noribo2000のブログ

特定のテーマにこだわらず、意見やアイデアを表明するブログです

アジアハイウェイ構想

2007年01月20日 | 政治・社会
ふとしたきっかけで、アジアハイウエイという構想を知りました。

アジアハイウェイとは(国土交通省のホームページ)

アジア全土を有機的に結ぶ道路網を構築する、という壮大な計画で、国連アジア太平洋経済社会委員会を中心に検討が進められています。我が日本は栄えあるアジアハイウェイ1号線(AH1)の起点になっています。

このAH1というのは、東京を起点とし福岡までの日本国内の区間(東名・名神・山陽道など既設の高速道路がルートに設定されるようです)、そこからはフェリーで韓国の釜山へと向かいユーラシア大陸に上陸。以降は、韓国→北朝鮮(!)→中国→ベトナム→カンボジア→タイ→ミャンマー→インド→バングラディシュ→インド→パキスタン→アフガニスタン(!)→イラン→トルコと経由し、終点はトルコとヨーロッパであるブルガリアとの国境地点に至るという、アジアの東端から西端までを結ぶ20,000kmにも及ぶハイウェイです。

ルートの中には今現在おいそれと入れない北朝鮮やアフガニスタンなども含まれており、一般人がAH1完全走破を実現できるようなるにはまだまだ時間がかかりそうですが、私がリタイアして第二の人生を歩み始めた頃にはAH1完全走破にチャレンジできるような世界情勢になっていることをただただ祈るばかりです。

国連のホームページも紹介しておきます。
About the Asian Highway

NHKの民営化はしない?~小泉首相~

2005年12月24日 | 政治・社会

首相、NHK民営化に否定的考え

小泉首相は22日夜、NHK改革について「NHKは特殊法人(を維持)とする(政府)方針がある。民営化ではない、ほかの改革が議論されるのではないか」と述べ、NHKの民営化に否定的な考えを示した。
 
首相官邸で記者団に語った。発言は、2001年12月に決定した政府の特殊法人等整理合理化計画で、NHKの組織形態は「現状維持」としたことを踏まえたものだ。

政府の規制改革・民間開放推進会議は21日、受信料制度見直しなどを明記した答申を首相に提出した。

当ブログではかねてより、NHK放送のスクランブル化、およびNHK民営化の推進を主張してきました。改革続行を標榜する小泉首相ならばNHK民営かも現実のものとなるかと期待していたのですが残念です。記事にあるように4年前の「特殊法人等整理合理化計画」で現状維持という結論が出ている、というのが理由とのことでしたが、当時から現在に至るまで放送を取り巻く環境が激変していることを考慮すれば、再度民営化も含めた改革の議論を開始して欲しいところだと思います。

そこで、2001年12月に決定した「特殊法人等整理合理化計画」では、NHK改革についてどのように記載されているのか調べてみました。

特殊法人等整理合理化計画

p.19
日本放送協会

(事業について講ずべき措置)
【公共放送事業】
○公共放送事業に付随した新たな業務の実施について、インターネット利用については放送の補完としての利用に限定するとともに、子会社等の業務範囲の拡大を抑制するため、子会社等の業務範囲を原則として出資対象事業に限定する等の仕組みを設ける。

○子会社等との取引については、競争契約を原則とするとともに、随意契約による場合については、業務の専門性、特殊性等から他に委託先がない等やむを得ない場合に限定する。

(組織形態について講ずべき措置)
●特殊法人

これだけだと、なぜ特殊法人のままという結論に至ったのか判りませんね。そこでさらに特殊法人等改革推進本部の会議で何が議論されてきたか調べてみました。

2001年9月4日に「特殊法人等の廃止又は民営化に関する各府省の報告」が公表されました。NHKの所管の総務省の見解は下記のとおりでした。

p.4
【廃止の可否: 廃止できない】

(事業を純粋に廃止できない理由)
① 我が国の放送は、国民からの受信料を財源とし、放送の全国普及、豊かで良い番組の放送、放送の進歩発達等を目的とする公共放送と、広告料収入等を財源とする民間放送との二元体制の下、互いに切磋琢磨しつつ発展。

② 仮に、日本放送協会を廃止する場合、上記の目的を達成できず、我が国の放送の健全な発展に支障が生じることから廃止することは適切ではない。

(事業を他の運営主体に移管して特殊法人等を廃止することができない理由)
③ 日本放送協会の事業を他の運営主体に移管する場合、国、地方公共団体については行政府からの自主性及び政治的中立性の
確保が要求される報道機関としての特殊性から適切ではなく、民間企業については上記①の目的達成が不可能となることから適切ではない。

【民営化の可否:民営化は適切ではない。】
(民営化できない理由)
○ 民営化は上記①の目的達成が不可能となることから適切ではない。


んー、なんという貧弱な理由でしょうか。NHKと民放とが「切磋琢磨しつつ発展」とあり、これを継続する必要があるためNHKを民営化できないとしています。しかしNHKと民放とは何をどう「切磋琢磨」してきたのでしょうか?テレビ放送が始まった当初のことはよくわかりませんが、昨今のテレビ放送からはそのようなNHKと民放の切磋琢磨を感じることはありません。

この程度の理由でありながら、これを受けた特殊法人等改革推進本部の会合で事務局はこんな意見を述べています。

特殊法人等の組織見直しに関する各府省の報告に対する意見

p.5
日本放送協会

【廃止・民営化の可否(その他)】
不可

【その条件等】
(豊かで良い番組の放送等を実現し、放送の健全な発展を図るため公共放送は必要)

【事務局の意見】
引き続き整理合理化について検討する。


つまり民営化についてはあっさりあきらめ、「整理合理化を検討する」とだけ記載されているのです。その結果が「特殊法人等整理合理化計画」に反映されているのです。この計画の中にNHK民営化などの根本的な改革は当然盛り込まれておらず、「整理合理化」の一環でNHK子会社の業務範囲やNHK本体と子会社の発注関係について一定の制限を設ける程度に留まっています。

このような経緯で決められた4年前の計画に縛られてNHK民営化の議論をしない、とするのはあまりに消極的だと思います。NHKをめぐる国民の不信感が高まっており、思い切った改革の必要性は4年前とは比較にならないほど増大しています。是非とも民営化も含めた改革に向けて大胆に舵を切って欲しいと思います。


規制改革・民間開放推進会議でNHKの「地デジ」スクランブル化の検討を進言

2005年12月22日 | 政治・社会

かねてより内閣府の規制改革・民間開放推進会議で議論してきたNHKによる公共放送、受信料制度の是非について、答申が出ました。

NHKのスクランブル化検討…規制改革推進会議が答申

答申の本文はこちら

(p.81より抜粋)

NHKの業務、組織等を規定した放送法が制定された昭和25 年当時は、視聴の有無とは無関係に受信機を設置した者に対してNHKとの契約義務を課し、あまねく全国に放送を普及させるための特殊な負担金として受信料を徴収することは有効な方法であり、また、国民の理解を得られるものであった。しかしながら、その後50 年以上を経て放送を取り巻く環境は特に近年大きく変化しており、NHKの根幹を成す受信料制度も見直しを迫られている。昨年の不祥事を契機とした受信料の不払い(支払拒否・保留)は、平成17 年9月末現在で約127 万件に上っており、未納、滞納さらには未契約世帯958 万世帯を合わせると契約対象世帯数の約3割に達し、平成17 年度の受信料収入は当初予定から約500 億円もの減額が見込まれている。最早これは単に不祥事による一時的な現象と見るべきではなく、視聴の有無にかかわらず国民に負担を求めるという受信料制度が構造的に抱える問題が表面化したと考えるべきである。様々なメディアが存在し、国民の対価意識が強まり、さらに、NHKの放送番組内容自体も災害・ニュースからスポーツ・娯楽に至るまで多様化している中で、受信料制度は利用者の選択の自由を制約するものであり、民間の有料放送や通信インフラを利用した有料コンテンツ配信との公正な競争条件の確保という観点からも今や問題があると言わざるを得ない。

(p.83より抜粋)

デジタル化や通信・放送融合の進展、視聴形態の多様化など公共放送を取り巻く環境の変化を踏まえ、保有チャンネル数の在り方、上波デジタル放送のスクランブル化の是非を含む受信料制度の在り方、業務範囲等、将来を見通した公共放送の在り方全体の見直しを早急に行い、平成18 年度早期に一定の結論を得るべきである。

この答申は当ブログでの提言とほぼ同じ内容になっており、私としては一歩進んだかなと感じています。ただしこれからが大変で、いかに実行するかというのが今後の大きな課題になります。来年度の動きは要注目です。


耐震強度偽装問題について

2005年12月03日 | 政治・社会

ここ最近は例の耐震強度偽装問題で大騒ぎですが、当事者は責任のなすり合い、マスコミは犯人探しに躍起になり、この問題についてなぜこのようなことが発生したのか、今後どのように対応してゆくべきなのか、と言う議論が少ないように思えます。

まずこの問題の対応について必要なのは下記3点だろうと思います。

  1. 居住者・購入者の財産の完全な復旧、精神的な苦痛のケア
  2. 問題発生原因の追求、再発防止策の実施
  3. 関係者の処分

そして、これらの対応を「誰が」責任を持って実施するのか?と言う点を明確にしなければなりません。私は、国が責任をもって実施すべきと考えます。

日本の建築産業は建築基準法やそれに関する法令などによって規制されています。販売主、設計者、検査者はその法令に従うことが義務付けられています。つまり日本の建築物は国によって品質が管理されていると考えることができます。国が品質管理している建築物に問題が発生したわけですから、まず国にそのような状態を是正する責任があると考えます。

1.について具体的な対応策として

  • 代替住宅の無償供給
  • 建て替え、補強費用の免除
  • 精神的苦痛に対する損害賠償

などが考えられます。これら全てを国の税金で実施するかどうかは別問題ですが、国の責任でこれらが実施されるようにしなければならないでしょう。例えば代替住宅の無償供給は国家予算から費用を出すとか、精神的苦痛に対する損害賠償、補強用の費用などは販売主など当事者の資産を差し押さえるなどして費用を捻出する、といったことを国の責任で実施する必要があると思います。なお、今回のように非常に多くの居住者・購入者が損害を被るような事件に対しては、費用面の理由から民ー民の問題として対応することが現実的ではないので、日本の建築物の品質に責任がある国も一定の費用負担が必要になると考えます。

2.については、過失または故意で耐震強度が偽装されたことを検出できなかったことについて法の不備がなかったか、とか、このような問題が発生したときに備え、強制保険のようなものを検討する必要があるのではないか、などといった観点から再発防止策について国の責任で検討し、必要があれば法制化をする必要があるでしょう。

そして、最後に3.があると思います。これは事実を確認し、現行法違反が認められる場合は厳しく処分するのは当然です。今回の問題では設計士の姉歯氏に責任が及ぶことは間違いありませんが、他の当事者はまだ法的責任があるかどうかが分かりません。こういう事件があると当事者はみんな悪者顔に見える(そのように報道される)のでつい犯人探しを始めてしまいがちですが、そこは専門家(警察や検察など?)に任せ、われわれ国民は国が1.2.についてしっかり責任を果たしているか監視する方に注力するべきであると考えます。

 


東証システム障害の責任について

2005年11月27日 | 政治・社会

11月1日に発生した東証システム障害について当ブログでも幾つかの記事を書き、他山の石とすべくその後の動向も追跡していました。その中でトップ・幹部のとる「責任」について思うところがあったので、今日のブログではそのことについて述べます。

東証役員の処分について(11月15日発表)

富士通役員の処分について(11月25日発表)

まず東証の発表では、役員の報酬を最大50%6ヶ月間返上すること、および再発防止措置を期限を切って実施することが述べられています。

この処分・対策の発表について、私が東証の人間の立場だとしたら、「役員が結果責任をとって自身の報酬を5割近くカットしたし、再発防止策も決めたから、昔から良くあるトップがやめてそれ以降うやむやという状態からは一歩も二歩も踏み込んでいるので、十分責任を果たした。」と思ってしまうかもしれません。

しかし、傍から見るともう少し踏み込んで欲しいと思うことがあります。

■ 役員報酬の減額は本当に必要か?

役員など企業幹部のトップクラスは組織が起こした問題に対し「結果責任」と称し報酬の減額を行うことがあります。もちろん経営者として顧客に迷惑を書けた行為について、自戒の意味を込めて報酬を減額するということ自体は役員本人にとってはそれなりに意味のあることだと思います。しかしそれは顧客から見れば自己満足に過ぎないでしょう。役員の報酬が増えようと減ろうと顧客が被った損害・社会に与えた影響が解消されるわけではないためです。それよりも大切なことは、発生した問題に対し今後何をするかを明確にするということだろうと思います。

■ 施策は誰の責任でやるのか?

東証は(i) 売買システムにおける再発防止策 として4項目、(ii) 全般的なITセキュリティ等向上策 として5項目、合計9項目を実施するとあります。しかし、残念なことにこれを「誰の責任でやるのか」が言及されていません。処分を受けた役員の誰がどの項目を責任もって実施するのか明示する必要があると思います。社長の指示で役員の某がどの項目についてリーダとして推進する、という体制が判る記述が欲しかったですね。

なお、処分を受けた役員のうち、その体制に含まれていない人がいるとすると、そもそもその処分は全く意味のない「目くらまし」の処分に過ぎないということになります。当の本人は「とばっちりを受けた」ぐらいにしか考えられないでしょう。

■ 施策の実施経過・結果はいつ報告するのか?

東証の発表では、いつ着手する、ということは記載されていますが、いつ完了しいつ報告するか、という点が記載されておりません。発表した施策を本当に実施しているのかどうかを我々は確認する手段が無く、本当に実施するつもりがあるのか判断できません。


東証の発表はこのあたりを明確にするべきと考えます。どうしても企業トップの責任というと、「処分」の方に目を奪われますが、本当はその後何をやるかを可能な限り具体的に示し、その結果をもって本当の責任を果たしたかどうかを判断する、という形にすべきであると考えます。


次に、富士通の発表についてですが、正直論外というしかない惨状です。単に役員の報酬カットを決めただけで、その内容も東証の処分内容をマネしたようなものであり、さらに再発防止策について何の言及もありません。富士通については25日に発表があっただけなので、今後何らかの再発防止策が出てくれば良いのですが。でも問題が発生してから1ヶ月近く経とうとしているにも関わらずあの程度の発表なので、期待はできないかもしれません。


と、偉そうに役員の責任について論じてしまいましたが、このことは企業人全般についても同じことが言えると思います。ミスを犯したときや問題を起こしたときに、謝ったりサービス残業したりすれば責任を果たしたことになるのではなく、その後どういう施策をどの程度実施したかで本当の責任を果たしたかどうかが問われる、ということだと思います。


NHK民営化に政府も本腰か? ~ブロガーたちの手で政府・NHK・民放をしっかり監視しよう~

2005年11月21日 | 政治・社会

政府の規制改革・民間開放推進会議がNHKの受信料制度の見直しを求める勧告を行うそうです。

NHK受信料の見直し提言へ、一部スクランブル化も

公共性の高いニュース・災害情報などは現行どおりとするが、ドラマやスポーツ中継などはスクランブルして受信料を支払った人のみに配信する、という提言のようです。実際の提言は12月に報告書の形でまとめられるようです。

だいぶ昔のブログになりますが、NHK受信料について(2) ~公共放送は民営化組織ではできないのか?~ で、私もNHK放送のスクランブル化が望ましいことを述べました。技術の進歩を考えればやはり自然な流れだということなのでしょう。ぜひ強力に推進してもらいたいものです。

ただ、この記事にも

ただ、政府内には、「所得の差による情報格差を作るべきではない」などの慎重論もある。

ということが書かれています。こういう考え方を未だに持っている人がいるのも確かです。このような人は「抵抗勢力」として一蹴して欲しいと思います。そもそも、所得の差によらずテレビを持っているだけで受信料を徴収しようとするのが今までのNHKの受信料制度です。ということは、NHKの受信料を払うことができない人は、他の民放も見ることができなくなるということです。私のブログでも指摘させていただいたとおり、民放においても災害情報など公共性の高いニュースを報道することが義務付けられているのですから、受信料未払いを理由に(テレビが設置できず)民放の受信もできなくする現行の受信料制度こそ「所得の差による情報格差を助長している」といえるでしょう。

NHKの受信料問題に詳しい frendly さんのブログでは、この政府内の慎重論はNHK副会長の永井多恵子氏の発言と類似であることが指摘されています。自己弁護を重ね続けているさまが、いよいよもってNHKの末期症状を呈しているように思えてなりません。

X X X

NHK民営化について民放は大賛成かと思いきや、こんな記事がありました。個人的にはちょっと意外でした。

放送2元体制の実績に理解求める…民放連会長

この記事によれば民放連の会長であるフジテレビの日枝氏は

「日本の放送体制は、民放とNHKが2元体制で互いに作り上げてきた。これは国民にとって良いシステム。これまでの50年の実績を理解し、諸外国の例も引いて議論していただきたい」

と述べ、NHK民営化には暗に反対しています。以下に示すように、民営化後のNHKを強力・強大な競争相手として恐れているのかも知れません。

視聴率競争がさらに激化することを恐れている

今まではNHKに視聴率で負けても、他の民放局に負けていなければスポンサーから怒られるだけで済むが、民営化後にNHKがCMを流し始めたらNHKの方にスポンサーが逃げてしまうかもしれない。

NHKのコンテンツはオンデマンド向きなものが多い

カネの取れるコンテンツは消耗品的なエンターテイメントの垂れ流しではなく、NHKが流すようなニッチだが教養的、知識欲を掻き立てるような番組かもしれないという点にうすうす気づき始めているので、VoDサービスなどの新しいビジネスモデルにおける強力な競争相手として恐れている。

つまり、ここにNHKと民放のもたれあいの構図が浮かび上がってくるのです。逆に言えばNHK民営化を果たせば、これまで既得権益に守られ、惰性が目立つ民放にも影響が及び、より質の高いコンテンツが提供されるということかも知れません。

X X X

NHKの民営化はNHKのみならず民放も含めた地上波放送全体に喝をいれる起爆剤となり得ると思います。視聴者にとってはいいことづくめだと思いますが、既得権益に守られたNHK/民放にとっては多大なる試練を与えることでしょう。NHKの民営化については彼らが今後抵抗勢力になる可能性があるので監視要です。通常この手の話はマスコミが行政を監視するのですが、今回ばかりはマスコミの再編を伴うかもしれないのでマスコミ自体にその機能を期待することはできません。ブログをはじめとするネットの目で監視をしてゆきましょう!!


自民党もインターネットを使った選挙を前向きに検討開始

2005年11月06日 | 政治・社会

IT選挙解禁へ動き活発 自民検討、議員立法提出も (共同通信) - goo ニュース

ついに自民党もインターネットを使った選挙が実施できるよう、公職選挙法の改正に踏み切るかもしれません。これまで自民党はネットを選挙に使うことに慎重だったのですが、9月の総選挙で大勝したのを受け、旧来の組織型選挙だけでなく無党派層を引き付ける施策が非常に効果があると悟ったことから、こうした方針転換に至ったのではないかと思います。背景には次回の選挙でもこの浮動票が民主党などに流れないようつなぎ止めておきたいという意図があるのかもしれません。また、「改革」続行を印象付ける目的もあるでしょう。

私としては、自民党の意図がどうであれ、インターネットを使った選挙活動ができるようになることは非常に重要だと考えているので、是非とも法制化して欲しいと思います。

ただ自民党内には「IT選挙の解禁は民主党を利するだけ」と根強い慎重意見もあり、法改正には異論も予想される。

こういう意味不明なことをいう人々を「抵抗勢力」と位置づけて、郵政民営化の時と同じような勢いでどんどんやって欲しいですね。

近々まとめられる報告書について、当ブログでもレビューをしてみたいと思います。今から楽しみです。


自民党憲法改正案 自衛軍の明記について -徴兵制が復活するのか?-

2005年10月30日 | 政治・社会

自民が新憲法草案決定、自衛軍保持を明記

草案の原文はこちら

前回のブログでは、今後はもっと軽い内容も織り交ぜながら・・・ということを書いていたのですが、そんなことは言っていられないニュースが飛び込んできました。なので、モードをいつもどおりに戻します。

自民党は立党50年プロジェクトと銘打って新憲法案を策定を進めており、それが昨日発表されました。内容的には天皇制や国会の二院制などは維持、環境権などの新しい権利に配慮したものになっていますが、何よりも大きな変更点は第九条の「戦争放棄」条項が「安全保障」条項に変わり、自衛隊を自衛軍として憲法に明記したところでしょう。これによって現行憲法の解釈を捻じ曲げて存在してきた自衛隊が、憲法上も正式なものとして認められるようになります。まあ、自衛隊は昔から存在しているのだし、最近ではイラク派遣に代表されるような国際貢献の実績もあるので、それが憲法で認められた存在になるということは当然の流れかなと思っています。

と、さらりと流しておこうと思っていたのですが、気になる点があります。それは自衛「軍」と明記している点です。世界に例を見ない自衛「隊」でなく、世界中に存在する自衛のための「軍隊」と明記しています。ということは、可能性としては徴兵制もあり得るということでしょうか?

これまでの自衛隊は、憲法上の「軍隊」ではないため、当然ながら憲法上は徴兵などはありえないはずであり、事実現在に至るまで志願兵(正確には志願隊員とでも言うのでしょうか?)のみで構成されています。しかし、改正案では自衛のための「軍隊」と明記され、「軍隊」であるならば日本の戦前の経緯や世界的な基準に照らし合わせても徴兵制の導入は当然あり得ると考えるのが普通だろうと思います。

もちろん現代の先進国で徴兵制をとっている国はそれほど多くないようです。軍事技術がすさまじく発展してしまったので徴兵制によって集められた素人はさほどの戦力にならず、徴兵制はもはや意味を成さないという意見もあります。しかしそれは今必要ないから徴兵をしていないだけで、必要があれば軍隊を持つすべての国で必要に応じて徴兵制が復活する可能性があるのです。(参考: Wikipedia 徴兵制度

徴兵制については、賛成論者も反対論者も感情的な議論が多くなる傾向になると思います。賛成論者の意見は「国の危機に国民が国を守るのはあたりまえだ。だから徴兵も必要だ。」、反対論者の意見は「戦争で人を殺したり自分が死んだりするのはいやだ。だから徴兵制は反対だ。」といったものが代表的なものだと思います。

私は、個人的には徴兵制は反対です。理由の一つは前述の感情的な意見とほとんど同じなので議論をするようなものでもないのですが、もう一つの理由として、特に私たち日本人は「状況が破綻した時、人海戦術に活路を見出そうとする」傾向が強いように思える点を指摘しておきたいと思います。

いきなり話が飛んで申し訳ないのですが、私は仕事柄ソフトウェアの開発に携わることが多く、時にプロジェクトマネージメントが不十分で破綻した状況を見聞きすることがあります。ソフト開発の世界ではそのような状況を「デスマーチ(死の行進)」と表現することがあります。このような状況に陥った時、本来であればデスマーチに至った根本原因を追究し一から体制を立て直すというプロセスが必要なのですが、一見遠回りに見えることや原因を引き起こした人の責任が追及されることなどから、安易に人を追加して状況を打開しようとする傾向があります。しかし、本当は計画の不備、進捗確認の不備、品質確認の不備、リスクマネージメントの不備などすべてマネジメントの不備が原因であることがほとんどであり、従って人を追加しただけでは解消しない場合がほとんどです

安全保障もソフト開発に似たところがあるのかなと思います。安全保障も有事になる前の情報収集、関係国との協力体制強化、兵士の訓練計画・達成度確認、想定される攻撃に対する対応計画、攻撃を受けたときの作戦の計画とその進捗の確認など、十分なマネジメント体制がない状況で成果を挙げることはできません。志願兵で構成されれば、有限のリソースの中で成果を上げなければなりませんから、指揮官にはこれらのマネージメントを十分実施することが求められます。しかし強制的な徴兵制の下で大量のリソースが供給される状況を作ってしまうとこうしたマネージメントがおざなりになり、太平洋戦争末期のような人を弾のように使う作戦などが横行してしまい、結局成果を上げられず大量の戦死者を出すだけになってしまう可能性があります。


従って、私は自衛軍は認めても徴兵制は反対です。改正憲法案に「自衛軍」と書くのであれば「志願者によって構成される」と記載すべきと考えます。


では、徴兵は認めないなどの歯止めは憲法改正案に記載されているのでしょうか。新第九条全文を抜き出して、確認してみましょう。

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

第九条の二 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮権者とする自衛軍を保持する。

 自衛軍は、前項の規定による任務を遂行するための活動を行うにつき、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。

 自衛軍は、第一項の規定による任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、または国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。

 前二項に定めるもののほか、自衛軍の組織及び統制に関する事項は、法律で定める。

最後の「第九条の二 4項」で自衛軍の組織に関する事項は法律で定めるとあります。つまり、憲法の改正を経なくても徴兵制を認める法案を通してしまえば徴兵制に移行することができてしまいます。せめて4項に「なお、自衛軍は志願者によって構成されるものとし、強制的な徴兵はこれを行わない。」と記載して欲しいと思います。

憲法で歯止めをかけておき、もし世論が「徴兵」を望むのであれば国民投票で憲法を改正すればよいと思います。実際のところは国民の大多数が徴兵を望むような状況になるのであれば、憲法改正を実施しなくても志願兵が増えるような気がしますし、そのような志願兵を教育した方が統率のあるマネージメントしやすい組織となり、安全保障の実現という目的を達成しやすくなるのではないかと考えます。


この憲法草案作成にあたった中曽根元首相や宮沢元首相は、「今すぐの改正ではなく、少なくとも5年~10年くらいは必要であろう」と述べていることから、まだまだ考える時間は十分あります。そのうち民主党なども対案を出すでしょう。国民みんなで議論を深めてゆきましょう。

余談ですが、インターネットそしてブログの登場によってこのような重要な課題について、本当の意味で国民の間で議論を深めてゆくことができるようになったことに感謝しています。


野党は法律案を作るべきか? ~二大政党制であれば作らなくても良いかもしれないが、ブログ党には必要~

2005年10月25日 | 政治・社会

10月23日の読売新聞の「政治を読む」というコラムに、民主党が対案と称し法律案を躍起になって作成していることについて批判的な記事が掲載されていました。法律案そのものは政治家の力だけでは作成できず、必ず官僚機構の力を使わなければならない。それを無理やり自分たちだけで作ろうとしても法案作成そのものに大変な労力を使うこと、官僚機構から法案検討に必要な情報の提供が十分なされないために、提出する法案の完成度が低くなってしまうことが指摘されています。野党はもっと大所高所的に自分たちが政権をとるとしたらこういう風にする、といった大枠の対案を出すべきではないか、という意見でした。

もちろんそういう見方もあるでしょう。対案として法案を作るだけでは国民に伝わりにくい面はあるかと思います。対案はまず基本的な部分を判りやすく国民に示し、それを基に法律化するという順序で進める必要があると考えます。そのプロセスを民主党が省いているように見えることから、上記のコラムのような意見が出てきたのかも知れません。

政党政治であれば、このコラムの書いてあることはだいたい理解できます。しかし、私の提唱するブログ党等のように、政党政治から脱却し、国民の多様性に呼応して議員個人個人が政策を立案するようになった場合には、国会議員はある程度の立法スキルを身につける必要があり、そのための必要な情報を行政から取得する方法を簡易にする制度が必要であると感じています。

■国会議員は立法スキルを身に付けるべき

国会はわが国唯一の立法府であることは憲法にも明記されています。しかし、現状は議員立法の数よりも圧倒的に内閣立法(政府提出の法案)の数が多く、国会はそれを追認しているケースが多く見られます。実際は、国会に提出される前に自民党の政務調査会において審議されており、与党自民党は国会の場では形だけ審議に参加するだけで法案が成立してしまいます。このあたりの事情は過去のブログで指摘したとおりです。

二大政党制における野党に限らず、私の提唱するブログ党等のように議員個人個人が党の拘束によらず政策を立案するスタイルになった場合、官僚や党のサポートが受けられない可能性が高いため、議員個人個人が法案作成スキルを有していることが必須になってくると思います。

もちろん国会議員全員が法律の専門家で構成されるはずはありませんし、もしそうだとすると却って民意の反映が難しくなってしまうかもしれません。そこで、現在の衆議院・参議院にはそれぞれ「法制局」という議員立法をサポートする機関が存在しています。しかし、衆議院の法制局に80名、参議院の法制局に75名のスタッフがいるだけであり、官僚組織とは比べ物にならないほど小規模な組織となっています。法制局の拡充も必要と思いますが、法制局の負担を減らすために議員個人個人がある程度法律の形にして最終チェックを法務局に依頼する、というスタイルで臨むことが必要ではないかと思います。


■役所の情報公開の推進と国政調査権発動条件の緩和

法案策定については、少なからず行政が持つ数多くの情報を集めることが必要になります。実効性の乏しい、あるいは社会に害悪を与える可能性がある法律を制定しないようにするためには、データに基づく分析を行ったうえで法律化する必要があります。しかしながら、議員立法(特に野党議員の立法)の場合、このような行政の持つ情報を十分活用することができません。それは官僚機構が情報公開を様々な理由を付けて拒むからです。

そんな時のために「国政調査権」というものが国会には与えられています。しかし、国政調査権は議員個人に与えられている権利ではなく衆参両議院、委員会に与えられている権利です。従って、議席の過半数を占める与党が必要と認めない限り国政調査権を発動することはできません。

このような野党がなかなか立法や対案作りに必要な情報が得られない状況を解決するためには、役所の情報公開の推進と国政調査権発動条件の緩和が必要と考えます。

例えばブログ党などのように議員個人個人が法律作りを進めるようなスタイルになった場合、国政調査権を議員個人個人に付与しない限り法律案の作成が著しく困難になってしまいますが、これを実現すると各議員からの調査要求が多発するため、官僚側の事務処理は爆発的に増えてしまいます。このような事態を発生させないために、役所の扱う情報は原則公開(プライバシー関連を除く)とし、それをすべて電子化し検索可能な状態にしておく必要があると考えます。これにより、官僚の手を煩わせることなく議員は立法に必要な情報を存分に利用することができます。

また、どうしても基本的には秘密にしておかなければならない情報というものもあるでしょう。そのようなものの開示は国政調査権の発動によってのみ実施される、とした方が良いかもしれません。その場合も現在の過半数ではなく、1/3, 1/10 の賛成で開示を求めることができるなどとした国政調査権発動の条件の緩和が必要と考えます。(参考 http://www.tokyo-np.co.jp/nihonkoku-k/txt/20050513.html

 

以上述べたように議員個人個人が独立して政策を考えるようになると、立法府に属する議員は立法スキルを身に付ける、行政に属する官僚は国民とりわけ国会議員に必要な情報をすべて開示する、という原点に戻るような気がします。こんなところからもブログ党による党議拘束のない政治手法がよりよい政治のあり方につながってゆくような気がします。


西正氏のブログが開店休業状態に

2005年10月23日 | 政治・社会

放送通信融合に詳しいコンサルタントの西 正氏が ITmedia +D で公開していたブログ「西正が贈るメディア情報」が先日開店休業状態になってしまいました。楽天とTBSについて調べているときにちょっと見た程度ですが、いきなり休業と書いてあったのでびっくりしました。NHKのあり方についてのブログエントリに対するコメント欄の対応を通し、自らのネットスキルの不足があったことを反省しての行動だそうです。

現在も ITmedia に残されている西さんのブログを見ると、あるエントリーにはコメントが80件もついており、しかも数行程度の書き込みは少なく熱のこもったコメントが連なっています。中にはコメントに対し西さんが時に感情的なまでに反論しているものもありました。その反論がまたコメント主の反論を招いてしまっています。ここまでコメント欄が爆発する前から、長めのコメントを書いている人が多くそれに対し西さんも真摯に回答していました。しかしコメント主の要望や矛盾点の指摘に対し100%の対応をしようとしてしまったのが、西さんの疲弊やそれに伴う過激な書き込みを誘発してしまったのだと思います。邪推かもしれませんが、西さんの中で「何で判ってくれないんだ」「今度こそ納得させてやる」という気持ちがどんどん高まっていったのではないかと思われます。

西さんはしばらくネットからは離れ、また時機を見てネットでの活動も再開するようです。その時に今回のようにならないようにするためには、何を心がけなければならないのでしょうか。西さんのような実績のある方と私自身とを重ならせるのもおこがましいのですが、自戒の念もこめて考えてみようと思っていました。

そんな折、昨日(10/22)東京MXテレビの「談志・陳平の言いたい放題」という番組を見ていたら、評論家の西部 邁氏が面白いことを言っていました。ちょっとヒントになりそうです。

「何かopinionを言えというから、まず辞書で意味を調べてみた。そしたら面白いことにもともと『ふざけて意見を述べる』という意味からきているんだよ。考えてみればそうだよね。そもそも意見を言うなんていうのは何様でもあるまいし、『私はこんなこと考えちゃったんだけどどうでしょうか』ぐらいの気持ちで言うものじゃないのかな。それを今では大したことないやつがテレビでも何でも偉そうに意見を言っている。けしからんよね」

だいたいこんな趣旨のことを言っていました。私のブログなんてまさにそうだなーと思いました。

西さんは私のようなただのブロガーやコメンテーターとは違い十分な経歴と豊富な知識をお持ちの方なので「大したことないやつ」とは程遠い方であることは間違いありません。しかし、『意見を述べる』ということの本質は『聞いていただく』というスタンスに立つということにであり、それは経歴・知識の有無とは関係ないのではないか、と思いました。決して読み手を説き伏せるのではなく、「私はこう思うが皆さんはどう考えるか?」というスタンス、それと自分の意見が完璧ではなくても良いから読み手に何らかの考えるきっかけになれば良いというスタンス、などがブログを続ける上で必要なのではないかなと思いました。


小選挙区制の問題と中選挙区復活について~中曽根さんのコラムでも指摘~

2005年09月29日 | 政治・社会

少し前のブログで、小選挙区制によって自民党が投票数の比とは比べ物にならないほど多くの議席を獲得したことを述べました。また、小選挙区制のもとではいかに50%を超えるか、というところに注力すればよいため、ムードをうまく作れば何とかなり、カッコいい党首を選出する、一言二言でわかるスローガンを印象付ける等といった作戦になる、と述べました。このような政治の空洞化を解消するためには中選挙区制のように投票数比が議員構成比に近くなるような制度が必要ではないかと考えていました。

そんな折、9月25日の読売新聞の「地球を読む」というコラムで、中曽根康弘元首相が小選挙区制の問題について言及しています。一部分を抜粋して紹介しますが、私の言いたかったことをずばり指摘しています。中曽根さんや、小泉さんまでもが小選挙区制にはもともと反対だったのですね。

政治台風襲来の後、全国の選挙民は自己が引き起こした劇場型選挙の予想外の結果について、異常なことと驚いている。まず今回の選挙の特色を探り、従来のものと比べその様相・性格の変化と問題点を考えてみたい。

正直なところ、小選挙区制採用には小泉首相も私も反対であった。選挙民は多元社会において白か黒かの二者択一を強いられ、結果は公認権を持つ総裁や幹事長の権力が強大となり、議員・党員は執行部の顔色をうかがって行動するようになる。中選挙区制においては、複数の候補者を選ぶ結果、演説会が中心となり、候補者の立会演説も行われ「考える選挙」の性格が強い。

これに対し選挙区制は「スローガンの政治」「印象の政治」となり、劇場型の選挙は政治の深みや社会の多元性の喪失を招く。そして政党は総裁独裁型になる可能性が大である。そのような理由から反対していた小選挙区制を100%駆使して、小泉首相が今回の選挙で大勝したことは歴史の皮肉でもある。


ブログ党を提唱している私も、やはり中選挙区制が望ましいと考えます。理由は以下のとおりです。

■民意をほぼ正確に反映でき、第二、第三の意見も取り入れられる。

■小政党や個人にも魅力があれば当選できる可能性がある。政党本位ではなく、人物本位で議員を選ぶことができるようになる。

■選挙区が広くなっても、インターネットを選挙活動に用いることで選挙費用の増加を最小限に食い止めることが可能となる。従って中選挙区制が廃止になった1994年当時に比べ政治汚職の可能性は低減した。

前回のブログでも言いましたが、自民対民主の得票数は56:44です。6対4ですらありません。割と接戦だったのです。しかし結果は自民圧勝。これでは民意を反映しているとは言いがたいですね。是非とも選挙にインターネットを活用し、民意を正確に反映できる中選挙区制の導入を期待したいものです。


SONY構造改革 社内カンパニー制の廃止について

2005年09月23日 | 政治・社会

9/22にSONYは社内カンパニー制を廃止して経営資源を集中し、ヒット商品を出せるようにすることを中期経営計画として発表しました。今回のブログでは、社内カンパニー制について議論したいと思います。

社内カンパニー制を導入すると、各事業部が独立に採算を勘定することになるため、採算の良いカンパニーと悪いカンパニーがガラス張りとなります。それによって

  • 不採算カンパニーの建て直し・切捨ての判断が迅速に実施できる
  • カンパニー間の競争を自動的に促す効果が生まれすべてのカンパニーで採算性が向上する
  • カンパニーの判断で新商品を出せるようにすることで市場投入タイミングを迅速にする

などの効果を期待して経営効率を高めようとする方法で、5-10年前に流行しました。 しかしながら、あまり成功していないように見えます。その理由として例えば下記のようなことが挙げられます。

  • 各カンパニーで同じような商品を作ってしまう。結果として開発費の重複投入や、結局それぞれが中途半端な商品となって、市場に受け入れられない。
  • 他カンパニーとの取引において自カンパニーの採算のみを考えて行動するために、自カンパニーがよければ他のカンパニーや会社の収益なんか二の次だ、とのメンタリティーが従業員に染み付いてしまう。
  • オーバヘッド組織(総務とか経理とか)をカンパニー毎に設ける必要があるため、アウトソーシングなどによるスリム化効果が薄い。

私見では、社内カンパニー制とは実はまやかしではないかと考えます。事業領域がまったく異なり、シナジー効果もほとんどない、ということであれば別会社として経営すればよいはずです。事業部毎に対象とする市場が重なるのであれば、多少事業内容が違っていても同一会社とし、持てる経営資源を最大限活用して商品を開発する必要があるのではないか、と考えるからです。

 上記で示した社内カンパニー制導入の理由を見てみると、どうも市場よりも「経営の都合」を優先しているように思えます。あるいは短期的な「株主に対するわかりやすさ」を優先しているように思えます。確かに社内カンパニー制であれば経営は一見やりやすそうです。数字で採算性が出てくるので、その背景を考慮することなく不採算部門についてプレッシャーをかけたり、一律xx%カット、みたいな経営ができるでしょう。こういう風に構造改革します、といわれれば株主も「なるほど」と思えてしまいそうです。

 しかし、これは極端な言い方をすれば、経営を各カンパニーに「丸投げ」している状態といえるでしょう。そもそも、うちの会社はこの商品で勝負する、この分野からは撤退する等といった会社全体の戦略なしにどうやって会社の業績を伸ばしてゆくのでしょうか。社内カンパニー制では経営の実態を商品単位・市場単位で見ることなく、カンパニー単位でみてゆくことになります。どうしても時が経てば(といっても1年程度の時間ですが)現実の市場の実態とカンパニーの事業領域との間にずれが発生するため、毎年のようにカンパニーの事業領域見直しが発生します。実際カンパニー制導入後のSONYの迷走ぶりはakoustamさんのブログに詳しいです。本当に1年毎に組織の見直しが入っています。これはカンパニー組織が市場の要請に対応できていないことを示しています。

経営を各カンパニーに丸投げしていては、会社としての「選択と集中」は実施できないのは明白です。選択と集中というのは単なる人減らしのリストラではなく、有限である経営資源を利用し、いかに効率よく市場に便益を提供するか、ということを考え抜く作業になるわけです。これは会社の命運をかけた重要な仕事であり、これこそ経営陣の手腕が求められるところです。 この経営層が実施すべき重要な仕事をサボってきたつけが、今のSONYの状況にあわられていると思います。9/22の中期経営計画の発表ではそのことに触れ、不採算部門からの撤退、コアコンピタンスな部分に経営資源を集中するとしています。これからのSONYに注目してみましょう。


'05 衆院選 本当に自民党は強い信任を得たのか?

2005年09月18日 | 政治・社会

先週の衆議院選挙は、自民党の圧倒的な勝利に終わりました。これは先日のブログでも述べたように、自民党がうまく選挙を戦ったのが勝因と考えられます。しかし、有権者の多くがここまで劇的に自民党が勝利するとは思っていなかった様子がニュースなどでも報じられています。自分で投票しておきながらいまさら何を言っているのかと思っていたのですが、実際の投票行動を定量化してみたところ、有権者が驚くのも一理あるかなと思うようになりました。

まずは今回の衆議院選挙で自民党・民主党が獲得した議席数を下記に示します。カッコ内は自民党と民主党の獲得議席の比率です。

政党名 総議席数 小選挙区 比例代表
自民党 296 (72%) 219 (81%) 77 (56%)
民主党 113 (28%) 52 (19%) 61 (44%)

自民党の圧勝ぶりは総議席数において自民72%対民主28%からも見て取れます。もっと驚異的なのは小選挙区で、自民党がなんと8割以上の議席を獲得しています。
一方、あれほど小選挙区で圧勝した自民党ではあったのですが、比例代表では自民56%対民主44%であり、自民と民主の間は圧勝・惨敗というほどの差は開いていないことがわかります。直感的に言うと、有権者の感情としては総議席数や小選挙区の結果よりもむしろ比例代表の結果の方がしっくりくるのではないかと思います。

そこで、小選挙区において両党がどのくらいの票を獲得したのか集計した結果を以下に示します。

政党名 総得票数
自民党 32,414,591 (56%)
民主党 25,045,862 (44%)

この比は比例代表の結果の比とぴったり一致します。当たり前といえば当たり前ですが、小選挙区で自民党の候補者に投票した人は比例区でも自民党に投票するし、小選挙区で民主党の候補者に投票した人は比例区でも民主党に投票する人がほとんどだったということがわかります。従って、有権者の感情としては、そこまで自民党に圧勝させたつもりは無く、民主党よりはややましかな、程度の気持ちだったのではないかと推察します。

ではなぜ小選挙区では実際の得票数との比とかけ離れた結果になるのでしょうか。ここに小選挙区制の問題点があります。

ご存知のとおり小選挙区制では、各選挙区で1名の候補者のみが当選します。従って、1位の候補者と2位以下の候補者との支持率が圧倒的に差がある場合は、十分民意を反映しているといえますが、1位と2位が僅差であった場合、2位の候補者に投票した有権者の票がまったく反映されないことになってしまいます。

冒頭の図は、今回の自民党の得票数(対民主党比)を選挙区ごとに集計し、比の小さいものから並べなおしたものです。この図を見ると、自民党に投票した人が50%から60%くらいの選挙区が圧倒的に多く、獲得議席数の比である70%や80%といった得票を得た選挙区はごくわずかしかありません。小選挙区は50%を超える得票を得れば当選ですから、基本的には50%のラインを超えればほぼ当選になります(※この図は自民・民主以外の党を計算に入れていないので多少の誤差を含んでいます)。民主党としては、この50%から60%のなだらかなラインをいかに10%程度下にシフトさせるかが、小選挙区における勝利のポイントとなります。

つまり今の状態から10%の有権者を自民党から民主党に鞍替えさせれば圧勝できるわけです。10%ですから、ムードをうまく作れば何とかなりそうです。で、取る作戦としては、カッコいい党首を選出する、一言二言でわかるスローガンで政治を進める、といった、まさに今の自民党と同じような戦略になるでしょう。このようなことを続けてゆくと、政治の空洞化を招くことになります

こうした政治の空洞化を避けるためには、民意がより正しく反映できる中選挙区制を復活する必要がありそうです。そのあたりの考察はまた後日行いたいと思います。

少なくとも今回の調査でわかったことは、大多数の有権者は「自民と民主とを比べたら、どっちかといえば自民かなー」という程度であり、自民党を信任しきったわけではない、ということです。


自民歴史的圧勝、民主惨敗の理由

2005年09月13日 | 政治・社会

昨日の総選挙では、自民党が解散前よりも議席を大幅に伸ばし、一方民主党は多くの議席を失いました。自民党は非常にうまく選挙を戦った、一方民主党は後手後手に回ったしまったということが如実に表れています。

自民党の戦術として、今回特にハマったのが

  1. 争点を郵政民営化一本に絞り、国民の関心をその1点のみに集中させわかりやすくしたこと
  2. 民営化反対派議員の公認をせず「刺客」を送り込むことで、自民党でも改革が可能であることを強烈にイメージさせたこと。
  3. 「郵政民営化」=「改革」を有権者に意識付けすることで、野党を民営化反対派議員と同じく「抵抗勢力」に見せることに成功したこと

などがあげられると思います。これらの戦術はすべて、選挙にならないと支持政党が定まらない「浮動票」に対して非常に効果的だったといえるでしょう。

一方民主党の敗因としては、以下の点が挙げられると思います。

  1. 郵政民営化以外にやることがいっぱいあると主張してきたが、郵政民営化を後回しにして良い理由、与党の「改革案」を否決しなければならない理由が有権者に理解可能な形で提示されず、主張が何なのかが非常にわかりにくかったこと
  2. 郵政民営化法案に反対したことで、結局改革できる能力を持たず、与党の言うことは何でも「反対」するだけの旧来の野党のイメージから脱却できなかったこと


今回の結果を受け、以下の感想を持ちました。

(1)争点をわかりやすくした選挙は有権者の関心を集められる。本来難しい政治課題をわかりやすく説明する能力が今後の立候補者には求められる。

多くの有権者はテレビなどの報道で「郵政民営化」=「改革勢力(善玉)」「民営化反対」=「抵抗勢力(悪玉)」くらいの認識で自民党に投票したのではないかと思います。本当のところは自民党の主張と民主党の主張と良く比較した上で、どちらが自分の意見により近いかを吟味して投票するべきだと思いますが、いきなりそんなところまで有権者に期待するのはさすがに難しいと思います。しかし今回の選挙でまかりなりにも政策本位の選挙を経験したので、徐々に国民の政治への関心も高まってきたことと思います。次回以降は本当は複雑な争点をいかに適切にわかりやすくするか、という技量が各政党には求められるでしょう。

(2)自分をひいきにしてくれる特定の団体の利害ばかり考えていたのでは選挙に勝てなくなってきた

民主党は郵政民営化に反対する理由として、やっても効果がないとか、そのうちやらないといけないが今やら無ければいけない理由がない、などと主張してきました。しかし本当に民主党が郵政民営化に反対しなければならなかった理由は、全郵政など郵便局員で構成される労働組合を支持基盤として抱えているためです。彼らの支持を得るため、郵政民営化賛成に踏み切れなかったのではないかと考えます。しかし大半の浮動票はそのようなしがらみを持たない人たちであり、特定の団体の権益などはどうでもよく、「自分にとってどちらが良いか」「国にとってどちらが良いか」という評価軸で投票する政党を決めるので、今回の民主党の煮え切らない態度に不信感を募らせたのではないかと考えます。
これからの選挙は、いくら自分の党によくしてくれるからといって特定の団体の権益を守るような政治手法をとった党が、冷静な浮動票の厳しい目にさらされてしまうのではないかと思います。


特定の団体の権益を守ることで支持を得る政治手法と対極的にあるのが、ブログ党による党議拘束のない議員個人個人の意見で支持を集める政治手法と考えます。また本来は複雑な政策をわかりやすく国民にアピールする能力が必要です。わかりやすく伝えるには、テレビや新聞ではなく、インターネットのようにいつでもアクセスでき、動画も音声も自由に扱えるメディアが必要です。今回の選挙の結果を見て、ブログ党の必要性を再認識したところです。


一般道で初めて80キロ!!

2005年09月03日 | 政治・社会

一般道初めて80キロ!

栃木の一部区間で始めて一般道の制限速度が80キロになるとのことです。 NHKとか総選挙等といった話題に比べるとかなり地味な話題かもしれませんが、なにげに私は注目しています。

ヨーロッパでは街中は日本と同様40~50キロ制限ですが、町を外れると80キロ制限、なんてところがざらにあります。それに比べ、日本の道路はどんな田舎でも基本的には60キロ、ということで、非常に効率が悪いなーと思っていました。そして誰も走らない高速道路を巨額の費用をかけて開発して借金を国民に払わせる、などという無駄をやってきたわけです。

特に北海道などを走っていると、町と町の間は平均でも80キロぐらいで流れており、あの程度のスピードが出せるならば確かに高速道路は要らないな、と思っていました。でも北海道はスピードの出しすぎで交通事故が多発しているので、そこで暮らす地元住民のことを考えると、スピード天国にならないような配慮も必要です。80キロを超えたら通常以上に厳重に取り締まる等といった対策はしっかり立てる必要があるでしょう。例えば、通常の一般道では30キロオーバーで免停なのですが、10キロオーバーの90キロでも免停とか