日暮らし通信


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今日は妻の通院日

2014年09月12日 17時40分51秒 | 日暮らし通信
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

エンジェルストランペット

空堀川沿いにて

(H260911 撮影)



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今日は妻の通院日だった

携帯電話の目覚まし機能に呼び起こされて3時半起床、いつもの朝と同じように ”私のやるべき仕事” を終えて、6時半車で家を出た

妻の担当医は病院では珍しい8時から診察を開始していて、今日は8時予約になっていた

こんなに早く出るのは道路事情のためで、それより30分も遅いと渋滞で一時間以上もかかってしまうが、病院までは約12キロ、何事も無ければ7時過ぎには空いた駐車場に入れる

この道を走ると様々な想い出が(よみがえ)ってくる

二回目の入院は四ヶ月間、毎日この道を通って妻を見舞った

看護師さんからは 「四ヶ月も毎日来るのは貴方だけです」 と褒められたが、私としては妻の快癒(かいゆ)を必死に願っての病院通いだった

でも何でこんなに遠い病院へ? それにはある事情があった

妻の容態が異常になったのは9年前の10月下旬・月曜日の真夜中2時過ぎのことだった

私は気も動転したまま、なす(すべ)もなくうろたえてしまったが、何とか119番した

その時、オペレーターに何と言ったかは憶えていないが 「妻が錯乱(さくらん)した」 と言ったらしく、救急車と消防車が緊急出動して、救急救命士が6人も家の中に入って来た

妻はすぐに救急車に収容されたが、私もその車内に入って妻の容態を案じた

ところが収容先がなかなか決まらない

月曜日の真夜中という、日曜日との勤務体系の兼ね合いもあって病院では受け入れてくれないのだ

路上に駐車したまま、救急士さんはもう何件も電話して収容先を確保しようとしているが、受け入れて貰えないようだった

そんなやり取りが20分以上続き、やっと受け入れ先が決まったが、この決まるまでの時間が私にはとてつも無い長い時間に感じてしまった

その救急車に私も同乗したが、その行く先が今通院している公立病院だった

勿論、私はこの病院は全く知らない病院だった

そんな経緯(いきさつ)があってこの病院にお世話になっているが、考えて見れば妻としてはラッキーなことかもしれない

それはこの公立病院は優れた施設であり、街中(まちなか)の病院とは異なる医療設備が完備されているからだ

あれから九年が過ぎ、私も 「人生いろいろ」 の通り、いろいろなことを経験させてもたった

特に 「介護という仕事」 の複雑さも身を持って体験することができた

それにしてももう二度と救急車には乗りたくない

 「病人」 としても 「付き添い者」 としても、あのサイレンを鳴らしながら突っ走る車にはもう二度と絶対乗りたくないと決めている

お陰さまで今日、妻の診察結果も 「特に異常なし」 とのことで、私も少し気が楽になりました