いわき市の「災害救援ボランティアセンター」があるのは、いわき市の中心地です。
いわき市の駅を中心に重要施設が集約されています。 いわき市役所ももちろん、その隣のブロックには税務署や社会福祉センターがありその社会福祉センターに「いわき市災害救援ボランティアセンター」はありました。
着いた時間は、朝の8時。 ボランティアの受付は9時からと表示があります。
駐車場の案内がありましたので、100mほど離れた専用の場所に車を停めに行きました。
実は、この早く着いたのが後々、良い結果に繋がるのでありました。
駐車場は約50台ほど停められますが、10台ほどしか、止まっていませんので良い場所に停められました。
もう、8時過ぎたので、陽が登り始めて暑い思いしてました。
車の中で、準備を始めました。 リックに着替えやタオル等必要な物を詰め込み、お昼の食事も詰め、自分の朝の食事もして、靴を履きかえて待機しました。
今回の災害救援ボランティアに参加するに当たり、事前に調べていたのですが、ボランティアに参加する人は
参加地までの、交通費は自費。 食事は自分で用意する。 宿泊をする場合は野宿は禁止。 宿泊は各自で手配。 という大きな定義があります。
私も、今回は宿泊を確保するのが大変でした。 いわき市内の宿泊施設は復興工事関係の宿泊でほとんど一杯。 で断れまくり・・・・。 市内南部の小名浜でやっと1軒の旅館が予約できることが決まり、行くことができたわけです。 この30℃超える真夏に車内泊はまさに自殺行為。
8時30分位に歩いて、社会福祉センターに向かいました。
しかし、さすが役所であり、9時まで受け付けは始めません。
ロビーでじ~~~~~っと待ちます。 やっと時間が来て受付が始まりました。
受け付けは、「初めての方」と「2回目以後」の2つに分かれます。
当然わたしは、初めての方に並びまして、必要書類に必要事項を記入いたします。
そこで、受付が終わると左肩に張るためのワッペンを張ってくれます。
日付と名前が記入され、「いわき市のボランティア活動中」の証明書みたいなものが与えられます。
受付が終わると5階に上がってオリエンテーションを初めての方は受けます。
このレクレーションの講師も実は、神奈川県の社会福祉センターの方。 他にも長野の社会福祉センターの方も来てます。 全国の人々がこの東日本の復興のために真剣に働いています。
10分ほどで終わり、グルーピングと言われる、各グループに分かれます。
その方法は、センターの方が「今から、〇×地区の瓦礫の撤去のお仕事があります。 お手伝いできる方・・」と言うことで、手を挙げた人からグループが構成され、そのグループ(2人~10人位)の中でリーダーとサブリーダーが決められ、事務所との連絡役になります。 リーダーは時間ごとに休憩を支持したり、グループ員の体調をみて時間配分したり、結構大変(・・・でも、それももちろんボランティア)
私たちのグループは車3台に乗り分けて、ボランティアセンターからおよそ、12キロほど離れた海岸線の
久之浜町です。 常磐線の「久の浜駅」を曲がって海に出ると、がらりと景色は変わりました。
ほとんどの家が破壊され、重機によってどんどん壊されている最中でした。
町だったはずの場所が更地にされています。
本日の、作業の依頼の場所は、こちらの元医院。
ご主人が一人で後片付けをしていました。
リーダーの支持のもと、他7名でこの家屋から瓦礫の撤去です。
燃えるごみと不燃物の仕分けもします。
津波がありとあらゆる物を流していますので、家の中はすごいことになっています。
家の外の壁には波の跡が・・・・約4mの位置にあり、2階も完全に浸水してます。
作業をしていて気が付いたのですが、瓦が実に多い。 しかも、昔のものなので重い。
で、さらに気が付いたのですが、この家には瓦は乗っていない。
つまりは、流された瓦が来たということ・・・・恐ろしい!!
ボランティアセンターでは「 全力で働かないでください。」と言われてましたが、なんか、がんばってしまい、8割がたの動きしたら、さすがに暑くてばてます。
お昼に休憩し食事をしてから、もうひとがんばり!
3時近くまで、誰ひとり手を緩めることなく、自分たちのできるだけの作業を行い、 1階部分の主要な部分をきれいにできました。
残念ながら、時間で終わるざるえないことでしたので、住民ご主人にみんなで挨拶しましたが、その際にご主人が「・・・・どなたか、この位牌を見つけてくれたのですね。 ありがとうございます。 これが見つかったのは本当に良かった。」と何度も頭を下げてお礼を言われました。
ご主人の両手には砂で汚れてしまいましたが、2つの大切な位牌が握られていました。
私は、今回のボランティアに参加するにあたり、「自分が行って役にたつのか?」「それって自己満足じゃないの?」「かっこつけ?」「暇で良いね」等々の言葉が飛び交いました。
本当は4月にでも来たかったのに・・・・。
しかし、今回はすでに車に乗っていました。 考えていませんでした。 心が何かを言います「…とにかく行け! 行けば答えがあるから!」
車に乗り込み、帰途に着くとき先ほどのご主人が 位牌をきれいに布で拭いているのが遠くに見えました。
「 自分たちのした行為がこちらのかたを少しでも救うことができたか。」
答えは考えているうちには出ないものであると、知らされました。