西分堂日記

書画を趣味にする私が、感じたこと見聞きしたこと、たまに、自作の書画を掲載できれば、と思います。

道でない書

2008年07月24日 | 臨自叙帖(懐素)
夏休みというわけではないと思うのだが、
書道も画も次回のお稽古まで、間があるので、
少し遊びたくなった。
今回の遊びのテーマは一応「懐素」。
私のような初心者が選ぶべきお相手でないことは百も承知。
ホントは今やるべくは、
半紙で練習した呉昌碩を半切にまとめて書くことの筈。
分かっているのに、ついつい脇道にそれてしまう。
でも、今は「懐素」のことがひかっかるので、やるしかない。
そのうち、腕を上げて「懐素」を正式に臨書するようになったら、
今のと比べてみよう!
少し道をは外れた書の遊び。

ということで唐の時代の僧侶懐素「自叙帖」。
懐素は幼少で出家した人で、たいへんな書道好きで、
大人になってからは、酒を呑んで酔いが回らないと、
字が書けなかった、というから、
もしかしてアル中だったのかも。
筆力が素晴らしく、書くときは物凄いスピードで書いたらしい。
一般に「狂草」と呼ばれているが、
どこに狂いがあるのやら、
ぴったと決まっているようにしか、
私には思えない。

「自叙帖」とは自らの生い立ちから始まり、
書歴が書かれている謂わば履歴書のようなもの。
むしろ、○○は自分の書の素晴らしを称えて詩を書いてくれた。
とあるから、履歴書というより自己アッピール文。
そこまで書いても、嫌味にならない字の凄さである。

お手本は二玄社「故宮書法選2 自叙帖 唐 懐素」。
解説では更に後ろの1行に1字あたりが見せ場というが、
私はこの辺が好きである。
初めの所の固さが取れて、筆の勢いに加速度が付いる。
登り詰めて、1行に1字になっている所は、
少しわざとらしい感じするのだ。
写真が素晴らしい本であるが、
原件の大きさはどこにも示されていない上、
途中で、活字が大きく抜ける校正ミスがある。
電話をかけたら、抜けている分を郵送してくれると言われた。

念のため、これは私の拙い臨書で、本物の懐素はそれはそれは素晴らしい。



 





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