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【時事(爺)放論】岳道茶房

話題いろいろだがね~
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「菅・小沢」の二択という悲劇

2010年09月03日 | 情報一般
「菅・小沢」の二択という悲劇

 民主党の代表選は菅vs小沢となりました。党内の権力闘争の最終決戦とも言える構図となり、メディアにはたまらない展開でしょうが、経済政策の観点からどちらが勝つのが望ましいかとなると、的を射た報道は多くないように思えます。そこで、今週はこの点について考えたいと思います。

マクロ経済運営の観点からの比較
 経済政策について菅・小沢の両者を比較する場合、二つの観点から考えることが必要ではないでしょうか。一つは経済と財政の運営のバランスが取れているかというマクロ経済運営の観点、もう一つは政策立案のプロセスが正しいかという観点です。

 まずマクロ経済運営のスタンスについて両者の主張を比べると、菅総理は経済よりも財政を重視しているように思えます。昨日の共同記者会見では、最初に「雇用が第一」と言ってはいますが、政策的には財政再建・消費税増税の方が強調されているからです。

 これは、菅総理には短期の経済運営の視点が欠如していることを示しています。財政再建は短期の経済成長に悪影響を及ぼします。デフレを解消できないまま消費税増税をすれば、デフレがさらに悪化します。つまり、菅総理のスタンスだと、少なくとも短期的には低成長とデフレの継続を覚悟しないといけなくなるのです。

 その中で雇用については、当面は政府が失業者にカネをあげて急場を凌ぎ、中長期には成長戦略に期待するというスタンスであり、経済を成長させて民間が雇用を増やすという発想には乏しいように見受けられます。

 小沢氏は短期の経済運営を重視しているように思えます。それは、2兆円規模の補正予算や公共事業などによる地方経済の活性化に言及していることからも明らかです。一方で、小沢氏の中長期の経済成長や財政再建についての方向性は、09年マニフェストの完全実施、政府のムダ削減となるようです。

 つまり、まとめると、菅総理は財政規律と中長期の成長戦略を、小沢氏は短期の景気回復を重視していると言えます。

 ここで日本経済の現状を見ると、非常に厳しい局面にあります。これまでの経済無策という国内要因で景気が回復しないうちに、円高という外的要因が悪影響を及ぼしつつあるからです。特に問題は、デフレの深刻化(25兆円ものデフレ・ギャップ)と地方経済の疲弊(地方で雇用が増えていない!)です。一方、財政は30兆円ものプライマリーバランス赤字を抱えて火の車状態です。

 こうした中では、短期的には財政拡大を含め政策を総動員してデフレ克服と地方経済の活性化に取り組み、それがある程度達成できた段階で消費税増税による財政再建に取り組むのが正しいアプローチだと思います。

 そう考えると、短期的なマクロ経済運営の点では小沢氏に軍配が上がります。しかし、09年マニフェストの中身には問題が多く、それを実現するだけでは中長期の成長は無理ですし、政府のムダ削減で財政再建はできないことも考えると、小沢氏の主張には説得力に欠ける部分も多いと言わざるを得ません。

政策プロセスの観点からの比較
 それでは、政策立案のプロセスの観点からはどうでしょうか。菅総理については、上記のようなマクロ経済運営のスタンスは官僚任せの政策立案の裏返しと言わざるを得ません。財政規律を優先する姿勢は、財務省のスタンスそのものだからです。(ちなみに、ここで私はステレオタイプな財務省批判をしている訳ではありません。財務省が財政再建を重視する立場なのは当たり前。その他の立場も踏まえて政策の優先順位を判断すべきなのに、それを政治の側が出来ていないことこそが問題なのです。)

 あるメディアは菅総理の政策について“現実的”と評していましたが、それこそまさに官僚任せの結果に他なりません。かつて自民党時代の与謝野氏が“政策通”と評価されていましたが、それが「官僚の説明をよく理解する」という意味だったのと同じです。

 そして問題は、官僚任せの政策立案ではB級の政策、及第点ギリギリの政策しか作られないということです。その典型例がつい先日ありました。8月30日に政府は経済対策の骨格を発表し、日銀は金融緩和を実施しましたが、その翌日に株価は350円近くも下がり、為替も大幅に円高になりました。官僚の政策では市場を納得させることはできないのです。

 一方で、政策プロセスに関する小沢氏のスタンスは、09年マニフェストどおりの政治主導の貫徹であるように見受けられます。政治主導という方向性自体は評価すべきですが、もしそれが鳩山時代のような“間違った政治主導”を繰り返すつもりならば、それはとても評価に値しません。

 鳩山時代に明らかになったことは、官僚を排除して政策経験のない政治家だけによる独善的な政治主導が行なわれると、そこから出て来る政策は官僚任せよりもひどいC級、落第点の政策になるということです。その失敗に学んだ正しい政治主導が行なわれるのかどうかが不明なままというのは、正直危なっかしい気がします。

 まとめると、政策プロセスの観点からは、菅総理は官僚任せ、小沢氏はまた間違った政治主導に回帰する危険性という、どちらも評価できない両極端の立場になっているように見受けられます。

 本来の正しい政治主導というのは、官僚の知見をうまく活用しつつ、政治の側が総合的な立場から政策の方向性を決めて、官僚が嫌がる政策でもやるべきものは強引に実行してその他の政策は官僚に任せるという、政策の取捨選択をしっかり行なうことです。

 その成功例は小泉時代に学べます。財政再建については財務省にある程度頑張らせつつ、不良債権処理や郵政民営化などについては、官僚の意向を無視して政治主導で強引に進めました。政治主導とは、そうした政策の強弱の明確化に他ならないのですが、菅総理と小沢氏の両方について、政治の意思として絶対に実現したい政策が明確でないのは、残念と言わざるを得ません。

 以上から、少なくとも経済政策に関して言えば、菅総理か小沢氏のどちらかを選ばないといけないという今の日本の立場は、非常に厳しいと感じます。

 菅総理の官僚任せの経済政策は、“失われた10年”と言われる1990年代の経済政策の失敗(マクロ経済運営を官僚に丸投げし、経済対策も官僚主導の小出しを繰り返した結果、経済は回復せず財政赤字だけが増大)を思い出します。今のタイミングでそれを繰り返したら、日本経済にとって致命傷となりかねません。一方、小沢氏の経済政策では、短期的にはある程度正しいけれど、中長期にはかなりのリスクを伴うと言わざるを得ません。

 言い換えれば、菅総理のままだと日本経済は緩やかな衰退を続け、小沢氏になったらイチかバチかの劇薬治療を始めるということです。この二つの選択肢しかないことは悲劇です。どちらが勝つにしても、その後早く政界再編が起きることを期待するしかないのでしょうか。

2010年9月3日 ダイヤモンドオンライン
岸 博幸 慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授

信頼できない年金にした「識者」と官僚の罪

2010年09月01日 | 情報一般
大前研一の「産業突然死」時代の人生論
信頼できない年金にした「識者」と官僚の罪

 厚生労働省は8月5日、2009年度の国民年金の保険料納付率が59.98%となったことを発表した。かつては100%近い納付率だったが、ついに60%を下回った。

■未納者は自分の老後をどう捉えているのか

 この納付率の低下という事実から、いくつか指摘できることがある。一つは、現在払わずにいる40%の人たちも、いざ老後になったら受け取る権利だけは主張するかもしれないということだ。ルール上は、25年以上納付していなければ、年金(老齢基礎年金)を受け取る権利はない。60歳までの40年間の全期間納めた人は満額をもらえるが、それより納付期間が短くなれば支給額は減る。全期間納付した人とそうでない人とでサービスに違いが生じるのはごく当たり前のことなのだ。

 経済的に苦境に陥れば納付を半額、または全額免除してもらう制度も用意されている。ところが、年金を未納している40%の人たちは、全員が苦しい生活を余儀なくされているわけではあるまい。以前に政治家や芸能人の年金未納問題が話題になったことがあるように、所得は十分にあるにもかかわらず納付していない人だって少なくないはずだ。

 そうした未納者は、自分の人生設計をどのように捉えているのだろうか。保険料を払っていないのに年金をもらう、という奇妙なことが当たり前になっては、国がおかしくなってしまう。だから国は改めて「納付していないなら年金は支給しない」としっかり宣言すべきだ。

 もう一つの問題は、私も愕然とさせられたことだが、現在大きな問題になっている所在不明の高齢者の存在である。高齢者が亡くなるか行方不明になるかして数十年経っても、年金だけは家族がそのまま受け取っていたという話が立て続けにニュースで取り上げられた。

 受給者がいなくなっても家族が受け取れるということは、本人がいなくなる前から家族が受給していた可能性もある。推測するに、支給された年金から数万円を小遣いとして本人に渡し、残りを家族が使って暮らしていたのではあるまいか。家族にしてみれば、「面倒を見ているのだから当然」という気持ちがあったのだろうが、受給者本人が亡くなった後も受け取っていたのであれば、これははっきりとした不正受給である。日本人の品性もここまで落ちたかと嘆かざるを得ない。

 各自治体は今しきりに100歳以上の老人の居場所の確認を急いでいるようだが、私は65歳以上の受給資格のある人すべてを調べるべきだと思う。おそらく同じような不正があると思われるからである。対象者4000万人で1.5%の不正受給があれば1兆円を超える。民主党は事業仕分けをやる前に国民の素性の仕分けをしたらどうか? 日本人がそういう根性の「大衆」を含む集合体になっている、ということをこの際確認して置いてもらいたい。

■「いたちごっこ」で未納問題を解決できない現状

 手厳しいことを述べたが、その一方で、保険料納付を拒否する人の気持ちもわからなくはない。集めたお金は「箱モノ」建設に使われ、その大部分が不良債権と化している。払っても将来きちんと支給されるかどうかは不明だ。特に若い人は払った分さえももらえない、という計算もあり、自分たちが受給資格を持つ頃には受給開始年齢も引き上げられており、さらには支給額が大幅に削られている可能性が高い。これでは年金負担をしたくなくなる、というのも無理からぬところである。

 何より、正しく納付していても国にその記録がないという、ずさんな問題もある。これでは年金に対する国民の信頼も失われるのも当然だ。国を信頼できなければ払いたくないだろうし、未納が続けば給付に支障が出る。いたちごっこの悪循環だ。

 年金問題を解決するには、長妻昭厚生労働大臣が民主党の一議員だった時に言っていたように、年金制度を一本化して「2階建て」にする以外にないだろう。1階部分は、税金をベースに国民全員に同じ額を支給する。その額は税金でまかなっている生活保護と一致させ、憲法で保障されている「人間の尊厳を失わない最低限度の生活」ができるようにする、というものであった。もっと支給してほしい人のためには2階を用意する。そして自分で追加して納付した分だけ、老後に多くの額をもらえるようにする。

 この方式のポイントは社会保険を徴収するのも税務署(民主党の提案では「歳入庁」として税金と年金部分を一緒に徴収する、というもの)となる。政権を取ってからの民主党は、そのあたりについてお茶を濁すようになってきたが、野党時代に主張していたように明確にそのプランを進めてもらいたい。

■国民データベースの構築を進めよ

 日本で年金を考える場合に問題になるのが、国民データベースが欠如していることだ。戸籍をデータベースと思っている人も多いだろうが、あんなものはこよりで綴じた戸籍の本に過ぎず、およそ「データベース」の名に値するものではない。デジタル化の計画もない。準拠している法律は明治時代のもので、今の時代にそぐわない。戸籍に載るかどうかで争われる非嫡出子の問題なども近代国家ではあるまじき問題である。実際、住民票とのくい違いも生じている。所在不明の高齢者問題はその象徴だ。

 このような無様なトラブルを避けるためにも、戸籍を廃止して住民登録と合体し、その他のすべての公共サービスを受ける場合の基礎となる国民データベースの構築を進めなくてはいけない。今ではICカードで行政の窓口一元化を図る試みがエストニアやデンマークなどでも進んでいる。お隣の韓国でもこの10年間でデータベース化が大いに進んでいる。

ゆとりのある高齢者には年金を辞退してもらう方法もある
 厚生年金にも問題がある。2009年度末の年金扶養比率は、高齢者一人に対して2.47人の現役世代が支える状況になっている。これだけ見ても、もはや年金制度の破綻は明らかである。

 ところが、その高齢者には経済的に裕福な人が多い(もちろん、年金をもらわなければ暮らしていけない高齢者も少なくないことは承知している)。お金の有り余っている高齢者に年金を支給するのは、ある意味無駄とも言える。

 現状を見れば、今後、高齢者全員にこれまで通り年金を支給するのは不可能である。となれば、ゆとりのある高齢者には年金を辞退してもらうのも有効な手ではないだろうか。そういう人は、年金よりも名誉のほうが嬉しいだろう。勲章など何らかの名誉を与えることで年金を辞退する人が出てくるのは想像に難くない。それで年金制度がいくらかでも楽になるなら実行すべきだ。

 実は私は年金をもらっていない。ところが役所は脅しのような手紙を送ってくる。「70歳まで受け取りを辞退し続けると、将来支給されなくなりますよ」という通知が定期的に届くのだ。そう言われると、「いざという時に困るから、とりあえずもらっておこうか」という気持ちにもなる。

 だが冷静に考えれば、「70歳まで年金を辞退し続けると受給する権利がなくなる」という制度自体がおかしいではないか。生活に困っていないうちは年金はいらない。しかし、将来のことは誰にもわからない。生活に困る事態になった時に申請すれば、その時点から年金を支給してもらえるようにすれば、元気なうちは受け取りを辞退できるではないか。

 このようなセーフティーネットがあれば、国も不必要な年金の支出を抑えることができるし、お金持ちの高齢者も安心して生活できる。国も高齢者も、お互いに信頼できる関係があれば、こうした制度も実現できるのだろうが、未納問題がある以上、なかなか難しいかもしれない。

■いい加減な試算をする「お抱え学者」

 年金問題の根本にあるのは、制度もデータも、そして制度にかかわる人たちもすべて信頼できない、ということだ。

 私自身の10年ほど前の体験を挙げよう。あるテレビ番組に出演した時の話である。対談形式の番組で、相手は年金制度を政府にアドバイスしている某国立大学の教授だった。さぞ中身のある話になるだろうと思いきや、彼の話はあまりにずさんだった。さかんに「年金制度は安心だ」と主張するのだが、その根拠がまったくもっていい加減なものだったのだ。

 彼の試算では、毎年給料が4%ずつ成長し、人口も2%ずつ増加していくことが前提になっていた。若い労働者も4%ずつ増えて、高齢者を支えるという計算をしていたのである。当然、私は反論した。「あなたの仮説では2%、4%というプラスの数値が並んでいるが、実は給料も人口も若年労働者層もすべてマイナスになる。それなのに、なぜそのようないい加減な試算をして、年金制度は安心だと主張するのか。その数字を制度設計で使っている根拠を教えてほしい」。そう問うと、彼はついに有効な反論はできなかった。

 その後の数字を見れば明らかなように、彼の言っていたすべての前提が崩壊しているのである。しかし、その議論が行われていた10年前にすでに日本は今の低成長・デフレ状態に陥って5年経っていた。状況がすべて様変わりしても制度を変更しようとしない官僚の「お抱え学者」は今頃何をしているのであろうか。官僚は外部識者を入れて制度設計したと責任を逃れ、学者は少なくともそういう統計データが当時はあった、と言い逃れをすることであろう。

■年金制度の抜本改革で政権交代の意義を見せよ

 イカサマな計算をする先生がテレビに出てきて能天気な見通しを口にする。そうした学者や責任逃れをしたい官僚たちが寄ってたかって年金制度を貶(おとし)めてきた。被害を受けるのは無力な国民ばかりだ。これはもう国家による犯罪と言ってもよい。

 私は当時いろいろと分析をして、発表もしているが、こうした前提がまったく現実を無視したものであることは明かで、年金破綻は当時から警告していた。当の学者は年金の制度設計を政府から頼まれてやっていた。政府にお金をもらうのだから、都合の悪い計算はできない。そこでイカサマ計算をして、官僚の顔を立てていたのである。官僚にしてみれば、権威のある先生が「年金は大丈夫だ」とお墨付きを与えてくれるのだから、責任が転嫁できて都合がいいのだ。

 年金のような制度は任期の短い官僚にやらせること自体が問題である。若者を含む市民グループに呼びかけて、コンペをする、そしてそのグループに委託する、などの新しい発想と手段が必要になってくるだろう。

 厚生労働大臣の長妻昭さんは「ミスター年金」と言われ、自民党を追い込んで民主党が政権を取るのに大きく貢献している。彼は、年金制度は抜本改革しかない、小手先の修正では直らない、と言っていた。大臣が自分の信念を任期中にやることが、政権交代の意義を国民に理解してもらうための一番の近道だと思うが、いかがだろうか?

2010年8月23日 日経BP

1997(平成9)年8月31日

2010年08月31日 | 情報一般
【写真で見るきょうは何の日】ダイアナ妃が事故死

 1997(平成9)年8月31日、ダイアナ元英皇太子妃がパリで交通事故死した。享年36。

 パパラッチと呼ばれるカメラマンを振り切るため、高速で走っていた車がトンネル側壁に衝突。元妃と交際相手のドディ・アルファイド氏、運転手の3人が死亡した。チャールズ皇太子と離婚1年後という悲劇の衝撃に、国内でも号外が発行された。

 事故が報じられた後、ダイアナ元妃が住んでいたケンジントン宮殿の門前には多数の人々が献花などに訪れ、世界各国の英大使館には記帳台が設置され、その死を悼んだ。

 英国内では「国葬にすべき」との声が高まったものの、労働党のブレア首相は「国民葬」にすると発表。9月6日、ウェストミンスター寺院で国葬に準じた規模の葬儀が営まれた。

2010.08.31 ZAKZAK

公務員の給料は本当に高いのか

2010年08月31日 | 情報一般
公務員の給料は本当に高いのか

不況の影響で高まる公務員志向 民間よりも給料が高いというのは本当か?

公務員は残業やノルマがなく、安定していて給料も悪くないというイメージがある。実際のところどうなのだろうか。

 人事院が9日、10年度の国家公務員採用3種試験(高卒程度)の申込み状況を明らかにした。これによると申込者数は1万7311人で、昨年度に比べて5.4%の増加となった。また倍率は24倍と難関で、不景気を背景に公務員への人気が顕著となっている。

 公務員は「安定している」「民間よりも給料が高い」などの声を耳にすることがあるが、実際にはどうなのだろうか。

 人事院が10日に行った勧告によれば、国家公務員の全職員の平均月給は、民間との差を縮めるため、前年よりも1.5%引下げ、39万5666円となった。民間の平均が39万4909円とされており、民間よりもわずかに高いがほぼ同じ水準となっている。また公務員の特別給(ボーナス)の平均は、年間で3.97カ月分だという。

 地方公務員の例としては、東京都人事委員会公式ホームページによると、東京都職員モデル年収は、25歳の役職なしで425万3716円、35歳の主任で652万2897円、45歳の課長補佐が901万3057円 となっている。

 一方、国税庁の平成20年度の民間給与実態統計調査によると、民間の電気・ガス・熱供給・水道業の平均年収は675万円で、次いで金融業、保険業が649万円となっている。ただし、この数値はあくまで平均であり、民間企業ではさまざまなケースがあるとみられる。

 また公務員にはサービス残業はないとされているが、実際には部署によって深夜まで残業している部署もあるという。公務員の総人件費の削減や、能力給、減給制などの必要性が叫ばれており、今後もこれまでの給与体系が維持される可能性も低くなってきている。公務員も安定を求められない時代に突入するのだろうか。

2010年08月29日 MONEYzine

1962(昭和37)年8月30日

2010年08月30日 | 情報一般
【写真で見るきょうは何の日】「YS11」の初飛行テスト 初の国産旅客機

 1962(昭和37)年8月30日、初の国産旅客機「YS11」の初飛行テストが名古屋空港で行われた。

 日本航空機製造が開発した座席数最大64のターボプロップ式双発旅客機。短い滑走路でも発着ができ、輸出もされた。主力がジェット機になった後も離島を中心に飛び続け、2006年9月に定期路線から引退した。

 機体の設計には、戦前に軍用機設計に携わっていた者が多く、軍用機の影響が強い機体となった。信頼性、耐久性には優れる一方、騒音、振動は大きくて居住性が悪く、運用する航空会社側には「軍用の輸送機みたいで扱いにくい」といった厳しい評価もあった。

 引退後の2007年、新幹線0系車両などとともに、日本機械学会による「機械遺産」に認定された。

2010.08.30 ZAKZAK

民主党代表選の騒ぎはナンセンスだ

2010年08月29日 | 情報一般
田原総一朗の政財界「ここだけの話」
民主党代表選の騒ぎはナンセンスだ

 マスメディアは連日のように民主党代表選について伝えている。話題はもっぱら、小沢一郎前幹事長が出馬するかどうか、である。

■軽井沢の懇親会に小沢氏を迎えたのはなぜか

 鳩山由紀夫前首相のグループが8月19日、長野県軽井沢町で研修会を開き、衆参の約160人の議員が参加した。しかも、研修会後に開かれた懇親会に小沢さんが出席し、大きな話題を呼んだ。

 鳩山グループの研修会なのに、実は鳩山グループの議員よりも小沢グループの議員の参加者のほうが多かった。新聞・テレビでは、小沢さんが代表選への出馬の意志を固めたのかという憶測が高まり、さらに山岡賢次副代表ら小沢グループの幹部たちが口々に「小沢さんは出馬の意を固めた」あるいは「固めつつある」と強調し始めた。

 鳩山さんはなぜ、小沢さんを懇親会に迎えたのだろうか。そして懇親会がなぜ、小沢出馬に向けた環境整備のような形になってしまったのだろうか。

 理由は二つ、考えられる。一つは鳩山さんが自分自身をアピールするためだ。小沢さんの幹事長辞任とコンビの形で、鳩山さんは首相を辞めた。その後、一時は「次の衆院選には出ない」と政界引退を明言したのに、7月に行われた地元北海道での後援会の会合で、引退表明の撤回とも受けとれる発言をしている。

■鳩山、小沢両グループの幹部たちの思惑

 そんな鳩山さんがいわば自らの「復活」を考えたうえで、懇親会を盛り上げ、マスメディアに非常に注目されることを望んだのではないか。鳩山さんも案外「普通の人」だったと思わざるを得ない。もしかしたら闇将軍になれるのではないか、という思いがあるのではないだろうか。

 ただ、よく事情を知る人物の話によれば、小沢さんに出席を強く求めたのはどうやら鳩山さんではないらしい。鳩山グループの幹部たちが求めたというのだ。菅首相になって、鳩山グループは冷遇されているという不満が幹部の間にはある。代表選後には幹事長が交代し、内閣改造も行われるだろう。だから今から、「鳩山グループをもっと優遇しろ」というデモンストレーションを行っているにおいが濃くする。

 そこで二つ目の理由だ。鳩山、小沢両グループの幹部が小沢出馬を声高に叫んでいる裏には、党役員の選出や内閣改造のときに、あわよくば幹事長、党三役あるいは閣僚に就きたいという思惑があるということである。そう見る人は少なくない。

 しかし、それにしてもわからない。いったいなぜ今になって、小沢さんが出馬するかどうか、あるいは出馬する意志を固めたかどうかが、こんなに大きな問題になるのだろうか。

身の潔白を示すために小沢氏は代表選へ出馬?
 私は何人かの民主党議員にその疑問をぶつけてみた。質問した相手は、小沢グループでも反小沢グループでもない議員たちだ。「もし小沢さんが代表選に出るとすれば、それはなぜか」。返事は次のようなものだった。

 「小沢さんは政治とカネの問題で、多くの国民から汚い政治家だと決めつけられている。朝日新聞の世論調査では78%が小沢さんは要職に就くべきではないと答えている。読売新聞の世論調査では実に81%がそう答えている。しかし今ここで小沢さんの政治生命が終わってしまったら、それこそ“汚い政治家”という烙印を押されたままになってしまう。小沢さんは、自分は汚くない、政治とカネの問題についてはシロだ、という自信を持っている。汚い政治家の烙印を押されたまま政治家として終わるわけにはいかない。代表選に出馬して代表になり、自分は汚い政治家ではないことを国民に示したい。小沢さんは、そう思っている」

 彼らのこうした説明はわからないでもない。それなりに理屈はある。だがそうならば、小沢さんの出馬は自身の潔白を示すための出馬ということになる。それは、民主党にとってどういう意味があるのか、この国にとってどんな意味があるのか、ということになる。

 もし小沢さんが代表になれば、民主党の支持率は大きく下がるだろう。そして民主党内は、おそらく分裂気味になるだろう。そうした可能性がありながら、身の潔白を示すために代表選に出馬するのは、やはり理解しがたい。代表選とは、そういうものではない。

■存在感が薄すぎる菅首相

 これほど小沢さんが注目されるということは、菅直人首相の存在感がないということである。もし菅さんが首相として優れており、そのリーダーシップを国民の多くが認めているなら、小沢さんの代表選出馬は不自然な動きに映るであろう。マスメディアの間でも、そういう論調が強くなるはずである。しかし、現実はそうではない。

 菅さんは参院選の際、消費税を上げると発言し、一時は消費税率を10%にするとさえ言った。なのに、それで支持率が落ちるとすぐに動揺し、ぐらつき、最後は結局、消費税発言を撤回してしまった。

 民主党が参院選で敗れたのは、消費税10%発言に原因があったのではなく、支持率が少しでも落ちれば発言がぐらつき、ついには撤回してしまう、そのだらしなさにあったのではないだろうか。

 前回の本連載(「菅政権と日銀の『無策ゆえの円高』に怒り」)でも書いたが、8月16日に発表された今年4-6月期の実質GDP成長率は0.4%(年率換算、速報値)、名目ではマイナス3.7%である。1-3月期の実質GDP成長率4.4%(同)に比べ大幅に落ち込んでいる。

 また、24日の株式市場で日経平均株価は1年4カ月ぶりに9000円を割った。外国為替市場では円相場が一時、1ドル=83円58銭と15年2カ月ぶりの高値をつけた。円高株安は加速している。

■政治課題はすべて「先送り」

 厳しい経済状況なのに、菅さんは国民が納得する行動を何もとっていない。国民が期待する発言もしていないから、「政治空白ゆえの円高」とも言われる。つまり、菅首相の存在感が非常に希薄なのである。

 そんなことだから、小沢さんが代表選に出馬するかどうかと騒がれてしまうのだが、しかし私にはそれが不自然に思えてならない。菅内閣が6月に発足してからまだ3カ月も経っていない。参院選敗北の責任があるとはいえ、私は菅さんが代表選で再選され、首相に再任されるべきだと思う。

 代表選にこんな時間と労力を費やしていることが、私には理解できない。そんなことよりも、今やるべきことがいくらでもあるのだ。

 例えば円高対策や不況対策である。あるいは、米中関係が緊迫している今(私は「新冷戦時代の到来」ではないかと考えている)、日本には果たすべき大きな役割がある。さらに米軍普天間基地問題。8月末までに日米専門家で合意するとした移設案の一本化も決着していない。

 すべての問題が「先送り」なのである。民主党は代表選にエネルギーと思考を費やしている場合ではないだろう。極めてナンセンスであり、心外である。

2010年8月25日 日経BP

1982(昭和57)年8月24日

2010年08月24日 | 情報一般
【写真で見るきょうは何の日】三越「古代ペルシア秘宝展」で偽物展示 岡田社長の解任に発展

 1982(昭和57)年8月24日、「古代ペルシア秘宝展」が東京・日本橋の三越本店で開催されたが、展示品47点の大半が偽物だったと、まもなく判明。中には2億円の売値が付いた品もあったのだが…。

 仕入れ価格の17倍で販売された展示品もあったという。三越はデパート業界の老舗だけに大きな問題となり、岡田茂社長の解任に発展した。

 ワンマン体制で、以前から社内に充満していた岡田社長への反発がニセ秘宝事件で決定的なものとなり、岡田降ろしの動きが本格化。同年の9月22日、取締役会で岡田社長の解任決議案が発議され、16対0で可決、成立した。

 劇的な社長交代劇は「三越事件」と呼ばれ、岡田社長が取締役会で発したという「なぜだ!」は、この年の流行語にもなった。

2010.08.24 ZAKZAK

GE、今や日米欧は「その他地域」で一括り

2010年08月20日 | 情報一般
財部誠一の「ビジネス立体思考」
GE、今や日米欧は「その他地域」で一括り

 多くの企業が夏休みを過ごしていた8月11日、一時的とはいえ海外の外国為替市場で円は1ドル84円台をつけた。実に15年振りの円高水準である。日本経済を支える輸出企業にとっては実に厳しい。

 にもかかわらず民主党政権の対応は愚鈍に映る。円高にも、法人税引下げにも、FTAにも、さしたる関心を見せぬ姿は、無能の証というよりほかない。こんな状況が続けば、日本のグローバル企業が国に愛想をつかして出ていくのも時間の問題だろう。日本に本社を置き、日本で製造を継続する意義が、もはや見出せなくなってきたからだ。

■リバース・イノベーションの概念とは

 そんな日本のグローバル企業にとって模範とすべきなのが米ゼネラル・エレクトリック(GE)だ。米国誌『フォーブス』が公表する世界の公開会社上位2000社ランキングで、GEはベストテンの常連。昨年は第2位だった。世界の製造業のなかで断トツのトップを走り続けるGEの真骨頂はイノベーション力だ。リーマンショックを境に世界経済の中心軸が先進国から新興国へとドラスチックにシフトするや、間髪をいれずにGEは世界を仰天させる新たなビジネスモデルを創出してみせた。

 それを一言で集約する言葉がある。

 「リバース・イノベーション」。

 いったいどんな概念なのだろうか。

 『Harvard Business Review』(2010年1月号)は、09年5月にGEが医療分野において従来とは正反対のプロセスでグローバルな製品開発、販売を行っていく方針を開始したことを伝えている。

 「1000ドルの携帯型心電計(ECG)、そしてノートパソコンを利用する、1万5000ドルという低価格のコンパクト超音波診断装置の二つである。これらが画期的なのは、小型で低価格であるという理由だけではない。そもそも新興経済の市場向け──ECGはインドの農村向け、超音波診断装置は中国の農村部向け──に開発されたが、現在ではアメリカ国内でも販売され、新たな利用法も生まれつつあるという点でも特別なのである。我々はこれら二つの機器の開発とグローバル化のプロセスを『リバース・イノベーション』と呼んでいる」『Harvard Business Review』(2010年1月号より引用)

■かつての製品は先進国向けをマイナーチェンジ

 従来は研究開発も商品開発もすべて米国本社が仕切ってきた。新興国の拠点は営業拠点かつアフターサービスの提供拠点でしかなかった。それがGEの実態であり、多くのグローバル企業の実態でもあった。新興国に送りつける製品は、先進国向けに開発された製品にマイナーチェンジを加えてカスタマイズしたものばかり。それがグローバルビジネスの常識だった。

 しかし、いくらカスタマイズしたところで劇的な販売価格の引き下げが実現するはずもなく、新興国で高額な医療機器を売るのは簡単ではなかった。先進国の医療機関で当たり前に使われている超音波診断装置は最低でも1000万円はする。そこにGEが中国農村部向けに開発した超音波診断装置は1万5000ドル(130万円)ほど。だから一気に浸透した。

 興味深いのは中国農村部向けに開発された機器が、先進国でも売れているという事実だ。新興国で開発された製品がグローバルに売られ、先進国市場にも上陸するというビジネススタイル。それがGEの言う「リバース・イノベーション」だ。

 じつに理にかなっているし、建設機械のコマツ中国が盗難防止や作業の効率アップを目的に開発したGPSシステムは、その後グローバル市場に投入され、日本にも逆上陸した。まさにリバース・イノベーションそのものだ。先進国から新興国へと世界経済の主役が交代はリーマンショック以前から急激に進んできていた。それがどこまで進展しているのか。

■日本の活路は人口大国や資源大国相手にどれだけ稼ぐか

 『Harvard Business Review』(2010年1月号)にはさらに衝撃的な記述を載せている。

 「10年前ならば、GE経営陣は、アメリカ、ヨーロッパ、日本、その他地域に分けて、グローバル市場について議論していた。しかしいまでは、中東、ブラジル、カナダ、オーストラリア、ロシアといった『資源大国』、あるいは中国やインドなどの『人口大国』が議論の中心である。そしてアメリカ、ヨーロッパ、日本は『その他地域』になった」

 まさか日本が欧米と一緒に「その他地域」扱いされるなどということを、いったい誰が想像しただろうか。GE経営陣のマーケットが大きな間違いを犯しているとは思いにくい。

 それにしても情けないのは日本だ。リーマンショックでバブル崩壊した米欧以上に株式は売られ、GEには欧米と一緒に「その他地域」に分類される始末。

 日本の取るべき道はひとつしかない。「人口大国」「資源大国」相手にどれだけ稼ぐか。日本のグローバル企業はとっくに動き出している。もはや日本市場は日本企業からみても「その他地域」になりつつある。

2010年8月16日 日経BP

菅首相には国家戦略もその知識もない

2010年08月19日 | 情報一般
猪瀬直樹の「眼からウロコ」
菅首相には国家戦略もその知識もない
石破議員が『昭和16年夏の敗戦』を引き合いに出した真意

 石破茂議員(自民党政務調査会長)が8月2日に衆議院予算委員会で行った質疑が、党派を超えて反響を呼んでいる。小泉純一郎首相からあとの首相は、みんな政治家としての発言がブレている。石破さんはブレていないから、党派に関係なく政治家としての姿勢が評価されているのではないか。

 質問は、菅直人首相に文民統制について訊(たず)ねるものだった。そのなかで、拙著『昭和16年夏の敗戦』(中公文庫)が紹介されていた。

菅首相に文民統制について問うた石破議員
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石破議員 総理、まもなく8月15日がまいります。私はやはり3年前、同じこの場で、たぶん総理も予算委員としてその場にいらっしゃったと思います、猪瀬直樹さんが書かれた『昭和16年夏の敗戦』、こういう本の紹介をいたしました。ぜひ読んでください、と当時の安倍総理に申し上げました。これは1983年の猪瀬さんの著作であったと記憶しております。最近、中公文庫版で出版されました(中公文庫を手に取って見せる)。
 私は、若い方々に、何を読んだらいいですか、と聞かれることがときどきあります。ぜひこの本を読んでくださいと、いつも申し上げるようにしております。『昭和20年夏の敗戦』ではありません。なぜ『昭和16年夏の敗戦』、このような題になっているか。そのことをそのときも縷々(るる)申し上げました。昭和16年、開戦の年です。当時の帝国政府は、いまの首相官邸の裏あたりに、総力戦研究所という研究所を立ち上げました。軍や、あらゆる官庁や、あるいはマスコミや、主に30代の選りすぐりの俊才を集めて、もし日米が戦えばどうなるか、いまで言うシミュレーションをやりました。そして昭和16年の夏、近衛総理や東條陸相や、いならぶ閣僚の前で、その結果が発表されました。
 詳細は申しませんが、そこのシミュレーションの結果は、ほとんど実際と同じことでした。原子爆弾の投下、それ以外は、ほとんどがそこのシミュレーションの通りになったのです。日米戦やれば必敗です、戦わば必敗です、この戦争は何がなんでも避けなくてはならない、そういう結論が出ておりました。いろいろな資料で明らかであって、それは検証すればわかることです。
 何が言いたいか。それは、文民統制、それがいかに重要であるかということを私は申し上げたいんです。私は、軍事と安全保障、それと外交は、車の両輪である、そのように考えております。軍事や安全保障を知らずして、平和を語ることがあっては絶対にならない。それは私の信念です。総理にうかがいます。総理にとって文民統制とはどのような概念ですか。そしてまた、文民統制が有効に成立するためには、どのような条件が必要だと考えておられますか。(8月2日の衆議院予算委員会より)
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■「PRDC」という符号に注目した辰巳栄一

 総力戦研究所には前史がある。じつは総力戦研究所が設立される10年前の昭和5年(1930年)1月、1人の青年将校・辰巳栄一が駐在武官補佐官としてロンドンに渡っていた。昭和5年は満州事変勃発の前年である。

 明治28年(1895年)生まれの辰巳は、陸軍中将で終戦を迎えて、吉田内閣では非公式軍事顧問として活躍し、警察予備隊(自衛隊)創設に決定的な役割を果たした。『昭和16年夏の敗戦』を書いた昭和58年(1983年)当時、88歳だった辰巳に僕は会っている。高齢の辰巳は、早朝30分の散歩を欠かさないことが健康の秘訣と語っていた。

 駐在武官補佐官としてロンドンで仕事をしていた辰巳は、イギリス陸軍省極東班長マイルス中佐と親交があった。ある日、マイルス中佐が見せてくれた英国陸軍将校名簿をめくっていると、とくに要職にある将官の氏名のところに「PRDC」という符号がついている。気になった辰巳はマイルスに「このPRDCというのは何ですか」と訊ねた。

 すると、ふだん愛想のいいマイルスが、ふと表情を曇らせた。「その符号はPassed Royal Defence Collegeのことだが、これだけはキミにも説明するわけにはいかない」と口を開かない。

 PSC(Passed Staff College=陸軍大学卒業者)のことなら辰巳もよく知っていた。日本にも陸軍大学があり、辰巳はその卒業生だった。しかし、PRDCという言葉は聞いたことがない。強いて訳せば国防大学卒業者、ということになる。陸軍大学と国防大学では、名前が似ているようで全然違うらしい。

 PRDCとは具体的に一体何なのか。マイルス中佐が見せてくれた英国陸軍将校名簿以外にも、ロンドンの紳士録や有名大学の卒業生名簿などを辰巳は調べ始めた。そこにもPRDCという符号のついた人物がいた。軍人にかぎらず、貴族、官僚、学者、実業家と各界にわたっている。しかも注目すべきは、いずれも将来を嘱望されている成長株ばかりならんでいたという点である。

■もし日本版国防大学がもっと早く誕生していたら……

 イギリス人が話をしてくれないのならと、フランスのベテラン駐英武官であるボリウズ少将に取材をしてみた。ボリウズ少将は「たしかにこの件になるとイギリス当局は口が堅い」と前置きしたうえで、苦労して入手した断片的な情報を教えてくれた。PRDCの内容は次のようなものだった。

1. 国防大学設立の目的は、平時戦時を通じて軍部と他の政府諸機関との協調連絡をはかるため、その要員を養成するにある。
2. 現在のPresident(学長)はシビリアンではない。教官は優秀な佐官クラスの将校と政治経済等の学識経験豊かなそれぞれ専門の文官が任命されている。
3. 学生は中、少佐クラスの軍人と内務、外務、大蔵など主要な省庁から適任者が選抜されている。
4. 学生数は、軍人、シビリアン合わせて30名ほど。修業年限は1年らしい。

 一方、フランスでも国防大学設置構想が浮上していた。陸海空の3軍に文民を加えた国防大学設立の気運が、欧州各国の1つの風潮になっていたのである。フランス駐在武官の経験のある西浦進中佐は、フランスの動向を研究・観察していたため、国防大学の必要性を熟知していた。辰巳の日本版国防大学構想を引き継いだ西浦は、関係各所に働きかけ、昭和15年に総力戦研究所という名の日本版国防大学が誕生した。

 しかし、日米開戦前夜に泥縄式でつくられた。つくってはみたものの、総力戦研究所としてはやることがわからず、ひとまず「模擬内閣」という形で研究が進められた。その結果、模擬内閣は日米戦のシミュレーションという課題を与えられ、日本必敗という結論を導き出すに至るが、情勢を変えることはできなかった。日米の情勢が引き返せないほど悪化する前に、もっと早く総力戦研究所を設立して本格的な研究を進めていれば、歴史は違っていたかもしれない。

■国家戦略がなく首相がころころと代わる状況は戦前と同じ

 大日本帝国の過ちは、国家戦略を欠いていたことだった。帝大法学部卒や陸軍士官学校卒というタテ割りの人材ではなく、横断的に人材を育成し、国家戦略を研究する機関が必要だった。イギリスには戦前からそういう機関が存在して、本当の意味でのエリートを育てていた。なお、イギリス国防大学は、戦後にイギリス世界戦略研究所と名称を変えて、広くその名が知られるようになった。

 いまも昔も、日本は国家戦略をおろそかにしている。タテ割り行政の弊害により、バブル崩壊後の日本は長年低迷してきた。それを打破したのが小泉政権だった。橋本政権で構想されて経済財政諮問会議を機能させ、省庁横断的に国家戦略を打ち立てていった。

 小泉政権を除くと、平成の20年間で日本の首相は1年に1人のペースで交代している計算だ。戦前も、原敬暗殺から太平洋戦争までの20年間で、首相が20回交代した。まったく同じことが起こっている。

 民主党の国家戦略局(法整備前は暫定的に国家戦略室)も、本来であれば、日本の国家戦略を考える機関にするべきだった。しかし、国家戦略室はまったく機能せず、司令塔を欠いた民主党政権は迷走した。初代の国家戦略担当大臣は菅さんだったが、首相になると、国家戦略室を局に格上げすることを諦めて、役割も縮小すると言い出した。経済財政諮問会議もなくし、国家戦略局もつくらないのでは、統合機能を持つ機関は存在しない。批判されてあわてて、やっぱり局に格上げするという話も出ているようだが、ポリシーがないことに変わりはない。

 現在の日本は、経済・財政の危機だけでなく、北朝鮮情勢も緊張が高まっている。経済・財政・軍事の諸問題に対して、首相が国家戦略にもとづいて判断することが重要だ。しかし、菅首相には国家戦略もなければ、最低限の勉強もできていないのではないか。

 だからこそ、石破議員は、文民統制がわかっているのかと質(ただ)したのだろう。最低限の軍事問題を理解したうえで、文民が軍をコントロールするのが文民統制である。タテ割りどころか「オレ割り」になっている。党にも政府にも、機関決定がない。政調会も復活させたが、本気で国家戦略を打ち立ててもらいたい。現状では無理だと思うが。

2010年8月17日 日経BP

1980(昭和55)年8月16日

2010年08月16日 | 情報一般
【写真で見るきょうは何の日】国鉄静岡駅前の地下街でガス爆発200人以上が死傷

 1980(昭和55)年8月16日、国鉄静岡駅前の地下街でガス爆発が起こり、15人が死亡、200人以上が重軽傷を負う大惨事となった。小さなガス爆発を警察や消防が検証中、破損しガス管から漏れた都市ガスが大爆発を引き起こした。地下街と周辺数十メートルの店舗やビルが全半壊した。

 事故が発生したのは、お盆の夏休みの土曜日で、県下一の繁華街には買い物客が多く集まっていた。2度目の爆発は近隣の百貨店が開店する直前の午前9時56分。当時は「負傷者が増えたのはこの時間に事故が起きたのも一因」と報じられていた。

 この爆発事故で地下街の保安基準が厳しくなり、仙台市では地下街の開発計画が中止に。新設も87年に完成した川崎市の地下街まで建設省(当時)は認めなかった。

2010.08.16 ZAKZAK

自民も民主も年金財源手当せず…

2010年08月16日 | 情報一般
今度は厚生年金の積立金で尻拭い!
姑息な国庫負担率引き上げの財源措置

 基礎年金に対する国庫負担率は、従来の3分の1から2分の1に引き上げられた。以下では、これまでの経緯と、その意味するところについて述べよう。また、これに対する財源対策について論じることとする。

 まず経緯を見ると、国庫負担率の引き上げは、2004年に決められたことである。04年に成立した年金制度改正法において、基礎年金の国庫負担割合を09年度までに2分の1に引き上げることとされた。その際、「恒久財源を確保して行なう」とされた。つまり、5年間の期限付きで宿題を与えられたわけだ。なお、ここで「恒久財源」とは、消費税の増税を想定していたと思われる。また、負担割合の引き上げに要する額は、2兆5000億から3兆円と言われた。

 しかし、自民党内閣は恒久的財源を手当しなかった。07年頃までは税収も伸びていたので、手当を行なおうと思えば不可能ではなかったと思われるのだが、それをしなかった。だから、「宿題をさぼっていた」と言わざるを得ない。

 ただし、まったく何もなされなかったわけではなく、少しずつ手当がされてきた。まず、04年度では、年金課税の見直しにより272億円を積み増すことが行われ、05年度には、定率減税の縮減による増収により1101億円が加算され、また06年度には定率減税の縮減・廃止による増収により2200億円が加算され、国庫負担率を約35.8%まで引き上げる措置が講じられた。さらに07年度においては、1124億円を加えて約36.5%まで引き上げられた。

 09年度は、「宿題」の提出期限の年であった。しかし、麻生内閣は、恒久財源の手当ができなかった。その代わりに、「国民年金法等の一部を改正する法律等の一部を改正する法律案」が作られた(09年6月19日に成立)。この法律では、09、10年度は、引き上げに必要な財源を、いわゆる埋蔵金(財政投融資特別会計の金利変動準備金)で措置することとした。ここまでが自民党内閣だ。

■2011年度予算で恒久財源の手当が必要

 2010年度予算は、編成途中から民主党政権が担当した。しかし、上記のように埋蔵金による手当が認められていたためか、民主党政権は子ども手当には2.5兆円の予算を使って制度化した半面で、すでに決まっていた基礎年金の財源手当は行なわなかった。これは、やはり「怠慢」「義務違反」としか言いようがないものだ。11年度には恒久財源が必要とされているのだから、少なくとも準備は必要だったはずだ。

 そして、いよいよ2011年度予算を決める今年は、待ったなしに恒久財源が必要な時限である。しかし、これまでの経緯を見る限り、とても実現できるとは思えない。消費税については、「総選挙までは増税しない」ことが、むしろ公約になってしまっている。

 新聞報道によると、年金の積立金を用いる案が浮上しているようだ。こうした措置は、十分あり得ることである。

 第1に、年金の積立金は極めて巨額である。

 第2に、09年度の積立金の運用成績は良好だったので、「少しは使ってもよいだろう」という雰囲気がなくもない(09年度の収益率は、内外株式が大幅に上昇したことから、7.91%という高い値となった)。

 第3に、すでに「逃げ道」が用意されている。すなわち、税制の抜本的改革については、所得税法等改正法附則第104条において、「経済状況を好転させることを前提として、遅滞なく、かつ、段階的に消費税を含む税制の抜本的な改革を行うため、平成23年度までに必要な法制上の措置を講ずる」と定められている。また、「もしこれが何らかの経済的事情等で遅れた場合には、その間についても臨時の財源を手当てして国庫負担割合2分の1を維持する」と国民年金法改正案で定められているのである。

 このような逃げ道があるので、積立金取り崩しのような非恒久財源を用いても、形式的に言えば、法律違反ということにはならない。

■年金積立金を使うことの問題

 しかし、積立金の使用に問題がないわけでは、もちろんない。というより、これはきわめて大きな問題を含む方法である。

 第1に、「経済状況が好転しなければ恒久財源を用意しなくてよい」という言い逃れが通用するなら、いつまでたっても約束は実行されないだろう。日本経済の状況が近い将来に好転するとは、とても考えられないからだ。

 第2に、09年度の運用成績が良かったと言っても、それは、これまでの収益率が悪かったことの反動でもある(07、08年度の収益率は、-4.59%と-7.57%。なお、03年度から09年度までの7年間の平均収益率は2.82%)。

 そして、厚生年金そのものが積立金の枯渇という大問題に将来は直面する。将来に備えた蓄えをいま使ってしまうのでは、制度の崩壊を前倒しすることになってしまう。仮に、財政検証で予測されているように積立金が将来増加するのなら、一時的にそれを使うことは許されるだろう。しかし、そのような事態にならないことは、すでにこの連載でこれまでに述べてきたとおりである。

 第3の問題点は、これまで「埋蔵金」として使われてきた特別会計の積立金と年金積立金は性格が異なるということだ。

 財政投融資特別会計の「埋蔵金」とは、「変動金利準備金」(調達金利が上昇した場合に、貸出金利との逆ザヤによって生じる損失に対処するため、総資産の一定割合を積み立てているもの)の見直しによって生み出されたものだ。この見直しに合理的な根拠があると考えられるなら、それによって生み出される額を一般会計で用いることは正当化される。しかし、年金会計の積立金利用に同様の正当性を与えられるかどうかは、(とくに上述のような積立金枯渇が将来に予測される場合には)大きな疑問である。

■財源を年金制度に求めては、理屈が立たない

 第4の問題点は、「解決策を年金制度に求めるのでは、国庫負担率引き上げの趣旨に矛盾する」ということである。これについて説明しよう。

 そもそも、国庫負担率が引き上げられたのは、なぜだろうか? つまり、年金制度に存在する問題を解決するために、なぜ年金制度の枠内で処理せずに、一般財源に助けを求めたのだろうか?

 その理由は、「年金制度の枠内で対処しようとすると、保険料引き上げや給付切り下げなどの措置が必要となり、それを行なうと、年金加入者に過大な負担を強いることになる。それを避けるために一般財源を用いることにした」ということであろう。

 そうであるとすれば、国庫負担率引き上げの財源を年金制度に求めるのでは、矛盾してしまうことになる。積立金の取り崩しは、間接的な形ではあるが、年金加入者の負担になるからだ。「保険料引き上げや給付切り下げなどの直接的な形では加入者の負担になるが、積立金の取り崩しという間接的な形では加入者の負担にならない」と言うことはできない。積立金が取り崩されれば、少なくとも運用収入は減少するから、これが措置されなければ、加入者の利益は侵される。

 したがって、百歩譲って年金制度への戻りを認めるとしても、最低限、将来の負担増につながらないため、一般会計が年金特別会計から利子を付けて借りる形にし、将来返却する必要がある。

■国民年金納付率低下に対処するため厚生年金の積立金を使うのは大問題

 ところで、この議論の中核は、上で述べた「<年金制度の中に存在する問題>とは何か?」ということである。

 04年の年金制度改正法では、国庫負担率引き上げが必要な理由として、「長期的な負担と給付の均衡を図り、年金制度を持続可能なものとすること」を挙げた。しかし、この理由は抽象的すぎて、具体的に意味のあるものとは考えられない。

 前回までの分析によれば、国庫負担率引き上げが必要な理由は、国民年金における納付率の低下である(ただし、政府は絶対にこれを認めないだろう)。

 この問題を年金制度の枠内で処理するとすれば、たとえば厚生年金保険料の引き上げといった措置が必要になる。しかし、そうした措置をすれば、「国民年金の問題を解決するために厚生年金の加入者に負担増を求める」ということがあからさまになってしまう。また、国民年金の保険料を引き上げれば、納付率をさらに低下させてしまうことになる。そこで、問題と解決策の連関を曖昧にするために、「国庫負担率の引き上げ」という手段が選ばれたのである。

 だから、国民年金納付率低下に国庫負担率の引き上げという形で措置すること自体が、そもそもおかしいのだ。本来は、納付率を引き上げて対応すべきことだ。それが一般会計の負担になれば、誰がどういう形で負担するかが非常に見えにくくなるのである。

 そして、その財源に積立金が用いられれば、問題と対処策との関係は、さらに希薄になる。積立金の取り崩しはただちには問題を引き起こさないため、負担感がない。誰も負担しないで問題が解決されたような錯覚に陥るのである。

 仮に国庫負担率の引き上げ財源として年金積立金を使うとすれば、その実質的意味は、「国民年金の問題に対処するために厚生年金の積立金を利用する」ということだ。これが原理的な観点から見たときに、最も大きな問題である。

 国民年金の積立金は10兆円程度しかないが、厚生年金の積立金は100兆円を超える。だから、実質的には厚生年金の積立金がより多く使われることになるだろう。

■歪んだ形での年金一元化

 これまで述べてきたように、厚生年金の加入者は、国民年金納付率低下の尻拭いをさせられてきた。つまり、毎年度のフローで、納付率低下の面倒を見てきたわけだ。これに対しては、「厚生年金も国民年金も基礎年金という共通の制度に入っているのだから」という理屈が付けられている(この理屈は、これまで述べてきたようにおかしな理屈であるし、負担率が被用者年金に重くなっているのは、さらにおかしいことだが)。

 今回行なわれようとしていることは、フローだけでなくストックの面でも、厚生年金などの被用者年金が国民年金の面倒を見ようということである。

 しかし、「共通の制度に入っている」という理屈は、過去に積み立てた積立金を共通に使うことを正当化することにはならない。厚生年金など被用者の積立金は、その制度の加入者が将来の給付のために積み立てたものだ。だから、その制度だけのために用いられるべきだ。

 もし積立金の共通利用を認めてしまうのでは、国民年金と厚生年金という制度を分立させている意味がない。民主党は「制度の一元化」というが、一元化することの最も重要な効果が、許容しがたい形で、しかもきわめて不透明な形で、これまでも行なわれてきたし、いま拡大されようとしているわけだ。

「全額税方式」というが、基礎年金はすでに半分は税で賄われている制度なのだ。保険料と給付の関係は、すでに半分は曖昧になってしまっている。

 したがって、積立金を使う場合、すでに述べたように、最低限、「将来は返却する」という条件が必要だ。そして、積立金の取り崩しを国民年金と厚生年金といかなる比率で分担するか、借用期間と利子率をどうするか、などを慎重に定める必要がある。また、厚生年金加入者の承諾は必要ないか? 裁判を起こされたらどう対処するか? なども検討する必要があるだろう。

2010年8月14日 ダイヤモンドオンライン
野口悠紀雄 早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授

1948(昭和23)年8月13日

2010年08月13日 | 情報一般
【写真で見るきょうは何の日】丸の内にGHQ専用ターミナル

 1948(昭和23)年8月13日、外国人が行き交い、バスの行き先表示も英語で、米国の都市かと思わせる。実はここ、東京・丸の内の一角なのだ。

 占領期に連合国軍総司令部(GHQ)専用のバスターミナルがあった。左側は、戦前の建築物では東洋一といわれた「丸ノ内ビルジング」、通称丸ビルだ。

 丸ビルの完成は23年。オフィスビルの低層階でショッピングモールなどを展開し、一般客に開放する形態を、わが国で先駆的に導入した。

 52年には丸ビルの向かい側に「新丸ノ内ビルジング」が完成した。その後、老朽化が進んだ丸ビルは99年に取り壊されて、2002年に新しい「丸の内ビルディング」として生まれ変わり、新丸ビルのほうも07年にリニューアルされ、新たな東京の名所となっている。

2010.08.13 ZAKZAK

1985(昭和60)年8月12日

2010年08月12日 | 情報一般
【写真で見るきょうは何の日】日航ジャンボ機が御巣鷹の尾根に墜落

 1985(昭和60)年8月12日夕、羽田発大阪行き日航ジャンボ機が群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落した。

 乗客乗員524人のうち、女性4人を除く520人が死亡した。運輸省航空事故調査委員会は、大阪空港の尻もち事故(78年)時の後部圧力隔壁の修理ミスと、それを日航や運輸省が見逃したことが原因と発表した。

 墜落現場に散乱した遺品の中からは、多くの遺書が発見された。一般的な航空機事故の場合、何らかのトラブル発生から墜落までの時間が短いため、遺書を書き残す時間はない。ところが同便の場合、羽田を離陸してから12分後に異常が発生し、「ダッチロール」を繰り返して墜落するまで30分の時間があったため、乗客は最後の思いを込めてペンを必死に走らせた。数々の遺書は事故の悲惨さを物語っている。

2010.08.12 ZAKZAK

リコール運動が地方自治に投げかけたものとは

2010年08月12日 | 情報一般
「中身は月とすっぽん!名古屋と阿久根で始まるリコール運動が地方自治に投げかけたものとは」

 日本の地方自治は二元代表制を採用しており、首長と地方議員がそれぞれ住民に直接選ばれる仕組みとなっている。

 このため、原則として議員が首相以下各大臣を構成する議院内閣制の国政とは異なり、首長と地方議員の関係に与党・野党はないといわれている。地方議会は自治体の最終意思決定の場(議決機関)であり、執行機関へのチェック機能や立法(条例)機能などを持つが、予算の編成権や執行権は全て首長側がもつ。地方議会は、首長と是々非々の緊張関係を保つべきものなのだ。

■日本の地方自治の実態は二元代表制でなく二元なれ合い制

 しかし、本来の役割をきちんと果たしている地方議会は残念ながら、皆無に近い。議会がチェックすべき執行機関と癒着し、オール与党(日本共産党や無党派議員などを除く)化しているのが、通例だ。つまり、日本の地方自治の実態は二元代表制ではなく、二元なれ合い制になっているのである。

 国(霞が関)があらゆることに口を挟み、カネを握る中央集権体制が長らく続いている日本では、首長や職員、そして議員は住民ではなく、国(霞が関)の方を向いて仕事をするのが、習い性となっているからだ。地方自治とは形式だけで、国主導の行政運営がまかり通っている。首長・職員・議員の三位一体による住民を置き去りにした地方自治である。

 自治体が独自性を発揮しようとせずに、国のお仕着せを受け入れている限り、首長と議会の間に、意見の食い違いや対立は生じない。政策の中身について議論すること自体があり得ないからだ。配分をめぐる調整がポイントとなり、双方の間で緊張や対立ではなく、融和や癒着の関係が求められる。

 だが、独自な政策を掲げた首長が選挙で選ばれ、なおかつ、首長が公約を実現させようと実際に動き出すと、様相は激変する。それまで執行部側と融和や癒着の関係を保ってきた議会側が、態度を硬化させる。新たな取り組みに異を唱え、激しく抵抗することになる。首長と議会は対立関係になり、にっちもさっちもいかなくなってしまう。ともに是々非々の緊張関係を経験したことがないため、議論を重ねたうえで歩み寄ることができないのである。対立はエスカレートし、二元代表制ではなく、二元対立制に陥ってしまうのである。

 ところで、二元代表制をとる日本の地方自治制度に法律上の不備がいくつか指摘される。例えば、議会解散である。首長は議会に不信任された場合にしか、議会を解散する権限が与えられていない。つまり、最重要議案が議会に否決された場合でも、首長は議会を解散して民意を問うことができない。自ら辞任し、やり直し首長選挙で民意を問う方法もあるが、議会の構成は何ら変わらない。逆に、議会招集権を首長だけが持ち、議会側に招集権がない点も問題である。首長が議会の機能を制約する姑息な手に出ることもできるからだ。

■名古屋市では河村市長が議会解散の直接請求に動く

 公約実現に奮闘する首長に対し、議会が徹底抗戦し、どうにもならない状況に陥っている自治体がある。名古屋市と阿久根市である。ともに市民によるリコールの署名集めが今月中に始まるが、抱える事情は大きく異なる。

「市長選挙で市民にお約束した二大公約です。それが実現できなかったら、市民の負託に応えたことにならない」

 こう力説するのは、名古屋市の河村たかし市長だ。昨年4月、市民税の10%減税と地域委員会創設を二大公約に掲げた河村氏は、圧倒的な得票(約51万票余り)で名古屋市長に選ばれた。公約を実現すべく市役所に乗り込んだ河村氏を待ち構えていたのが、河村マニフェストに反対を叫ぶ市議会だった。

 市長に賛同する市議はわずか1名で、残り74人が反対の大合唱である。こうして、議案を提出する度に修正や否決の憂き目にあい続けている。このままでは市民との約束が守れない。こう考えた河村市長は、あっと驚く大胆な策に打って出た。議会解散の直接請求(リコール)である。

 約175万人にのぼる名古屋市の全有権者のうち、約36万5000人から賛同の署名が集まれば、議会解散を直接請求できる。その後に実施される住民投票で過半数の賛成が得られれば、議会解散となり、やり直し市議選が実施される。そうなった場合、河村市長は自らも辞職し、二大公約を争点にした市長と市議のダブル選挙(愛知県知事選も含めてのトリプル選挙)によって、民意を問い直す考えだ。

 昨年4月の市長選挙で河村氏に投票した市民らが「ネットワーク河村市長」という団体を結成し、議会リコール運動への参加者を募る活動を進めている。署名集めを行う受任者や署名者をハガキなどで募集するもので、印刷されたハガキは約106万枚。すでに約86万枚がポスティングなどによって名古屋市民に配布され、現在、約5万3000人から返信が寄せられている。50円切手を自らが貼って返信してきたものなので、いい加減な気持ちではない。正式なリコールの署名集めは8月27日からスタートする。

 河村市長は署名集め後を見据えた準備も進めている。リコール成立後のやり直し市議選への候補擁立である。「減税日本」という地域政党を立ち上げ、ここから公認や推薦の市議候補を擁立するという。候補予定者の選定が現在、進められている。

 彼らが当選した場合、地域政党「減税日本」から政策的に拘束されることは3点のみ。「市民税10%減税の復活」と「地域委員会の復活」そして、現在年1600万円の議員報酬を800万円に半減することへの賛同である。他については会派拘束せず、議員個々の判断にゆだねるという。「市議会を支配しようなんてことは考えていません」(河村市長)。

■阿久根市では竹原市長に対するリコール署名が始まる

 一方、「ブログ市長」で知られる鹿児島県阿久根市の竹原信一市長に対するリコール署名が、8月17日から開始される予定だ。竹原市長は2年前、市役所改革と議会改革を公約に掲げて初当選した。市職員と議員の厚遇批判を重ね、猛反発を受けた。一度、議会から不信任されたが、議会を解散。2度目の不信任で失職したものの、やり直し市長選に勝ち抜いた。その後は議会と職員を完全に敵視し、対話を拒否して徹底攻撃に出た。

 今年の3月以降、「議会は不信任のままで、あらゆることに反対する」として、議会への出席そのものを拒否。職員にも議員への答弁を禁止し、従わない場合の処分を予告した。その後は議会そのものを開会せず、専決処分を乱発している。職員の夏のボーナスの半減や議員報酬の日当制(1日1万円)、固定資産税の減税(1.4%の標準税率から1.2%に減税)などである。地方自治法に明白に違反する行為ながらも罰則規定がないため、そのまま放置されている。まさに、二元代表制を否定する独裁である。

 こうしたブログ市長の暴走ぶりに阿久根市民の我慢も限界となった。市長をリコールするしかないと、市民が立ち上がった。住民団体が結成され、6月から各地で説明会を開催して準備を進めていた。必要な署名数は有権者の3分の1で、約6700人分。お盆明けの8月17日にも署名集めを正式スタートさせる予定という。

 一方、ブログ市長は空席が続いていた副市長ポストに、ある人物を任命した。本来、議会の議決を必要とする人事案件だが、これも専決処分で押し切った。副市長に任命されたのは、現役警察官として、警察の裏金問題を初めて実名で告発した元愛媛県警の仙波敏郎氏だ。

 竹原市長は仙波副市長の進言を受け、議会招集の意向を明らかにした。開催時期は未定ながら、新たな動きといえる。

 地方自治体における二元代表制のあるべき姿とは何なのか。期せずして真夏に展開されることになった2つのリコール署名運動。その内容や経緯には大きな違いがあるが、問いかけていることの本質には違いはない。問われているのは、首長と議会の双方を選ぶ住民の自治意識ではないだろうか。

2010年8月6日 ダイヤモンドオンライン
相川俊英
1956年群馬県生まれ。放送記者を経て、1992年にフリージャーナリストに。地方自治体の取材で全国を歩き回る。97年から「週刊ダイヤモンド」委嘱記者となり、99年からテレビの報道番組「サンデープロジェクト」の特集担当レポーター。主な著書に「長野オリンピック騒動記」など。

1950(昭和25)年8月10日

2010年08月10日 | 情報一般
【写真で見るきょうは何の日】警察予備隊令が公布、施行

 1950(昭和25)年8月10日、警察予備隊令が公布され、即日施行となった。

 朝鮮戦争の発生で、日本駐留の米軍を投入したマッカーサー連合国軍最高司令官が吉田茂首相に対し、7万5000人規模の国家警察予備隊の新設を要請したもので、入隊者が続々集まった。52年に保安隊、54年に自衛隊へと発展していく。

 この年の6月25日、北緯38度線で行われた北朝鮮軍の砲撃開始によって、朝鮮戦争が始まった。終戦後の混乱からようやく落ち着きつつある日本にとっては、隣国で起きた寝耳に水の事態。軍人嫌いで知られ、再軍備に最も慎重だった吉田首相も、米側からの要請を受け入れざるをえなかった。

 朝鮮戦争は、北朝鮮軍を支援した共産主義国に対抗するため日本の独立を早めたともいわれる。

2010.08.10 ZAKZAK