去年のことですが広島県福山市の寺社めぐりを。
で、やってきたのは草戸稲荷神社です。
芦田川の川沿いに草戸稲荷神社があります。
この神社は京都伏見稲荷の系列の中における日本稲荷5社の中の
一つだとかで、初詣には30万人とも50万人とも言われる人出で
賑わいます。福山市では一番人気みたいです。
なんかすごい参拝の列ができるみたいです。
太鼓橋からみる朱色の社殿は、後ろの山の緑の中に一段と生え
神社と言う厳かな雰囲気を味わう事が出来ます。
後ろの山は山岳公園になってるみたいです。
本殿は拝殿の裏にあって目立たないものであったが、昭和時代末期に
コンクリート構造物が構築され、その上に移設されたそうです。
本殿上から福山市中心部を一望することができます。
天気はいまいちでしたが。
祭神は保食神、宇加之魂神、大己貴神の三神。
境内には二十社近い稲荷神社と八幡神社が末社として
祀られてるんだとか。
平安時代の807年(大同2年)に明王院を開基したとされる
空海上人が同寺の鎮守として祀ったのが最初とされるそうです。
ほんと特徴ありますよね。
住所は広島県福山市草戸町1467番地 。
119枚目。
ご訪問ありがとうございました。
広島県福山市内の御朱印あつめを。
去年のことですが。
やってきたのは明王院(みょうおういん)。
たまたまみつけたので来ちゃいましたみたいなね。
真言宗大覚寺派の仏教寺院で本堂と五重塔は国宝。
中国三十三観音霊場第八番札所、山陽花の寺二十四か寺第十八番札所。
ついでによったらけっこう由緒があるお寺でした。(^∇^)
寺伝によると、明王院の前身である「常福寺」は807年(大同2年)に
空海(弘法大師)によって創建されたそうです。
この由来の根拠は江戸時代に作成された棟札によるものであるが
ほぼ同時期に作成された棟札がもう1枚あり、こちらには大同年中に
「初住持沙門」と呼ばれる僧侶によって創建されと記されているんだとか。
本尊十一面観音像は平安時代前期にさかのぼる作品であり
寺の草創もその頃にさかのぼるものと推定されるみたいです。
国宝。明王院五重塔。
南北朝時代の貞和4年(1348年)に建立された純和様の
五重塔。初層内部の四天柱(仏塔の初層内部に立つ4本の
柱をさす)板壁などには極彩色の仏画や文様が描かれている。
初層の来迎壁(仏壇背後の壁)の「兜率天曼荼羅図」は江戸時代に
寺外に流出し現在は東京国立博物館の所蔵となっている。
相輪の刻銘には、この塔が当時の繁栄した草戸千軒の経済力を
背景にささやかな民衆の浄財を募って建立されたことが
明記されているそうです。
国宝。明王院本堂。
入母屋造、本瓦葺き。桁行(間口)、梁間(奥行)とも
5間(「間」は長さの単位ではなく柱間の数を表す)。
内陣蟇股の墨書から鎌倉時代の元応3年(1321年)の建立と
判明する。和様建築に鎌倉時代以降の新様式である
大仏様(だいぶつよう)、禅宗様を加味した折衷様建築の
代表例とされている。
内部の外陣に見られる輪垂木(わだるき)を用いたアーチ型の
天井は近世の黄檗宗寺院の建築には見られるものだが
中世には他に例がない。外面の桟唐戸、断面が円形に
近い虹梁(こうりょう、堂内の柱間に架けた水平材)などは
大仏様の要素であり、粽(ちまき、柱の上部をすぼめること)
台輪(柱上の板状の水平材)、渦巻文様の木鼻
(貫などの水平材の端部の装飾彫刻)などは禅宗様である。
虹梁を柱頂より一段高く持ち上げるために
斗(ます)や絵様肘木を複雑に組み合わせた架構を見せるが
これも他に類例のないものであるんだとか。
住所は広島県福山市草戸町1473
118枚目。
ご訪問ありがとうございました。
去年、広島県福山市の御朱印あつめに
まわったのですが、福山城が見えたので行ってみました。
お城自体は昭和20年(1945年)の福山大空襲で焼夷弾2発が命中して
焼失してます。う~ん、残念。
写真だけとって天守には登ってません。
その後天守の跡は焼き付いた石垣のみが残る姿となっていたが
昭和41年(1966年)に天守が鉄筋コンクリートにより再建されました。
古写真等の資料が比較的多く残っていたにもかかわらず
史実よりも現代的な美観が優先されたことや建築基準法に従ったことなどから
窓の形状や配置など多くの点が旧状と異なっているそうです。
そのため、第二次世界大戦で焼失したのち復興された天守の中で
最も不正確な姿での再建となり、「復元」ではなく「復興」に
分類されているんだそうです。復元されていればもっと観光名所に
なったかな。
福山市内が見渡せます。
えっ!えっ!なんか教会が見える~。由緒がありそうな
デカイ教会なんてあったの?聞いたことないな~と思いながら
写真だけ撮って見ました。
で、帰ってきて調べたらセント・ヴァレンタイン大聖堂なんていう
結婚式場でした。
本物の大聖堂なら観光名所になってるだろうから
聞いたことあるハズだものね。
福山城をあとにあらたな神社をめざしました。
ご訪問ありがとうございました。
去年の話です。広島の福山市の御朱印めぐりを。
やってきたのは備後護国神社。
明治元年、福山藩主・阿部正桓が、石見益田の役と
箱館戦争での戦死者の霊を祀るために
旧深津郡吉津村に招魂社を創立したのに始まるそうです。
明治26年に福山公園(現在の福山城)の本丸人質櫓跡に遷座し
明治34年に官祭福山招魂社に改称。
昭和14年(1939年)に内務大臣の指定を受けて
福山護國神社と改称。
社殿を阿部神社の本殿を改装したうえで合祀することが決定し
昭和31年(1956年)に復興し、それに合わせて福山藩主の
阿部氏が建立した阿部神社は境内社として残っています。
現在の「護国の英霊」以外の祭神は、このとき合祀されたものである。
翌昭和32年(1957年)に備後護国神社に改称したそうです。
阿部神社の時代には参道は南側にあったが
焼失した備後護国神社を移す際に参道石段を西側に移すとともに
拝殿神門が建立されている。そのため、西側から参拝するのが
正式であるが、はじめの写真のように南側からも参拝するのは可能です。
この神社の境内には宮本武蔵が座ったとされる「腰掛石」が
安置されています。武蔵は巌流島の決闘ののち
大坂の役(慶長19年(1614年) - 元和元年(1615年)において
俗説では豊臣方として参戦したとされているが
文献では徳川方である水野勝成の陣において嫡子の
水野勝重付として名前が記されているそうです。
腰掛石で伝承によれば寛永年間(1624年~1629年)に
武蔵が福山を訪問したとき勝成の従兄弟で水野家二番家老である
中山将監の屋敷で饗宴が催され庭園で腰を掛けた石だとか。
そして水野家断絶後に入封した阿部氏の時代にも家老下宮三郎右衛門の
屋敷に引き続きあったが、福山藩廃藩に際して当時の阿部神社に
奉納されたといわれてるんだとか。
よくある伝承話なんですけどね。
福山藩7代藩主、阿部 正弘(あべ まさひろ)。
ペリーの再来により、日米和親条約を締結したときの老中。
117枚目。
住所は広島県福山市丸之内1-9-1。
ご訪問ありがとうございました。
去年の話ですが広島県の福山市の神社めぐりを。
で、やってきたのは三蔵稲荷神社。
三蔵稲荷神社は、福山の開祖、水野勝成公が福山城を築城する時に
守護神として祀った神社です。
勝成公は二十一歳の時、三河国刈屋の城より放浪と武者修行の
旅に出ました。その際に、祖父、忠政公が京都伏見稲荷大社より
受けられたご神体を授かりました。
勝成公は、四国・九州での戦においてもご神体を肌身離さず持ち続け
お稲荷さんのご加護を受けることができました。
元和五年(1619年)、この福山の地に城を築き、城内の北側(鬼門)に
備後の国の守護神としてお祀りしたのが、三蔵稲荷神社の起源だそうです。
江戸時代、後期のお話。
福山藩主、阿部家のお納戸役(金銭管理の役職)の武士が
藩のご用金をたくさん持って、福山から江戸に向かいました。
この道中は、どろぼう”や強盗が頻繁に現れて
危険であると言われていました。
ときに人殺しもあったそうです。例外なく、お納戸役の武士も何度か
襲われてしまいました。しかし、不思議なことに、いつもどこからともなく
一人のいかめしい武士に助けられるのでした。それが何度も続きました。
その武士に名前を聞いてもどうしても教えてくれません。
ある時、逃げようとする武士にお納戸役が武士の袖を
つかみお願いします。「せめてお名前だけでも。」
「わたしは、福山の城北にやっかいになる、三蔵と申す者で
ございます。」と言い残し、武士は姿を消してしまいました。
福山の城北といえば、お宮やお寺の多いところで
人が住むようなところではない。お納戸役は、ようやく気付きます。
あのお方は、城北の稲荷神社のお使いギツネ様であると―。
お使いギツネ様は、福山藩主を始め、多くの福山藩武士たちを
守っていたそうです。
この出来事を機に、阿部家の江戸屋敷と福山城内に
三蔵稲荷の社をつくって祀りました。
それから何十年か経った安政二年(1855年)
江戸に大地震が起きました。そのときに、江戸屋敷にいた
阿部正弘公は、家来たちと屋敷の外に慌て逃げるときに
屋根の上に、三蔵ギツネがいることに気付きます。
そして、大慌てで逃げ惑う家来たちに、三蔵ギツネの存在を告げました。
お陰で、家来たちは落ち着きを取り戻し、火元を消したり家具を
運び出したり、冷静に行動することができ、難なく災害を
乗り越えることができたそうです。
以来、三蔵ギツネを祀った三蔵稲荷は
今も福山城跡地に祀られています。
なんて話だそうです。
なんと!毎年11月に地元企業の協賛によるミスコンテストが
開催されているらしいです。正月には撮影会もあるとか。
近くなら絶対行くのにね~。
祭神は宇賀魂大神 うがのみたまのおおかみ。
猿田彦大神 さるたひこのおおかみ。
大宮女大神 おおみやめのかみ。
116枚目。
広島県福山市丸之内 1丁目8-7
ご訪問ありがとうございました。