今回の『家族でTDLに行きました。私は御朱印めぐりに』の
最後は電車で帰ろうと駅のほうに歩いてたらたまたま見つけた
下谷神社です。
立地もあるのかもしれませんが、けっこうたくさんの人が参拝してました。
古くは下谷稲荷社、下谷稲荷明神社と呼ばれていた。
東京地下鉄銀座線の稲荷町駅にも名を残す旧町名の稲荷町は
この神社があったことからついた町名であるってことです。
当初は上野公園に鎮座していた。730年(天平2年)、峡田の稲置らが建立したとも
行基が伏見稲荷大社を勧請したとも伝えられる。939年(天慶2年)、平将門による
天慶の乱追討祈願のため、藤原秀郷が社殿を新造したという。
寛永年間、境内が寛永寺山内となるにあたり、1627年(寛永4年)別当正法院と共に下
谷屏風坂下に移転したが、126坪余と手狭だったため、1680年(延宝8年)
下谷広徳寺前にあった谷中天眼寺先住少林庵抱地525坪余と土地を交換した。
1703年(元禄16年)旧地も正法院抱地になった。そうです。
関東大震災で社殿を焼失、1928年(昭和3年)現在地に移転。
1934年(昭和9年)現在の社殿が完成した。
東京大空襲では被害を受けなかった。そうです。
ご祭神は大年神おおとしのかみ、日本武尊。
社殿の天井画は横山大観の作だそうです。
81枚目ゲットだぜぇ!
ご訪問ありがとうございました。
七福神めぐりの途中で神社があったので。
創建は不詳ですが、おそらく寛文年間(1661~72)と推測されます。
かつては浅草寺境内の上千束稲荷(西宮稲荷)と
当社の前身である下千束稲荷の二社に分かれており
下千束稲荷は北千束郷の氏神としてお祀りされていました。ってことです。
この「千束」という地名は大変古い地名で、その範囲も浅草天王町あたりから
千住の橋際にまで及ぶ広大なものでした。
(なお上千束稲荷は現存していません)
その後龍泉寺村(現在の台東区竜泉周辺)が起立して以来
龍泉寺村の氏神様として崇敬され、今日に至っています。
樋口一葉の名作『たけくらべ』は当神社の祭礼が舞台の一つになっており
『たけくらべ』ゆかりの神社として境内には樋口一葉の
文学碑も建立されています。
御祭神
倉稲御魂命(うかのみたまのみこと)
素盞雄之命(すさのおのみこと)
住所は台東区竜泉2-19-3。
地図拡大できるはず。
63枚目ゲットだぜぇ!
ご訪問ありがとうございました。
下谷七福神めぐりの途中にお寺があったので
のぞいてみたら御朱印いただけましたみたいな。
住所は東京都台東区竜泉1-20-19。
西徳寺は、本山仏光寺の出張所として、京都五條坊門にあつた寺跡を
移し寛永5年(1628)金助町(本郷付近)に創建。
承応3年(1654)善如が初代住職に就任。浄土真宗佛光寺派の触頭を勤め
天和3年(1683)竜泉に移転したんだとか。
触頭(ふれがしら)とは、江戸時代に江戸幕府や藩の寺社奉行の下で
各宗派ごとに任命 された特定の寺院のこと。
本山及びその他寺院との上申下達などの連絡を行い
地域 内の寺院の統制を行ったそうです。
明治以後、佛光寺門跡寺院を称することになったそうです。
山号は光照山。
中村 勘三郎の墓所だそうです。
大正12年(1923年)の関東地震により本堂が全壊。
地震後に再建にとりかかり昭和5年(1930年)に鉄筋コンクリート造という
寺院建築としては当時は画期的な形だったそうです。
御朱印56枚目ゲットだぜぇ!
ご訪問ありがとうございました。
家族で正月にTDLに。私は御朱印集めに。
二日目も奥さんとお嬢さんはシーかランドへ。
で、私は鶯谷駅で降りて御朱印集めに。
やってきたのは小野照崎神社。東京下町八福神のひとつですが
八福までは回れないので回れそうなところだけ。
852年(仁寿2年)この地の住民が上野照崎の地に小野篁おの の たかむらを
奉斎したのが起源と伝わる。寛永年間(1624年-1643年)、寛永寺の建立のため
幕府より移転を命じられ、現社地に遷座した。江戸末期、回向院より菅原道真自刻と
伝わる像を迎えて相殿に祀り、「江戸二十五天神」の一つに数えられた。
んだとか。
拡大できるハズなんで興味のある方は。
小野篁を主祭神とし、相殿に菅原道真を祀る。
境内社- 富士浅間神社、御嶽神社、三峰神社、稲荷神社、織姫神社
渥美氏がまだ無名だった頃「タバコを一生吸いませんので仕事をください」と
願掛けをしたら、その直後に映画『男はつらいよ』の主役に抜擢された。
以後渥美氏は死ぬまでタバコを吸わなかった。
何か大事なものを絶つ約束をして願掛けすると願いが叶うかもしれない。
って話があるんだそうです。
江戸時代、富士山信仰が盛んでしたが、一般庶民はそう気軽に富士山には
いけませんでした。そこで考えだされたのがこの「富士塚」だそうです。
富士山から運んできた溶岩で作られてるそうです。
毎年、富士山の開山に合わせて「お山開き」を行い、普段は門で閉鎖している
富士塚を1年に2日間だけ一般開放し、登ることができるようにする。
塚の高さは約5メートル。直径は約16メートル。数分で登頂できるんだとか。
拡大できるハズなんで興味のある方は。
住所は台東区下谷2-13-14。
50枚目ゲットだぜぇ!
正月に家族でTDLに。私は御朱印集めにの第何弾でしょうか。
寛永寺の本堂のすぐ近くに浄名院があります。
浄名院は、寛永寺36坊の一つとしてとして圭海大僧都が
開基となり寛文6年(1666)創建享保8年(1823)に寺号を
浄円院から浄名院へ改めたそうです。
表門は享保年間(1716-35)の建立。
クリックすると拡大するハズなので
興味のある方はどうぞ。
地蔵信仰の寺となったのは
第38世地蔵比丘妙運和尚の代からである。
妙運和尚は大阪に生まれ、25歳で日光山星宮の常観庵にこもったとき
地蔵信仰を得、一千体の石造地蔵菩薩像建立の発願を建てた。
明治9年浄名院に入り
明治12年、さきの一千体の願が満ちるとさらに八万四千体建立の
大誓願に進んだ。明治18年には地蔵山総本尊を建立。
各地から多数の信者が加わり、地蔵菩薩像の数は増え続けている。
境内にある青銅製の大きな地蔵菩薩坐像は、かつて江戸六地蔵第六番の
地蔵菩薩像があった深川永代寺が明治維新のとき廃寺になったためと
日露戦争の戦没者を弔うため、明治39年新たに建立されたものである。
なお、旧8月15日の「へちま供養」には、せき、ぜんそくに効験を
願う人々で賑わう。ってことです。
天台宗のお寺です。
台東区上野桜木2-6-4にあります。
43、44、45枚目ゲットだぜぇ!
ご訪問ありがとうございました。