昨日午前、スマホで突然 「志村志村けんさん逝く」 の訃報を見て呆然とした。
新型コロナウイルスの感染で亡くなる人も多いが、有名人の訃報は聞いていなかったので、まさか志村けんさんが逝くとは夢にも思わなかった。まだ若い70歳だった。
東村山市民として最も名の知れた有名人が、いくら天命とは言え亡くなるとは悲しく、、今のこのようなご時世だから、もっと志村けんさんが発するお笑いが必要なはずだった。
市民にとって何と言っても志村けんさんの功績は 「東村山」 の名を世に知らしめたことだったことで、あの爆発的なヒットとなった 「東村山音頭」 は正に志村けんさんの真骨頂だった。
私も多いに志村けんさんの名を借りて趣味に活かしたことがあった。
かつて私はアマチュア無線に熱中したことがあった。見知らぬ人と初交信する時は、まずはお互いのコールサイン、名前、そして住所などを紹介するのが通例だった。
だが 「東村山」 と言っても、あまり有名な名所旧蹟なども無いので紹介が難しく、東村山が何処であるかを知る人が少ないようで、判って貰えるまでは時間も要した。そこで考えたのが志村けんさんに助っ人をお願いすることだった。
「あの志村けんさんが生まれた、東村山音頭の東村山です」 と言えば、まずは判らない人がいなかったようで、私が住んでいる場所はすぐに理解して貰えたようだった。
それほどに志村けんさんが東村山の名を世間に知らしめてくれた功績は大きい。
今年、 「東京 2020 五輪」 が予定通り開催されれば、7月14日、東村山市内で聖火リレーが行われ、志村けんさんもリレー走者として予定されていたので、私も楽しみにしていたが、それも叶わぬことになってしまった。
まだ70歳の志村けんさんの死はあまりにも早すぎたが、天国から 「東村山音頭」 でも唄ってウイルス騒動で落ち込んでいる日本国民に ”活” を入れてください。
今日、私は9時過ぎ歩きで家を出て、秋津駅から電車に乗って東村山駅へ。駅前のイトーヨーカドーへ買い物に行った。駅東口に出ると何やら人だかりがしていた。
そこには志村けんさんへの献花台が設けられていた。献花し、また頭を垂れる人もいた。また近くには志村けんさんをたたえて植えられた3本の市の木・ケヤキ 「志村けんの木」 が献花の様子を見守っているようだった。
私は花を用意していなかったが、献花台に向って頭を下げて、偉大な喜劇人だった志村けんさんの死を悼み、心よりご冥福をお祈り申し上げました。
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3本の市の木 ・ ケヤキ 「志村けんの木」
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献花台 |
写真説明: 志村けんの木 と 献花台
撮影場所: 東村山駅東口にて (2020.3.31)
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