伯父の戦記_27_甲板整列と山腹の灯(2)

2007-08-10 | 伯父の戦記



 「伯父の戦記」の本編、「甲板整列と山腹の灯火」の第2回です。
 伯父が初めて任務に就いた「戦艦比叡」の中では、旧日本(帝国)海軍の厳しい、過酷な環境が待っていたようです。
 交戦前に兵士を鍛え上げて本番に備える目的とはいえ、伯父が「リンチ」とまで書いた海軍の厳しさが感じられました。

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前回より続き)

 私は第五分隊「副砲分隊」に配置が決まった。暫くすると複雑な構造の艦内、狭い通路を通って居住区に案内された。一歩足を踏み入れた瞬間、そこに見えたものは余りにもよく整理整頓がされている居住区である。デッキには塵一つない。大砲はピカピカに磨かれ輝いている。何か厳かな神殿に入ったような錯覚すら覚えた。
 私は、こんな立派な居住区で今日から比叡の乗員として勤務できるかと思うと身が引き締まるのを感じた。又、艦内の生活すべてが拡声器から流れてくる「信号ラッパ」、そして「号笛」によって動く。その動作は迅速かつ機敏でなければならない。艦内の狭い通路といわずラッタル(注:梯子のこと)の昇降にいたるまですべて駆け足で行動している。歩いている者は一人もいない。

 さて、艦内の一日の日課は、総員起こし5分前から始まる。朝礼、体操、甲板掃除、食事、そして訓練。一日の作業が終わると一番待ち遠しいのは「酒保許す」の号令である。それから又最後の「甲板掃除」、そして「巡検」、「煙草盆出せ」、となり次に僅かの自由時間がもらえることになっている。その自由時間終了後は釣床ハンモックにつくのである。これで日課はすべて終了したことになる。
 だがしかし、現実はいささか違っていた。甲板掃除終了後巡検、そして「煙草盆出せ」の号令がかかっても新兵は煙草を吸う暇さえない。というのも巡検後直ちに甲板整列という行事があるのである。これが有名な帝国海軍の名物、若い兵隊に対する海軍精神注入のシゴキといわれる甲板整列であった。この光景を乗艦後はじめて見せられたのである。
 まず下士官より今日一日の兵隊の訓練、行動、態度等について、威圧的な鋭い声で叱咤と怒号が浴びせられる。この間、他の下士官は「海軍精神注入棒」をデッキにドスン、ドスンと叩きつけ、調子をとりながら列の周囲を廻っている。兵隊は息を殺し身を縮めながら聞いている。数分の、一応の叱咤怒号のお説教が終わると、次は「一歩感覚に足開け」の号令から始まる、顎をはずすという「ビンタ」の行事と、精神棒による海軍精神の注入が始まるのである。
 兵隊は歯を食い縛り、足を開いてこのリンチに堪えるのである。よろける者、倒れる者、その都度罵声、怒号が飛び交い、徳川時代の刑罰を再現するのである。そして又、下士官から一等兵、二等兵、三等兵へと順送りされるので、一番若い兵隊はたまったものでない。この牛馬の如き扱いに自殺者まで出した旧海軍の教育、戦後数十年経った現在もなおその憤りは消えない。その恐怖を初めて見せつけられたのである。
 この時、私は海兵団の教班長がよく言っていた言葉を思い出した。「お前達よく聞け、艦隊に配属されたら、こんな海兵団位の制裁ではすまされないぞ。覚悟して行け」と。それが今、私の目の前で現実にその苛烈な制裁が展開されているのである。

 さて、数十分後その整列を終わった兵隊達はホッとしたのか蜘蛛の子を散らすかのうように散って行く。私はこれで今日の日課はすべて終了したものと思い、恐ろしさと興奮さめやらぬまま居住区に戻った。
 ところが、そこには今、甲板整列から戻った兵隊達が休む暇もなくうす暗い電灯の下で無言のまま上官の靴を磨いたり、洗面器を磨いたりしていた。私は新兵故にこの艦内の監獄の如きしきたりを知る由もなかったが、先輩達の仕事をまのあたり見て、同情と労りの気持ちで身の置き所もないまま見守るばかりだった。

(以下続く)

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