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7月分の義援金をお渡ししました。

2011-08-15 07:58:02 | 「東日本大震災」支援活動
 ご報告が遅くなりました。
7月分の野口製麺所で集めさせていただきました、「義援金」は今回の福島県いわき市のボランティアに参加するにあたり、2日間のボランティア活動終了後に、いわき市役所の保健部保健福祉課 社会係 という、お決まりの長い名前の所属部署に持参いたしました。


7月分の義援金は

 4,893円 でした。

今までは、日本赤十字社への送金をしておりましたが、今回は具体的に使用が解る内容としていわき市役所に出向いてみました。                                        

被災された方々に対する生活支援、並びに災害復旧及び復興に活用されます。(いわき市役所 義援金の使い方より抜粋)

今回出会いましたいわき市のみなさまに、少しでもお役にたてればと思います。

ごみ集積場

2011-08-14 08:47:57 | 「東日本大震災」支援活動
 震災を受けた場所をきれいにして、復興させるにはその場にある瓦礫やごみ等を片付けなければなりません。

本日2日目は、軽貨物による、ごみの搬送です。
今日は、同じく東京から来た若い青年との2人での作業です。
年齢的にも、2回目と言うこともあり、わたしがリーダーを務めました。

1階で必要な材料を受け取り、車をスタートさせます。
道は、今朝来た小名浜への道をそのまま戻ります。  行先は「江名」という、小名浜の3キロほど北上した海岸線です。
 車はスムーズに目的地の依頼された個人のお宅に着きました。
運び出すごみ等はすでに、袋詰めされていましたので、作業は短時間で済みました。

積み終わってから、住民の方のお話をお聞きしました。
やはり、当日は近くの山に逃げて港を見たら、波がどんどん浸水するのが解ったそうです。
幸い、お宅は少し高い位置にあったので、床上ほどの浸水だったそうです。
ただ、地震発生時は屋根の瓦が、バシャバシャと音を立てて落ち始め、それはそれは恐怖を感じたそうです。
 その、屋根も、ボランティアの方々がまる1日で修復してくれたそうです。

今は、だいぶ落ち着きましたとお話しいただきましたが、伝えきれない苦悩があったと思います。
ご挨拶をして、車は震災ごみ集積場へ向かいます。

地図を頼りになんとか辿りつきました。



すごい、量です。  車が1台づつしか、入れない山の中ですので、順番を待ちます。
20分ほど待ちやっと番が来て、先ほど積んだごみを下しました。

広い場所なんでしょうが、このペースだとあっという間に埋まりそうです。
でも、仮置き場のようですし・・・・。 どうするんだろう。

帰りに、近くのコンビニでお昼にして、その間にボランティアデンターに終了の報告。
待機の指示があったので、20分ほど待っていると、連絡が。

「小名浜近くで木材の処理をしているので、応援を」
すぐに向かいました。   どうも、小名浜には縁があるなぁ~~。

到着してみると、10人ほどのボランティアの方々が、漁港の壊れた食堂の片付けをしていました。
そこで、木材を取りあえず車に積んで、先ほどの集積場に持っていくのが、作業内容です。

すぐに、取りかかり、車に積める限界まで積んで、先ほどの集積場に向かいました。

到着した時には・・・・先ほどより車が多く待っています。
その数、15台ほど。   これは待ちます。



30分ほどして、後ろから先ほどの現場の方がもう1台の車に木材を積み込んで後ろに並んでいました。
その方々の協力で、早く作業が終わりました。   有難いことです。
その車の、お手伝いをとお話ししましたが、「こちらは3人いますから、大丈夫!」と遠慮なく帰ることを優先してくれました。

今日は、なんか車に乗っていただけのような・・・。  とても長い1日に感じました。
5時少し前に、ようやくボランティアセンターに到着し、1日の行動の報告をして終了しました。

 

いわき市災害救援ボランティアセンター 2日目

2011-08-14 00:38:11 | 「東日本大震災」支援活動
 1日目の作業が終わり、社会福祉センターで作業終了の確認をして解散。
本日、偶然にグループを形成された8人のボランティアの面々は、また各自の帰途に着くのでありました。

車に戻り、約10キロ離れたいわき市の小名浜に向かいます。
こちらの旅館が、このボランティアに参加するにあたり、やっと見つけた宿泊施設です。

道は、ほとんど曲がることもなく真直ぐに小名浜に着きました。
必要な物を、リックに詰めて、受付に向かうと旅館のご主人が迎えてくれました。
窓口に、震災当時の写真がアルバムに収められていました。
ご主人が丁寧に説明してくれます。

当日は、恐ろしい揺れを感じ、すぐに山手に逃げたそうです。  その日は山の上の旅館にみんなで泊まったそうですが、1回目の津波はそれほどでもなく、夜中になると満潮になりその波にほとんどやられたそうです。  
ご主人が指差す先には、天井に届くほどの高さに、海水の跡がありました。

その後、しばらく会津若松の方に、避難していたそうですが5月頃より、帰って来て1階のすべての畳を交換したり、電気関係のエアコンやお風呂のボイラーも使用不可になり、その交換したり修理したりと1か月以上
働いてようやく、ビジネスマン用に再開したそうです。
ほとんどが、この復興作業に携わる方々の宿泊だそうです。

夜になり、お風呂で疲れを取り部屋でビールを飲んでいたら、今日の疲れが出たのか9時過ぎには寝ていました。


翌朝は、身体がガタガタなのがよくわかりました。  やはり無理しちゃだめね。

7時に食事を取り、7時半には旅館を出ました。   昨日と同じく8時には駐車場に居たいからです。
8時半を過ぎると、一杯で停められません。

やはり、朝でも暑い暑い。  途中のコンビニで昼飯確保と「ガリガリ君」ゲットです。



さぁ~~  時間になったら、昨日と同じように受付開始です。
今日は2回目以後の方の受付です。 実に簡単スムーズ。

社会福祉センターの5階に上がり、グルーピングを待ちます。


久之浜にて想う。

2011-08-13 21:45:53 | 「東日本大震災」支援活動
久之浜の中に少し小高い場所があり、そこに崩れかけた祠が目に入りました。
その、祠のそばにのぼりが立てられています。

「 ここに故郷あり、星廼宮神社 」

3月11日の大震災で津波の被害を受け、町ごと大打撃を受けた中、こうして祠に「自分の故郷はどこに行くわけではない、常にこの場所にあるのだぞ。 ここが、帰る場所。」

そのような意味にわたしは読み取れました。
しかし、他県から来たわたしにも、胸につまるこの感情はなんなのでしょう・・・・。
幼き頃からの体験によるものなのか・・??


そんなことを考えながら少しづつ歩き離れ始めた、その祠の場所。

家があったことを、証明するようにコンクリートの基礎だけが残る、町の中をゆっくりと歩く。

本来いる場所に居ない住人の町の中を歩いていると・・・・。

その日の14時46分に時が止まったままで、その後も持ち主を待ち続ける小学生のランドセルが静かに置かれていました。



久之浜にて

2011-08-13 07:15:59 | 「東日本大震災」支援活動
 いわき市久之浜の作業のお昼休みの時間に、少し周りを歩かせてもらいました。
津波が襲った多くの地域は見渡す限り、なにも無くなり、解体前の家が数軒残るのみです。

防波堤まで、来てみました。 その防波堤のすぐ近くの家屋は凄まじい壊れ方をしています。



何十年もこの大きな防波堤を波が超えて来なかったのだから、今回の津波がどれだけの大きさだったのか・・・。

その防波堤にそって歩いてみると、壊れた部分がありました。



幅1m近いコンクリートが粉砕されています。
その、様子は想像したくないくらい怖さが迫ってきます。

作業をする場所まで戻って来たら、すぐ目の前に解体予定の住居があります。



4月10日の日付が書かれていました。
4ヶ月経ってもまだ、手がつけられていません。   どれだけこの場所の解体処理が困難なのかが解るような気がいたしました。

いわき市災害救援ボランティアセンター

2011-08-12 20:17:12 | 「東日本大震災」支援活動
 いわき市の「災害救援ボランティアセンター」があるのは、いわき市の中心地です。
いわき市の駅を中心に重要施設が集約されています。   いわき市役所ももちろん、その隣のブロックには税務署や社会福祉センターがありその社会福祉センターに「いわき市災害救援ボランティアセンター」はありました。
着いた時間は、朝の8時。   ボランティアの受付は9時からと表示があります。
駐車場の案内がありましたので、100mほど離れた専用の場所に車を停めに行きました。
実は、この早く着いたのが後々、良い結果に繋がるのでありました。

駐車場は約50台ほど停められますが、10台ほどしか、止まっていませんので良い場所に停められました。
もう、8時過ぎたので、陽が登り始めて暑い思いしてました。
車の中で、準備を始めました。  リックに着替えやタオル等必要な物を詰め込み、お昼の食事も詰め、自分の朝の食事もして、靴を履きかえて待機しました。

今回の災害救援ボランティアに参加するに当たり、事前に調べていたのですが、ボランティアに参加する人は
参加地までの、交通費は自費。 食事は自分で用意する。 宿泊をする場合は野宿は禁止。 宿泊は各自で手配。 という大きな定義があります。
私も、今回は宿泊を確保するのが大変でした。  いわき市内の宿泊施設は復興工事関係の宿泊でほとんど一杯。 で断れまくり・・・・。   市内南部の小名浜でやっと1軒の旅館が予約できることが決まり、行くことができたわけです。   この30℃超える真夏に車内泊はまさに自殺行為。

8時30分位に歩いて、社会福祉センターに向かいました。
しかし、さすが役所であり、9時まで受け付けは始めません。
ロビーでじ~~~~~っと待ちます。  やっと時間が来て受付が始まりました。

受け付けは、「初めての方」と「2回目以後」の2つに分かれます。
当然わたしは、初めての方に並びまして、必要書類に必要事項を記入いたします。



そこで、受付が終わると左肩に張るためのワッペンを張ってくれます。
日付と名前が記入され、「いわき市のボランティア活動中」の証明書みたいなものが与えられます。



受付が終わると5階に上がってオリエンテーションを初めての方は受けます。
このレクレーションの講師も実は、神奈川県の社会福祉センターの方。  他にも長野の社会福祉センターの方も来てます。 全国の人々がこの東日本の復興のために真剣に働いています。
10分ほどで終わり、グルーピングと言われる、各グループに分かれます。
その方法は、センターの方が「今から、〇×地区の瓦礫の撤去のお仕事があります。 お手伝いできる方・・」と言うことで、手を挙げた人からグループが構成され、そのグループ(2人~10人位)の中でリーダーとサブリーダーが決められ、事務所との連絡役になります。  リーダーは時間ごとに休憩を支持したり、グループ員の体調をみて時間配分したり、結構大変(・・・でも、それももちろんボランティア)

私たちのグループは車3台に乗り分けて、ボランティアセンターからおよそ、12キロほど離れた海岸線の
久之浜町です。  常磐線の「久の浜駅」を曲がって海に出ると、がらりと景色は変わりました。

ほとんどの家が破壊され、重機によってどんどん壊されている最中でした。
町だったはずの場所が更地にされています。

本日の、作業の依頼の場所は、こちらの元医院。



ご主人が一人で後片付けをしていました。

リーダーの支持のもと、他7名でこの家屋から瓦礫の撤去です。
燃えるごみと不燃物の仕分けもします。

津波がありとあらゆる物を流していますので、家の中はすごいことになっています。
家の外の壁には波の跡が・・・・約4mの位置にあり、2階も完全に浸水してます。

作業をしていて気が付いたのですが、瓦が実に多い。  しかも、昔のものなので重い。
で、さらに気が付いたのですが、この家には瓦は乗っていない。
つまりは、流された瓦が来たということ・・・・恐ろしい!!

ボランティアセンターでは「 全力で働かないでください。」と言われてましたが、なんか、がんばってしまい、8割がたの動きしたら、さすがに暑くてばてます。

お昼に休憩し食事をしてから、もうひとがんばり!
3時近くまで、誰ひとり手を緩めることなく、自分たちのできるだけの作業を行い、 1階部分の主要な部分をきれいにできました。

残念ながら、時間で終わるざるえないことでしたので、住民ご主人にみんなで挨拶しましたが、その際にご主人が「・・・・どなたか、この位牌を見つけてくれたのですね。 ありがとうございます。 これが見つかったのは本当に良かった。」と何度も頭を下げてお礼を言われました。
ご主人の両手には砂で汚れてしまいましたが、2つの大切な位牌が握られていました。


私は、今回のボランティアに参加するにあたり、「自分が行って役にたつのか?」「それって自己満足じゃないの?」「かっこつけ?」「暇で良いね」等々の言葉が飛び交いました。
本当は4月にでも来たかったのに・・・・。
 しかし、今回はすでに車に乗っていました。 考えていませんでした。 心が何かを言います「…とにかく行け! 行けば答えがあるから!」


車に乗り込み、帰途に着くとき先ほどのご主人が 位牌をきれいに布で拭いているのが遠くに見えました。

「 自分たちのした行為がこちらのかたを少しでも救うことができたか。」

答えは考えているうちには出ないものであると、知らされました。

 

自然の驚異と強さ

2011-08-12 08:05:26 | 「東日本大震災」支援活動
 先ほどの、車の場所から 新舞子浜を北上します。
しかし、県道が崩壊していますので、海岸線の田園を縫うように走ります。
しばらくして、また海岸近くにたどり着きました。

手前に川があり、その橋で車両の進入禁止のバリケードができています。
その先では、すでに復興のために工事関係の車両が働いています。

車を降りて、少し歩くと海岸からわずかに300m位の位置にあった家屋が、津波に破壊されていました。
屋根と柱は残っていましたが、中身はごっそり持っていかれて、なにひとつありません。
住人の方が避難されて無事だったことを祈ります。

津波は自然現象でありますが、その自然の穏健を受けるために海の近くに住む人々に時に大きな自然の驚異の姿を見せしめます。
逃げるしかない状態のなか、どれだけの恐怖を味わったことでしょう。
このような姿をみると、その思いははかりしれません。

そんな、大きな津波の爪痕の家屋の庭には。



元気に、今を生きている草花が・・・・。

自然は驚異でもあり、美しくもある。

田園で少し、景色を眺めていると、足元でなにかざわざわと・・・。
よ~~く見ました。  ん? なにがいる?

おおお!  カニ!  しかも、かなりおおきい!



びっくりしていたら、あらっら、あちらにもこちらにも・・。 カニがたくさんいました。

しばらくカニ見て休んでいてから、車で田園を走ってみました。
海岸線から、少しのところに稲穂が揺れています。   見事な緑。



そうそう! 負けちゃいられない! いわき市や東北の人々の心意気が伺えます。



「がんばっぺ いわき」

あちらこちらで、のぼりが揺れています。
震災地の人々ががんばって、東京の自分ががんばらなくてどうする!
気持ちを新たに、いわき市の社会福祉センターにある「ボランテァセンター」に向かいました。

沼に何かが・・・・・・。

2011-08-11 16:47:29 | 「東日本大震災」支援活動
海水浴場の駐車場を離れて、道路に出たところで、ふと車の窓から外を見てみると・・・・・。
林の先に、沼みたいのがあり そこに何か金属っぽいものがあります。
あれは、いったい何なのでしょうか??

車から 降りて林の中をなんとか歩いて行きます。
途中になぎ倒された木などが、行く手を妨ぎます。

なんとか、その場所までたどり着きました。 
で、その沼に見えたものとは・・・・・・・。



でした。

やはり、ここは東日本大震災を受けた、福島県いわき市であることが、目の前の現実で改めて思い知らされるのでありました。
しばらく、呆然としていましたがどうにか気を取り直して帰ることにしました。

やっと、道路に出たところでふとすぐそばの看板に目がいきました。



知らずに入ってしまいまして、ごめんなさい。  危ない場所はいけない。いけない。

新舞子浜にて

2011-08-11 08:00:32 | 「東日本大震災」支援活動
福島県いわき市平藤間の新舞子浜に向かったのは、6時過ぎの事。
携帯の目覚ましは7時過ぎでしたが、とても暑くて寝れません。

いわき中央インターからいわき市の郊外へ向かう途中に仮設住宅が立ち並ぶ姿が見られました。
住宅のあちらこちらで、屋根の瓦が崩れ落ちた部分の青いビニールシートの補修跡が目につきます。

バイパスを抜けて、海岸部分に近づいて行きます。
海岸沿いの県道362号線は、ずたずた状態でその先には、進めません。
別の道から、海水浴場のある場所に出ました。

写真のように、駐車場ばメチャクチに破壊されなんとか車が走れました。
当然、公衆トイレも水道が破壊されたために、使用不可です。

その、駐車場への道が・・・・・。



津波の凄まじい破壊力が見て取れます。
津波の波の勢いに浜の松も陸地に向かってなぎ倒されています。



海を見てみました。
大荒れです。  今でさえ怖さを感じる波の高さです。




テトラポットも勢いで流されています。  もう、この場所でどのくらいの高さの波が来たかなんて、想像もできないし、怖くなってきたので後ずさりする自分がいました。

福島県いわき市のボランテァセンターへ

2011-08-10 19:43:25 | 「東日本大震災」支援活動
8月8日と9日の夏休みを利用して、福島県いわき市の東日本大震災の支援活動・復興活動をおこなっている、ボランテァセンターに活動に行って来ました。

日曜日の夜の営業を終えて、支度に入ったのが22時過ぎです。
必要な物を買いに行ったりしているうちに、時刻はすでに24時。
落ち着いて探せば、バスで東京駅からいわき駅までの直行便もあったのですが、時間も合わず・・・・。

車のトランクにあるものみんな放り込んで、スタート。
途中でガソリン満タン。  久々に満タン気持ち良い~~~。  しかし、この大食いの車はいったい何リットル食うの? と言うくらいにたらふくガソリン飲みました。(笑)

24:40に外環道の大泉から入りました。
25:05 常磐道に入りますが、この合流はいつも怖いですね~~。  右車線からの合流に続いてすぐに左車線の常磐道に入らないと、首都高にに持って行かれます。  こわこわ



途中のSA でミヤマクワガタ発見! 危ないから草むらに移動してもらいました。

数回の休憩を取りながら、「いわき中央」のインターに到着したのが 4:03

朝もやの中、いわきの朝はやってきました。



少し、仮眠させていただきます。(しかし、寝れる車じゃないんだけど・・・・)