goo blog サービス終了のお知らせ 

日暮らし通信


その日暮らしの生活でも、感謝しています

日頃、見た事・聞いた事・感じた事・そして言いたい事などを発信します

入居鳥募集中です

2014年07月13日 13時55分51秒 | 所沢航空記念公園
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

クヌギ と 巣箱

所沢航空記念公園



● 写真の上でクリックしてご覧ください ●





この公園は埼玉県が管理しているとのことですが、多くの学校の小学生たちもボランティア活動で活躍しています。

園内中央にあるスロープ状の花壇では所沢の小学校が多数参加して担当の一区画毎に草花などをたくさん植えています。

その他の活動として、園内の何ケ所にも手製の巣箱が木に(くく)りつけてあります。

面白いのはそれぞれの巣箱には小学生の家主さんが思い思いのコメントを書いていることです。

この写真の家主さんはご覧のように入居鳥を気遣うように 「ゴキブリ禁止」 との注意書きをアピールしています。

他の巣箱のコメントを読んでもユニークな発想が(あふ)れていて、思わず笑い出すような微笑(ほほえ)ましさがあります。

でもちょっと残念なのはどの巣箱もまだ 「空家(あきや)」 のようですが、現在、鳥たちの世界では ”住宅難” は存在しないのでしょうか?

家主さんたちは鳥が出たり入ったりする巣箱の情景を夢見ているでしょうから、その夢を叶えさせてくれる ”鳥さん” はいないでしょうか?






 「幸せの定義」 とは?

2014年07月06日 14時59分13秒 | 所沢航空記念公園
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

走る人たち

所沢航空記念公園



● 写真の上でクリックしてご覧ください ●





やっと雨が上がって今日は朝からお日さまの出番となった。

お日さまが出ると世の中がパッと明るくなったようで気持ちも軽やかになる。

8時過ぎ妻と所沢航空記念公園へ。

雨で空気もしっとりした園内は風も無く、洗い清められたように静かで気持ちいい。

今日は園内でエベントがあるので、マラソン(びと)が大勢走っている。

エベント名が 「8時間耐久レース in 所沢航空記念公園」 とあるから随分と長い時間走のようだが、老若男女(ろうにゃくにゃんにょ)がいろいろな格好で走っている。

妻の手を引きながら散歩している私からすれば走っている人たちの姿は 「羨ましい」 の一語に尽きる。

でもそんな私の考えは間違っているのかもしれない。

世の中には寝たきりの人もいるから、歩ける妻はまだ幸せだと思わなければならないだろう。

妻は走っている人たちには無関心のようで、ただただ私に手を引かれて歩いている。

歩きながら 「幸せとは一体なんだろうか?」 と自問したが、私はまだ 「幸せの定義とは何か?」 の答えを知らない。





コブシのこと

2014年06月30日 21時10分33秒 | 所沢航空記念公園
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

コブシの果実

所沢航空記念公園



● 写真の上でクリックしてご覧ください ●





池の東側に一本のコブシの木がある。

私たちが園内を歩く時は必ずこの木の下を通って池周りの遊歩道に向かう。

今日、その(もと)でふと見上げると写真のような果実がいくつも成っているが、葉の緑と同じような色なので見つけづらい。

植物にはそれに応じた名前が付いているが、このコブシだけは人間の素直な感情がそのままに付けられているようで私には興味深いものがある。

コブシの果実は 「にぎりこぶし状のデコボコ」 があり、この果実の形状がコブシの名前の由来とも言われている。

また果実の形状が子供のにぎりこぶしに似ているところからこの名前になったとの説もあるが、私は小さな子供のにぎりこぶしを想うとこの由来説に同調したくなる。

じいっと見上げているとコブシの果実と正に可愛らしい ”子供のにぎりこぶし” がダブって想い出される。

コブシと言えば千昌夫さんが唄う 「北国の春」 の出番だ。

  ♪ こぶし咲く あの丘 北国の ああ 北国の春 ♪

コブシの果実は秋になると自然と割れて中から赤い種子が出てくる。

コブシは年間通じて私たち夫婦を楽しませてくれる友達のような木でもある。





見知らぬ人からの挨拶

2014年06月29日 16時24分24秒 | 所沢航空記念公園
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

米栂 (コメツガ) の球果

所沢航空記念公園



● 写真の上でクリックしてご覧ください ●





妻とこの公園を歩くようになってからもう何年も時が過ぎた。

歩く時間帯もほぼ同じだと、言葉は交わさないが何人もの顔見知りもできた。

だが時々、全く見知らぬ人から 「おはようございます」 とか 「こんにちわ」 と、挨拶を受けることがあるが、その人は行き交う人には誰でも挨拶をしているようだ。

通常は知り合いの人だけに挨拶するのが一般的なのだが、このような人は違った感覚で誰にでも挨拶している。

どのような心境で誰にでも挨拶するのか問うてみたいようにも思うのだが、私には到底その真似はできそうにもない。

だがそのように挨拶している人は皆穏やかな顔で笑顔を絶やさないから、挨拶された私たちもおのずと和やかに受けることができる。

日本人が(こまや)やかな感性を持っているのは、小さい時から教えられた 「礼儀作法」 の種が心に蒔かれて芽吹いたからだ。

しかし今はどうであろうか? 誰でも持たなければならない一般的な常識も失われた結果、様々な事件が多発している。

公園でいただいた見知らぬ人からの挨拶、ただ受け流すことのできない大切なことが含まれているようだ。





ヤマボウシの花

2014年06月14日 15時11分31秒 | 所沢航空記念公園
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

ヤマボウシ

所沢航空記念公園



● 写真の上でクリックしてご覧ください ●




13日、次のようなニュースがあった。

午前10時20分すぎ、秋田市河辺三内の住民から 「自宅近くの山中の崖に白い小型機のようなものが引っかかっている」 と110番通報があった。

県警や消防が現場で確認したところ 「ヤマボウシ」 の群生であることがわかった。

事故でなくてよかったが、多くの人はこのヤマボウシの花をご存じだろうか?

私は園内でこのヤマボウシを見ていたのですぐ 「白い花」 だと判ったが、この木は街中にもあるがそう多くはない。

この写真は10日に撮ったが、今日の散歩ではもうヤマボウシの花は姿を消していた。

ヤマボウシ (山法師、山帽子) はミズキ科ミズキ属ヤマボウシ亜属の落葉高木で、山地に普通に生え、本州から九州、および朝鮮半島、中国に分布する。

庭木などにも利用されるが、本来山の谷筋などに自生する樹木であるので、住民が誤認したのだろう。




蝶とタンポポ

2014年06月13日 21時00分59秒 | 所沢航空記念公園
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

蝶とタンポポ

所沢航空記念公園



● 写真の上でクリックしてご覧ください ●




いつも園内を歩いていると四季に応じて変化する様々な装いは、時には寂しげに私たちに響いてくる。

春からの園内で妻が好きな花はタンポポとレンゲ。

五月の園内ではその好きなタンポポとレンゲがあちらこちらに咲いていた。

場所によっては一面に群生しているタンポポもあって、妻もその場所を通るのが楽しみのようだった。

だが六月に入るとその花たちの勢いも下火になってしまった。

最近知ったのだがタンポポの分類は非常に複雑で、学説によっては60種以上も分類されるとのことらしい。

私はタンポポというのは背丈が低く咲く花だと思っていたのだが、中には1メートルほどまで伸びるタンポポもあるそうです。

今日園内を散歩していたら妻が 「あっ、タンポポだ」 と、私が握る手に力の入ったのがこの写真の様子だった。

 ”タンポポとチョウチョウか?” と、私は聞き流そうとしたが、妻は 「写真を撮って」 と、私にリクエストした。

そう言われれば少し傾いたタンポポに白いチョウチョウが止っている姿は、自然の営みのオリジナリティのようでいい構図のようでもある。

でも少し近くで撮りたいが、近付くと逃げるに違いないと思いながらどんどん近付いた。

そんな近くだからチョウチョウも感じたに違いないが 「このオッサンの言う通りにしようか」 と動かなかった。

でも年間3,000枚ほど撮りますが、自分で納得する写真は数枚です。

この写真ですか? チョウチョウさんのお陰です。





仔猫がやって来た

2014年06月09日 18時20分03秒 | 所沢航空記念公園
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

仔猫

所沢航空記念公園



● 写真の上でクリックしてご覧ください ●




8時前、ようやく空が明るくなってきた。待望のお日さまの出番だ。

 ”今日は散歩が出来るぞ~”と、8時半前には妻と公園へ。

でも天気は晴れたり曇ったりで、安定しない。

池周りの遊歩道を歩いていたら突然 ”ニャアオ~、ニャアオ~” と、仔猫がやって来た。

私たちに挨拶しているのか? それともお腹が減っているのかは判らないが、さっきの鳴き声を繰り返している。

泣きながらも私たちの方に寄ってくるからその姿は愛らしいものだ。

園内でたまに猫に会うのは珍しいことではないが、池の近くでは見たことはない。

この猫、野良ちゃんではなさそうで、毛並みも荒れている様子はないから飼い猫のようだ。

勝手な推察だが、独りで散歩に来たのか? 飼い主に捨てられたのか? は不明だが ”なぜ、こんな所に?” と可哀想な気にもなった。

私たちが歩き出すとその猫も後を追ってきたが、やがて ”何も呉れないや” と諦めて立ち止まってしまった。

 ”食べ物は持っていないので、ご免なあ~、” と声を掛けたくなった。

でもこのような毛並(けなみ)みって、何色(なにいろ)って言うのでしょうか?




花の命

2014年05月31日 15時11分22秒 | 所沢航空記念公園
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

名知らずの花

所沢航空記念公園



● 写真の上でクリックしてご覧ください ●




美しく咲いても 「花の命は短い」 と、いつかは終わりになると私は思っているのだが、この写真の花だけは 「花の命は永い」 と私はいつも感心している。

公園東側の緩やかな斜面の側溝に無造作に置かれた鋼鉄製の蓋の間からこのように咲いている。

残念ながら私はこの花の名を知らない。ネット上で図鑑などを調べたのだが名が判らないままだ。

この花は咲き出してから一か月余り経っても、その(いろどり)が衰える気配は感じられない。

一見、名もなき雑草のようだが、それにしても(りん)として咲いている綺麗で可憐な小花(こばな)だ。

「花の命」 となれば作家・林芙美子が色紙などに好んで書いたとされる 「花の命は 短くて 苦しきことのみ 多かりき」 の短詩を想い出す。

この短詩は女性を花にたとえ、楽しい若い時代は短く、苦しいときが多かった自らの半生を()んだとされている。

もしかしたら、もしかしたらですよ、林芙美子の心を花に例えるならば、この ”名知らずの花” のようにひたすら咲き続ける小花のようだったのではないでしょうか。

今日も妻との散歩でこの花に引き寄せられて何枚も撮った。今日も輝きを忘れずに咲いていました。





素晴らしいメタセコイア

2014年05月30日 21時12分47秒 | 所沢航空記念公園
日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

メタセコイア林立

所沢航空記念公園



● 写真の上でクリックしてご覧ください ●




所沢航空記念公園を散歩するようになったのは、退院した妻のリハビリの一環でもあった。

家から少し離れてはいるが、(うるさ)い車に注意することもなく歩けるので安心感のある場所を選んだつもりだったが、四季折々の変化を楽しみながらもう数年が過ぎていった。

園内で咲く花を楽しみながらいつも写真を撮っているが、私が興味があるのは咲く花だけではない。

広大な園内には沢山の樹木があるが、その木々の季節の変化を撮るのもまた楽しみである。

その中で私が最も好きな風景が池の南側に林立するメタセコイアの大樹群 (写真) だ。

おそらくは人的に植えられたものだろうが、高い樹高にも驚くが樹齢もかなりの数ではなかろうか?

メタセコイアは、スギ科メタセコイア属の針葉樹で、和名はアケボノスギ (曙杉) と言うらしい。

 
最近知ったのだが、メタセコイアの化石は日本各地の新生代第三紀層の化石に見られるとのことだ。

この 「新生代第三紀」 は地質時代区分の絶対年代によれば6,430万年前から260万年前までだから、気の遠くなるような大昔のことである。

そのような説明を聞くとメタセコイアが 「生ける化石植物」 と呼ばれている由縁が納得できる。

今日も妻と園内を散歩して池の北側からこのメタセコイア群を眺めた。
思わず 「素晴らしい眺めだ」 と、私は何回もシャッターを押した。

すると、メタセコイアの樹々(きぎ)の間から一斉に 「お前たちも頑張れ」 と、エールを貰ったような気がした。


どうして? そうか? いつも貴方たちを見ているのを憶えていてくれたんですね。有難うございます。




想い出のジェットエンジン

2014年05月29日 15時59分40秒 | 所沢航空記念公園

日暮らし通信

■□ 写真タイトル と 撮影場所 □■

E20007号機 (J3-IHI-7B)

所沢航空記念発祥館



● 写真の上でクリックしてご覧ください ●


園内にある 「所沢航空記念発祥館」 には時々行きたくなる。

それは館内一階に私が社内テストしたエンジンが二基展示されているから、見ると懐かしさが(よみがえ)ってくるからだ。

その一基が航空自衛隊・中等練習機T1B (写真後方) に搭載されていたのが写真手前のJ3エンジン (J3-IHI-7B)。
実際にこのエンジンの銘版を見ると IHI SER NO E20007 と刻印されている。

私が始めてテストしたのが戦後初めて国産されたこのJ3ターボジェットエンジンだったが、それは昭和30年代後半のことだった。

T1Bは既にリタイアしているが、このような小さいエンジンで大きな機体を飛行させるジェットエンジンは私にとっては驚きだった。

入社しても単独でテストするにはそれなりの知識が必要だった。今ではジェットエンジン関連の本はたくさんあるが、当時はあまり資料の無い時代だったから、先輩からの直伝が頼りだった。

欧米系のエンジンと比べると見劣りはしたが、私の42年半にも及ぶジェットエンジンとの付き合いの原点はこのJ3エンジンだった。

ここで展示されているE20007号機を見ていると様々なことが想い出されるが、もう50年も前のことである。