はじめに・・・このブログについて
はじまりは2005年4月6日から。
現在別居中(ダンナが勝手に出て行きました)→調停離婚が成立しました。
覚え書き↓
2009年11月 ダンナがまたおかしくなりはじめた。
2009年12月 ダンナがまた出て行った。(二度目の別居)
2010年 2月 姑とのバトル。これ以降一切連絡を取っていない。→姑の電話で暴言。
私はある山岳会に所属している。山を始めて11年くらいになる、山岳会は今年で9年になるかな。
結局、私の趣味の中で登山が一番長く続いている。
多分、この山岳会にいることで私の心は満たされている気がする。
実は当初、あまり他人との関わりが好きでなく一人が好きだった私は山もソロから始めた。
山岳会ってところは色々教えてくれるけど人との関わりは本当に煩わしかった。
それがなんだかここ最近は変わってきた。人との関わりを求めて募集される山行にたまに参加することが少し楽しくなった。
ときには全く知らない人と仲良くしないといけない時もある。
山岳会ってところはほんといろんな人がいておせっかいな人、うるさい人、ほんと色々。
それまでは会費だけ払っててたまにしか参加しなかったけど、年取ったかな、人との関わりが楽しいって思えるようになってきた。でも相変わらず煩わしいけどね。
昨日、一緒の車になった人はなかなか個性的だった、
朝、幾つものウエアを着て自撮りしたものを見せて、どれがいいと思う?!服のコーディネートって大事よねぇ!と言ってきた。その人はずっとどこどこのアウトレットがおすすめだとかあーだこーだ言ってきて色違いのシャツや帽子を変えて自撮った写真を選んでくれという。
まあ面倒なので最初は可愛いですねーって話を合わせてたんだけど、私のウエアが地味だといい出し、あんまりしつこいんで「私、登山服のコーディネートとかあんまり興味無くて。(苦笑い)何でもいいんです。」と言ったらやっと黙った。
そして山岳会ってとこは噂話が大好きなところ(笑)
最近よく誘ってくれる女性リーダーさんがいるんだけど、その人もまあ、少し個性が強くわがままなところがあるなぁと思ってだけど昨日は数人の人がめちゃめちゃその人のことを愚痴ってて、悪口言い放題でびっくりした。
私は、「確かにはっきりモノを言う人だけど、私にはそんなふうには言わないけどなあ?」
「それは絶対、騙されているよ!!」
まあそんな感じ(笑)
山行中ずっと人の悪口言っている人も多い。
以前はそう言う人たちとの関わりを避けていたけど最近は面白いなぁと穏やかに思える。
やっぱり人は人と関わっていないと生きて行けないモノなのかなぁと。どんな人でも面白い。
まあ、でも個性の強い人が多いので私はそう言う人たちにペースを乱されないよう、やっぱり一人の時間を重視ときどき大勢を楽しむ、のが私の人との関わりのバランスかなと。
昨日、疲れて家に帰ったら、昼間悪口を言われていた彼女からLINEが来た。(笑)
「私は今日〇〇行ってきたよーあなたは?」と。
私はまたこう言う人を引き寄せてしまっている気がする(笑)
でも、あまり深入りせず、人生いいとこ取りでもっと楽しまなきゃね。
今更になって人とのコミュニケーションの勉強しているような気がする。
それにしても晴れて自由の身となった私は解放されてそう言う人の煩わしさにも多少融通が効くようになり寛容になれたみたいだ。
人との関わりってのはお金では決して買えないもの、気の合う仲間ももちろんたくさんいて楽しい。こう言う人との関わり合いをこれからも大切にして行きたい。
誰もがニーサ、ニーサというのでその流れでなんとなく口座を開設、でもよくわからない上、お金のなかった私はそのまま放置していた。
昨年、離婚調停が終わり、貧乏性な私が生まれて初めて元ダンナから大金(財産分与)を受け取った。
あ、大金って言っても人から見たらそんな大金ではないですよ。(笑)
私は根っからの貧乏性で生まれてから就職するまで貧乏な家で育ち、就職してからは貧乏な家にお金を入れていたし成人式の着物も自分のローンで購入、ほんとお金がなかった。
もうずっと貧乏だったからそんなもんかと思って生きていた。
だけど同期の子は給料を全額貯金していて更に親からお小遣いをもらっていると言う。お金持ちだった。
そんな頃からなんだか家にお金を入れ続けることに違和感を感じ始めた。
月々の給料だけでなく、ボーナスも結構渡していた。
親はそれをいつも当たり前のように受け取り、私がローンがあるから家に入れるお金を減らしたい、というとあからさまに嫌な顔をされた。そんなことにも罪悪感を感じていたけど私も大人だ、二十歳過ぎた頃に遊び仲間との夜遊びを覚え朝帰りすることが増えた。
親は私が朝帰りするたびに怒り、時には手をあげた。
社会人になって、お金を取られ、いつまで子供扱いされるのかと私はちょっと遅い反抗期を迎えた。
早く家を出たいと思い続けやっと結婚で家を出られた。
貯金ができたのは家を出てからだった。嬉しかった。
だけど、結婚相手がこれまたお金のない人で(元ダンナ)
お金がないのが当たり前の人生で欲もない私はそれでもいいと、自分が働いていけばいいと思っていた。
元ダンナはお金もないのに結婚すると言い張った。元ダンナは親がお金を出してくれるから。
私の親はあれだけ家にお金を入れてきたのに結婚となると、
「親に頼るもんじゃない」と逆ギレ、1円も出さなかった。お祝いさえなかった。
仕方がないので少ない貯金と財形を崩して結婚資金に充てた。
それでも足りない分を弟が貸してくれた。ありがたかった、今でも弟には感謝している。
結婚してから子供ができるまでは何とかお金を貯められた。
退職金や財形を合わせてまとまったお金になった。
当時は社宅だったから家賃もかからないし、元ダンナの入れる生活費が少ないのは気になっていたけど生活はできるから気にしなかった。
頑張って貯めたお金のことは
当然夫婦なのだから元ダンナにも伝えていた、信頼していたので。
そして、そのお金だけは子供達の学費にしたいと手をつけずにいた。
でも結局、そのお金も元ダンナに上手に引き出されることになるのだけど。
そんなんだからいつも私はお金がなかった。
そんないつも貧乏な私が占い師から「後半に大金が入る」と言われ「老後はお金に困らない」と言われそれだけを楽しみに?!生きてきた。まさかそれが離婚だったとはね(笑)
そんな貧乏症な私が今までにないお金を受け取り、実は不安だった。
元ダンナがお金をあるだけ使ってしまうのを見てきたので自分もそうなるのではないかと。
実は不安だったから息子たちの奨学金返済をした。残りを定期に預け、残りの一部でそういえば、とNISAで積み立てを始めることにした。
それまで投資に全く無縁だった私は投資を教えてくれるような信頼できる人も周りにはいないし、何だかよくわからないまま始め少しずつ勉強した。最近はNISAで株を買うことも覚えた
。すごく少額だけど、試しに株を始めたのだ。
自分がまさか株に手を出すなんて思いもしなかったけど今の時代、NISAで気軽に株を売買できるんですね。
積立投信は何だかあまり面白味がないけど株は面白い、自分の推しにお金を出し、上がると嬉しいし下がるとブルーになる。
何だか毎日株の動きにヤキモキしてブルーになることもある。良いことばかりではない、買い時売り時もまだよくわかっていない(笑)
最近は何だか株ってあんまり私には向いていないのかなあ?と思えてきた。
そうこうしているうちに気づいたら銀行金利もいつの間にか上がっていて慌てて新しい金利に預け替えしたけどそれからも金利は上がり続けているようだ。
私もあまり詳しくないけど、ニーサだ外貨預金だと言って詳しいのかな?と思ってた人、最近投資をやっているという友人を知るとすかさず話を聞いたりするのだけど、どうやらそういう人たちはあんまりよくわかっていないでやっている人がなんて多いの!と知った。
ほとんどの人はNISAで積立してほったらかしで見もしない、
NISAで株が買えることも知らず、確定申告して税金を払ってる人もいた。色々と話を聞いていると結局はよく知らない…と話が途中で終わってしまうのだ(笑)
結局、みんなよくわからないでやっているんだなあと(笑)少し安心もした。
一体何が良いのか…私もまだよくわからないけど、もう少し続けてみようかなと。
引っ越して、近くにある、結構流行っている居酒屋があり、一度行きたいと思っていた。
やっと長男と一緒に行けるタイミングができておととい行って来た。
お店はにぎわっているが、たまたま休日で人が多いからか結構待たされて
人がいないのか対応も今一。
最初にそのお店の売りである一品を選らんでからあとは好きなものを頼むシステム。
お酒を頼んでもなかなか来ないわ、結構待ったこともあり長男も少しイライラしていた。
何だか今一盛り上がらず。
そこそこの居酒屋なのに値段が結構高かったこともあり、もうこの店には二度と来ないかなと(笑)
歩いて帰れることで長男も少し酒が入って饒舌になった。
普段、長男は自分の気持ちをあまり話さないがお酒が入ったからか結構喋り出した。
私と元ダンナの事も初めて話した。
まず、父親もその家族たちもみんなダメ人間ばかりだと言った。
(まあそうだけどさ酒が入らなかったら言わなかったと思うけど)
どうしてあんな人と結婚したのか、もっといい人が父親だったら自分はこんな人間にならなかったと言い出した。
長男はいつだって何かと人のせい、何かのせいにすることが多い。
ただ逃げているだけなのかもしれないけど。
そういうところは父親に似ていてかわいそうに思う。癖なのか血筋なのかいつも気になっている。
何かのせいにしているうちは何も変わらないと思うのだけど。
いつか長男もそれに気づいてくれるといいのだけど。
そして、私と元ダンナはもともと合わなかったのかもしれないという。
自分も合わないと思う事が時々あると言った。
正直それが凄く私にはショックだった。
これだけ気を遣って生活していても合わないと感じているのかと。もしももっと本音を大きく出して向き合っていたら長男も逃げていくかもしれないと。
少し悲しくなった、お酒も入ってたからね。
私は誰とも合わない人間なのかと悲しくなった。
でもすぐ打ち消した。もともとみんな他人だよ、100%合う人なんているわけがない、
合わないからこそお互い少しずつ気遣って合わせて家族としてやっていくものなんじゃないかと。
長男にはきっとまだわからないんだろう。
まあそんなんだから彼女がなかなか出来ないんだと思うけどね。(とは口が裂けても絶対言えないけど。笑)
長男からそんなことを言われてちょっとショックだったけど、元ダンナも長男も心のどこかで相手が自分に合わせるのが当然という気持ちがあるのだろう。
お酒が入っていると長男は何でも話してくれた。
あんたと父さんどっちも悪いんだけど、どちらかといえばあんたはそれほど悪くなかったと思う、
合わなかっただけだと思うと。
女を作って出て行ったのはあんたも悪かったんじゃないのと。
じゃあ、何で合わないのに父は戻りたがったのかと。
金だろ?と。それしかないだろと。金が無いから戻りたかった、ただそれだけだろと。
そして自分だって一人ではご飯も作れないし、一人暮らしは(暫く一人暮らししてた)お金がかかるから楽だから母と一緒に住むことを決めたという。自分も母さんを利用しているんだと。
私はてっきり、長男が私が一人になる事を心配して一緒に住んでくれたと思ったのにそんな風に言われてそれもちょっとショックだった。悲しくなった。
自分は母親だから子供に何でも許されるとでも思っていたのか。
私はとにかく母親として必死に生きて来た。それを何だかまた全否定されたような気がした。
その居酒屋がダメだったのと、長男に言われたストレートな言葉の数々に少し(かなりか。)落ち込んで実は数日間立ち直れなかった。
何だか長男にも愛されていないのかもしれないと思ったら今まで頑張っていた自分が可哀そうになって悲しくなった。
何だかやっぱり私はダメな人間なのだと何だか孤独な気持ちになった。
私はどうも人から言われた言葉を真に受けてしまうところがある。言葉は全てでは無いのだ。
思っている事を全て言葉に出来る人ばかりではないのだし、その言葉は気持ちのほんの一部分だ。
それ以来暫く長男ともぎくしゃくしてしまい、妙に気を遣って生活しているのはしんどかった。
昨日は、長男は休みで出かけていた。
いつもなら当たり前のようにどこへ行くのか、とか聞いていたけどそれも出来ず。(笑)
洗濯ものが散らかっていてもあーだこーだ言っていたけどそれも言えなくなってしまった。
長男は明け方になって戻って来た。いつも長男の帰りが遅いと気になって眠れないのだけど
気にしないようにして眠った。
朝、仕事に出かけようとしたら長男は起きてきて、こっちも何も聞かないでいたら
東京に行って来たよと話しかけてきた。
そして私がいつも好きだと言っている東京バナナのコーヒー牛乳味を
お土産だよ、と差し出した。何だか嬉しくて。何だかね。
心の中の全てを言葉にしなくても長男は私と一緒に居てくれることを選んでくれた。
たまに出かけてお土産を買ってきてくれる。旅先で私の事をほんの少しでも思ってくれて
好きなものを選んでくれる。それがすべてじゃないのかなとふと気づいた。
私は家族との関係を重く思うばかりにもしかしたら強く依存していたのかもしれない。
自分と同じ考えを押し付けていたのかもしれない。
合わないところがあったって、一緒に暮らしてくれている。それがすべてだよ。
そんな風に自分の気持ちを納得させることができたのでした。
固定資産税を払え、というLINEを送り付け、私はすっきりとやり返してやりました。
その後元夫からの返事は無い。
このまま終了となってくれるといいけどどうやらそういう人間ではなさそうだ。
それでも私はもう屈しない、元夫にお金を渡すことはもう二度とないだろう。
今回は、さすがに一瞬恐怖に震えたけどすぐに立上ってやり返してやることが出来た。
ほんとに自分をほめてやりたい。
年を取って少しずつ脳がおかしくなっていく夫、
無口で一見大人しい元夫は若い頃は「少し変わった人」程度にしか思われなかっただろうけどその奇妙さは年を取るほどあらわになるようだ。
まあ想像はしていたけど調停であったことすらきちんとおぼえていられないようで
多分これから年を取るほどそうした傾向は酷くなっていくだろう。
あんな感じでちゃんと仕事出来ているのだろうか。それともマンションを売却して
一時的に大金を手にしたことで仕事なんてやめてしまっている可能性もある。
「車を買い替える予定なんてない!」と言っていたけど私はそう思わなかった。
結局買っている。私の予想はことごとく当たってしまうのだね。(笑)
まだまだこの先、何かありそうです。頭おかしくなっているから常識も通用しない。
それでも私は元夫の嫌がらせを交わしていく力が今はあります。
調停も無事終わったし、非公開にしていた記事を少しずつ公開しています。
長い長い、私の記録です。
同じように苦しんでいる人にもしかしたら少しでも役に立つことがあったらと。
20年近く奇妙な人間の嫌がらせに苦しんできた私は今は解放されて幸せです。
少しでも苦しんでいる方が幸せになれますように。
このブログは私の日記です。なのでこれからも続いて行きます。