goo blog サービス終了のお知らせ 

noribo2000のブログ

特定のテーマにこだわらず、意見やアイデアを表明するブログです

楽天・TBS の「業務提携」~パーソナライズドCMの実用化などはいかがでしょう?~

2005年12月01日 | ビジネス・マーケティング

楽天・TBSが覚書、資本・業務提携を協議へ

楽天が下記の点を譲歩し、業務提携の方向でTBSと話し始めることになりました。
・経営統合を一旦取り下げること
・持株比率を10%以下にし議決権を凍結すること

まずは話し合いのテーブルにつかないことには先に進まない、という判断があってのことと思います。前のブログで経営統合には楽天以外得する者がいないので意味がないと書きましたが、自社の強みと他社の強みを生かした業務提携であれば顧客に便益が提供されるため有益なものになる可能性は確かにあります。

しかしながら、今回の案件ではそれほど有益な提携にはならないのではないかと見ています。それは、もともとは楽天はTBSを「支配」しようとしていたわけで、支配関係のない「業務提携」などには興味がないように感じられるためです。方やTBSも相手が大株主だから「いやいや」提携の検討にお付き合いするといった程度のような気がします。業務提携のテーブルにつくといっても結局は楽天の保有する株をTBSに買い取ってもらうかどうか、などという業務提携とは関係ない議論に終始するだけかもしれません。

これでは、あれだけ大騒ぎしたにもかかわらず結局視聴者は何も得る物がない、ということになります。つまらないですよね。

そこで、僭越ながらnoribo2000が楽天に成り代わり、業務提携の一案を提案します。いかがでしょうか、三木谷さん:P


【提案:楽天顧客データベースを用いたパーソナライズドCMの実用化

前のブログでも軽く言及していたのですが、楽天の強みとして、数多くの商品を取り扱っているネットショッピングモールを持っているため、様々な趣味・志向を持つ顧客の購買行動履歴などがデータベース化されており、必要なときにワンストップで取得できることが挙げられます。「誰が」「何を」購入した、という市場データが楽天1社に蓄積されているのです。このようなデータを1社で握る例は実社会では到底ありえないでしょう。一人勝ちということがあり得るというネットの世界ならではだと考えます。この大変貴重なデータを用い顧客の趣味・志向に合わせたCMを流すことにより、顧客のヒット率を高めることができ、CM枠の価値を向上させることができるでしょう。

この顧客データベースを用いたパーソナライズCMの実用化はまだまだ研究すべき課題も多いとは思いますが、米国ではTiVoが来年には同様のサービスを開始する等の話があるため、ここは楽天得意のスピード経営でぐいぐい推進してもらうことを期待したいものです。

DVRの米TiVo、テレビ視聴者向け検索型広告サービスを来春開始

なお、TiVoの場合、マス広告主体のビジネスモデルを採る放送局との対立が懸念されています。このあたりはTBSと業務提携してうまく説得して欲しいですね。

 

 


楽天のTBS経営統合 ~誰が得をするか?~

2005年10月19日 | ビジネス・マーケティング

ここ一週間ほど、楽天によるTBS株大量取得、及びそれを背景とした経営統合の話などが盛り上がっています。この話題について世間でも賛否両論ありますね。当ブログでは、この経営統合がTBSや広告主、視聴者に便益を与えるものかどうか、という点について論じてみたいと思います。

この経営統合によって、楽天が何をしようとしているのでしょうか。それは、TBS経営統合を申し入れた文書にまとまっています。 http://www.rakuten.co.jp/info/release/2005/1013_2.html

<2> 統合により創出される価値

  東京放送の競争力の源泉は強力なコンテンツ制作力及びその蓄積と日本全国の視聴者様、リスナー様へのリーチ力であると考えます。他方、当社の競争力の源泉としてはインターネットに関する経験とノウハウ、データベースマーケティングのノウハウや情報と3,000万人のグループ会員基盤等が考えられます。これら両社の強みと、両社で蓄積された技術、広告主様への営業力、代理店様との信頼関係が結合することにより、少なくとも次の価値が創出されると考えます。これらを含めた様々な相乗効果により、両社企業価値の安定的・持続的な向上が実現されることが想定されます。

(ア) 視聴者様及びリスナー様にとってより魅力あるコンテンツ提供の環境整備

(イ) データベースマーケティングの取り込みによる広告の高付加価値化

(ウ) ワン・コンテンツ・マルチユースの促進によるコンテンツ価値の最大化

(エ) 収益規模・資金調達能力の向上と再投資による持続的成長

※上記(ア)から(エ)の詳細については、提案書にて東京放送にご提示申し上げました。

 

これら、(ア)から(エ)について、本当に我々に便益が提供されるのか、そして本当に楽天がそれを実現できるのか考察してみましょう。

(ア) 視聴者様及びリスナー様にとってより魅力あるコンテンツ提供の環境整備

これは具体的に何のことを言っているのかこの記述だけだと判りかねるのですが、推測するにインターネット上でTBSの番組をリアルタイムあるいはオンデマンドで配信したり、番組で放送できなかった部分をネットで配信する、などということだと思います。 そうした様々なチャネルでTBSの番組(未放送部分も含め)を流すという発想自体は特に目新しくはありませんが、便利かどうかといわれればそれなりに便利なような気もします。例えば、海外に出かけているときにネット経由でTBSの番組が視聴できるのはちょっと魅力的かもしれません。

 では、楽天が本当にそのようなことが実現できるのでしょうか。インフラはオンデマンドの配信を行う子会社のショウタイム社が持っているので提供可能と思われます。 しかしビジネスとして成立するかどうかは明確ではありません。 実は過去にTBSも「トレソーラ」でコンテンツの再配信ビジネスの構築に取り組んだことがありますが、権利処理コストがかかりすぎてビジネスモデルが構築できずに苦戦を強いられました(参考 著作権の“盾”を破れ――テレビ番組ネット配信の課題)。ショウタイム社がこのような権利処理コストを低減できるノウハウを持っているとは思えません。 そうしたノウハウが特に無いのであればTBSにとっては楽天と経営統合するメリットはほとんど無いと考えます。むしろネット配信をしたいのであれば、ショウタイム社に限らず最も良い条件で番組買い取ってくれるオンデマンド系の会社に番組コンテンツを卸す方が、インフラ投資コスト・維持管理コストを低減できるため、より良い選択であろうと考えます。

(イ) データベースマーケティングの取り込みによる広告の高付加価値化

楽天の強みとして考えられるのは、インターネットショッピングモールで顧客がどのようなものを購入したか、というデータを持っていることだと考えます。このデータを基に、ユーザ個々の趣向にあった(パーソナライズされた)CMを流すようにすれば、広告主に対してもさらに魅力的な広告枠の提供になるかも知れません。 しかし、実際のCMは単に個人の趣向に沿って流せばよいだけではなく、番組の内容や流す時間帯などを十分吟味して流すべきCMを選定しています(昼間に酒の宣伝は流さない、とか)。そのような個人の趣味趣向と番組、時間帯とのマッチングを取った上で流すべきCMを自動的に選択する、という技術はまだ研究段階の域を出ません。さらに、このような『ワン・トゥ・ワン』の広告配信が不特定多数に送りつける現時点のCM以上の効果が得られるかどうかは未知数です。 現時点においては、パーソナライズされたCM配信は、技術面、ビジネス面双方で発展途上にあり、経営を統合して実施するほど実現性の高いものではないといえます。この分野は更なる研究が必要でしょう。当然現時点でこれらの課題を解消するノウハウを楽天が有しているとは考えられません。

(ウ) ワン・コンテンツ・マルチユースの促進によるコンテンツ価値の最大化

これはソリューション及び課題は(ア)と同じと考えますので割愛します。

(エ) 収益規模・資金調達能力の向上と再投資による持続的成長

楽天と経営を統合しないとTBSがつぶれるのでしょうか? 特にTBSの経営が困難になった、という話も無く、過去3年間で見ても当期利益は50-100億円近辺を推移している状態です。平たく言えば楽天と提携しなくてもTBSは当面持続的な成長は可能ということになります。ちなみに楽天の経営状態ですが、昔ライブドアの堀江社長が言っていたように3年連続で赤字になっております。今年は何とか連結ベースでも黒字になりそうですが、まだ経営そのものも発展途上感が否めません。持続的成長が当面の課題なのはTBSではなく楽天の方であるといえます。

 

以上考察してきたとおり、今のところ楽天との経営統合はTBSにとってそれほどの魅力が無いことがわかります。

では、私たち視聴者や広告主にとってはどうでしょうか。放送の再配信ができるならばある程度魅力的ですがHDDレコーダなどでも代用ができるため、ネット越しで見なければならないような環境(HDDレコーダの出回る前の番組の視聴、海外にいるときの視聴、など)でない限りはそれほど魅力的ではないでしょう。また、広告のパーソナライズ化については、これが本当に視聴者のニーズに合致しているかどうかが不明です。人にもよると思いますが、一般的な視聴者はいろんな種類のCMを見る機会を欲しているような気がします。より詳しい情報が欲しければインターネットで入手できる時代なので、これも代替手段が無いわけではありません。TBSの経営が安定することはTBSの番組が好きな人にとっては重要とは思いますが、TBSが無くなれば他のチャンネルを見るだけでしょうから、こちらも代替手段があります。つまり、視聴者や広告主にとってもTBSと楽天の経営統合はそれほど魅力的ではありません

一方、TBSを傘下に入れれば楽天グループの収益構造が安定し、楽天の株主にとっては大変魅力的なプランだと考えます。なお、楽天の筆頭株主は19.34%を所有する三木谷社長その人です:)


マスマーケティングの成功事例 ~ドコモの夏川氏の話~

2005年10月10日 | ビジネス・マーケティング

「ドコモは本当にマーケティングが下手」

昨日のブログとは打って変わって、こちらはマスマーケティングの成功事例です。この記事も面白かったので紹介します。性能は良いが販売不振だったFOMAの新製品を開発するに当たり、ドコモの夏野さんという執行役員の方が技術陣に対し「ドラクエが動くこと」とだけ要求したことが紹介されています。開発当初からどういう風に宣伝するかを考えて製品開発に対する要求条件を突きつけるこのやり方は、単なる思いつきならば困ったものですが、市場を見極め、顧客のニーズを見極めた上であるならば非常にリーズナブルな方法であり、マスマーケティングの基本とも言えるでしょう。

これは、研究者や「オタク」にしか理解できない技術をスタート地点として徐々に適用領域を増やしてゆくオタクマーケティングとは対極にあるアプローチです。オタクマーケティングだけだと大きな利益が出るまでに時間がかかりすぎるので、体力が持つかどうかわかりません。一方マスマーケティングだけだと大きな利益を生むが破壊的な技術が登場したときに対応できません。両方のアプローチを使い分けることで、企業は継続的に便益を提供することができるようになると考えます。


オタクマーケティング ~ついに企業の研究所の本領発揮か?~

2005年10月09日 | ビジネス・マーケティング

オタクは遍在する――NRIが示す「5人のオタクたち」

オタクが形作る市場はもはやニッチではなく、非常に大きな市場を形成するのだ、というレポートが先週NRIから発表されました。オタクは日本全国で172万人いて、市場規模は4110億円と試算しています。私は「家庭持ち仮面オタク」というネーミングに笑いました。しかしNRIは何でこんなレポートを出したのだろう、ということが疑問となり、さらに過去にさかのぼって調べたところ、以下のようなレポートが昨年出ていました。先週のレポートは下記のレポートで示された「オタクマーケティング」の現状分析、という意味合いだったのだなと理解しました。

“オタクマーケティング”の時代到来?――NRIに聞く「オタク市場の力」

このレポートによれば、オタクには購買力がありかつ新製品を受け入れる能力が極めて高い、という点が指摘されています。そのようなオタクの声を汲み取りフィードバックしてゆくことで、オタクでない一般大衆に向けた販売戦略を考える、というマーケティング手法も実効性を帯びてきた、ということです。

顧客に『便益』を与えることで『対価』を得るのがマーケティングの基本理念だと思うのですが、実際は何が顧客に魅力的な『便益』であるのかを考えるのが非常に難しいものです。顧客が欲しいというものを作るのは簡単ですが、物質的に豊かになると顧客も満足してしまいなかなか欲しがらないのが普通でしょう。そんな中、人よりも極端にものを欲しがるオタクは、顧客にとっての『便益』とは何かを一緒に考えてくれるサポーターの役割を果たし得るといえると思います。

ただ、オタクの道はなかなか厳しく、「オタクは敏感。オタクでない人が、『オタクはこれでも買うだろう』と安易に作った商品は、反感を買う」「オタク市場に物を売りたければ、オタクになるか、オタクのフリをして決してボロを見せないことが必要」とこのレポートでは指摘しています。

このオタクマーケティング、オタク道に対応できそうなのは、実は企業の研究所ではないかと考えています。企業の研究所には良くも悪くもその道のオタクがゴロゴロいます。しかし彼らの欠点は、全く市場なんか無視しているか、あるいは逆に自分のこだわり技術のみで一気にマス市場を押さえられるという幻想を抱いているか、のどちらかであることが多いことです。

研究所がマス市場に対し事業貢献をするためには、通常の商品開発のプロセスと同様

・市場を見極め、顧客のニーズが何かを考える
・そのニーズを満たす技術を開発し、製品化する。
・当初見極めた市場に対し、製品を販売する。

という進め方をしなければなりません。決して研究者のこだわり技術1つだけで商品がマス市場に受け入れられることはないといっていいでしょう。

しかし、市場には認知すらされていないような新技術を使った先鋭的な商品を開発するには、上記のプロセスは効果的ではなく、企業の研究者によるオタクマーケティング的なアプローチが有効であると考えます。企業の研究者には、まず単なる技術の追求だけではなく、自分と同じ興味趣向をもつ「オタク」に対して製品を販売することを前提に研究するように意識改革をして欲しいものです。こうすることで潜在的なニーズをキャッチアップでき、将来のマス市場に向けた事業貢献に結びつくようになると考えます。


無料サービスとマーケティング - goo 障害をテキストとして -

2005年09月09日 | ビジネス・マーケティング

9/8 1:00から12:00ころにかけ gooブログがメンテナンス状態になっていました。ここ最近ブログが重くて、自分のブログがなかなか登録されなかったり、トラックバックの反映が遅く、しばらく経ったら複数の同じトラックバックが登録されてしまった、などのトラブルが散見されたので、なんとか対応していただいてよかったと思っています。

我々ブロガーからすれば、このような状況を一刻も早く回避して欲しいと思うのはごく当然のことであろうと思います。しかし運用者の本音からすると「無料なんだんから、少しぐらい我慢してよ」という声も聞こえて来そうです。

でも果たしてそのような考え方が正しいのでしょうか?人に便益を与え、対価を得るというマーケティング宗教論の基本方針と照らし合わせ、この考え方の不適切さを考察したいと思います。

(注)決してgooの方々がそのような考え方を持っている、ということを指摘するものではありません。一般論として無料サービスを提供している人が陥りやすい問題、ということでご理解ください。

× × ×

なぜgooはブログを無料で提供しているのでしょうか。今回の増強の例を挙げるまでも無く、ユーザが増えれば設備を増やさなければならないのは目に見えてますが、そのための費用をブログユーザから徴収することはできません。しかしどこかからその設備の投資・メンテナンスに要する費用を調達しなければこのサービスを維持することはできないはずですよね。

gooの内情を正確に知ることはできませんが、顧客からの利用料を得ない代わりに広告収入を得ており、それが無料ブログサービスの原資となっていることはほぼ間違いないでしょう。gooはブログサービスなどで多数のページビューが集まる場を提供し、そこに広告を掲示することで収入を得ているのです。このビジネスモデルは「多くのページビューを集める」ということが大前提になっています。つまりgooはブロガーに対し無料ブログという便益を提供し、ページビューという経営資源を対価として得ているのです。

gooはブロガーに対し無料かつ品質の高いブログサービスを提供することで、ブログやgoo全体のページビューを増加させることができます。その実績に基づき広告主は自社の広告をgooに掲示しようと決断するのです。広告収入が増えるとさらにブログサービスの品質増強が図れ、より多くのブロガーを惹きつけることができるようになります。この好循環でどんどんページビューが増えてゆきます。

逆に、無料であっても品質の悪いサービスをgooが提供した場合、ブロガーは別なブログサービスを探し始めます。この結果ブロガーがgooから徐々に離れ、ページビューを減らしてしまいます。こうなると広告主に対し十分なページビューを提供できないので広告を出してもらえず、広告収入も減り、品質向上のための設備増強も行えず、ブロガー離れに拍車がかかるという悪循環に陥ってしまうのです。

以上の例で示すとおり、中途半端な便益を与えても十分な対価が得られないので、いずれ便益を与えることができなくなる状態に陥ることがわかります。このような状況では顧客も提供者側も共に幸せにはなれないでしょう。(例えばブロガーは自分の新規ブログがなかなか反映されなかったり、消されてしまったりすれば大きく失望しますし、メンテナンスの人も本当は9時には終わるところを3時間残業して12時まで対応しなければならないわけです。)便益を与えるならば十分満足できるものを与え、十分な対価を得ることが、皆が幸せになるために必要な条件なのです。

マーケティング宗教論の経典に下記の文章を追加します。

× × ×

便益を与えるならば十分な便益をあたえること。そして十分な対価を得ること。それが持続的に便益を与え続けられる条件である。

中途半端な便益を与えても、継続的に便益を提供し続けるのに必要な対価は得られず、いずれ便益を提供できなくなる状況に陥る。

× × ×

決して広告主だけを顧客だと思ってはいけません。広告主と同様利用料を払っていないブロガーも重要不可欠な顧客だということをgooには認識していただきたいと思います(認識しているとは思いますけど)。


船長さんへの質問 ~市場価値の高いマネージャとは~

2005年09月04日 | ビジネス・マーケティング

~あなたにとって顧客・従業員は船の中にいる人ですか?それとも船外の海ですか?~

ここでは、顧客から仕事を請け負い、従業員を使って仕事を完成させる責務を負ったマネージャを「船長」と呼んでいます。顧客や従業員を「守って安全に目的地に運ぶパートナ」と考えるか、「猛威を振るう自然現象」と考えるのかによって、そのマネージャの市場価値が決まると考えます。

あなたはどのタイプでしょうか。

× × ×

(1)市場価値の高いマネージャ

顧客:  船の中
従業員: 船の中

目的地: 顧客の求める目的地

こういう船長は顧客の安全を考える。もちろん従業員の安全も考える。顧客の本当の目的地に向かって従業員と一丸となって航海する。それを繰り返すことで会社の業績も安定し、定常的に市場に便益を与えられるようになる。


(2)市場価値の低いマネージャ その1

顧客:  海
従業員: 船の中
目的地: 従業員に暖かく迎えてもらえる心地よいパラダイス

こういう船長は従業員の安全だけを考える。顧客は時に猛威を振るう自然現象であり、従業員と一緒にかわしてゆく対象である。市場に貢献しない意味のない仕事を繰り返すのでいずれ淘汰されるが、それまでは従業員と仲良く過ごせるパラダイスが待っている。顧客がどうなろうと、会社がどうなろうと知ったことではない。


(3)市場価値の低いマネージャ その2

顧客:  船の中
従業員: 海
目的地: 顧客との束の間の楽しい合コン会場

こういう船長は目の前の顧客をほんの束の間満足させるだけである。実際には顧客の本質的でない要求に多くの時間を割き従業員のモチベーションを著しく下げるため、最終的には顧客も満足せず、市場に便益を与えることができない。


(4)市場から追放すべきマネージャ(危険人物)

顧客:  海
従業員: 海

目的地: 地上勤務のイス

こういう船長は実は上司だけを乗せている。顧客や従業員の要望を切り捨てうまく航行できたように見せかけることで、自分のポジションを確保する。見せかけが偽りであったことがバレると、会社の価値が暴落し便益を与えられる状態ではなくなってしまうため、大変危険である。

× × ×

なお、ここでいう「市場価値」とは、市場に対して価値を創造できる能力のことを言っています。「市場価値が高い」とは、市場に対し多くの便益を与える能力があるので、市場から高い評価を得ることができることを指しています。これは再就職したとしたら自分の年収はいくらと査定されるか、という文脈で現在よく用いられる「市場価値」とは残念ながら若干違うものです。確かに「年収」=「その人の能力を企業が査定した額」ではありますが、企業が査定する能力の評価軸に「市場に対して価値を創造できる能力」が必ずしも含まれるとは限らない、含まれた場合でもそのほかの要素の比重の方が高いことがしばしばあるからです

(なおマーケティング宗教論では、両者の「市場価値」が同一のものにすることが皆を幸せにすることであると述べています。)


ソフトウェア開発における発注者と受注者の関係 ~その先の市場のことを忘れていませんか?~

2005年08月28日 | ビジネス・マーケティング

私は仕事柄ソフトウェアを外注さんに製造してもらう事が多いのですが、その時に「仕様が膨らんだので費用追加お願いします」という外注さんからの依頼がやってくることが良くあります。そして発注者、受注者の間で、膨らんだのは仕様なのか、設計・製造工数なのか、というところを精査することになります。一般にソフトウェア開発は仕事の完成に責任を持つ請負契約で実施される事が多いのですが、その場合双方合意した仕様書に基づいて開発する事が前提となります。ですので、仕様が膨らんだのであれば費用の増分は発注者負担、設計・製造工数が膨らんだのであれば受注者の見積ミスになるので受注者負担となります。

とは言っても発注者も受注者も有限の予算の中で活動をしていますので、実際の交渉時はそれぞれの事情を背景とした様々な駆け引きが発生します。例えば発注者側が「たくさん発注してるんだからそれくらいタダでやってよ」と言ったり、受注者側が「費用追加は要らないし納期の変更もしない変わりに品質を落とすが、それでも良いか」と言ったりします。もっと泥臭いケースもあるでしょう。

しかしここで発注者、受注者ともに立ち止まって考えて欲しいのです。自分の携わっているソフトウェア開発は何のために実施するのかを。

そのソフトウェアは、直接的には発注者の便益のために開発することになるのですが、更に発注者の顧客に対する便益の為に開発する事も多いはずです。そのような便益の連鎖をたどってゆくと最終的には「市場」に行き着きます。従って「市場」に便益を与えなければ対価は得られない、と言う意味では発注者も受注者も基本的には同じはずです。発注者の顧客に便益を与えるのであれば、発注者自らの収支のみを気にして費用追加に応じないと言う態度は疑問ですし、品質を落として発注者との契約を形の上で完了させれば良いと言う受注者の態度も問題があると考えます。

発注者も受注者も「市場」に対しどのように便益を提供するか、という事を考えて行動すべきです。そうすれば自ずととるべき態度が見えてきます。

発注者のとるべき態度: 
(1)仕様追加・変更の場合
その仕様追加・変更が本当に市場に便益を与えるかどうかを吟味し、そうであるならば費用追加をしなければならない。そうでないならば仕様追加を取り下げなければならない。費用追加をした結果予算をオーバーする場合、本当にそのソフトウェアを製造することが市場に便益を与え十分な対価が得られるか再度吟味すべきである。その価値がないと判断したら、その時点で開発を終了する事も考えなければならない。

(2)設計・製造工数増加の場合
原則的には受注者が負担するものであるが、ソフトウェアは見積が困難であるという事も忘れてはならない。杓子定規に受注者負担にすると受注者側の経営基盤を揺るがしかねない可能性がある。受注者側が機能不全になってしまっては発注者も身動きが取れず、結果的に市場に便益を与えられなくなってしまう。納得いかないかもしれないが市場に便益を与えると言う本来の目的を達成するならば、費用を支払う事も考える必要がある。この事に対するペナルティーは別な機会に考えれば良く、必ずしも現在のプロジェクトの中で清算する必要はない。注意深く観察すると受注者側も別なところで何らかの便益を発注者に提供していることが多いので、ペナルティーを科す前にそのあたりも考慮する必要がある。

受注者のとるべき態度: 
(1)仕様追加・変更の場合
仕様策定は発注者が行い自分達はそれに従って粛々と開発すれば良い、という思想を捨てるべきである。受注者は発注者が考えるのと同じように、このソフトウェアがどのように市場に便益を与えなければならないか主体的に検討しなければならない。そのようにして仕様書を検討すれば市場ニーズに対して常識外れの物を開発することがなくなり、結果として発注者からの仕様変更要求もそれほど発生しないし、意識ずれの発生も最小限にすることが出来るようになる。

(2)設計・製造工数増加の場合
発注者(2)の記述では、では発注者に追加費用を出すようことも検討するように促しているが、やはり原則は受注者負担であるはずなので、工数を正しく見積もるのは受注者の責務である。初期見積で正確な見積が困難である場合は、仕様書作成、設計書作成時に詳細化した見積額を発注者にリアルタイムで提示する必要がある。また、上記の仕様変更や設計変更が生じた場合も同様にリアルタイムで提示する必要がある。いつまでも発注者に守ってもらっているだけではそのうち市場から淘汰される。ソフトウェア仕様については発注者と共に発注者の顧客に対し便益を提供するように努力しなければならないが、受注者にはもう一つ、発注者に対し計画通りの納期、費用でソフトウェアを納めるという便益を提供しなければならないからである。

このように発注者、受注者ともに「市場」を意識し、市場に対し便益を提供する方向で検討を進めることで、お互いに幸せになれるはずです。

× × ×

上記の検討から、マーケティング経典に以下の項目を追加しようと思います。私の立場で言えば受注者であるところの外注さんに「市場をみる」という意識を持ってもらうように努力しなければなりません。経典として書くことは簡単ですが、実際にやるのは難しい・・・一般の宗教の布教活動が難しいのと同じかも知れませんね。頑張ります。

マーケティング経典 追加

自分が直接便益を与える人もまた、さらに別な人に便益を与えようとしている。このように便益には連鎖的な関係があり、この連鎖をたどってゆくと最終的には特定の人ではない「市場」に行き着く。

× × ×

人に便益を与えるときに、目先の顧客のことだけを考えていてはいけない。人に便益を与えるときには、「市場」に対しどのように便益を与えるのか考えなければならない。

× × ×

人から便益を受け取るとき、自己満足だけを考えてはならない。人から便益を受け取るときは、自分が「市場」に対しどのように便益を与えるのか考えなければならない。

× × ×

人に便益を与えるときに、一人でできなければ他の者の協力を仰ぐことになるが、その者はあなたや「市場」に対して便益を与えようと思っているわけではない。

それでもそのような者の協力が必要である場合、その者が意識しようがしまいが、あなたや「市場」に対して便益を与えるように導かなければならない。もちろんあなたはその者があなたや市場に便益を提供したのが事実であるなら、対価を支払わなければならない。あなたや「市場」に便益を与えなかったのなら、対価を支払うべきではない。

対価を支払う場合、あなたは何の便益に対する対価であるかをその者に教示しなければならない。対価を支払わない場合、あなたはどのような便益が提供できなかったから対価が支払われないのかそのものに教示しなければならない。このような営みを繰り返すことで、その者もまた自発的にあなたや「市場」に便益を与えるようになるであろう

 


マーケティング宗教論

2005年08月26日 | ビジネス・マーケティング

これだけ科学技術の知識が普遍化した現代において、未だにカリスマ的な教祖や超常現象が起こると信じさせる旧来の宗教は受け入れ難くなっている。これは昔からある宗教もそうだし、新興宗教などは滑稽なレベルですらある。(雨乞いの儀式をやっても雨が降るわけではなく、つぼを置かないと不幸が付きまとうわけでもない。これらに科学的な根拠はまったく無く、かなり高い確率でこれらの宗教儀式は期待を裏切るだろう)

宗教によって不当にカネを巻き上げたり、暴力行為に及んだりすることは、もってのほかである。しかしそのようなことも旧来の宗教ではまかり通っていた。

21世紀の現在、最も我々の生活に密着し、実感しやすい宗教は、実は「マーケティング」ではないかと考える。マーケティングという言葉の受けるイメージと宗教のイメージとは一見かけ離れているようだが、それをマーケティングを「金儲けの道具」と考えるからであって、「人に便益を与え、自分に対価が与えられることにより、市場に参加するみんなが幸せになれる思想」と考えれば、なるほど宗教的な性格を帯びてくる。

市場社会は今大変な競争下におかれている。その中で様々な問題が噴出している(リストラ、サービス残業、会社ぐるみの不正行為・・・)それらは人を不幸にするものばかりである。こんな中で、何がマーケティングが宗教だ、という意見もあるだろう。しかしそのような問題マーケティングの本質をわかっていないことによる不幸なのだ。本質を理解してみんなが活動するようになれば、きっと幸せになれる。

市場社会に生きる端くれとして、マーケティング宗教の信者として生きてみるのも悪いことではないかなと思う。といってもいまいちピントこないと思うので、とりあえずは、聖書・経典に類するものを作らないといけない。従来のマーケティング書が経典でも良いでは無いか、との意見もあるだろうが、私が作りたいのは「マーケティング技術指南書」ではなく、「心の拠りどころ」となり得るものである。これに従って日々の生活を送ってゆけば、幸せな日々が待っている。今後気がついたらリファインをかけ続けるつもりである。


「マーケティング宗教 経典(draft1)」

人に便益を与えれば、自分も幸せになれる。

 × × ×

人に便益を与えることの対価は、自分にもたらされる。それが幸せである。

 × × ×

人に便益を与えるには、人のことを分析しなければならない。人が何を便益と思っているかを考えなければならない。

 × × ×

人に便益を与えるには、独りよがりではいけない。自分だけが良くても、相手が欲しくないものを与えてもいけない。

 × × ×

人に便益を与えるときに、自分の対価を犠牲にしてはならない。想像力を発揮して、自分の対価を確保しつつ人に便益を与えなければならない。

 × × ×

人に便益を与えるには、用意周到に計画しなければならない。一人ではなく組織が必要であり、それを纏め上げるマネージメントが必要である。

 × × ×

自分の対価を求めるあまり、組織の対価がおろそかになってはならない。
組織の対価を求めるあまり、自分の対価がおろそかになってはならない。

 × × ×

短期的な便益を与えてはいけない。短期的に対価がもたらされるが長続きしない。

 × × ×

教祖、神、預言者の類はいない。しいて言えばすべて「市場」である。

 × × ×

布施は自己投資のみである。経典を作る人間、布教する人間に一切の布施は不要である。