ひとり暮らしのおじさん日記

札幌市在住。70歳超えおじさんの気ままな日記。

何事も勉強。

2022-07-31 15:46:57 | 日記
  • 2022年7月31日(日/先負):今回の結果にちょっとショック。

てっきり風邪と思っていたけど、どうもそうでないゾ!

ということ見えてきて、ショックを受けてます。

2週にわたって休みをいただき、まさか風邪で番組を休むだなんて、

俺も情けないなあ~。

以前、目の手術をした時は1か月ほど休みましたが、

前の晩に酒を飲み過ぎてろれつが回らなくても、

それなりに放送を続けてきました。

でも今回色々な悪条件が重なってみて、

人間生きているといろんなことがあるものだな~、

などと思っている次第です。熱も全くなく、体力も徐々に回復し、

「ここは1丁目一番地書店」を聴いて下さっている皆さんから

激励も受け、さあ、8月から気持ちよく再スタートだ!

と思いきや、またまたアクシデント発生。

結果、8月5日(金)と8月7日(日)の再放送に関しては、

まずは体の養生が第一だから様子を見てから決めましょう。

という小林局長からの温かい助言がありました。

たくさん話しをしたい本の紹介があるのに、残念。

まずは焦らず、何事も勉強と思って、気持ちだよ気持ち。


墓じまいの年齢になったのかなー。

2022-07-18 10:45:50 | 日記
  • 2022年7月18日(月/先勝):さあ、今週も毎日を楽しむぞー!

一昨日、高校の同級生と3人で会食をしました。

神奈川県に住む健三君が3年ぶりの来札ということで、

札幌在住の僕と清野君とで会ったわけです。

ちなみに、今回の来札理由は「墓じまい」。

両親、兄弟が亡くなり、本州に居を構えてしまうと、

札幌のお墓を守り続けることは大変というか、

よしんば、自分はよくても、自分が亡くなった後、

今度は妻が、子供たちが、となると、

そう遠くないうちにこの世を去っていく者としては、

やっぱり心に何かが残ります。

だったら、今、自分が元気なうちに、ということで、

これもひとつの断捨離でしょうか。

実は僕も過日、弟と会って我が家の今後を話しあいました。

結果、親や祖父母、そして僕も含めてすべてを土に返す。

ということで話しがまとまりました。

72歳。

若かりし頃のように自由な旅行などお互いに出来ません。

としたら、健三君と会食することなどおそらくもうないでしょう。

青春をラジオ番組を通して楽しんだ時のようには出来ないけど、

今はインターネットもあるし、そしてラジオ番組もあります。

ちなみにユーチューブやサイマルラジオで聴いてくれているので、

「俺はあいかわらず元気だぜ」

と言って頑張るのも友情の一つかと思いました。

そうそう、今朝メールがきて、

「100回放送まで頑張ってくれ。応援してるから」とのこと。

今度の放送が第68回だから、なんとしてでも33回は頑張りたいものです。

昨日街へ出たら札幌駅南口でジャズライブをやってました。

お天気だったらよかったのにーと思いながら、一枚デジカメしました。


『おのぞみの結末』を読んで。

2022-07-17 13:08:01 | 日記
  • 2022年7月17日(日/赤口):外は小雨のようです。

「笑う門には福きたる」「笑顔は健康の特効薬」

という言葉があります。多くの人達は、

いつも怒ってばかりいる人といるより、

笑みの絶えない人といるほうが好きではないかと思っています。

だから、人に好かれたかったら楽しい人になればいい。

でも「わかっちゃ、いるけど、出来ないんだよね」

の現実もあります。

昨日、星新一著の『おのぞみの結末』を読んでました。

この文庫本にはユーモアあふれるショートストーリーが

11作品収められています。

話しは文庫本からそれますが、

アメリカ映画をみていると、よくこういうワンシーンがあります。

場末の酒場でビールを飲みながら

楽しそうに会話をしているグループがいて、

リーダー格のふとっちょ中年おっさんが話しを盛り上げてます。

仲間はニヤニヤしながらビールを飲みながら聴いていると、

ややふとっちょさんは、最後にひと言でおちをつけると、

その場にいた飲み仲間が大笑いする。

そんな感じのお話しがずらずら並んでいます。

興味をそそる話しをして、相手をひとつかみする。

聞き手は話し手の話しを聴きながら想像を膨らませていく。

そして最後はその想像が吹っ飛んでしまうほどのどんでん返し。

そこにちょっとした皮肉話しがプラスされると

その場はさらに大爆笑となります。最高です。

僕もふとっちょさんみたいに、

こじゃれたユーモア話しをしてみたいけど、

垣根に塀が出来たんだってねー、へー、

というおやじギャグ派なので、なかなか遠い世界です。

でも、読み終えた後ににこっと微笑みをこぼせるユーモアセンスは、

何歳になってももっていたいと思います。

笑う門には福が来るのですから。


『あしたから出版社』を読んで。

2022-07-16 10:34:23 | 日記
  • 2022年7月16日(土/大安):今夜は高校時代の友人と会食。

ビートルズの映画「レット・イット・ビー」は、

昨年「ゲットバックセッション」としてネット配信されました。

そこには楽曲作りに「迷走するビートルズ」がいました。

無から楽曲を仕上げていく過程での迷走はバンドにはあります。

だからビートルズにもあったし、

その迷走を無事に着地点に運んで行ったプロデューサー、

ジョージ・マーチンの凄さを改めて感じたのですが、そんな時、

ひとり出版社「夏葉社(なつはしゃ)」代表島田潤一郎さんの著書

『あしたから出版社』に出合いました。

作家を志していたけど出版社を創ろうなんて

考えたことのなかった島田さんが、

どうして出版社を創ろうと思ったのか。そして、

本を出版していく過程の、いわば「うみの苦しさ」。

創った人だけが味わえる「本が出来上がった」時に

じわ~っとどこからともなく湧いてくる嬉しさ。

売れるかなーという不安と、

よーし、作家さんに答えるためにも頑張って売ろう!

という希望に燃えた意欲感。様々な思いが綴られています。

まさに著者の夢と希望に満ちた本音満載の1冊であり、

読んでると刺激がビンビン伝わり、元気がもらえる1冊です。

一人で「ホステップ」という小雑誌を作っている僕などは、

その悪戦苦闘が島田さんに比べたら、

まるで「月とすっぽん」で、努力不足を痛感すると同時に、

この本は「ひとり出版社」を目指している人たちのバイブル

になるのではないだろうか、などと思ったりもしました。

話しをビートルズに戻しますが、

ビートルズは4人だから、4人がいることの良さと、才能が

ぶつかり合う危険性が一進一退します。勿論、ひとり出版社はひとりでも

作家さん、装丁担当者さんへお願いをしなければなりません。

ビートルズは、ギター、ベース、ドラムス、歌によるアンサンブルで、

ひとり出版社は、作家、装丁担当、編集者、印刷というアンサンブルです。

だから大切になってくるのが「一緒にアンサンブルを奏でるメンバー」です。

そのことを島田さんは次のように書いています。

「何をやりたいかではなくて、

だれと仕事をするかのほうが、よっぽど重要なんだ」。

ビートルズも、

4人が一緒に奏でる音楽作りをそれぞれが楽しんでいたから、

数々の名曲が生まれてきたと思います。同様に、島田さんが出版する本も、

そうして作られているような気がしました。

僕もそういう関係性の中で、

「ここは1丁目1番地書店」や「ホステップ」を作っていきたいな~。


「母子像・ふるさと」をみて。

2022-07-15 20:22:44 | 日記
  • 2022年7月15日(金/仏滅):午後8時過ぎ。これから夕食です。

「ここは1丁目1番地書店」のお薦めコーナーの一つが、

「明日は誰の誕生日?」です。

本日も7名の日本の作家さんを紹介しました。

その中の一人が又吉栄喜(またよしえいき)さんです。

ネットでもご本人の対談画像が配信されています。

又吉さんはその中で、

「小説は弱い人間に目をそそいで、弱い人間の強さ、

生命力を表現していくもの」と語っています。

まったく同感で、

作家はある意味で「ジャーナリスト」であるという

考え方を僕は持っています。

過日、小林多喜二さんの作品『1928年3月15日』を読みました。

同じ日本人なのに、

警察権力側は思想犯を取り調べ、弾圧します。

日本人同士なのです。

著者の小林多喜二さんは登場人物に次の台詞を語らせます。

「渡は、拷問されている時にこそ、始めて理屈抜きの、

『憎い―ッ!!』という資本家に対する火のような反抗が起こった」

この光景を読み、小説作品の一場面だけで、

僕は読者として終えていていいものなのだろうか。と思うわけですが、

この作品を書いた多喜二さん自身が、

数年後、実際に特高警察の拷問を受けて帰らぬ人となってしまうのです。

小説は現実だったのです。

解説によると、この作品は海外で翻訳物として評価を得ていたそうです。

勿論、世界的反響もあったとか。そして、こうも書かれています。

「日本の官憲はこういう人物を殺したのである」

(昭和文学全集32:小学館発行)。

小林多喜二さんのことを書いた三浦綾子さんの『母』を読むと、

小説に書かれている多喜二さんのお母さんが語った、

「多喜二は小説を書いただけなのに、なんで死ななければならんか」

という言葉がずきーんときます。

そうなんです、思いを小説にして書いただけなんです。

今までは僕は小説を趣味の一つとして読んでいたけど、

今はしっかり読みたい。だから、

ニーチェもトーマス・マンも古事記も卑弥呼も読む。

さあ、明日は何を読もうか。

そうだ、原田マハさんの『生きるぼくら』を読もう。

投稿写真は、ラジオカロスサッポロの帰り道、

歩いていたら円山公園に彫刻作品がありました。

丸いのでボールかな?と思ったら、

「母子像・ふるさと」でした。

なんでも「街角美術館」の一作品で、

作家はワグナー・ナンドールさん。ハンガリー生まれです。

母子像のような社会にしなければ、と思いました。