山口の周防大島へ墓参りへ行ってきたのですが
帰りの道中に広島へ。
ちょうど広島カープがセリーグ優勝を決めたので
ゲスな私は優勝セールを期待してイオンへ。
特にこれはというようなものはありませんでした。
ただアイホン7がauで一括0円なんていうのを
やっていたのでちょっと心が動きましたが。
まあ、優勝セールじゃなくても新型がでたので
そのうちどこでもやるんじゃないかと思います。
いつものことですが奥さんは
ゲスな私に付き合わされて
文句たらたら。
なんで広島来てイオンなんか
入らなアカンねん!
うまいもんのひとつでも食わせろ!
ってかんじでね。
私は
わかった。吉野家の牛丼食わしたる!
って冗談のつもりで言ったのですが
アンタの場合は冗談に聞こえへん!
ってたたかれちゃいました。
近くにいたおばさんがびっくりしてました。
なんなの~この女の人~みたいなね。
男の人たたいてる~ってね。
何軒かスーパーめぐりしたのですが
めぼしいものはなにも。
広島カープの応援歌がしばらく
口についちゃって。
カープ、カープ、カープ広島、
広島カ~プ~。
ご訪問ありがとうございました。
山口へお墓参りに行ったのは去年の夏のこと。
帰りに広島の親戚のところへ。
早朝の広島市内を散歩がてらぶらぶら。
広島電鉄、通称ひろでん。
軌道線と鉄道線を合わせた輸送人員と路線延長は
路面電車としては日本一だとか。
軌道線だけだと土佐電らしいですが。
最近は広島も外国人観光客がかなりきてるんだとか。
早朝なので人影も少なく歩きやすかったです。
土地勘がまったくなので原爆ドームの方向へ行こうとして
見当違いの方向へ歩いてました。
やっとドームが見えてホッとしました。
広島に原爆が投下されてから8月6日で72年となるんだとか。
二度とこのような悲劇が生まれないように。
心からそう願います。
ご訪問ありがとうございました。
去年のことですが広島県福山市で御朱印あつめを。
福山市、なかなか効率よく回れました。
最後にやってきたのは素盞嗚神社です。
社伝によれば天武天皇の治世であった7世紀ごろ(679年か)に
創建したとされる。その後、遣唐使であった吉備真備が唐から
帰国した後の天平6年 (734年)に備後から素盞嗚命を播磨の
広峯神社に勧請したとされるそうです。
相方城移築の城門。
戦国時代に城山(じょうやま/標高199m)一帯に築かれていた
山城相方城から、城門2棟と櫓が移築されたとされる。
現存する戦国期の山城の城門としては最古級とされるだそうです。
『釈日本紀』巻7(卜部兼方、鎌倉時代中期)に引用された
『備後国風土記』逸文(奈良時代か)の「蘇民将来」説話に
「疫隈國社(エノクマノクニツヤシロ)」とあるのがここのことじゃないか
ってことらしいです。
『延喜式神名帳』には「備後國深津郡一座 須佐能袁能神社」と
記載されているそうです。
現在は「全国一の宮会」に加盟して、備後国一宮を称してます。
大鳥居。
石造り。江戸時代中期元禄時代の建立。
素盞嗚神社の例祭である祇園祭では重さ約500kgの神輿を激しく
ぶつけ合う「けんか神輿」が繰り広げられるそうです。
祇園祭の発祥の地だそうで、神社の碑文には(長いけど)
当神社の例大祭「祇園祭」が、いつ頃始まったものかを示す
古文書は残念ながら現有せず、その始まりの時期は定かでは
ありません。奈良時代の初頭より我が国では疫病の流行や
大地震により数多くの人々が亡くなり「死」に対して
強烈な畏怖心をいだくようになりました。
当時、疫病の流行や自然災害は、この世に恨みを持って
亡くなった人たちの祟りによるものと考えられました。
そこでいつ襲い来るか計り知れぬ災害から逃れ
疫病に罹らぬようにするため、死者の怨霊を鎮めなだめる
儀式「御霊会(ごりょうえ)」が行われるようになりました。
これが後に「祇園信仰=祇園祭」へとつながっていきます。
「祇園信仰」とは、お釈迦様が修業された「祇園精舎」を護る
「牛頭天王(ごずてんのう)」と高天原を追われてのち出雲国で
「やまたのおろち」を退治された「素盞嗚尊(すさのおのみこと)」
を共に祀る信仰です。つまり外国(とつくに)の誠に
恐ろしく力の強い仏様「牛頭大王」と我が国最強の
荒ぶる神様「素盞嗚尊」を一体化しより強力な神格にして
祇園社の主祭神「祇園神」としたのです。
この神の絶大なる霊威を以てすれば、いかなる怨霊の
祟りをも鎮め平穏な世を取り戻すことが出来ると
考えられたのでした。各地に伝わる様々な伝承や
資料からすると祇園信仰発祥の地はここ福山市新市町戸手に
鎮座される「疫隈國社(えのくまのくにつやしろ)」
現在の素盞嗚神社であると考えられます。
疫隈國社より播磨国明石浦(兵庫)-播磨国廣峯神社(姫路)
-北白川東光寺(京都)に至り、祇園感神院(八坂神社)へと
伝搬していったことは明らかです。
ってことだそうです。
本殿。備後福山藩の初代藩主水野勝成の再建と伝わるそうです。
主祭神は素盞嗚尊 (すさのをのみこと)。
住所は広島県福山市新市町大字戸手1-1
121枚目。
御訪問ありがとうございました。
去年の話ですが広島県福山市の神社めぐりを。
一日で6枚ゲットだぜ!みたいなね。
夕方近くになったので急いで7枚目ゲットに。
やってきたのは備後国一宮の吉備津神社です。
吉備国が三国に分離された後の806年(大同元年)
吉備国一宮であった吉備津神社より勧請して創建されたと
伝えられるんだとか。
905年から967年にかけて編纂された『延喜式神名帳』に
記載がないことから、実際の創建はもっと後であるとする説が
あるそうです。
社伝によると、10月の神無月には全国の神が出雲に集まるが
ここの大吉備津彦命のみが欠席した。そこで出雲から2人の使者が
吉備津神社へ派遣されたが、2人は歓待を受けそのまま吉備津神社の親衛の
門守として仕えることとなったそうです。
一宮なので摂末社がいろいろと。
境内背後の桜山一帯は後醍醐天皇の倒幕計画に呼応して
桜山茲俊が挙兵した地とされるそうです。
本殿は江戸時代の慶安元年(1648年)、水野勝成による造営。
桁行七間、梁間四間の入母屋造檜皮葺。国の重要文化財。
奉納されたものが飾ってありました。
柳生心眼流柔術の門人とかってかんじで
門人の名前が。明治40年とありました。もうひとつは
亀の甲羅だと思うのですが明治34年と書いてありました。
主祭神は吉備津彦命(きびつひこのみこと)。
住所は広島県福山市新市町宮内400 。
120枚目。
ご訪問ありがとうございました。