noribo2000のブログ

特定のテーマにこだわらず、意見やアイデアを表明するブログです

自民党憲法改正案 自衛軍の明記について -徴兵制が復活するのか?-

2005年10月30日 | 政治・社会

自民が新憲法草案決定、自衛軍保持を明記

草案の原文はこちら

前回のブログでは、今後はもっと軽い内容も織り交ぜながら・・・ということを書いていたのですが、そんなことは言っていられないニュースが飛び込んできました。なので、モードをいつもどおりに戻します。

自民党は立党50年プロジェクトと銘打って新憲法案を策定を進めており、それが昨日発表されました。内容的には天皇制や国会の二院制などは維持、環境権などの新しい権利に配慮したものになっていますが、何よりも大きな変更点は第九条の「戦争放棄」条項が「安全保障」条項に変わり、自衛隊を自衛軍として憲法に明記したところでしょう。これによって現行憲法の解釈を捻じ曲げて存在してきた自衛隊が、憲法上も正式なものとして認められるようになります。まあ、自衛隊は昔から存在しているのだし、最近ではイラク派遣に代表されるような国際貢献の実績もあるので、それが憲法で認められた存在になるということは当然の流れかなと思っています。

と、さらりと流しておこうと思っていたのですが、気になる点があります。それは自衛「軍」と明記している点です。世界に例を見ない自衛「隊」でなく、世界中に存在する自衛のための「軍隊」と明記しています。ということは、可能性としては徴兵制もあり得るということでしょうか?

これまでの自衛隊は、憲法上の「軍隊」ではないため、当然ながら憲法上は徴兵などはありえないはずであり、事実現在に至るまで志願兵(正確には志願隊員とでも言うのでしょうか?)のみで構成されています。しかし、改正案では自衛のための「軍隊」と明記され、「軍隊」であるならば日本の戦前の経緯や世界的な基準に照らし合わせても徴兵制の導入は当然あり得ると考えるのが普通だろうと思います。

もちろん現代の先進国で徴兵制をとっている国はそれほど多くないようです。軍事技術がすさまじく発展してしまったので徴兵制によって集められた素人はさほどの戦力にならず、徴兵制はもはや意味を成さないという意見もあります。しかしそれは今必要ないから徴兵をしていないだけで、必要があれば軍隊を持つすべての国で必要に応じて徴兵制が復活する可能性があるのです。(参考: Wikipedia 徴兵制度

徴兵制については、賛成論者も反対論者も感情的な議論が多くなる傾向になると思います。賛成論者の意見は「国の危機に国民が国を守るのはあたりまえだ。だから徴兵も必要だ。」、反対論者の意見は「戦争で人を殺したり自分が死んだりするのはいやだ。だから徴兵制は反対だ。」といったものが代表的なものだと思います。

私は、個人的には徴兵制は反対です。理由の一つは前述の感情的な意見とほとんど同じなので議論をするようなものでもないのですが、もう一つの理由として、特に私たち日本人は「状況が破綻した時、人海戦術に活路を見出そうとする」傾向が強いように思える点を指摘しておきたいと思います。

いきなり話が飛んで申し訳ないのですが、私は仕事柄ソフトウェアの開発に携わることが多く、時にプロジェクトマネージメントが不十分で破綻した状況を見聞きすることがあります。ソフト開発の世界ではそのような状況を「デスマーチ(死の行進)」と表現することがあります。このような状況に陥った時、本来であればデスマーチに至った根本原因を追究し一から体制を立て直すというプロセスが必要なのですが、一見遠回りに見えることや原因を引き起こした人の責任が追及されることなどから、安易に人を追加して状況を打開しようとする傾向があります。しかし、本当は計画の不備、進捗確認の不備、品質確認の不備、リスクマネージメントの不備などすべてマネジメントの不備が原因であることがほとんどであり、従って人を追加しただけでは解消しない場合がほとんどです

安全保障もソフト開発に似たところがあるのかなと思います。安全保障も有事になる前の情報収集、関係国との協力体制強化、兵士の訓練計画・達成度確認、想定される攻撃に対する対応計画、攻撃を受けたときの作戦の計画とその進捗の確認など、十分なマネジメント体制がない状況で成果を挙げることはできません。志願兵で構成されれば、有限のリソースの中で成果を上げなければなりませんから、指揮官にはこれらのマネージメントを十分実施することが求められます。しかし強制的な徴兵制の下で大量のリソースが供給される状況を作ってしまうとこうしたマネージメントがおざなりになり、太平洋戦争末期のような人を弾のように使う作戦などが横行してしまい、結局成果を上げられず大量の戦死者を出すだけになってしまう可能性があります。


従って、私は自衛軍は認めても徴兵制は反対です。改正憲法案に「自衛軍」と書くのであれば「志願者によって構成される」と記載すべきと考えます。


では、徴兵は認めないなどの歯止めは憲法改正案に記載されているのでしょうか。新第九条全文を抜き出して、確認してみましょう。

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

第九条の二 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮権者とする自衛軍を保持する。

 自衛軍は、前項の規定による任務を遂行するための活動を行うにつき、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。

 自衛軍は、第一項の規定による任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、または国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。

 前二項に定めるもののほか、自衛軍の組織及び統制に関する事項は、法律で定める。

最後の「第九条の二 4項」で自衛軍の組織に関する事項は法律で定めるとあります。つまり、憲法の改正を経なくても徴兵制を認める法案を通してしまえば徴兵制に移行することができてしまいます。せめて4項に「なお、自衛軍は志願者によって構成されるものとし、強制的な徴兵はこれを行わない。」と記載して欲しいと思います。

憲法で歯止めをかけておき、もし世論が「徴兵」を望むのであれば国民投票で憲法を改正すればよいと思います。実際のところは国民の大多数が徴兵を望むような状況になるのであれば、憲法改正を実施しなくても志願兵が増えるような気がしますし、そのような志願兵を教育した方が統率のあるマネージメントしやすい組織となり、安全保障の実現という目的を達成しやすくなるのではないかと考えます。


この憲法草案作成にあたった中曽根元首相や宮沢元首相は、「今すぐの改正ではなく、少なくとも5年~10年くらいは必要であろう」と述べていることから、まだまだ考える時間は十分あります。そのうち民主党なども対案を出すでしょう。国民みんなで議論を深めてゆきましょう。

余談ですが、インターネットそしてブログの登場によってこのような重要な課題について、本当の意味で国民の間で議論を深めてゆくことができるようになったことに感謝しています。


人間の発想って面白い

2005年10月28日 | 科学技術・システム・知財など

今日は人間の発想って面白いなと思った2つの記事を紹介します。

関空トイレ、美化的中 男心射抜いたダーツの「的」

男性用の小便器にダーツの的を書いておくと、そこを『狙い撃ち』するのでトイレの周りを汚さずに済むのだそうです。普段何も無いはずの便器に気になるものがあるので「落としてやろう」と思うのでしょうか。最初にこういうことを考える人はすごいですね。人間(男性)がそのような行動をとるメカニズムが解明されていないそうです。科学的な証明を行う場合は恐らく心理学的なアプローチが必要と思われます。

個人的には、この的が決して落とせないものであることを悟った瞬間に的に当てるのをやめてしまうかもしれないのではないかという点を心配しています。もしそうなった場合の対策として、例えば的に当てると便器の中に映像が表示されると引き続き的に当て続けてくれるかもしれません。あるいは、的が動いても、モグラ叩きみたいで面白いと思います。


第1回『宇宙エレベーター・コンテスト』開催

スペースシャトルなどの宇宙船を使うことなく、無線電力伝送技術と新世代の素材として注目を集めているカーボンナノチューブを使って物資や人間を宇宙に運ぶ宇宙エレベーターを作ろうとして、大真面目に取り組んでいる人たちがいます。まだまだ夢のような話ですが、20~30年後には実用化するだろう、ということだそうです。エレベータができるかどうかはともかくとして、無線電力転送技術やカーボンナノチューブの加工技術の発展などは様々な利便性をもたらすのでしょうね。


ちょっとした気づきから大きな効果を得る「的」の話と、夢のような技術を組み合わせた「宇宙エレベータ」の話は両極端の話ですが、どちらも発想としてとても面白いですね。私もこういう発想をブログで表明できたらいいなと思っています。今後はこれまでのような堅いブログばっかりではなく、もっと柔軟な発想を記事にしたものも発表するつもりです。読者の皆様には noribo2000の空想話にお付き合いいただくことになってしまうかもしれませんが :P


野党は法律案を作るべきか? ~二大政党制であれば作らなくても良いかもしれないが、ブログ党には必要~

2005年10月25日 | 政治・社会

10月23日の読売新聞の「政治を読む」というコラムに、民主党が対案と称し法律案を躍起になって作成していることについて批判的な記事が掲載されていました。法律案そのものは政治家の力だけでは作成できず、必ず官僚機構の力を使わなければならない。それを無理やり自分たちだけで作ろうとしても法案作成そのものに大変な労力を使うこと、官僚機構から法案検討に必要な情報の提供が十分なされないために、提出する法案の完成度が低くなってしまうことが指摘されています。野党はもっと大所高所的に自分たちが政権をとるとしたらこういう風にする、といった大枠の対案を出すべきではないか、という意見でした。

もちろんそういう見方もあるでしょう。対案として法案を作るだけでは国民に伝わりにくい面はあるかと思います。対案はまず基本的な部分を判りやすく国民に示し、それを基に法律化するという順序で進める必要があると考えます。そのプロセスを民主党が省いているように見えることから、上記のコラムのような意見が出てきたのかも知れません。

政党政治であれば、このコラムの書いてあることはだいたい理解できます。しかし、私の提唱するブログ党等のように、政党政治から脱却し、国民の多様性に呼応して議員個人個人が政策を立案するようになった場合には、国会議員はある程度の立法スキルを身につける必要があり、そのための必要な情報を行政から取得する方法を簡易にする制度が必要であると感じています。

■国会議員は立法スキルを身に付けるべき

国会はわが国唯一の立法府であることは憲法にも明記されています。しかし、現状は議員立法の数よりも圧倒的に内閣立法(政府提出の法案)の数が多く、国会はそれを追認しているケースが多く見られます。実際は、国会に提出される前に自民党の政務調査会において審議されており、与党自民党は国会の場では形だけ審議に参加するだけで法案が成立してしまいます。このあたりの事情は過去のブログで指摘したとおりです。

二大政党制における野党に限らず、私の提唱するブログ党等のように議員個人個人が党の拘束によらず政策を立案するスタイルになった場合、官僚や党のサポートが受けられない可能性が高いため、議員個人個人が法案作成スキルを有していることが必須になってくると思います。

もちろん国会議員全員が法律の専門家で構成されるはずはありませんし、もしそうだとすると却って民意の反映が難しくなってしまうかもしれません。そこで、現在の衆議院・参議院にはそれぞれ「法制局」という議員立法をサポートする機関が存在しています。しかし、衆議院の法制局に80名、参議院の法制局に75名のスタッフがいるだけであり、官僚組織とは比べ物にならないほど小規模な組織となっています。法制局の拡充も必要と思いますが、法制局の負担を減らすために議員個人個人がある程度法律の形にして最終チェックを法務局に依頼する、というスタイルで臨むことが必要ではないかと思います。


■役所の情報公開の推進と国政調査権発動条件の緩和

法案策定については、少なからず行政が持つ数多くの情報を集めることが必要になります。実効性の乏しい、あるいは社会に害悪を与える可能性がある法律を制定しないようにするためには、データに基づく分析を行ったうえで法律化する必要があります。しかしながら、議員立法(特に野党議員の立法)の場合、このような行政の持つ情報を十分活用することができません。それは官僚機構が情報公開を様々な理由を付けて拒むからです。

そんな時のために「国政調査権」というものが国会には与えられています。しかし、国政調査権は議員個人に与えられている権利ではなく衆参両議院、委員会に与えられている権利です。従って、議席の過半数を占める与党が必要と認めない限り国政調査権を発動することはできません。

このような野党がなかなか立法や対案作りに必要な情報が得られない状況を解決するためには、役所の情報公開の推進と国政調査権発動条件の緩和が必要と考えます。

例えばブログ党などのように議員個人個人が法律作りを進めるようなスタイルになった場合、国政調査権を議員個人個人に付与しない限り法律案の作成が著しく困難になってしまいますが、これを実現すると各議員からの調査要求が多発するため、官僚側の事務処理は爆発的に増えてしまいます。このような事態を発生させないために、役所の扱う情報は原則公開(プライバシー関連を除く)とし、それをすべて電子化し検索可能な状態にしておく必要があると考えます。これにより、官僚の手を煩わせることなく議員は立法に必要な情報を存分に利用することができます。

また、どうしても基本的には秘密にしておかなければならない情報というものもあるでしょう。そのようなものの開示は国政調査権の発動によってのみ実施される、とした方が良いかもしれません。その場合も現在の過半数ではなく、1/3, 1/10 の賛成で開示を求めることができるなどとした国政調査権発動の条件の緩和が必要と考えます。(参考 http://www.tokyo-np.co.jp/nihonkoku-k/txt/20050513.html

 

以上述べたように議員個人個人が独立して政策を考えるようになると、立法府に属する議員は立法スキルを身に付ける、行政に属する官僚は国民とりわけ国会議員に必要な情報をすべて開示する、という原点に戻るような気がします。こんなところからもブログ党による党議拘束のない政治手法がよりよい政治のあり方につながってゆくような気がします。


西正氏のブログが開店休業状態に

2005年10月23日 | 政治・社会

放送通信融合に詳しいコンサルタントの西 正氏が ITmedia +D で公開していたブログ「西正が贈るメディア情報」が先日開店休業状態になってしまいました。楽天とTBSについて調べているときにちょっと見た程度ですが、いきなり休業と書いてあったのでびっくりしました。NHKのあり方についてのブログエントリに対するコメント欄の対応を通し、自らのネットスキルの不足があったことを反省しての行動だそうです。

現在も ITmedia に残されている西さんのブログを見ると、あるエントリーにはコメントが80件もついており、しかも数行程度の書き込みは少なく熱のこもったコメントが連なっています。中にはコメントに対し西さんが時に感情的なまでに反論しているものもありました。その反論がまたコメント主の反論を招いてしまっています。ここまでコメント欄が爆発する前から、長めのコメントを書いている人が多くそれに対し西さんも真摯に回答していました。しかしコメント主の要望や矛盾点の指摘に対し100%の対応をしようとしてしまったのが、西さんの疲弊やそれに伴う過激な書き込みを誘発してしまったのだと思います。邪推かもしれませんが、西さんの中で「何で判ってくれないんだ」「今度こそ納得させてやる」という気持ちがどんどん高まっていったのではないかと思われます。

西さんはしばらくネットからは離れ、また時機を見てネットでの活動も再開するようです。その時に今回のようにならないようにするためには、何を心がけなければならないのでしょうか。西さんのような実績のある方と私自身とを重ならせるのもおこがましいのですが、自戒の念もこめて考えてみようと思っていました。

そんな折、昨日(10/22)東京MXテレビの「談志・陳平の言いたい放題」という番組を見ていたら、評論家の西部 邁氏が面白いことを言っていました。ちょっとヒントになりそうです。

「何かopinionを言えというから、まず辞書で意味を調べてみた。そしたら面白いことにもともと『ふざけて意見を述べる』という意味からきているんだよ。考えてみればそうだよね。そもそも意見を言うなんていうのは何様でもあるまいし、『私はこんなこと考えちゃったんだけどどうでしょうか』ぐらいの気持ちで言うものじゃないのかな。それを今では大したことないやつがテレビでも何でも偉そうに意見を言っている。けしからんよね」

だいたいこんな趣旨のことを言っていました。私のブログなんてまさにそうだなーと思いました。

西さんは私のようなただのブロガーやコメンテーターとは違い十分な経歴と豊富な知識をお持ちの方なので「大したことないやつ」とは程遠い方であることは間違いありません。しかし、『意見を述べる』ということの本質は『聞いていただく』というスタンスに立つということにであり、それは経歴・知識の有無とは関係ないのではないか、と思いました。決して読み手を説き伏せるのではなく、「私はこう思うが皆さんはどう考えるか?」というスタンス、それと自分の意見が完璧ではなくても良いから読み手に何らかの考えるきっかけになれば良いというスタンス、などがブログを続ける上で必要なのではないかなと思いました。


楽天のTBS経営統合 ~誰が得をするか?~

2005年10月19日 | ビジネス・マーケティング

ここ一週間ほど、楽天によるTBS株大量取得、及びそれを背景とした経営統合の話などが盛り上がっています。この話題について世間でも賛否両論ありますね。当ブログでは、この経営統合がTBSや広告主、視聴者に便益を与えるものかどうか、という点について論じてみたいと思います。

この経営統合によって、楽天が何をしようとしているのでしょうか。それは、TBS経営統合を申し入れた文書にまとまっています。 http://www.rakuten.co.jp/info/release/2005/1013_2.html

<2> 統合により創出される価値

  東京放送の競争力の源泉は強力なコンテンツ制作力及びその蓄積と日本全国の視聴者様、リスナー様へのリーチ力であると考えます。他方、当社の競争力の源泉としてはインターネットに関する経験とノウハウ、データベースマーケティングのノウハウや情報と3,000万人のグループ会員基盤等が考えられます。これら両社の強みと、両社で蓄積された技術、広告主様への営業力、代理店様との信頼関係が結合することにより、少なくとも次の価値が創出されると考えます。これらを含めた様々な相乗効果により、両社企業価値の安定的・持続的な向上が実現されることが想定されます。

(ア) 視聴者様及びリスナー様にとってより魅力あるコンテンツ提供の環境整備

(イ) データベースマーケティングの取り込みによる広告の高付加価値化

(ウ) ワン・コンテンツ・マルチユースの促進によるコンテンツ価値の最大化

(エ) 収益規模・資金調達能力の向上と再投資による持続的成長

※上記(ア)から(エ)の詳細については、提案書にて東京放送にご提示申し上げました。

 

これら、(ア)から(エ)について、本当に我々に便益が提供されるのか、そして本当に楽天がそれを実現できるのか考察してみましょう。

(ア) 視聴者様及びリスナー様にとってより魅力あるコンテンツ提供の環境整備

これは具体的に何のことを言っているのかこの記述だけだと判りかねるのですが、推測するにインターネット上でTBSの番組をリアルタイムあるいはオンデマンドで配信したり、番組で放送できなかった部分をネットで配信する、などということだと思います。 そうした様々なチャネルでTBSの番組(未放送部分も含め)を流すという発想自体は特に目新しくはありませんが、便利かどうかといわれればそれなりに便利なような気もします。例えば、海外に出かけているときにネット経由でTBSの番組が視聴できるのはちょっと魅力的かもしれません。

 では、楽天が本当にそのようなことが実現できるのでしょうか。インフラはオンデマンドの配信を行う子会社のショウタイム社が持っているので提供可能と思われます。 しかしビジネスとして成立するかどうかは明確ではありません。 実は過去にTBSも「トレソーラ」でコンテンツの再配信ビジネスの構築に取り組んだことがありますが、権利処理コストがかかりすぎてビジネスモデルが構築できずに苦戦を強いられました(参考 著作権の“盾”を破れ――テレビ番組ネット配信の課題)。ショウタイム社がこのような権利処理コストを低減できるノウハウを持っているとは思えません。 そうしたノウハウが特に無いのであればTBSにとっては楽天と経営統合するメリットはほとんど無いと考えます。むしろネット配信をしたいのであれば、ショウタイム社に限らず最も良い条件で番組買い取ってくれるオンデマンド系の会社に番組コンテンツを卸す方が、インフラ投資コスト・維持管理コストを低減できるため、より良い選択であろうと考えます。

(イ) データベースマーケティングの取り込みによる広告の高付加価値化

楽天の強みとして考えられるのは、インターネットショッピングモールで顧客がどのようなものを購入したか、というデータを持っていることだと考えます。このデータを基に、ユーザ個々の趣向にあった(パーソナライズされた)CMを流すようにすれば、広告主に対してもさらに魅力的な広告枠の提供になるかも知れません。 しかし、実際のCMは単に個人の趣向に沿って流せばよいだけではなく、番組の内容や流す時間帯などを十分吟味して流すべきCMを選定しています(昼間に酒の宣伝は流さない、とか)。そのような個人の趣味趣向と番組、時間帯とのマッチングを取った上で流すべきCMを自動的に選択する、という技術はまだ研究段階の域を出ません。さらに、このような『ワン・トゥ・ワン』の広告配信が不特定多数に送りつける現時点のCM以上の効果が得られるかどうかは未知数です。 現時点においては、パーソナライズされたCM配信は、技術面、ビジネス面双方で発展途上にあり、経営を統合して実施するほど実現性の高いものではないといえます。この分野は更なる研究が必要でしょう。当然現時点でこれらの課題を解消するノウハウを楽天が有しているとは考えられません。

(ウ) ワン・コンテンツ・マルチユースの促進によるコンテンツ価値の最大化

これはソリューション及び課題は(ア)と同じと考えますので割愛します。

(エ) 収益規模・資金調達能力の向上と再投資による持続的成長

楽天と経営を統合しないとTBSがつぶれるのでしょうか? 特にTBSの経営が困難になった、という話も無く、過去3年間で見ても当期利益は50-100億円近辺を推移している状態です。平たく言えば楽天と提携しなくてもTBSは当面持続的な成長は可能ということになります。ちなみに楽天の経営状態ですが、昔ライブドアの堀江社長が言っていたように3年連続で赤字になっております。今年は何とか連結ベースでも黒字になりそうですが、まだ経営そのものも発展途上感が否めません。持続的成長が当面の課題なのはTBSではなく楽天の方であるといえます。

 

以上考察してきたとおり、今のところ楽天との経営統合はTBSにとってそれほどの魅力が無いことがわかります。

では、私たち視聴者や広告主にとってはどうでしょうか。放送の再配信ができるならばある程度魅力的ですがHDDレコーダなどでも代用ができるため、ネット越しで見なければならないような環境(HDDレコーダの出回る前の番組の視聴、海外にいるときの視聴、など)でない限りはそれほど魅力的ではないでしょう。また、広告のパーソナライズ化については、これが本当に視聴者のニーズに合致しているかどうかが不明です。人にもよると思いますが、一般的な視聴者はいろんな種類のCMを見る機会を欲しているような気がします。より詳しい情報が欲しければインターネットで入手できる時代なので、これも代替手段が無いわけではありません。TBSの経営が安定することはTBSの番組が好きな人にとっては重要とは思いますが、TBSが無くなれば他のチャンネルを見るだけでしょうから、こちらも代替手段があります。つまり、視聴者や広告主にとってもTBSと楽天の経営統合はそれほど魅力的ではありません

一方、TBSを傘下に入れれば楽天グループの収益構造が安定し、楽天の株主にとっては大変魅力的なプランだと考えます。なお、楽天の筆頭株主は19.34%を所有する三木谷社長その人です:)


パリーグプレーオフについて ~制度は見直し必要 でも面白いから継続~

2005年10月18日 | スポーツ・プロ野球など

ご存知のとおり千葉ロッテマリーンズがシーズン1位の福岡ソフトバンクホークスを破り、31年ぶりにリーグ優勝を果たしました。昨年の西武といい今年のロッテといいシーズン2位のチームが、2位・3位のプレーオフあたりで勢いをつけ、そのまま1位のチームを破ってしまう傾向が続いています。2年連続シーズン1位なのにリーグ優勝できなかったホークスの選手やファンはさぞかし悔しい思いをしていることでしょう。

このプレーオフについては、昨年の導入のときから賛否両論あり、特にシーズンの戦いは単にプレーオフの出場権と開催球場を決めるだけの戦いになってしまうこと、シーズン1位でないチームの方が勢いがつき逆にアドバンテージを得てしまうことなどが問題視されています。また今年3位の西武のように勝率5割を切っているチームですらリーグ優勝してしまう可能性があるのはさすがに問題あり、とする意見が多いように思います。一方昨年も今年も非常に密度の濃い試合内容であり、興行的には非常に盛り上ったという点では評価されても良いでしょう。

私は、このプレーオフというのは、若干の手直しが必要だとは思いますが、今後も継続すべきだと思います。また、セリーグにも導入したら面白いのではないかと思います。その理由は、日本一を決める日本シリーズの仕組みにあります。

リーグ優勝は130~140試合の勝率や勝利数で決定します。しかし、日本シリーズでは7戦中4戦先勝で決まります。つまり、リーグ優勝は捨て試合なども含めた長いシーズンを見たときの総合力に勝るチームが優勝するのですが、日本一は短期決戦に勝るチームが優勝するのです。中には短期決戦の波に乗り切れず、シーズンの強さが全く出ないまま敗退するチームもあります。今までは「それも日本シリーズさ」という感じで考えていたのですが、長期的なシーズンでも十分強く、短期決戦にも強いチーム同士で日本シリーズを戦った方がより密度の濃い試合になり、アウト一つでどちらにでも転ぶような手に汗握る試合になると思います。そういう短期決戦にも強いチームをリーグ代表として選抜する仕組みとしてプレーオフは最適だと考えます。

もちろん今のパリーグのやり方だとあまりに1位のチームのアドバンテージが無さ過ぎるので、例えば上位のチームは下位チームと同率でない限り1勝を与え、以降5ゲーム差ごとに1勝を追加し、そこからプレーオフ開始とすればアドバンテージはある程度確保できると思います。

このルールに従うと、例えば2位のロッテと3位の西武は18.5ゲーム差なので、ロッテに1+3=4勝が付与され、第一ステージは2戦先勝ですから試合をするまでも無くロッテが勝ち上がります。次に1位のソフトバンクと2位のロッテのゲーム差は4.5ゲームなのでソフトバンクに1勝が付与され、今年のケースだと第4戦でソフトバンクが勝った時点でソフトバンクが3勝(1勝のアドバンテージ+3戦目4戦目勝利)ロッテの2勝(1戦目2戦目勝利)でソフトバンクの優勝となります。この場合、3戦目の9回裏まで来て同点に追いつかれサヨナラの原因を作った小林雅選手は泣くになけないでしょうね。でもそれは下位チームの宿命でしょうし、もしあそこでヒョイヒョイとロッテに勝たせてしまったら、ソフトバンクはいくらシーズン1位でも短期決戦には脆いので、日本シリーズに出場したとしてもあまり良い戦いはできなかったかもしれません。その意味ではぎりぎりのところでソフトバンクも頑張ったので、シーズン1位のアドバンテージはもう少し考慮されても良かったかなと思います。

いずれにしても、始まる前はプレーオフについていろいろ批判していても、試合が始まってしまうと普段の戦いよりも面白いことは確かなので、手直しして継続がいいなと思っています。


ついに国際的な運動へ ~私的録音録画制度反対~

2005年10月14日 | 科学技術・システム・知財など

日米欧の家電業界、『iPod』などへの課金反対で共闘 (HOTWIRED) - goo ニュース

ついに国際的に私的録音録画保障金に対する反対運動が始まりました。
まだJEITA(電子情報技術産業協会)のホームページでは声明が出ていないのですが、全米家電協会(CEA)のホームページで声明が出ています。

声明では
負担金がどう計算されているのかそのプロセスを明確にせよ
とか
負担金を集める団体はオープンで透過的にせよ。そして、カネの流れを明確にせよ
などと言っています。

面白いなと思ったのは、CEAの会長が「負担金は著作権者の権利を守るソリューションではない」と言っているところです。「見境が無く透過的ではない負担金が設定され続けた場合、デジタル機器は負担金をユーザに転嫁する。そしてメーカはDRMを開発するインセンティブを失う。」のがその理由だそうです。確かにに本当に著作権者の権利を守りたいならば、メーカに私的録音録画補償金を払わせるのではなく、DRM の開発に注力させるべきでしょうね。そのような活動をしないで不透明な組織で補償金を集め続けている、というのは何か裏があると思われても仕方ないと思います。

国際的な世論がこの声明によって変わるのであれば、日本の著作権の議論でも私的録音録画補償金が無くなる方向に行くかもしれません。そうなることを期待しながら、今後も私的録音録画補償金については注目してみましょう。


プロ野球の球団経営と一般の企業経営の相違点の一考察

2005年10月11日 | スポーツ・プロ野球など

いつもストーブリーグと呼ばれるこの時期になると思うのですが、プロ野球の球団の経営陣は、球団の経営と一般の企業の経営とを同一視しており、プロ野球の球団経営の特徴を考慮していないように見えます。このことが原因で一般の企業経営としては適切であっても、球団経営としては不適切な経営判断がなされ、球団の経営を却って危うくするケースが散見されます。本ブログでは、球団経営と一般の企業の経営との間に存在する大きな乖離2つとそれぞれの実例を示し、問題点を指摘します。

■12球団すべてが1つの球団のビジネスに寄与している

通常の企業経営において、同一の競争フィールドにいる企業同士でもパートナーとなりうる企業とは連携をとるが、敵対関係にある会社と連携をとることはないでしょう。しかしプロ野球の場合は、少なくとも目先の対戦相手がいなければ試合が成立しませんし、優勝争いという背景もプロ野球にファンを引き付けるのにに大きく寄与していますので、結局は12球団がすべての試合を成立させるのに寄与しています。 つまり、どの球団であれ対戦相手や他の全球団との係わり合いの中で収益がもたらされる構造になっているのです。

しかし、このことを理解しておらず、自身のチームのみが強ければ経営が成功すると考える経営陣が球界には多いような気がします。 例えばFA制度で次から次へと他球団のエース・四番打者を獲得した巨人です。

巨人の経営陣は、このような補強を「企業努力」と言っています。確かに優秀な選手を獲得することで自身は強くなることが期待されますが、他の球団が弱体化し対戦そのものに魅力が感じられなくなるので、結果的に自身の価値も落としてしまいます。

 結局他球団の事を考慮せずに自球団のためだけに選手獲得などをし続けると、他球団は弱体化しますがそれに伴い自球団も弱体化してしまいます。このようなことを続けてゆくと、最終的にはプロ野球全体としての魅了が減じられることになる可能性があります。

(なお、実際の巨人について言えば、現場を無視した過去の名声などによる補強策に終始したため、補強そのものが失敗しました。従って上記で書いたようなステップにすら至らずに自滅してしまった、というのが正しい見方だと思いますが。)

■球団間の連携はプロ野球の価値を著しく落としてしまう(真剣勝負でなければ意味がない)

通常の企業経営において、同一の競争フィールドにいる企業同士でもパートナーとなりうる企業とは連携をとる、というのは上記に示したとおりです。よって通常の企業経営において、方向性が類似した会社同士が連携して新たな目標に突き進む、というやり方は決して珍しくありません。

一方プロ野球はこのような連携は許されません。あらゆる対戦相手に対して真剣勝負で臨まなければ意味がありません。 試合が「演出」されたものではなく真剣勝負の結果であるということがプロ野球における暗黙の大前提として存在するため、プロ野球ファンは応援するチームが勝利することを無上の喜びとして感じ、敗戦することで非常に落胆します。このように試合結果に一喜一憂することが、何十年も継続してプロ野球を見続ける秘訣になっています。よく野球は筋書きのないドラマと言いますが、もし筋書き作る人間がいたとしたらどうでしょうか。20年、30年も特定のチームを優勝させないとか、5年連続で特定のチームを優勝させる、などというドラマが書けるとは到底思えません。しかし現実はこのようなことが起こるので、プロ野球を応援し続けることはその場限りの快楽に終わることなく、ファンの人生の一部になってくるのです。

しかしながら、今真剣勝負を阻害する可能性がある話題が世間を賑わせています。それは、例の村上ファンドが阪神の株式上場を提案した話題です。

もし株式上場によって複数球団の株を所有する株主が存在してしまうと、そのような球団同士の対戦で八百長試合が発生する可能性があります。例えば、優勝がかかっているチームAと優勝とは関係ないチームBとが対戦する場合、チームA,B両方の株主はチームAに勝ち星を重ねるべくチームBにわざと負けさせる、と言う操作も可能になってしまいます。このような可能性があると、ファンは試合結果に一喜一憂することが空しくなり、ファン離れが加速する可能性があります。

 

以上述べてきた球団の経営と通常の企業経営との違いを十分把握した上で、球団経営に当たってもらいたいものです。(まずは明日の村上×阪神に注目しましょう。)


マスマーケティングの成功事例 ~ドコモの夏川氏の話~

2005年10月10日 | ビジネス・マーケティング

「ドコモは本当にマーケティングが下手」

昨日のブログとは打って変わって、こちらはマスマーケティングの成功事例です。この記事も面白かったので紹介します。性能は良いが販売不振だったFOMAの新製品を開発するに当たり、ドコモの夏野さんという執行役員の方が技術陣に対し「ドラクエが動くこと」とだけ要求したことが紹介されています。開発当初からどういう風に宣伝するかを考えて製品開発に対する要求条件を突きつけるこのやり方は、単なる思いつきならば困ったものですが、市場を見極め、顧客のニーズを見極めた上であるならば非常にリーズナブルな方法であり、マスマーケティングの基本とも言えるでしょう。

これは、研究者や「オタク」にしか理解できない技術をスタート地点として徐々に適用領域を増やしてゆくオタクマーケティングとは対極にあるアプローチです。オタクマーケティングだけだと大きな利益が出るまでに時間がかかりすぎるので、体力が持つかどうかわかりません。一方マスマーケティングだけだと大きな利益を生むが破壊的な技術が登場したときに対応できません。両方のアプローチを使い分けることで、企業は継続的に便益を提供することができるようになると考えます。


オタクマーケティング ~ついに企業の研究所の本領発揮か?~

2005年10月09日 | ビジネス・マーケティング

オタクは遍在する――NRIが示す「5人のオタクたち」

オタクが形作る市場はもはやニッチではなく、非常に大きな市場を形成するのだ、というレポートが先週NRIから発表されました。オタクは日本全国で172万人いて、市場規模は4110億円と試算しています。私は「家庭持ち仮面オタク」というネーミングに笑いました。しかしNRIは何でこんなレポートを出したのだろう、ということが疑問となり、さらに過去にさかのぼって調べたところ、以下のようなレポートが昨年出ていました。先週のレポートは下記のレポートで示された「オタクマーケティング」の現状分析、という意味合いだったのだなと理解しました。

“オタクマーケティング”の時代到来?――NRIに聞く「オタク市場の力」

このレポートによれば、オタクには購買力がありかつ新製品を受け入れる能力が極めて高い、という点が指摘されています。そのようなオタクの声を汲み取りフィードバックしてゆくことで、オタクでない一般大衆に向けた販売戦略を考える、というマーケティング手法も実効性を帯びてきた、ということです。

顧客に『便益』を与えることで『対価』を得るのがマーケティングの基本理念だと思うのですが、実際は何が顧客に魅力的な『便益』であるのかを考えるのが非常に難しいものです。顧客が欲しいというものを作るのは簡単ですが、物質的に豊かになると顧客も満足してしまいなかなか欲しがらないのが普通でしょう。そんな中、人よりも極端にものを欲しがるオタクは、顧客にとっての『便益』とは何かを一緒に考えてくれるサポーターの役割を果たし得るといえると思います。

ただ、オタクの道はなかなか厳しく、「オタクは敏感。オタクでない人が、『オタクはこれでも買うだろう』と安易に作った商品は、反感を買う」「オタク市場に物を売りたければ、オタクになるか、オタクのフリをして決してボロを見せないことが必要」とこのレポートでは指摘しています。

このオタクマーケティング、オタク道に対応できそうなのは、実は企業の研究所ではないかと考えています。企業の研究所には良くも悪くもその道のオタクがゴロゴロいます。しかし彼らの欠点は、全く市場なんか無視しているか、あるいは逆に自分のこだわり技術のみで一気にマス市場を押さえられるという幻想を抱いているか、のどちらかであることが多いことです。

研究所がマス市場に対し事業貢献をするためには、通常の商品開発のプロセスと同様

・市場を見極め、顧客のニーズが何かを考える
・そのニーズを満たす技術を開発し、製品化する。
・当初見極めた市場に対し、製品を販売する。

という進め方をしなければなりません。決して研究者のこだわり技術1つだけで商品がマス市場に受け入れられることはないといっていいでしょう。

しかし、市場には認知すらされていないような新技術を使った先鋭的な商品を開発するには、上記のプロセスは効果的ではなく、企業の研究者によるオタクマーケティング的なアプローチが有効であると考えます。企業の研究者には、まず単なる技術の追求だけではなく、自分と同じ興味趣向をもつ「オタク」に対して製品を販売することを前提に研究するように意識改革をして欲しいものです。こうすることで潜在的なニーズをキャッチアップでき、将来のマス市場に向けた事業貢献に結びつくようになると考えます。


著作権パブコメ ドラフト(2)ミラーサーバやコンテンツのバックアップ装置について

2005年10月04日 | 科学技術・システム・知財など

昨日のブログでは、私的録音録画補償金制度についてのパブコメドラフトを示しました。今日はもう一つのパブコメのドラフトを提示します。お題は「ミラーサーバやコンテンツのバックアップ装置におけるコピーにおいても著作権は及ぶのか?」ということについてです。

こちらは私的録音録画補償金の議論と比べると、ずいぶんマイナーな話題ではありますが、皆様のご意見をお待ちしております。

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3. デジタル対応について
(1) 機器利用時・通信過程における一時的固定について

【コメントの目的】
文化審議会著作権分科会法制問題小委員会審議の経過の3.デジタル対応(1)機器利用時・通信過程における一時的固定についてにおいては、以下の記述がある。

・問題の所在
 デジタル化,ネットワーク化の進展に伴い,コンピュータの機器内部における蓄積,ネットワーク上の中継サーバなどにおける蓄積など,機器の使用・利用に伴う,瞬間的かつ過渡的なものを含め,プログラムの著作物及びその他の著作物に関する電子データを一時的に固定する利用形態が広く用いられている。そのため,コンピュータ等の機器の利用時や通信過程において行われる著作物の一時的な固定について,「複製」と解されるとした場合に,通常の機器の利用や円滑な通信に支障が生じないようにするために必要となる権利制限等の立法的措置について検討する必要がある。

 
・検討結果
 複製権を及ぼすべきではない範囲について,(a)著作権法上の「複製」の定義から除外する,(b)著作権法上の「複製」であるとした上で権利制限規定を設ける,(c)「黙示の許諾」,「権利の濫用」等の解釈による司法判断に委ねる,という3つの方向性が考えられる。
 このうち,(a)(b)の方向性を採る場合には,(要件1)著作物の使用又は利用に係る技術的過程において,(要件2)付随的又は不可避的に生じる,(要件3)合理的な時間の範囲内で行われる一時的固定(複製)といった限定的な要件を付した上で権利の対象から除外することが考えられる。
 しかし,これら3つの要件から外れる一時的固定(複製)であっても,権利を及ぼすべきではないケースもあると考えられることなどから,今後の技術動向を見極める必要があるため,現時点では緊急に立法的措置を行うべきとの結論には至らなかった。今後も慎重に検討を行い,平成19(2007)年を目途に結論を得るべきものとした。


本コメントは、「これら3つの要件から外れる一時的固定(複製)であっても、権利を及ぼすべきではないケース」(以下本ケース)についての対応策(案)を提示するものである。


【本ケースの代表的な利用形態】

本ケースの対象となりうる代表的な利用形態として下記の2つの利用形態を例示する。

例1)ミラーサーバ
ネットワーク上に配備されたサーバに対し、ネットワーク事業者がネットワーク負荷などを考慮し事前にコンテンツをアップロードしておくことで、特定のコンテンツへのアクセスを分散させることができる。
このコンテンツのミラーリングは付随的または不可避的ではない(ネットワーク事業者が計画的にコンテンツを蓄積させる)こと、および長時間にわたる蓄積の可能性があることから、上記要件2、要件3を満たせない可能性が高い。

例2)コンテンツのバックアップシステム
これは文字通りコンテンツのバックアップなので、著作物の使用または利用にかかる技術的過程ではない。またバックアップは付随的・不可避的ではなく、バックアップしようとする主体(ネットワーク事業者など)がバックアップを計画する。さらにバックアップなので、期限はきわめて長いのが普通である。従ってこれは要件1、要件2、要件3すべてに反する。


【本ケースに対する対応案】

上記のような著作物の円滑な運用をサポートする装置に対しては、権利を及ぼすべきではないと考える。しかし、「ミラーリング」「バックアップ」のみ可、などと技術を限定して権利が及ぶか及ばないかを規定するのは、新技術が現れるたびに法改正が必要があり、混乱を招く可能性が高くなる。

そこで、下記の対応策を提案する。

x x x

一時的固定における著作権者の権利制限については、下記のとおり規定する。

1) 一時的固定であって、要件1,2,3に該当するものは、著作権者の権利が制限される。

2) 一時的固定であって、要件1,2,3に該当しないものについては、以下の要件をいずれかを満たすことを条件に、著作権者の権利が制限される。

(a) 一時固定リソース(サーバなど)に対し、著作権者は自由にアクセスでき、必要があれば自身の一時固定コンテンツを削除できる。  

(b) 一時固定リソースの管理者に自身の一時固定コンテンツの削除を強制することを可能とする。

3) 上記以外の一時的固定は、通常の複製の場合と同様に扱う。(通常であれば権利が及ぶが私的複製に相当する場合などは権利が及ばない、等)


【対応策(案)の解説】

対応策(案)では一時的固定の場合の権利制限の有無を場合分けして記述している。

1) については、委員会での議論のとおりなので解説は割愛する。
2) については、基本的に一時固定リソースにコンテンツを置いたからといってそのことが直接著作権の侵害になるわけではない。しかしながら、一時固定リソースにコンテンツを置いたことが原因で何らかの著作権侵害が発生する可能性もある。そのような場合、著作権者が一時固定リソース上のコンテンツを任意タイミングで削除できるという状態にしておくことで著作権者の損失を最小限に食い止めることが可能となる。
3) については、一般的な著作権上の複製と同じ扱いになることを示しているため、解説は割愛する。


【まとめ】

上記のような対応策を導入することで、著作物の円滑な運用をサポートする装置に対し権利が及ぶことが無く、著作物の運用性が向上する。また著作権者に対しては、そのような装置に対し自身のコンテンツを任意タイミングで削除できる仕組みによって、著作権侵害の被害を最小限に食い止めることが可能となる。

このような利点があるので、一時的固定の権利制限について法制化する際は、本コメントで示した対応策(案)についても一案として考慮すべきと考える。

 


著作権パブコメ ドラフト(1)私的録音録画補償金制度について

2005年10月03日 | 科学技術・システム・知財など
9/8 に「文化審議会著作権分科会法制問題小委員会 審議の経過」 に対する意見(パブリックコメント)が求められてから、早いもので1ヶ月が経過し、今週末の 10/7 がパブコメの締めきりになっています。当ブログでも3回に渡りパブコメに向けた議論をしてきました。今回のブログではこれまでの議論をまとめたパブコメのドラフトを提示しますので、読者の皆様のご意見をいただければ幸いです。

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2.私的録音録画補償金の見直しについて
(5) その他(私的録音録画補償金制度の課題について)

要旨:

私的録音録画補償金制度(以下本制度という)はDATなどの出現によりデジタルで品質劣化することなく複製が可能になったため、私的複製による著作者の権利侵害を補償する目的で平成4年の著作権法改正で盛り込まれた制度である。

デジタルコピーができるようになれば、それまでCDなどのパッケージメディアを買ってくれた人が買わなくなってしまう恐れがあるため、このような補償金の必要性について概念的には理解できる。しかし実際の補償方法を議論するためには(1)損失額の定量評価、(2)損失補償方法の妥当性 について議論し国民に対し説明されてしかるべきであるが、そのような説明はこれまでなされたことがなく、「デジタルコピーがはびこると著作者の創作意欲がそがれ、良質なコンテンツが創造されなくなる。」云々の概念的な説明に終始しているのが現状である。

従って、本コメントでは、本制度の見直しを含めた議論をするにあたり、どの程度の損失が発生しうるか、その補償方法は妥当かどうかと言う点について、デジタルコピーツールの利用形態のうち代表的な下記に示す4つのケースについて考察した。その結果、いずれのケースについても私的録音録画補償金制度によって補償する方法が妥当であると思える利用形態は存在しなかった。よって、本制度は制度的に破綻しており、即座に廃止に向けた議論を開始すべきである。(なお、ここでは音楽に特化してケースを挙げているが、本質的には映像に関しても同様である。)

 ケース1: 購入したCDをコピーし家庭内で利用する
 ケース2: 購入したCDを別媒体にコピーして利用する
 ケース3: レンタルCDショップで借りたCDをコピーして利用する
 ケース4: エアチェック(放送の録音・録画)を行い家庭内で利用する


考察:

(1)ケース1 購入したCDをコピーし家庭内で利用する

【想定される状況】
家庭内で兄がCDを持っていて弟もそのCDを聞きたい、という状況を想定する。CDを複製する機材があれば、弟はいちいち兄の了解を得るのは面倒なので、兄のCDを複製して自分の好きな時間に利用すると思われる。

【デジタルコピー機材が存在しない場合の状況】
デジタルコピー機材がなければ、兄の了解を得るのは煩わしいが限られた小遣いの中で同じCDを購入しようとは考えず、カセットテープにダビングするか高品質で聞きたければ手間をいとわず兄の了解を得てCDを借りるだけである。機材がない場合でもよほど裕福でない限り弟は兄と同じCDを買おうと思わない。

【デジタルコピー機材が存在することによる権利者の損害はあるか?】
上記のとおりデジタルコピー機材が存在しないからといって、新たに同じCDを購入する可能性はほとんどない。従って、ケース1においては権利者の損失は発生しないと考えるのが妥当である。

【本制度は本ケースにおいて適切か?】
損失が発生しないのであるから、本制度は不適切である。


(2)ケース2 購入したCDを別媒体にコピーして利用する

【想定される状況】
(a)CDを購入しそれを外で聞きたい場合
CDからMDにコピーする機材があれば外で扱いやすいMDを持ち出す。

(b)パソコンで音楽を聴きたい場合,ハードディスク型のデジタルプレイヤーで音楽を聴きたい場合
MP3に変換できる機材があればファイルとして扱いやすいMP3で聞く。さらにハードディスク型のデジタルプレイヤーがあればMP3をプレイヤーにコピーする。

【デジタルコピー機材が存在しない場合の状況】
(a)CDを購入しそれを外で聞きたい場合
デジタルコピー機材が存在しないならば、CDポータブルプレーヤーを購入してCDごと外に持ち出す。(MDがまだ一般的ではなかった90年代初頭はそのような使い方をしていた。)

(b)パソコンで音楽を聴きたい場合
デジタルコピー機材が存在しないならば、ステレオやCDポータブルプレーヤーを使ってパソコンをやりながら聴く、CD-ROMドライブにCDを挿入して聴く、といった代替手段がある。

【デジタルコピー機材が存在することによる権利者の損害はあるか?】
上記で示したとおり、外でCDを聴く、パソコンをやりながら音楽を聴く、という行為についてはデジタルコピー機材が存在しない場合においても代替手段がある。従って、デジタルコピー機材があっても無くても、上記の目的のために新たにCDや持っているCDと同じ音楽の別メディア版を購入する可能性は低い。従って、ケース2においては権利者の損失は発生しないと考えるのが妥当である。

【本制度は本ケースにおいて適切か?】
損失が発生しないのであるから、本制度は不適切である。


(3)ケース3 レンタルCDショップで借りたCDをコピーして利用する

【想定される状況】
レンタルCDショップでレンタルしたCDをデジタルコピー機材でCD-ROM等にコピーしCDを返却する。

【デジタルコピー機材が存在しない場合の状況】
レンタルCDショップでレンタルしたCDをダビングなどの手段でカセットテープなどに録音しCDを返却する。

【デジタルコピー機材が存在することによる権利者の損害はあるか?】
デジタルコピー機材のあるなしに関わらずレンタルしたCDについて私的複製が行われる可能性は高く、その結果新たにそのCDを購入する可能性が低くなる。従って、CDレンタル業界が存在することで何らかの損害が発生することは間違えないと考えてよい。

【本制度は本ケースにおいて適切か?】
(a) CDレンタルによる既存の損失補填手段
CDのレンタルについては、1985年に著作権法が改正され、CDリリース後1年間のレンタルの許諾・禁止を決定できる「貸与権」とその後著作権が消滅するまでの49年間にレンタルすることによる報酬を取得できる「報酬請求権」とがレコード製作者に認められ、それと引き換えにレンタルCD事業が合法とされた。

『貸与権』については日本コンパクトディスク・ビデオレンタル商業組合(CDV-JAPAN)が管理しており、1レンタルあたりアルバムであれば50円、シングルなら15円をCDレンタル事業者から徴収し、権利者に支払われる仕組みになっている。

『報酬請求権』については日本レコード協会(RIAJ)が管理しており、1枚のCDアルバムあたり使用料として330円をCDレンタル事業者から徴収し、権利者に支払われる仕組みになっている。

(b) 損失補填額の妥当性
CDアルバム1枚の営業利益を売り上げの3%と仮定(大手レコード会社の実績値より類推)すると、3000円のレコード1枚あたりの利益は90円程度となる。CDリリース1年未満であれば1レンタル毎に50円が補填される。これはCDレンタルという業態が存在しないならば、レンタルされたCDの2枚に1枚は購入されていたであろうとも解釈しうる額である。レンタルされたCDの中には、必ずしも購入の代替手段としてレンタルされたものだけではなく、レンタルされているからこそ試しに聴いてみるがレンタルされていなければ手に取ることもないものも相当程度存在することが予想される。そのような状況の中で2枚に1枚の割合で営業利益が補填されるこの制度はそれ自体で十分権利者のことを配慮していると考えられる。
一方CDリリース後1年以上経過したものについてはCDレンタル5~6回分に相当する額が補填される。これについて、リリース1年後のCDの貸し出し回数が不明なため、多いか少ないかは議論できないが、仮にこの額が不足なのであればこの額を改定すればよい。

(c) 本制度の導入の妥当性
上記(a)に示したとおり、CDレンタル業の存在によるレコード会社の損失については、すでに補填する仕組みが存在する。また(b)に示すとおり、特にCDリリース後1年未満のレンタルについては、十分手厚い損失補填がなされている実態がある。リリース後1年以上経過したCDのレンタルについては、損失補填額が妥当かどうか不明だが、もし不十分であるならばどの程度の損失が発生しているか国民に開示した上で補填額を改定すれば良い。いずれにしても既存の枠組みの中で損失の補填は可能であるから、本制度によって損失の補填を行うことは権利の二重行使になり不適切である。


(4)ケース4 エアチェック(放送の録音・録画)を行い家庭内で利用する

【想定される状況】
放送番組をデジタルコピー機材によってCD-R等にコピーし、放送時間帯以外の時間帯に視聴する。

【デジタルコピー機材が存在しない場合の状況】
放送番組をダビング等によってカセットテープ、ビデオカセット等にコピーし、放送時間帯以外の時間帯に視聴する。

【デジタルコピー機材が存在することによる権利者の損害はあるか?】
(a) 権利者は誰か?
放送の権利者は放送事業者であり、放送で使われるレコードの権利者は放送事業者に対し権利を行使できるが、放送の視聴者に対し権利を行使できない。

放送事業者はその中で流される音楽などについては事前にJASRACに使用料を支払っている。(放送事業者の年間収入の1.5%と決められている)従って放送事業者と音楽の権利者との間では、権利処理が双方合意のもと済んでおり、以降の議論では音楽の権利者のことは切り離して議論することとする。

(b) 放送事業者の権利とは?
放送事業者の権利は下記のとおり。

  放送の複製権(著作権法第98条)
  放送の再放送権・有線放送権(同第99条)
  送信可能化権(同第99条の2)等

(c) デジタルコピー機材の存在によって、権利者の損害がどのように発生するか?

・放送の複製権
放送番組を後にパッケージ化して販売することが放送の複製権行使の具体的な例として挙げられる。放送の私的録音が存在することによって、録音をした視聴者に対しパッケージメディアを売ることができないため、ビジネス機会の損失となる可能性がある。しかし、放送番組を権利を行使するか(パッケージ販売するかしないか)は放送時点(=私的録音を行った時点)で決定していないことが多いため、私的録音しただけで損失があるかどうかを判断できない。

むしろ放送番組のパッケージ販売を行う時は、放送の特性上、以下の条件が不可避であると認識した上でビジネス戦略を組み立てるのが適当であろうと考えられる。

前提条件1.既に内容は放送され、多くの一般大衆に知れ渡っていること
前提条件2.放送内容は私的に複製されている可能性があること

例えば未放送部分の特典映像をつける、豪華ポスターをつける等によって、私的複製と差別化を図る、などの戦略をとる必要がある。

・放送の再放送権・有線放送権
再放送することで再度スポンサーから広告収入を得るという放送事業者のビジネスにおいて、私的複製の存在によって視聴率が低下し思うように広告収入が得られない、という形の損失が考えられる。

しかしこの件についても、「放送の複製権」で述べたのと同じ論理が適用できる。すなわちビジネス上の前提条件として、上記の1.2.を想定して広告枠の販売戦略を考えるのが筋であると考える。例えば平日ゴールデンタイムに流した番組を休日の昼に再放送することで、異なる視聴者層に対して見せるなどの戦略をとるべきである。

・送信可能化権
この権利についても上記2つの権利に対する考え方と同様であり、パッケージメディアや再放送がインターネット上でのオンデマンドサービス等に変わっただけである。これもどの放送番組を送信可能にするかを決定するのは放送終了後であり、また放送番組の特性上、上記の1.2.を前提条件として考えなければならない。

【本制度は本ケースにおいて適切か?】
以上述べてきたように、放送事業者が有するいずれの権利についても、私的複製実施時には損失の有無が判断できない。また上記の前提条件1,2はビジネス上の前提条件として認識すべき性質のものであり、その中の一つである前提条件2(放送の私的録音)の存在によってビジネス機会が損失したとまではいえないと考える。
このようなエアチェックの私的録音に対し、本制度によって損失を補填しようとする考え方は不適切であると考える。(ビジネスとして実施しない分まで「補填」することになりかねない。)


まとめ:
以上考察(1)~(4)で述べてきたとおり、ここに挙げたすべてのケースにおいて、本制度で損失を補填すべきケースは見当たらなかった。上記の(1)~(4)はデジタルコピーの利用形態の主なものを取り上げており、その中で本制度で損失を補填すべきケースが存在しないことから、本制度は制度的に破綻していると考えざるを得ない。本制度については、即座に廃止に向けた議論を開始すべきである。


楽天田尾監督解任について

2005年10月02日 | スポーツ・プロ野球など

これまで当ブログでは政治やマーケティング、知財などについて論じてきました。正直ちょっと硬すぎたような気がします。これからはもう少し柔らかいネタも混ぜていこうと思います。とは言いながらいきなりグラフで恐縮ですが、今日は楽天田尾監督の電撃解任について意見を述べます。

楽天新監督に野村氏、田尾監督電撃解任

田尾監督の指導力云々を疑問視する声もあるようですが、そもそも楽天の選手の能力はプロ野球の平均レベルを満たしていないので、単にフィールドマネージャ(=監督)の指導力が抜群であれば何とかなるというレベルではないような気がしてなりません。

楽天の選手の実力を測る指標として、今回は横軸に塁打率※、縦軸に防御率をとり、2002年度から4年間の各球団のプロットをグラフ化しました。これを見るといろいろ興味深いことがわかってきます。

まず、平均的な球団であればほとんどの場合赤丸で囲った部分に入ります。これだけ実力が接近している中での優勝争いですから、当然フィールドマネージャの力が優勝に大きく作用すると考えます。

しかし、例外的なチームが5つあります。それは今年の楽天と2002年、2003年、2004年のオリックスと、2002年の横浜です。図を見ると2002年のオリックスは打撃が貧弱、2003年、2004年のオリックスは打力はともかく投手力が壊滅的でした。しかし先の合併で近鉄の投手の大部分を取り込んだ結果、2005年は防御率が1点以上向上し、赤丸の真ん中にまで復活してます。楽天はオリックスと近鉄が合併してできたオリックスバッファローズに入団できなかった選手がメインで構成されているため、不振が続いていたオリックスの負の遺産を引き継いだ形になっています。

このオリックス時代からの負の遺産を、フィールドマネージャが優秀だからといって何とかなるものなのでしょうか?過去のオリックスの監督はどうだったのでしょうか。

■2002年石毛監督が就任しましたが、あえなく最下位でした。しかしこのときは防御率は3点台と特別悪いものではなく、むしろ打力が貧弱だったので最下位になったのです。

■2003年はシーズン開始当初に石毛監督が電撃解任され、レオン・リー氏が監督に就任しましたが、打力向上に気をとられ、投手陣の整備が遅れついには崩壊してしまいました。

■2004年は2002年に西武をリーグ優勝に導いた伊原監督を迎え入れましたが、投手陣の壊滅状態は一向に変えることができませんでした。

そして2005年です。もともと壊滅的な投手陣にほとんど補強がなく、しかも打力が落ちてしまった楽天球団を引き受けることになった新人の田尾監督に何とかできる、と考える方がおかしいとは思いませんか。


マネージメントとは担当者の能力を最大限利用し、目的を達成するよう方向付けるものだと思います。競争環境のなかで自分の担当者の能力が平均的なのであれば、マネージメントをうまく実施できる組織の方がそうでない組織と比べ良い結果をもたらすことができるでしょう。しかし、競争環境の平均レベルに達していない担当者ばかりでは、いくらマネージメントが上手くても、ポテンシャルが違い過ぎるので結局良い結果をもたらすことはできないと考えます。

例えばすばらしい指導者が率いるリトルリーグチームは、リトルリーグの中では優勝できるでしょう。でも、今期のボロボロな巨人と戦ったとしても決して勝つことはできないでしょう。マネージメントだけでは乗り越えられない壁があるということは、人にマネージメントをさせる人間は常に認識しておく必要があると考えます。

担当者の能力が不足しているならば、組織はOJT、研修、自己啓発の支援などによってレベルアップの支援を行いますが、プロ野球のような全国のスーパーエリートが集まるような競争環境においては、能力の高め方は個々人が試行錯誤のうえ見出すような性格のものであり、組織が支援することは非常に難しいスキルなのです。

従って、能力が不足している場合は、ドラフト、トレード、FA等による補強が必要になります。

今、楽天に必要なのは、監督の交代ではありません。監督だけを交代しても今の状況では決してチームは強くなりません。次期監督候補の野村監督ですら低迷期の阪神の建て直しは成功できませんでした。チームを強くするため、という観点では清原選手の獲得も疑問です。今、チームを強くするために最も必要なのは、投手陣の整備であると考えます。または投手陣の底上げのため、第二の古田を育てる必要があるかもしれません。キャッチャーの良し悪しでチーム防御率が0.5でも下がるのであれば非常に効果的です。このような補強を今シーズン前に実施しなかったのは現場のマネージメントの問題ではなく経営側の組織整備のミスに相当します。この責任を監督一人に押し付ける今回の解任は適切ではないと考えます。(堀江さんだったら、新球団の今シーズンの成績は「想定の範囲内」だったのでしょうか:P)


(※打率は安打でもホームランでも打てば1とカウントし、その和を打数で割ることで計算しますが、塁打数は安打なら1、二塁打なら2、三塁打なら3、本塁打なら4としてカウントしその和を打数で割ったものであると定義します。例えば塁打率が0.5であれば、そのチームの打者2回打席に送れば1回はヒットを打ったのと同等の効果が得られる、という意味になります。)