goo blog サービス終了のお知らせ 

多摩蘭坂

2009-05-04 | Music


 今朝は6時前に目が覚めてしまいました。昨日が宿直明けで、またもや不規則な睡眠パターンに陥ってしまったようです。公休なのだからゆっくり寝ていればよいものの、ゴロゴロと寝返りを打つばかりで落ち着きません。

 7時半に家を出て、隣町の国立まで行ってみました。その国立市と国分寺市を結ぶ「多喜窪通り」の両市の市境に「たまらん坂」という、車で登るならどうということはないけれど、自転車を漕いで登るにはちょっと辛いくらいの坂道があります。バス停名は「多摩蘭坂」となっていますが、これは当て字のようです。

 「たまらん坂」の謂れは、国立にある一橋大学(東京商科大学)の学生達が、昭和のはじめの頃、まだ林道のようだったこの急な坂道を行き来するときに「これは堪らん」と言っていたことから、という説が有力です。

 「たまらん坂」が「多摩蘭坂」となったのは、亡くなった忌野清志郎が作詞した同名の歌からでしょう。
 「坂の途中の 家を借りて 住んでる...」
 と彼が書いたことからファンの間では有名な地になりました。実際に彼は、国立市内で下宿していたそうですが、古い写真などを見ると、その当時この坂の両側は空き地だったようです。従って歌詞にあるように、この坂の途中にある家を借りて住んでいたわけではないのですが、それでもファンは幻想を抱いてしまうようです。

 今日の日付で、坂の途中の建売住宅の現場に落書きがありました。
 忌野清志郎の歌詞は、そのシーンが思い浮かびやすい、具体的な言い回しが多く、地名が登場することもしばしばでしたが、その中でも「多摩蘭坂」はピンポイントで歌詞に登場した場所です。
 「多摩蘭坂」が歌われて以来、この坂道には落書きが絶えませんでした。

 たまらん坂の下端に道標がありますが、花が手向けられ、お酒などが供えられていました。これらも忌野清志郎のファンの人たちが供えたのでしょう。

 去年は、一度は快方に向かいライブも行なった忌野清志郎ですが、人前に出たのは11月が最後でした。それから半年強が過ぎて、いきなりの訃報でしたから、昨日の宿直明けの朝に携帯でニュースを見たときは驚きました。
 帰宅してからはYouTubeで彼やRCサクセションの動画を観てばかりでした。小さな身体で、声量も大きい方ではなく、綺麗な声でもない、でも独特な歌い方。桑田啓祐も洋楽調の曲に日本語の歌詞を上手にのせて歌いますが、忌野清志郎は、日本語をブルースやロックンロールに、独特なのせ方をこなしてたように思います。万人うけはしなかったかもしれないけれど、「千人うけ」くらいはしていたんじゃないでしょうか。

 もっともっと彼の歌を聴きたかったけれど、もう叶いません。

Comments (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Virginia Fried Chicken | TOP | “Long Time Ago” by The Timers »
最新の画像もっと見る

4 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (みすず)
2009-05-04 18:05:46
カッコイイ人だったよね~。

かなしーです。
返信する
みすずさんへ (non_B)
2009-05-04 18:42:46
いつかRCサクセションとして復活することを願っていましたが、もう叶いません。

(元)ロック少年・少女に与えた影響は、とてもとても大きなものだったと思います。
今朝、8時前だというのに、私と同じように「多摩蘭坂」近くには、わざわざ来たと思われる人が数人居ました。
返信する
Unknown (コタローママ)
2009-05-04 21:18:25
自転車で都内を走り回っている人というイメージでした。
自転車盗難騒ぎのときに、返してくれーとテレビでアピールなさっていたのが昨日のことのようです。

たまらん坂の言われは知りませんでした。
確かにあの坂は自転車では登れない
返信する
コタローママさまへ (non_B)
2009-05-04 22:44:14
'80年代、30代にして既に肝臓疾患のあった清志郎は、ガン発見の前から健康には気を配っていたようです。
そんな最中の自転車盗難騒ぎでしたね。

たまらん坂は、多摩北部から多摩川下流域まで続く「国分寺崖線」にあたります。
けっこう高低差がある崖線ですから、ここを一気に登るのはさすがに大変ですね。
返信する

post a comment

Recent Entries | Music