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野口製麺所へ ようこそ!

おいしいもの 探索

「もち豚肉味噌ラー油」大人気!

2011-11-18 20:22:52 | 「東日本大震災」支援活動
 東日本大震災で被災した宮城県でふんばって食品を作り続ける「蔵王山菜きのこ加工」という食品加工会社の渾身の作品です。
おいしいの? おいしい! これさえあれば、どんなもの(温かいご飯はもとより冷たいご飯でも)うまくなる。 ちなみにラーメンにいれたら瞬間担担麺に変身!
 最近はリピートのお客様も増えていただき嬉しい限りです。

前回も注文の電話を会社の社長にしたら、「え? もうそんなに売れたの??」とびっくりしてました。  景気を廻さなければ復興にならないのはわかります。
1個1個ではありますが、確実に売れていますのでお互いにがんばりましょうね!

「もち豚キムチぶっかけ」が緊急参戦!

2011-10-12 16:53:03 | 「東日本大震災」支援活動
10月に入り、被災地支援メニューに登場いたしました「あぶらふうどん」なかなかの人気で、毎日賑わっています。 あの独特の食感は食べた人にしかわからない不思議な味のラビリンス!  と、いつもはこの調子なのですが、そんな「あぶらふうどん」に刺客が登場です。
同じく支援メニューでその名は・・・・

「もち豚キムチぶっかけ」です。 7月8月の「じゃじゃ麺」に登場した宮城県の蔵王山菜きのこ加工という食品加工会社の名品! この辛みにキムチを合わせるとあら不思議~まろやかな辛さに変身します。 そこに三陸ワカメも仲間入りです。
がが~~っと混ぜるとスルスルといけます。  これからの時期でも病みつきになること間違いないホットなメニューです。

さぁ~~あなたならどっち???


この2品のメニューの売り上げの一部は復興支援活動のために送金いたします。

「双葉町へ炊き出し活動」

2011-10-11 08:36:29 | 「東日本大震災」支援活動
 おはようございます。  昨日は臨時のお休みをいただきまして、ありがとうございました。  また、知らずに遠方からご来店下さいましたお客様誠に申し訳ありませんでした。

昨日は、前からお話していましたように加須市の旧騎西高校で避難生活している福島県双葉町のみなさんにうどんの炊き出しをしてきました。
首都圏のうどん屋さんが中心となって作っている「うどんスマイルプロジェクト」という団体とボランティアの方総勢18名でお伺いいたしました。
学生ホールの食堂をお借りして、約300名分の温かいかけうどんとちくわの天ぷらのセットと釜卵うどんをご提供。   多くの笑顔に出会えて楽しかったです。
11時半から13時までの短い時間でしたが、みんな団結して行動することができました。



途中でみんなでうどんをお昼がてらに食べてみましたが、せっかくですのですぐ外に出られるので、外でのんびりといただきました。
学校の横は、稲の水田。



日々やってくる毎日ですが、そのひとつの食事として貢献出来たでしょうか?
 自分としては大変勉強させられた1日でした。  参加できて良かったです。











ちくわに感謝

2011-10-07 20:53:58 | 「東日本大震災」支援活動
今回の、双葉町の炊き出しに使ううどんの小麦粉が届きました。   そして、そのうどんに乗せるおいしい香川のちくわが川越の「才谷屋」に近日届きます。  しかも、300本。
「丸蒲食品株式会社」の社長様が、うどんスマイルプロジェクトの活動内容に納得いただき協賛をいただきました。 このちくわ天なら双葉町の方々は大喜び間違いなしです!
ありがとうございます。 と言うか、それがこちらの会社の支援の仕方であるのでしょうね。

当日は双葉町全員の方にいきわたるように数はありますので、とても楽しみです。



10月10日(月)はお休みいたします。

小麦粉が届きました。

2011-10-07 16:49:03 | 「東日本大震災」支援活動
本日、日清製粉様から小麦粉が届きました。
この小麦粉は、10日の双葉町の炊き出し用に「うどんスマイルプロジェクト」へ3袋無償にていただけたものです。  この会の主旨に協賛いただきこの小麦粉で町民のみなさまを笑顔にして下さい。  とのことです。
わたしの担当は200人分です。  気合を入れて、心を込めて打ちたいと思います。

そして、もうひとつ協賛をいただきました会社があります。
そちらは、少し後でご報告を!

「夜之介」無事終了

2011-09-29 23:34:27 | 「東日本大震災」支援活動
 9月28日の午後18時から20時半まで高田馬場の「蔵之介」にて震災支援チャリティうどんがうどん店5店のコラボにて行われました。
開店前のトラブルがありましたが、みんなの持ち前の実力ですぐに修正。 無事2時間半を営業いたしました。  現在「蔵之介」は夜の営業はしていないので、夜の営業を楽しみにしていた常連さんもたくさんお越しになっていただきました。

昨日のメニューは昨日もご報告いたしましたが、うどん2種類にアルコールが少しと鯛ちくわ天というシンプルな内容でした。



売り上げ合計金額  61,200円  この全額を被災地の復興支援活動に使用させていただきます。
ご来店いただきましたお客様、誠にありがとうございました。
また、次のコラボも楽しみにしていてくださいませ。

「 夜の介 」今宵開催

2011-09-28 08:18:12 | 「東日本大震災」支援活動
 おはようございます。 今朝も、気温がだいぶ下がりましたね。
周りは秋の景色が濃くなってきています。  庭の柿もずいぶん色づきました。

3月11日の東日本大震災の復興支援活動として、うどん屋店主が集まって活動している「うどんスマイルプロジェクト」のチャリティうどん会が本日行われますので、そのご案内です。

場所は  高田馬場 「蔵之介」高田馬場駅を降りて早稲田方面に5分ほど歩くと「ツタヤ」がありますので、そこを左折。  坂を下ると橋がありそこが神田川。
橋を渡ったら左手に見えてきます。

20人弱のお客様しか入れませんが本日は立ち食いコナーも設けて、大賑わいの様子。
当店も自慢のだしで参戦いたします。

本日のうどんは2種類のみです。
「うどんスマイルプロジェクト」のメンバーのコラボうどんなのであります。
しかも、今夜限りのレアもの!





うどん A  「九条ネギと焦がしネギ油のあつかけうどん」 500円
      川越「才谷屋」× 中目黒「うどんsugita」のコラボ




うどん B 「焼きトンぶっかけ」  500円
      狭山「如水」×「野口製麺所」のコラボ

他にてんぷらとして「鯛ちくわ天」
アルコールは讃岐ビールと地酒をご用意いたしました。
麺は「蔵之介」の讃岐の夢2009を使用します。

今日の売上金全額被災地の復興支援活動に使用させていただきます。

時間は18時から麺が売り切れるまでですが、どのくらいのお客様いらっしゃるのかが見えません。  しかし、めったにお目にかかれない5店の共演ですので、ぜひ本日高田馬場へおいでください!!

女川町被災者サポート「 REAL eYE 」

2011-09-27 10:30:16 | 「東日本大震災」支援活動
 東日本大震災が起きて半年が過ぎます。
みなさんの中ですでに風化しているとは思いませんが、今年は自然災害が多く日本の多くの方々が自然の猛威に慄き恐れ苦悩しています。

現在、メディアでもこちら側がきちんと意識を持って見ていかないと、その情報自体が薄くなりつつあります。
震災が起きて1週間後位の事、避難所に暮らす人々の言葉が思い出されます。
「時間が過ぎて、私たちの存在が忘れられるのが一番怖い・・・・。」

どうでしょう? ボランティアや義援金活動等々の行動手段もありますが、それ以前に同じ国民、いや 人間として「一番怖い思い」をさせていませんか?

3月11日の午後14時46分。  大震災が発生し、テレビ放送はその後そのニュース一色になり、わたしもその状況をその場から離れることできずに見ていました。
ヘリコプターからの映像で、大津波が海岸線を襲い陸地のありとあらゆるものを、飲み込み押し流して行く地獄図。
その先に、何台もいや 何十台何百台もの自動車が避難するために走り、やがて通行不能になりそこへ津波が・・・・・。

 映画でもCGでも無い現実。 わたしの脳裏から消えない映像。 いや、消してはいけない現実でありました。


半年が過ぎ、宮城の被災地女川の被災者自身が運営するボランティアの方々の活動を知りました。
「 REAL eYE 」真実の目と言う意味です。
この名称に関しては名前で検索してみてください。 なぜ、この名前なのかなぜ被災者自身がボランティアをしていて、女川の今の現状がわかります。
被災された方がの復興は、町や住居や仕事がもとに戻れば良いというものではありません。
誰にも消せない、深く大きな心の傷が癒えるまでは、いつまでも復興は終わらない。
 でも、みんながサポートをして思っていることを忘れなければ、必ず立ち直ってくれると思います。


8月の野口製麺所の義援金はそんな女川町の被災者サポートボランテァ「 REAL eYE 」へ送らせていただきました。

 8月の義援金  4,870円


先日、領収書と共にお手紙が届きました。
お礼の言葉の〆にこんな一行が・・・・。


 私達 女川町民と、東北と歩んで頂き 本当にありがとうございます。


いっしょに歩む。 支援をしているんではない。 一緒に歩んでいるのだ。
わたしはその言葉をしっかりと心に受け止めました。


真の政治が村を救う。

2011-08-27 21:29:43 | 「東日本大震災」支援活動
 4月9日に書いた記事「明治の津波の教訓 村を救う」の続編です。

8月19日の読売新聞にその後の岩手県普代村の記事が載せられていました。

その記事の内容は、今年6月に村長を退いた深渡さんの体験談が語られている。

3月11日、14時46分。 執務室にいた深渡さんは激しい地震に襲われた。
停電で電話は通じず、気象庁の防災情報も受信できない。
役場の職員が、持っていたラジオで情報を得た。

役場は、普代川の河口から約2キロ上流に位置している。 その間の川沿いには小学校も中学校もある。 川をさかのぼる津波で街が水没するのを阻止できるのは、高さ15.5mの巨大水門しかない。   「何とか村を守ってくれ」そう祈った。


深渡さんは、59年に知人だった当時の和村村長に「役場で働く」ように声をかけられた。
役場の土木係になって関わったのが、62~67年に建設された「太田名部防潮堤」だった。  当時、15m以上の高さの防潮堤などいらないという反対があったが、和村村長は「明治三陸地震(1896年)の15.2mの津波の高さ以上は絶対に譲れない」と主張。漁村である太田名部地区の海側に、城壁のようにそびえる15.5mの堤防を建てた。

 続けて計画されたのが、普代川に沿って広がる中心部を守る「普代水門」だった。
高さは太田名部と同じ。  電動ゲートを備えた総延長200mの水門は、川の両側の断崖を塞ぐ形で立てることになった。

建設課の課長補佐になっていた深渡さんは用地交渉を任されていたが、反発は激しかった。
「そんな高さが必要なのか」「先祖代々の土地は手放せない」

しかし、貧しい村から命や家を奪った明治三陸地震(1896年)昭和三陸地震(1933年)  計439人の亡くなった村民の犠牲を「3度あってはならない」和村村長が繰り返してきた言葉を胸に地権者宅を日参。  碁を打ってはわざと負けたり、酒に付き合ったりしながらその気持ちを和らげた。   その甲斐あって72年に着工。


 普代村の津波対策を深渡さんは「パッケージ」だと説明する。  公共施設や道路は可能な限り海岸線から遠ざけ、住民の避難路を多数確保する。  それでも防ぎきれない地域に絞って、最悪を想定した高さの水門や防潮堤で囲い込む。

「『もし』という想像力を働かせることが、地域を守る政治だと思う」



 震災当日、大津波警報を聞いた深渡さんは職員を防潮堤の海側の漁港などに向かわせ、高台への避難を呼びかけた。
 普代水門では、ゲートの一部が停電で遠隔操作ができなくなったが、水門に駆け付けた消防署員3人がスイッチを入れた。  津波が水門を襲ったのは、3人が離れたわずか3分後だった。

 死者0人、行方不明1人、住居被害0棟。 同村の被害は最小限にとどまった。
津波は24mに達したが、水門で勢いは弱まり、近くの小学校も浸水を免れた。
 震災後、普代水門は称賛を集め、全国の自治体から視察が相次ぐ。

だが、深渡さんは「最後に村を救ったのは人の力だった。」と振り返る。
職員の努力だけでなく、3000人余りの村民の多くが避難訓練の通りの行動を取った。

「水門があれば、今後も大丈夫と村の人が思ってしまうのが一番怖い。  どんな災害でも命を守れるよう、考え続けていかなければならない。」

記事一部割愛


和村村長の村民を守るための強い気持ちが村を守り、その気持ちを受け継いだ深渡さんは村全体で村民を守った。  それが、真の政治だと思う。 

加須市旧騎西高校「双葉町」訪問

2011-08-17 20:34:11 | 「東日本大震災」支援活動
 昨日は、35℃にも上る暑い暑い1日でした。

 午後になって、動かなきゃいかんと、外出の準備。
うわ~~。 外も実に暑い。  しかし、自転車で出かけました。  本日は加須の「旧騎西高校」に向かいます。  自転車は新秋津駅まで。 そこから武蔵野線に乗り、武蔵浦和で、埼京線に乗り換え、大宮へ 東北線で久喜駅へ、東武伊勢崎線で加須に到着です。   最近電車の利用があまりないので、こんなに乗り換えたのは久しぶり。

久喜駅にて、馬場の大将 蔵どんと合流。
今回は、うどん屋仲間で作っている震災支援プロジェクトの「うどんスマイルプロジェクト」の活動の一環であり、被災された福島県双葉町の避難されていらっしゃる、町民の方に自分たちに何かできないか?
ということで、思案した中で「うどんを食べていただこう」が決まりました。

先日、双葉役場の「食事担当」の方にご連絡を取り、大まかなお話をさせていただきました。
調理場の状態や、現状の話などは実際にお伺いした時にと言うことでしたので、今日になりました。


加須の駅も暑かった。
偶然タクシーが1台停まっていたので、さっそく乗り込んで学校に向かいました。

学校に近づくと少し異変が・・・。
校庭と自転車置き場には大量の洗濯物が。  本当にすごい数です。

校門の前で、降りました。  建物は確かに以前は学校でしたが、今は完全に一つの町の状態です。
「2階事務所」の案内がありましたので、階段であがりました。
入口には 「取材お断り」の張り紙が。  冷やかしでくるなよ という気持ちが出ています。

事務所に続く長い廊下を歩いていると壁には「ハローワーク」の求人案内の紙が多く張られていました。
全国からの、応援の写真やお手紙があちらこちらに所せましと張られています。

役場の機能をしている元職員室にて担当の方を待ちました、職員の方は住民の方の住居関係の手続きや電話対応におわれています。

担当の方とご挨拶をして、現状と自分たちのできる内容のお話をさせていただいてから、食堂を見学させていただくことになりました。




食堂にも多くの応援の手紙が張られています。
中は、さすがに高校の食堂だっただけに広いです。  ガス、水道、水は来ていますが調理道具は何もないというのが、条件です。
では、現在町民のみなさんはどうしているのか?
3食すべてお弁当なのだそうです。  ですから、作りたてのものはほんとうにうれしいのだそうです。



現在の住民は870名ほど。  食事としては500~550食ほど。

今の時期は、この設備ですと最高においしい麺を食べていただくのは少し難しいので、もう少し気温が下がる時期にうどんを食べていただきたいというお話になりました。
その時期やどのようには、連絡を取りながら進めていきたいと思います。