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探究心をもって人生を生きる

青年海外協力隊隊員としてボリビアで活動していたころを中心に、帰国後10年(2022年)の今を書いています。

シェフでございます

2011-05-22 10:38:54 | ボリビア日記
5月21日(土)

午前中からマリア先生の家へ。
焼きそばを作りました。

ボリビア人が美味しいと感じる味覚もなんとなくわかってきたので,
栄養士T隊員とのタッグは最強です。
ちなみに今ダイエット中なのですが,そんな管理もしてもらっております。
順調に落ちております。

完成した焼きそばだいぶうけておりました。

90歳になるおばあちゃんが一皿間食したのには驚きました。
それから日本人の祖母をもつマリア先生の義姉さんがとても喜んでいました。
食もまた文化です。
違う文化に触れる,違う文化に興味をもつ。
そういう経験を共有したいな,といつも思っています。

夜はNAGAO一家とT隊員の誕生パーティを開催。
楽しいひと時を過ごしました。

そしてLIVEをしにパロディアブロへ。
一週間たった今も,案の定機材が直っておらず,出来ませんでした。

そんな町です。ここは(笑)

父の一周忌に思う

2011-05-04 14:56:21 | ボリビア日記
5月4日(水)

今日は父の命日。
訓練中に昨年亡くなってからあっという間の1年。
今日は教師,という仕事を改めて考えさせられた日だった。

にしても,親父は本当に面白い人だったなあ。

庭の蛇をつかまえて揚げ物にして食べたり,
聞いた話によると川に流れていた牛をばらして肉を食べたり(笑)
中学しか出ていなかったが,通信制の高校に入学して勉強がんばったり,
ちょうど俺位の年齢の頃なんかは本を死ぬほど読んでたっけねえ。
酒に振り回されなければそれなりに大きな成功をしたかも知れないなと思ったりもする。
でも子ども6人を育てて,本当に立派だったと思う。
二男,謙太郎が18歳で亡くなったときにはみんなショックだったけど,親父は本当にショックだったと思う。
だいたい長男の俺が早くに家を出てしまったから,親父も謙太郎にだいぶ期待を掛けていたんだろうな。
あの頃から一気に酒に走り,人生を短くしてしまったと思う。

が,晩年の親父は本当に人間が出来たなと思う。
ほとんど褒められなかった俺が会う旅に「自慢の息子だ」って言ってくれた。
いくつになっても嬉しいもんだ。

親父と一緒に小さいころ行った,海。
荒浜も野蒜も今回の地震のため今は無くなってしまったと聞く。
海が好きになったのも親父の影響なんだと思う。
こうして俺が格闘技を身につけるのも親父の影響。
音楽をするのも親父の影響。
小さいころからギターやサックス,クラリネットなんて楽器が小さいアパートでごろごろしていた。
そんな影響だ。

昨年3月,三男の大学の卒業式に,病んだ体を押して東京まできた親父。
母と父と三人で初めて歩いた東京。

俺もあの街で20年暮らした。本当にいろんなことがあった。
東京に住んで20年,初めて昇った東京タワー。

親父が昇りたいというので行ったことがまるで昨日のことのようだ。
東京の街を東京タワーから眺めていたらなんだか本当にいろんなことを思い出して,涙が止まらなかった。
この街を離れて今度はボリビア,まずは駒ヶ根訓練所,そんな気持ちでいたことを思い出す。
一緒にご飯を食べたこと,お酒を飲んだこと東京見物をしたこと…いい思い出だ。
このブログのタイトルの東京タワーの写真はそのときに撮ったもの。

本当にいい親父だった。

父の命日に,教師とはどうあるべきなのか,国が違おうと悪いことは悪い,いいことはいい,
と子どもたちの未来のために毅然と教えられる教師になりたいと,強く強く思う。

約10日ぶりの更新!!

2011-04-25 17:45:44 | ボリビア日記
4月22日(金)

今週は何故かブログの編集画面が開けずに更新がままならなかった。
なので一応書きとめておきますわ。

↑どうもIEのせいだということになり,とりあえず他のブラウザで試したら開きました。
お待たせしました。

4月18日(月)
学校,ストライキのために休み。出勤したら誰も居なかった…

4月19日(火)
久々の学校。

1時間目 3年A 算数

掛け算の授業をする。

日本とは掛ける数と掛けられる数が逆になるので注意。
3 ves 4 es igar a 12.
なので教え方に注意が必要。
やはり具体物が必要。
皿に乗せたフルーツなどもって行けばよかった。次回ジャネットの授業ではそうしよう。

2時間目 2年A,B 算数
引き算

日本から送ってもらったリングを使っての引き算。
20個一袋にした教材を持参。
子どもたちに配り,大事に扱うように教える。
しっかりと出来る子どもたち。
教えれば出来るんだなと改めて思う。

何度も20-8は?など問題を出しながら実際に数えさせてみる。
この時期の子どもたちは実際に数えることが大事ななんだということを先生達にも教えたい。


4月20日(水)
授業の予定は無かったが,3年生ジャネットの授業を観察。
掛け算の交換法則を教えたかったようだが,本当に子どもたちは理解力が低いのかジャネットの教え方がまずいのかわからんが,
全然わかってない様子。

最後は「ちょっとのり,やってみて」というので代わって教える。
今までジャネットが教えるために書いたところと,今まで習ったことを思い出させながら進める。
3 ves 4 es igar a 12.
と説明したらやっとわかった様子。
良かった。
今度はこの部分を具体物を見せて教えようと思う。
misma dantidad.
cuanto me da.
などの言い方を覚える。

4月21日(木)
授業の準備をしていくも行事のために授業出来ず。
キリストの死を悼む,そんな行事なのか??
自分は仏教徒なのでよくわからないがイエス・キリストに扮した子ども,聖母マリアに扮した子どもが出てきて,
子どもたちが各クラスで用意した祭壇の前で聖書の一説を順番に読むというもの。
そして司会の宗教の先生のリードを神を称える歌を歌う。
遅れてやってきたディマがなんのてらいもなくギターで参加するあたりはさすがだった。

そして本日22日はセマナサンタ。
休日なのだ。

今,知ったスーちゃん死去…55歳って。まだまだ若いのに。
子どもの頃親父の運転する車でいつもキャンディーズかピンクレディ。
俺の音楽のルーツだ。
あの感覚,あのテンポ,あのメロディ。

俺よりもたった15歳上だったんか。
ってことはあの頃いくつだったんかな。

いい歌を歌ってたなあ。
そして女優としても活躍なさって…

なんだかなあ。

とても悲しい気分です。
時代が少しずつ変わっていくということを,
誰かの死を通して感じることは本当に悲しいことですね。

4月22日(金)
ボリビアは本日祝日。
セマナサンタ。
夜はキリストの磔シーンの再現を町の大きな教会で行っている。
イエスが磔にされた日だと言っていたが…

4月23日(土)
昼から隊員仲間と豆腐キッドで豆腐を作る。
いやあ,うまい!!うますぎるぜ豆腐。
ここでは手に入らないからなあ。

夜はライブ。
かなりの曲数をこなす。
今日は珍しくお客さんの入りも多かった。

上を向いて歩こう
少年時代
涙そうそう
Go for Our Dreams
別れの旅路
青いあの空の向こう側
I Love You
乾杯
Imagine
No woman No cry

それにしてもブログ編集画面が開かない…致命的だ。

4月12日を最後に勉強がストップしている。
考えてみたら1年間休まずにスペイン語の勉強をしてきたもんなあ。
そういう意味ではちょっと休憩も必要かな。
二週間休んで,再開しよう。そんな時間も大事だな。

4月24日(日)
セマナサンタを利用して遊びに来ている仲間とイバレ川へ。
NAGAO先生と行った懐かしの場所。
魚を食べて,船に乗って…
リフレッシュ。

夜はおしゃれなバーへ。
今日は気候が涼しいせいか虫が大量発生。
恐ろしかった。