伯父の戦記_55_移動防空中隊

2007-11-03 | 伯父の戦記



 伯父の戦記の25話め「移動防空中隊」です。
 伯父達がカビエンで負った任務は飛行場を守ることでしたが、その飛行場は敵の攻撃で破壊されつくし、伯父達は守るべきものを失っていました。そして食糧調達に明け暮れるばかりの日々の中で、何とか敵に一矢報いたい思いからある作戦に打って出ました。
 日々の糧にも困窮しながら、生き延びることだけでなく、尚も抗戦しようとした旧日本軍の士気・執念は衰えていなかったことが伺えます。

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 昭和19年10月頃には、敵機100機以上の猛爆撃も影を潜めた。これは云うまでもなく、我がカビエン飛行場には既に味方機の姿は一機も無く、飛行場は砲爆撃等により破壊されたままの惨状となっていたからである。
 それに引き替え敵側は、我がカビエン周辺の島々を奪回し、次々と基地を建設し、そこからP38(双胴の戦闘機)、或いはF40戦闘機を配備し、毎日のようにカビエン上空に飛来し、我々の行動を監視するようになって来た。
 そしてその空の下では、前にも述べたように我々は汗と泥にまみれ、病魔と戦いながらの苦しい農耕作業が強いられていた。

 この時の心情は、憤懣遣る方なく、唯唯「忍」の一時で空を見上げたものだった。しかし悩んでばかりでは居られない。我々の眼前には飢餓と云う恐ろしい宿命が大手を広げて待っている。
 この宿命を打破するには、敵機を相手にせず専ら農耕に精を出し、生命の維持に務めなければならない。
 どうしても我慢出来ないのが、上空を我が物顔に飛んでいる敵機である。これを何とか出来ないものか、と日夜頭を悩ませていた。

 そんなある日、誰の立案かは覚えていないが、先ず「カビエン上空に飛来して来る迄の飛行コースを先回りした奇襲をかけ、敵機に一泡ふかせてやろう」という作戦が出された。
 これは早速実行に移す事になり、陣地から25ミリ二連装機銃を取り外し、トラックに積み固定する。そして3台のトラックを以て移動し、攻撃する事になった。
 今日はカビエン~ナマタナイ間の地点、明日はナマタナイ~ウルウル間、明後日はレマコート地点にて攻撃をかける。その翌日の地点は不明。正に神出鬼没の陣地がここに編成されたのである。

 その効果は見事に的中した。今日も敵4機編隊は普段と変わらぬコースを超低空で自信満々、鼻歌気分で飛行して来た。
  ところが陣地も何も無い筈の所から突然の攻撃を受けた。一機が火を吹きながらジャングルに墜落していった。そのため敵機は泡を食って四散し、高度を取りカビエン方向に姿を消した。
 これで敵パイロットは、基地に帰るや早速、新しく○○地点に機銃陣地が出来た旨の報告をしている事であろう。
 次の敵はどう来るか?楽しみでもあった。しかも我々の移動陣地は、翌日には彼等の報告した○○地点には居らず、二日目、三日目と絶えず移動し、攻撃していた。敵側もこの神出鬼没の陣地には、相当の神経を酷使したであろう。その様子は我々から見ても良く窺えた。これ以来、敵機の飛行は緊張した飛行に変わっていった。

 この4日間の攻撃で1機撃墜、3機撃破と云う戦果を挙げた。我が方に損害無し。又何よりも気分の良かった事は、敵機を撃墜破した事ではなく、むしろ我が物顔で飛来して来る敵パイロットに対し、精神的にも一矢報いた事に満足感のようなものを得る事が出来た事である。  (完)

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3 Comments

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チビタンママさまへ (non_B)
2007-11-05 09:54:34
私がこの章を読んだとき、伯父達が軍人たる姿勢を失わなかったことに驚き、チビタンママさまと同じく胸のすく思いでした。
農耕作業に追われながら、かつ補給を絶たれた状況で、限られた銃火器、車両を温存させ、攻撃の機会を伺っていた事に伯父達の執念や誇りを感じます。

丸腰状態の日本軍や一般市民に攻撃を仕掛けていた米軍の卑劣な面は、多く語られていませんね。
東京大空襲の様な都市空襲も無差別テロじゃないかと思います。
9.11で大騒ぎするお国柄なのに、極東で数万人が一夜にして殺戮されたことは「止むを得なかった作戦」で済まされるのはおかしなことだと思います。

この話の後の伯父達の戦闘ぶりは、実は残念ながら記録されていません。伯父が書いた戦記は残り2編です。
全編を通して読み返してみると、伯父達が戦闘で勝利した記録は少なく、伯父が従軍した太平洋戦争後半は、やはり日本軍の敗退の記録でした。
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Unknown (チビタンママ)
2007-11-04 19:37:05
戦闘機及び武器弾薬も底を尽き、迎撃することもなく毎日農作業にいそしむ丸腰の日本兵を薄ら笑いで狙い撃ちする敵機。
(本土でも一般市民がそういう状況で殺された例が多々あると聞きます)
米軍は思わぬ返り討ちに、さぞかし肝を冷やしたことでしょう!!!
窮鼠猫をかむという教訓が全く生かされなかったベトナム戦争の折、父母がアメリカに対していい気味だと言っていたのが今でも忘れられません。
もちろん、あの戦争はホーチミンがベトナム国民を謀った結果の勝利だったことはわかっているのですが。

伯父様達のこのささやかな勝利が後に敵からさらなる攻撃を受けることを予測させ、遠い過去の事とはいえ不安な気持ちになります。

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Unknown (チビタンママ)
2007-11-03 14:13:47
今回は胸のすく思いがしました!!!
後ほどゆっくりコメントさせていただきます!!!
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