得できる「報酬請求権」とがレコード製作者に認められ、それと引き換えにレンタルCD事業が合法とされるようになりました。

『貸与権』については日本コンパクトディスク・ビデオレンタル商業組合(CDV-JAPAN)が管理しており、1レンタルあたりアルバムであれば50円、シングルなら15円をCDレンタル事業者から徴収し、権利者に支払われる仕組みになっております。

『報酬請求権』については日本レコード協会(RIAJ)が管理しており、1枚のCDアルバムあたり使用料として330円をCDレンタル事業者から徴収し、権利者に支払われる仕組みになっています。

■報酬の妥当性
先のブログでは、レコード業界の営業利益は売り上げの3%程度と仮定して計算したので、ここでも同じ仮定を用いると、3000円のアルバム1枚あたりの営業利益は90円となります。

リリース初年度については1レンタルあたり50円が補填されるので、本来得られるはずの営業利益の56%を得ることができます。買ってまで聞くつもりはないが、レンタルされているならばお試しのつもりで借りる、という利用形態もあるので(CDV-Japanの資料 p10参照)、レンタルされたCDのうちおよそ半数がもしレンタルCDショップが存在しなければ購入の対象になっていたであろうとする仮定は、十分権利者に配慮した価格設定であると思われます。

リリースの2年目以降はCD1枚あたり330円の報酬が支払われます。これは、3.6枚分の営業利益に相当します。リリースから1年以上経過したCDがどの程度貸し出されているか、という具体的なデータを持ち合わせていないのですが、感覚的にはちょっと少なめかなという気もします。もしもっと貸し出されているという実績があるのであれば、330円ではなくもう少し多めに価格を設定しても良いかと思います。いずれにしても定量的に損失を算出して欲しいものです。

■私的録画録音補償金の是非について
上記で示したとおり、レンタルCDについてはレンタルCD事業者から権利者に対し損失を補填する仕組みがすでに存在しており、少なくとも初年度については2回のレンタルで1枚のCD購入と同程度というかなり良い条件の報酬を得ることができます。2年目以降については、若干報酬額が少なめではないかとの印象を持ちますが、それが定量的に示されるのであればこの仕組みの中で適正な値段を設定すれば良いだけだと考えます。

このような仕組みが既に存在しているので、さらに「私的録画録音補償金」を徴収することは権利の二重請求となり不適当であると考えます。


(2-2)エアチェックによる損失について

■権利者は誰か
放送の録音については、まず誰が「権利者」なのかを明確にする必要があります。実は放送の権利者は放送事業者であり、放送で使われるレコードの権利者は放送事業者に対し権利を行使することはできますが、放送の視聴者に対し権利を行使することはできません。

放送事業者はその中で流される音楽などについては事前にJASRACに使用料を支払っています。(放送事業者の年間収入の1.5%と決められている)従って放送事業者と音楽の権利者との間では、権利処理が双方合意のもと済んでおり、以降の議論では音楽の権利者のことは切り離して議論できると考えます。

■放送事業者・視聴者の権利
上記の議論で、放送の権利者は放送事業者であることを述べました。放送事業者の権利、視聴者の権利は下記のとおりです。

放送事業者の権利:
  放送の複製権(著作権法第98条)
  放送の再放送権・有線放送権(同第99条)
  送信可能化権(同第99条の2)等

視聴者の権利:
  放送の私的複製(同第30条)

■損失とは何か?
放送を私的複製することによって、上記で述べた主な3つの権利にどのような損失が発生するか考察しました。

【放送の複製権】
放送番組を後にパッケージ化して販売することが放送の複製権行使の具体的な例として挙げられます。放送の私的録音が存在することによって、録音をした視聴者に対しパッケージメディアを売ることができないため、ビジネス機会の損失となる可能性があります。しかし、放送番組を権利を行使するか(パッケージ販売するかしないか)は放送時点(=私的録音を行った時点)で決定していないことが多いため、私的録音しただけで損失があるかどうかを判断することはできません。

むしろ放送番組のパッケージ販売を行う時は、放送の特性上、以下の条件が不可避であると認識した上でビジネス戦略を組み立てるのが適当なのではないかと考えます。

1.既に内容は放送され、多くの一般大衆に知れ渡っていること
2.放送内容は私的に複製されている可能性があること

例えば未放送部分の特典映像をつける、豪華ポスターをつける等によって、私的複製と差別化を図る、などの戦略がありえると思います。

このように上記の2点はビジネス上の前提条件であり、この2点の存在によってビジネス機会が損失したとまではいえないと考えます。
これを一律「私的録音録画補償金」の形で徴収するのは不適当であると考えます。(ビジネスとして実施しない分まで「補填」することになりかねません。)

【放送の再放送権・有線放送権】
再放送することで再度スポンサーから広告収入を得るという放送事業者のビジネスにおいて、私的複製の存在によって視聴率が低下し思うように広告収入が得られない、という形の損失が考えられます。

しかしこの件についても、「放送の複製権」で述べたのと同じ論理が適用できると考えています。すなわちビジネス上の前提条件として、上記の1.2.を想定して広告枠の販売戦略を考えるのが筋であると考えます。例えば平日ゴールデンタイムに流した番組を休日の昼に再放送することで、異なる視聴者層に対して見せるなどの戦略が考えられます。(視聴者層が異なるので、私的複製による視聴機会の損失も少なくできるという効果もあります。)

これを私的複製したからといって一律「私的録音録画補償金」の形で徴収するのは不適当であると考えます。

【送信可能化権】
この権利についても上記2つの権利に対する考え方と同様であり、パッケージメディアや再放送がインターネット上でのオンデマンドサービス等に変わっただけです。これもどの放送番組を送信可能にするかを決定するのは放送終了後であり、また放送番組の特性上、上記の1.2.を前提条件として考えなければならないため、今までの議論と同様一律「私的録音録画補償金」の形で徴収するのは不適当であると考えます。

 

まとめ

以上述べてきたとおり、暇人#9さんに指摘されたレンタルCD、エアチェックそれぞれについても、特に「私的録音録画補償金」の形で損失を補填すべきケースを見出すことができませんでした。レンタルCDについては既に権利者の損失を補填する仕組みが別に存在するので、「私的録音録画補償金」による損失の補填は不要と考えます。また、エアチェックについてはそもそも放送時点で放送事業者が権利を行使するとは限らないこと、損失と見えるものは単に放送というものの特性からくる前提条件に過ぎないことから、「私的複製によって損失が発生した」とまではいえないと考えます。


今後の課題

もしかしたら中古CD販売については権利者に一定の損失を与えている可能性があります。こちらについてどのようになっているかも、パブコメを出す上では押さえておかなければならないと考えます。また後日ブログで調査結果をまとめようと思います。


'05 衆院選 本当に自民党は強い信任を得たのか?

2005年09月18日 | 政治・社会

先週の衆議院選挙は、自民党の圧倒的な勝利に終わりました。これは先日のブログでも述べたように、自民党がうまく選挙を戦ったのが勝因と考えられます。しかし、有権者の多くがここまで劇的に自民党が勝利するとは思っていなかった様子がニュースなどでも報じられています。自分で投票しておきながらいまさら何を言っているのかと思っていたのですが、実際の投票行動を定量化してみたところ、有権者が驚くのも一理あるかなと思うようになりました。

まずは今回の衆議院選挙で自民党・民主党が獲得した議席数を下記に示します。カッコ内は自民党と民主党の獲得議席の比率です。

政党名 総議席数 小選挙区 比例代表
自民党 296 (72%) 219 (81%) 77 (56%)
民主党 113 (28%) 52 (19%) 61 (44%)

自民党の圧勝ぶりは総議席数において自民72%対民主28%からも見て取れます。もっと驚異的なのは小選挙区で、自民党がなんと8割以上の議席を獲得しています。
一方、あれほど小選挙区で圧勝した自民党ではあったのですが、比例代表では自民56%対民主44%であり、自民と民主の間は圧勝・惨敗というほどの差は開いていないことがわかります。直感的に言うと、有権者の感情としては総議席数や小選挙区の結果よりもむしろ比例代表の結果の方がしっくりくるのではないかと思います。

そこで、小選挙区において両党がどのくらいの票を獲得したのか集計した結果を以下に示します。

政党名 総得票数
自民党 32,414,591 (56%)
民主党 25,045,862 (44%)

この比は比例代表の結果の比とぴったり一致します。当たり前といえば当たり前ですが、小選挙区で自民党の候補者に投票した人は比例区でも自民党に投票するし、小選挙区で民主党の候補者に投票した人は比例区でも民主党に投票する人がほとんどだったということがわかります。従って、有権者の感情としては、そこまで自民党に圧勝させたつもりは無く、民主党よりはややましかな、程度の気持ちだったのではないかと推察します。

ではなぜ小選挙区では実際の得票数との比とかけ離れた結果になるのでしょうか。ここに小選挙区制の問題点があります。

ご存知のとおり小選挙区制では、各選挙区で1名の候補者のみが当選します。従って、1位の候補者と2位以下の候補者との支持率が圧倒的に差がある場合は、十分民意を反映しているといえますが、1位と2位が僅差であった場合、2位の候補者に投票した有権者の票がまったく反映されないことになってしまいます。

冒頭の図は、今回の自民党の得票数(対民主党比)を選挙区ごとに集計し、比の小さいものから並べなおしたものです。この図を見ると、自民党に投票した人が50%から60%くらいの選挙区が圧倒的に多く、獲得議席数の比である70%や80%といった得票を得た選挙区はごくわずかしかありません。小選挙区は50%を超える得票を得れば当選ですから、基本的には50%のラインを超えればほぼ当選になります(※この図は自民・民主以外の党を計算に入れていないので多少の誤差を含んでいます)。民主党としては、この50%から60%のなだらかなラインをいかに10%程度下にシフトさせるかが、小選挙区における勝利のポイントとなります。

つまり今の状態から10%の有権者を自民党から民主党に鞍替えさせれば圧勝できるわけです。10%ですから、ムードをうまく作れば何とかなりそうです。で、取る作戦としては、カッコいい党首を選出する、一言二言でわかるスローガンで政治を進める、といった、まさに今の自民党と同じような戦略になるでしょう。このようなことを続けてゆくと、政治の空洞化を招くことになります

こうした政治の空洞化を避けるためには、民意がより正しく反映できる中選挙区制を復活する必要がありそうです。そのあたりの考察はまた後日行いたいと思います。

少なくとも今回の調査でわかったことは、大多数の有権者は「自民と民主とを比べたら、どっちかといえば自民かなー」という程度であり、自民党を信任しきったわけではない、ということです。


自民歴史的圧勝、民主惨敗の理由

2005年09月13日 | 政治・社会

昨日の総選挙では、自民党が解散前よりも議席を大幅に伸ばし、一方民主党は多くの議席を失いました。自民党は非常にうまく選挙を戦った、一方民主党は後手後手に回ったしまったということが如実に表れています。

自民党の戦術として、今回特にハマったのが

  1. 争点を郵政民営化一本に絞り、国民の関心をその1点のみに集中させわかりやすくしたこと
  2. 民営化反対派議員の公認をせず「刺客」を送り込むことで、自民党でも改革が可能であることを強烈にイメージさせたこと。
  3. 「郵政民営化」=「改革」を有権者に意識付けすることで、野党を民営化反対派議員と同じく「抵抗勢力」に見せることに成功したこと

などがあげられると思います。これらの戦術はすべて、選挙にならないと支持政党が定まらない「浮動票」に対して非常に効果的だったといえるでしょう。

一方民主党の敗因としては、以下の点が挙げられると思います。

  1. 郵政民営化以外にやることがいっぱいあると主張してきたが、郵政民営化を後回しにして良い理由、与党の「改革案」を否決しなければならない理由が有権者に理解可能な形で提示されず、主張が何なのかが非常にわかりにくかったこと
  2. 郵政民営化法案に反対したことで、結局改革できる能力を持たず、与党の言うことは何でも「反対」するだけの旧来の野党のイメージから脱却できなかったこと


今回の結果を受け、以下の感想を持ちました。

(1)争点をわかりやすくした選挙は有権者の関心を集められる。本来難しい政治課題をわかりやすく説明する能力が今後の立候補者には求められる。

多くの有権者はテレビなどの報道で「郵政民営化」=「改革勢力(善玉)」「民営化反対」=「抵抗勢力(悪玉)」くらいの認識で自民党に投票したのではないかと思います。本当のところは自民党の主張と民主党の主張と良く比較した上で、どちらが自分の意見により近いかを吟味して投票するべきだと思いますが、いきなりそんなところまで有権者に期待するのはさすがに難しいと思います。しかし今回の選挙でまかりなりにも政策本位の選挙を経験したので、徐々に国民の政治への関心も高まってきたことと思います。次回以降は本当は複雑な争点をいかに適切にわかりやすくするか、という技量が各政党には求められるでしょう。

(2)自分をひいきにしてくれる特定の団体の利害ばかり考えていたのでは選挙に勝てなくなってきた

民主党は郵政民営化に反対する理由として、やっても効果がないとか、そのうちやらないといけないが今やら無ければいけない理由がない、などと主張してきました。しかし本当に民主党が郵政民営化に反対しなければならなかった理由は、全郵政など郵便局員で構成される労働組合を支持基盤として抱えているためです。彼らの支持を得るため、郵政民営化賛成に踏み切れなかったのではないかと考えます。しかし大半の浮動票はそのようなしがらみを持たない人たちであり、特定の団体の権益などはどうでもよく、「自分にとってどちらが良いか」「国にとってどちらが良いか」という評価軸で投票する政党を決めるので、今回の民主党の煮え切らない態度に不信感を募らせたのではないかと考えます。
これからの選挙は、いくら自分の党によくしてくれるからといって特定の団体の権益を守るような政治手法をとった党が、冷静な浮動票の厳しい目にさらされてしまうのではないかと思います。


特定の団体の権益を守ることで支持を得る政治手法と対極的にあるのが、ブログ党による党議拘束のない議員個人個人の意見で支持を集める政治手法と考えます。また本来は複雑な政策をわかりやすく国民にアピールする能力が必要です。わかりやすく伝えるには、テレビや新聞ではなく、インターネットのようにいつでもアクセスでき、動画も音声も自由に扱えるメディアが必要です。今回の選挙の結果を見て、ブログ党の必要性を再認識したところです。


著作権についてのパブリックコメント (1)私的録音録画補償金制度の撤廃について

2005年09月12日 | 科学技術・システム・知財など

9月8日に文科省が「文化審議会著作権分科会法制問題小委員会 審議の経過」についてのパブリックコメントを求む、との告知を行っています。この委員会では昨今の技術を踏まえた著作権法の改正をどのように進めるべきか、という議論を行っています。パブリックコメントの締め切りは1ヶ月後の10/7までで、メールで送付しても良いそうです。私も一言二言言っておこうかなと思うことがあります。今回は「私的録音録画補償金」について私見を書きます。

もともとの著作権法では私的な複製は自由だったのですが、DATなどの出現によりデジタルで品質劣化することなく複製が可能になったため、平成4年に著作権法が改正され、私的にコピーすることができる機材に対し「私的録音録画補償金」を徴収し、権利団体に分配することになりました。(平成5年より施行)

録音については社団法人私的録音保証金協会(SARAH)というところが機器メーカーから補償金を徴収し、定められた比率に従って各権利団体に分配されることになっています。

(参考)
SARAHの平成16年度の収支
 徴収した補償金: 2,142,930,520円
 分配した補償金: 1,798,247,683円
 内訳
 (社)日本音楽著作権協会  : 647,369,165円
 (社)日本芸能実演家団体協議会: 575,439,259円
 (社)日本レコード協会 : 575,439,259円

ここで身近な日本レコード協会に注目すると、日本レコード協会は昨年度分配金として5億7543万円を受け取っています。一方レコード協会によれば昨年出荷されたCDの売上高は5591億円だそうです。レコード業界の営業利益を売上高の3%程度と仮定する(昨年度のエイベックスグループの実績より類推)と168億円となり、分配金の5億7543万円とは、レコード業界の営業利益の3%程度に相当します。

つまり、私的複製が可能な機材が存在することによって、3%の利益のマイナスが生ずるので、レコード会社はそれを補償してもらった、という風に解釈することができるのです。


この制度について、私が腑に落ちない点を以下に示します。

まず私的複製とは、個人、または家庭内の利用において複製をすることであると著作権法第30条で規定されています。これをまず頭に入れて置いてください。


この私的録音録画補償金制度の存在理由を噛み砕いていうと

「私的複製を行う機材が存在しないとしたら、その家庭は同じCDを必要な枚数買ってくれるはずである。またはパッケージのフォーマット(MDとかMP3とか)が変わったらCDと同じ音楽であってもフォーマット毎に買ってくれるはずである。しかし現実にはそのような機材が存在するので、レコード会社のビジネスチャンスが奪われている。だから、そのような私的複製ができる機材に対し補償金を徴収してビジネス上の損益を穴埋めして欲しい。」

ということになろうかと思います。

しかし、本当に複製ができる機材が無ければCDを必要数分だけ購入するのでしょうか。私にはそのような状況を想像することができません。下記の2ケースで日本の一般的な家庭で想定される状況をまとめました。

(1)同じCDを何枚も買うか?
家庭内で兄がCDを持っていて弟もそのCDを聞きたい、という状況があったとします。CDを複製する機材があれば弟は兄のCDを複製して利用しますが、機材がなければ兄からCDを借りるまでです。機材がない場合でもよほど裕福でない限り弟は兄と同じCDを買おうと思わないでしょう。

(2)メディアの種別毎に音楽を購入するか?
CDを購入しそれを外で聞きたい場合、CDからMDにコピーする機材があれば外で扱いやすいMDを持ち出すが、その機材が存在しないならば、CDウォークマンを購入してCDごと外に持ち出すだけである。またパソコンで音楽を聴きたい場合MP3に変換できる機材があればファイルとして扱いやすいMP3で聞くが、存在しない場合はそもそもパソコンで音楽を聴かないか、CD-ROMドライブにCDを挿入して聞くだけである。

逆に様々なフォーマットにユーザ側で自由に変換することで、音楽を聴くシチュエーションが増え、CDの総売上に寄与するのではないかと考えます。例えば、ウォークマンの登場によってそれまで自宅でしか聞けなかった音楽が街中で聞けるようになりました。これにより人が音楽に接する時間が長くなり、CDの売り上げ増にもかなり効果があったのではないでしょうか。最近の例でも、CDからHDDレコーダに複製することでCDのときには考えられなかったような量の音楽を外に持ち出すことができるので、これまでの「聞きたいものを購入する」から「聞くかもしれないものを購入する」という購入形態をとることも考えられ、逆にCDの購入にも拍車がかかるのではないかと思います。


結局、複製する手段があっても無くてもCDの売り上げには関係なく、私的複製によるレコード会社の損害は実質的には存在しないのではないでしょうか。少なくともCDを購入した3%の家庭内で私的利用のために余計にCDを購入する、という状況は非常に想定しにくいです。存在しない損害をさも大きな社会問題であるかのように誇張しているように思えますので、本制度は早急な見直し、撤廃が必要であると考えます。逆にフォーマット変換などはむしろそのような機材の存在によって音楽を聴くシチュエーションが増え、ビジネスチャンスが広がる方向なのではないかと考えますので、極端に言えば補償金をメーカから徴収するのではなく奨励金をメーカに払うぐらいした方が良いのではないかと思います。


なお、友達と貸し借りするとかインターネット上にアップロードする、などの行為はそもそも著作権法上の「私的利用」にあたりませんので、著作権法侵害行為です。この侵害行為に対し補償したい、という気持ちはわかります。しかしそのような侵害行為に対してはコピープロテクトや損害賠償などの手段で補償するべきであり、私的複製の補償金でそれをまかなうのは筋違いと考えます。


無料サービスとマーケティング - goo 障害をテキストとして -

2005年09月09日 | ビジネス・マーケティング

9/8 1:00から12:00ころにかけ gooブログがメンテナンス状態になっていました。ここ最近ブログが重くて、自分のブログがなかなか登録されなかったり、トラックバックの反映が遅く、しばらく経ったら複数の同じトラックバックが登録されてしまった、などのトラブルが散見されたので、なんとか対応していただいてよかったと思っています。

我々ブロガーからすれば、このような状況を一刻も早く回避して欲しいと思うのはごく当然のことであろうと思います。しかし運用者の本音からすると「無料なんだんから、少しぐらい我慢してよ」という声も聞こえて来そうです。

でも果たしてそのような考え方が正しいのでしょうか?人に便益を与え、対価を得るというマーケティング宗教論の基本方針と照らし合わせ、この考え方の不適切さを考察したいと思います。

(注)決してgooの方々がそのような考え方を持っている、ということを指摘するものではありません。一般論として無料サービスを提供している人が陥りやすい問題、ということでご理解ください。

× × ×

なぜgooはブログを無料で提供しているのでしょうか。今回の増強の例を挙げるまでも無く、ユーザが増えれば設備を増やさなければならないのは目に見えてますが、そのための費用をブログユーザから徴収することはできません。しかしどこかからその設備の投資・メンテナンスに要する費用を調達しなければこのサービスを維持することはできないはずですよね。

gooの内情を正確に知ることはできませんが、顧客からの利用料を得ない代わりに広告収入を得ており、それが無料ブログサービスの原資となっていることはほぼ間違いないでしょう。gooはブログサービスなどで多数のページビューが集まる場を提供し、そこに広告を掲示することで収入を得ているのです。このビジネスモデルは「多くのページビューを集める」ということが大前提になっています。つまりgooはブロガーに対し無料ブログという便益を提供し、ページビューという経営資源を対価として得ているのです。

gooはブロガーに対し無料かつ品質の高いブログサービスを提供することで、ブログやgoo全体のページビューを増加させることができます。その実績に基づき広告主は自社の広告をgooに掲示しようと決断するのです。広告収入が増えるとさらにブログサービスの品質増強が図れ、より多くのブロガーを惹きつけることができるようになります。この好循環でどんどんページビューが増えてゆきます。

逆に、無料であっても品質の悪いサービスをgooが提供した場合、ブロガーは別なブログサービスを探し始めます。この結果ブロガーがgooから徐々に離れ、ページビューを減らしてしまいます。こうなると広告主に対し十分なページビューを提供できないので広告を出してもらえず、広告収入も減り、品質向上のための設備増強も行えず、ブロガー離れに拍車がかかるという悪循環に陥ってしまうのです。

以上の例で示すとおり、中途半端な便益を与えても十分な対価が得られないので、いずれ便益を与えることができなくなる状態に陥ることがわかります。このような状況では顧客も提供者側も共に幸せにはなれないでしょう。(例えばブロガーは自分の新規ブログがなかなか反映されなかったり、消されてしまったりすれば大きく失望しますし、メンテナンスの人も本当は9時には終わるところを3時間残業して12時まで対応しなければならないわけです。)便益を与えるならば十分満足できるものを与え、十分な対価を得ることが、皆が幸せになるために必要な条件なのです。

マーケティング宗教論の経典に下記の文章を追加します。

× × ×

便益を与えるならば十分な便益をあたえること。そして十分な対価を得ること。それが持続的に便益を与え続けられる条件である。

中途半端な便益を与えても、継続的に便益を提供し続けるのに必要な対価は得られず、いずれ便益を提供できなくなる状況に陥る。

× × ×

決して広告主だけを顧客だと思ってはいけません。広告主と同様利用料を払っていないブロガーも重要不可欠な顧客だということをgooには認識していただきたいと思います(認識しているとは思いますけど)。


船長さんへの質問 ~市場価値の高いマネージャとは~

2005年09月04日 | ビジネス・マーケティング

~あなたにとって顧客・従業員は船の中にいる人ですか?それとも船外の海ですか?~

ここでは、顧客から仕事を請け負い、従業員を使って仕事を完成させる責務を負ったマネージャを「船長」と呼んでいます。顧客や従業員を「守って安全に目的地に運ぶパートナ」と考えるか、「猛威を振るう自然現象」と考えるのかによって、そのマネージャの市場価値が決まると考えます。

あなたはどのタイプでしょうか。

× × ×

(1)市場価値の高いマネージャ

顧客:  船の中
従業員: 船の中

目的地: 顧客の求める目的地

こういう船長は顧客の安全を考える。もちろん従業員の安全も考える。顧客の本当の目的地に向かって従業員と一丸となって航海する。それを繰り返すことで会社の業績も安定し、定常的に市場に便益を与えられるようになる。


(2)市場価値の低いマネージャ その1

顧客:  海
従業員: 船の中
目的地: 従業員に暖かく迎えてもらえる心地よいパラダイス

こういう船長は従業員の安全だけを考える。顧客は時に猛威を振るう自然現象であり、従業員と一緒にかわしてゆく対象である。市場に貢献しない意味のない仕事を繰り返すのでいずれ淘汰されるが、それまでは従業員と仲良く過ごせるパラダイスが待っている。顧客がどうなろうと、会社がどうなろうと知ったことではない。


(3)市場価値の低いマネージャ その2

顧客:  船の中
従業員: 海
目的地: 顧客との束の間の楽しい合コン会場

こういう船長は目の前の顧客をほんの束の間満足させるだけである。実際には顧客の本質的でない要求に多くの時間を割き従業員のモチベーションを著しく下げるため、最終的には顧客も満足せず、市場に便益を与えることができない。


(4)市場から追放すべきマネージャ(危険人物)

顧客:  海
従業員: 海

目的地: 地上勤務のイス

こういう船長は実は上司だけを乗せている。顧客や従業員の要望を切り捨てうまく航行できたように見せかけることで、自分のポジションを確保する。見せかけが偽りであったことがバレると、会社の価値が暴落し便益を与えられる状態ではなくなってしまうため、大変危険である。

× × ×

なお、ここでいう「市場価値」とは、市場に対して価値を創造できる能力のことを言っています。「市場価値が高い」とは、市場に対し多くの便益を与える能力があるので、市場から高い評価を得ることができることを指しています。これは再就職したとしたら自分の年収はいくらと査定されるか、という文脈で現在よく用いられる「市場価値」とは残念ながら若干違うものです。確かに「年収」=「その人の能力を企業が査定した額」ではありますが、企業が査定する能力の評価軸に「市場に対して価値を創造できる能力」が必ずしも含まれるとは限らない、含まれた場合でもそのほかの要素の比重の方が高いことがしばしばあるからです

(なおマーケティング宗教論では、両者の「市場価値」が同一のものにすることが皆を幸せにすることであると述べています。)


一般道で初めて80キロ!!

2005年09月03日 | 政治・社会

一般道初めて80キロ!

栃木の一部区間で始めて一般道の制限速度が80キロになるとのことです。 NHKとか総選挙等といった話題に比べるとかなり地味な話題かもしれませんが、なにげに私は注目しています。

ヨーロッパでは街中は日本と同様40~50キロ制限ですが、町を外れると80キロ制限、なんてところがざらにあります。それに比べ、日本の道路はどんな田舎でも基本的には60キロ、ということで、非常に効率が悪いなーと思っていました。そして誰も走らない高速道路を巨額の費用をかけて開発して借金を国民に払わせる、などという無駄をやってきたわけです。

特に北海道などを走っていると、町と町の間は平均でも80キロぐらいで流れており、あの程度のスピードが出せるならば確かに高速道路は要らないな、と思っていました。でも北海道はスピードの出しすぎで交通事故が多発しているので、そこで暮らす地元住民のことを考えると、スピード天国にならないような配慮も必要です。80キロを超えたら通常以上に厳重に取り締まる等といった対策はしっかり立てる必要があるでしょう。例えば、通常の一般道では30キロオーバーで免停なのですが、10キロオーバーの90キロでも免停とか


NHK不払い者に対し法的手段を検討 ~おいおい大丈夫か?~

2005年09月02日 | 政治・社会

NHK不払い者に対し法的手段を検討

受信料不払い者に対し、簡易裁判所を通して支払いの督促を行う意向があるという。

先のブログでは、行政としてはNHK受信料の支払いはテレビを持っている世帯の義務であるという見解を持っていることを紹介しました。国会答弁でもそのことは再三にわたり主張しています。しかし本格的に司法の判断がおりたわけでないので、下手にこじれると放送法第三十二条そのものが不適当である、などといったやぶへびの判決が出るかもしれません。

一応予習しておくと、簡易裁判所でこの手の債権関連の紛争を解決する方法には下記の2つがあります。(NHKの受信料だから何百万などという債権ではない、という前提)

 ・ 支払督促
  NHK側の訴えだけでまずは督促状が送付される。異議申し立てを行うと、そのまま通常訴訟で審理されることになる。被告が異議申し立てを行うと、通常の訴訟扱いとなる。

 ・ 小額訴訟
  1日で判決がでる。原告(NHK)と被告(不払い者)と裁判官が1つのテーブルを囲 み、当日提出された証拠のみを用いて審理する。被告が異議申し立てを行うと、通常の訴訟扱いとなる。

いずれにしても、債務者が「裁判所から督促状がキターー(汗)」といって支払いに応じる従順な人ばかりなら良いのですが、「通常訴訟で争ってやる」と思っている人も少なからずいるでしょう。そうすると、審理の中で放送法第三十二条のあり方についても争点になる可能性が高いので、支払いの督促を行うことは却ってNHKの首を自ら絞めることになりかねないと思います。

こんなことで視聴者の反感を買い、さらに不払いを助長するような愚策に出るくらいなら、まだまだ好感度が落ちきらないうちに民営化して、NHKファン層を囲い込むような努力をすべきだと思います。


選挙とインターネット ~自民、民主の争い~

2005年09月02日 | 政治・社会

自民党が民主党HPを批判

 衆議院議員選挙は8月30日に公示されたが、それ以降も民主党はホームページの更新をしていたとして、自民党が公職選挙法違反の疑いがあると批判。総務省に注意を求めたそうです。

 先のブログでも紹介しましたが、公職選挙法改正の審議がスタートしない理由が垣間見えますね。 自民党はブログ懇親会をやった、というニュースもありましたが、タダのポーズだったのでしょうか。本当にネットを活用する気なら、こんなこといちいち指摘しないのではないかな、と思いました。

と思ったら、民主も負けじとこんなことやってます。

ネット利用で公開質問状

自民も民主も同じ穴のムジナなのでしょうか。。。総務省に「国民の知る権利を保障して何が悪い!公職選挙法こそ憲法違反ではないか!」ぐらいなことを言うならば、なかなか骨があるなと思ったのですが・・・