- 2022年4月13日(水/先負):ちょっと寒いのでストーブ登場。
昨日も、そして今日の朝も、『父の詫び状』(向田邦子著/文藝春秋)を読んでいます。
ホステップ第6号のブックコラムで、向田さんを取り上げてみたいと思ったからです。
よく言われていますが、向田さんのお父さんは、見栄っ張りで子どもの躾に厳しく、
大声をあげたりして怒鳴る、そして俺は家長であり、一番でなければおもしろくない。
という感じで、今なら、「こんな家出てやる」と言われても仕方がない父親です。
でも改めて読んでみると、
意外にも子どもを守る思いは人一倍熱心であったことをうかがえる文章があります。
たとえば、「お軽勘平」では、自宅に招いた客が卑猥な歌を歌いだすと、
父は「ばんざーい、ばんざーい」と大きな声を上げて娘に聞こえないようにしたり、
『眠る盃』の「字のない葉書」では、学童疎開から末娘が戻ってきた時、
父は裸足で外に飛び出し、痩せた娘の肩を抱いて泣いたり、
宿題に出された紙風船が作れないと泣きべそをかいてたら、「お前は寝れ」と言われ、
朝起きたら、見た目は多少悪いけど紙風船が出来ていた、などなどで、
大変な子煩悩な父親であったかもしれないと思えてきたのです。
いうならば表現下手とでもいうのでしょうか。としたら、
あのがみがみはなんだろう。もしかしたら演技かも?と想像出来そうな文章があります。
それは、「細長い海」の話しです。向田さんが海で大事な下着を盗まれ、
祖母が弟に下着を貸してあげなさいというけど、弟は貸さなかった。その時、
父が「そんなに大事なら今度からはいて泳げ」と一括します。
その後、向田さんがトイレに入っていたら、父も入って来てくすくす笑っていたそうです。
多分、自分で言ったことがおかしかったのだろうと語っています。
対談などでは、父のことをあまり好きではなかったと語っていますが、
35歳まで家族一緒に暮らしていたのですから、やっぱり好きだったと思うし、
そうでないと、こんなに温かなエッセイは書けないんじゃないかなー、
との結論に目下のところなっています。