

今朝は6時前に目が覚めてしまいました。昨日が宿直明けで、またもや不規則な睡眠パターンに陥ってしまったようです。公休なのだからゆっくり寝ていればよいものの、ゴロゴロと寝返りを打つばかりで落ち着きません。
7時半に家を出て、隣町の国立まで行ってみました。その国立市と国分寺市を結ぶ「多喜窪通り」の両市の市境に「たまらん坂」という、車で登るならどうということはないけれど、自転車を漕いで登るにはちょっと辛いくらいの坂道があります。バス停名は「多摩蘭坂」となっていますが、これは当て字のようです。
「たまらん坂」の謂れは、国立にある一橋大学(東京商科大学)の学生達が、昭和のはじめの頃、まだ林道のようだったこの急な坂道を行き来するときに「これは堪らん」と言っていたことから、という説が有力です。
「坂の途中の 家を借りて 住んでる...」
と彼が書いたことからファンの間では有名な地になりました。実際に彼は、国立市内で下宿していたそうですが、古い写真などを見ると、その当時この坂の両側は空き地だったようです。従って歌詞にあるように、この坂の途中にある家を借りて住んでいたわけではないのですが、それでもファンは幻想を抱いてしまうようです。
忌野清志郎の歌詞は、そのシーンが思い浮かびやすい、具体的な言い回しが多く、地名が登場することもしばしばでしたが、その中でも「多摩蘭坂」はピンポイントで歌詞に登場した場所です。
「多摩蘭坂」が歌われて以来、この坂道には落書きが絶えませんでした。
去年は、一度は快方に向かいライブも行なった忌野清志郎ですが、人前に出たのは11月が最後でした。それから半年強が過ぎて、いきなりの訃報でしたから、昨日の宿直明けの朝に携帯でニュースを見たときは驚きました。
帰宅してからはYouTubeで彼やRCサクセションの動画を観てばかりでした。小さな身体で、声量も大きい方ではなく、綺麗な声でもない、でも独特な歌い方。桑田啓祐も洋楽調の曲に日本語の歌詞を上手にのせて歌いますが、忌野清志郎は、日本語をブルースやロックンロールに、独特なのせ方をこなしてたように思います。万人うけはしなかったかもしれないけれど、「千人うけ」くらいはしていたんじゃないでしょうか。
もっともっと彼の歌を聴きたかったけれど、もう叶いません。
かなしーです。
(元)ロック少年・少女に与えた影響は、とてもとても大きなものだったと思います。
今朝、8時前だというのに、私と同じように「多摩蘭坂」近くには、わざわざ来たと思われる人が数人居ました。
自転車盗難騒ぎのときに、返してくれーとテレビでアピールなさっていたのが昨日のことのようです。
たまらん坂の言われは知りませんでした。
確かにあの坂は自転車では登れない
そんな最中の自転車盗難騒ぎでしたね。
たまらん坂は、多摩北部から多摩川下流域まで続く「国分寺崖線」にあたります。
けっこう高低差がある崖線ですから、ここを一気に登るのはさすがに大変ですね。