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【時事(爺)放論】岳道茶房

話題いろいろだがね~
気楽に立寄ってちょ~

10/26編集手帳

2010年10月26日 | コラム
10/26編集手帳

 登場人物が言う。〈わたしは、敵はこわくない。いちばんこわいのは味方だ〉。ジョン・ル・カレのスパイ小説『スマイリーと仲間たち』(早川書房)の一節にある。

 組織がこうむる失点は敵のシュートによってではなく、味方のオウンゴールによる場合が少なくない。古今東西、あらゆる組織に通用する至言だろう。余計な推測ながら、菅政権の面々はいま、渋い顔で同じ言葉を内心つぶやいているかも知れない。

 鳩山由紀夫前首相が首相を辞任する際に語った「次の衆院選には出馬しない」との発言を翻し、議員をつづける方向という。

 野党時代の「秘書が犯した罪は政治家が罰を受けるべきだ」。首相として普天間問題で米大統領に語った「トラスト・ミー」(私を信じて)。持病のごとき言葉の軽さには慣れたつもりでも、民主党とは言葉をかくもぞんざいに扱う政党なのか――と、世間はほとほとあきれよう。首相以下、閣僚の国会答弁を誰も真剣には聞いてくれまい。“怖い味方”がいたものである。

 オウンゴールで敵(野党)に塩を送るつもりならば、その人の「友愛」精神なるものは筋金入りだろう。

10/25中日春秋

2010年10月25日 | コラム
10/25中日春秋

 自民党時代よりも、前のめりになっているのではないか。政府や民主党内で武器輸出三原則の見直し機運が高まるのを見ていると、そんな不安を抱いてしまう。

 多国間の武器共同開発に参加できなければ、最新の技術競争に乗り遅れ防衛力整備はコスト高になる。見直し議論の背景にあるのは、防衛産業や防衛省の危機感だ。共同開発に踏み切れば第三国への売却に歯止めがかけられるか不透明になり、三原則はなし崩しになる恐れもある。

 憲法の平和主義に基づく「国是」ともいえる三原則は、地雷を除去するための探知機の輸出ですら、閣議決定を要する拘束力があった。その国是が民主党政権下でいま、揺らいでいる。

 国連の軍縮大使だった猪口邦子参院議員は七年前、小銃や携帯ミサイルなどの小型武器を規制する国連の会合の議長を務め、非合法の武器の拡散防止を目指す最終報告を全会一致で採択した。

 「困難な局面を乗り越えられたのは、三原則を持つ日本が議長国だったから」と猪口さんは語っていた。三原則を自らに課す日本は世界の軍縮をリードする資格がある。それを捨てることが「国益」にかなうとは思えない。

 <理想主義のない現実主義は無意味である。現実主義のない理想主義は無血液である>と語ったのはフランスの作家ロマン・ロランだ。戦後四回目となる防衛大綱はこの年末に策定される。

10/25産経抄

2010年10月25日 | コラム
10/25産経抄

 「議会名誉黄金勲章」といえば、米国で最も権威のある勲章の一つだ。今月はじめ、この勲章が、第二次大戦中に欧州で戦った、米陸軍の日系人部隊に贈られるとのニュースが伝えられた。一体どんな部隊だったのか。

 タイミングよく、元兵士らに取材したドキュメンタリー映画「442 日系部隊アメリカ史上最強の陸軍」(すずきじゅんいち監督)が、間もなく日本で公開される。試写で見て、大きな衝撃を受けた。

 1941年の真珠湾攻撃により、ハワイで従軍していた日系兵士は銃を取り上げられた。米西海岸に住む日系人は、強制収容所に入れられる。そんな不当な扱いに抗し、「敵国人」の汚名をそそぐために志願した日系人らによって結成されたのが「442連隊」だ。

 フランスの町ブリエラの解放、全滅寸前だったテキサス大隊の救出、ドイツ国内でのユダヤ人収容所の解放…。彼らの戦績はめざましかったが、戦傷者もけた外れに多かった。米社会に、日本の美徳である勇気、名誉、愛国心を見せつけた代わりに、流された血だった。

 現在80代半ばから90代の元兵士のなかには、戦場の悲劇を語ってもわかってもらえない、とこれまで親族にも沈黙を守ってきた人も少なくない。「自分はヒーローなんかではない。勲章をもらったのは死んだ戦友のためだ」。その言葉は重い。多くの日本人、特に反日デモ参加について聞かれて、「国益にかなう」と開き直った国家公安委員長には、ぜひ見てもらいたい映画だ。

 東条英機首相が日米開戦前、日系社会に対して、米国に忠誠を尽くして当然、との内容の手紙を送っていた事実も初めて知った。日本人とは何か、あらためて考えさせられる。

10/25余録

2010年10月25日 | コラム
10/25余録 業平

 「むかし、男ありけり」で始まる「伊勢物語」の主人公は在原業平。平安時代のプレーボーイ、軟弱な貴族だとばかり思っていたが、松本章男著「業平ものがたり」(平凡社)を読んで驚いた。ベンチャー起業家の顔があったのだ。

 父方の祖父は平城天皇、母方の祖父は桓武天皇という家柄だが、臣籍降下した。京都の大原に屋敷があったので在原と名乗った。旧皇族といっても地位は高くない。暮らし向きも豊かではなかった。

 父の代からの所領が兵庫県の芦屋にあった。女性関係の破綻(はたん)が原因で東国を放浪した業平は、武蔵の国から陸奥へ足をのばし、宮城県の塩釜へたどりついた。浜辺では藻塩焼き法による製塩の煙が立ち上っていた。芦屋の浜で製塩業をやろう。業平は鉄の大釜を買って帰る。

 芦屋では砂浜に海藻を敷き、海水をかけて濃厚な塩水を作り、大原の屋敷に運び、鉄釜で煮詰めて良質の塩にした。裏山の松の木を燃料にした。当時、塩は貴重品である。これを宮廷に献上したり、関係者に配っていたのではないか。

 藤原家全盛の時代、在原家は政界の主流ではなかった。だが、業平が恋した女性のなかには皇族もいれば政敵の貴族の娘もいて、しばしば平安京を揺るがすスキャンダルになった。なのに追放をまぬかれたのは日ごろばらまいていた塩のおかげか。

 甲南女子大が所蔵する古今和歌集が和漢の序文を持つ完本では最古の写本とわかった。古今集巻一「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」は業平が大阪の交野で狩りをした時の作。塩だけではない。松本氏の謎解きで浮かび上がる業平の生涯はなかなか骨太である。

10/25編集手帳

2010年10月25日 | コラム
10/25編集手帳

 実物は見たことがなくても、簡単に思い浮かべることができる人物はいるものだ。ナチス総統のヒトラーは、その典型だろう。

 チャプリンの『独裁者』、ブルーノ・ガンツが主演した『ヒトラー~最期の12日間~』……。映画や実写の映像が記憶に刻み込まれ、いつしか自分なりのヒトラー像が出来上がっている。

 ベルリンのドイツ歴史博物館で、「ドイツでは戦後初のヒトラー展」(独誌)が始まった。戦争の加害者となったドイツでは戦後、ヒトラーを悪魔的人物とみなし、その著作を禁書とするだけでなく、公の場でナチスの象徴を掲げることも禁じてきた。一種の自縛である。

 戦後60年たって、『最期の12日間』が悩み、怒り、やさしい心遣いを見せるヒトラー像を示した際は、「ドイツ人はまだヒトラーを人間として描くほど成熟していない」(仏紙)と批判された。

 「ヒトラーとドイツ人」と題した展覧会は、なぜドイツ国民がヒトラーを受け容(い)れたのかを探ろうとしている。独裁は、それを支持したり、黙認したりする人々がいなければ、成立しない。そんな反省が込められているのかも知れない。

10/24産経抄

2010年10月24日 | コラム
10/24産経抄

 山歩きを愛してきたドイツ文学者の池内紀氏によれば、ヒグマとの最良の親しみ方は「出くわさぬこと」(岩波新書『森の紳士録』)だそうである。お互いに出会っても、ろくなことはない。だから「遠くからそっと動静をながめているのがいい」という。

 だが人間とクマは不幸な出会いを重ね過ぎたらしい。続出しているクマの事件を見てもわかるように、互いの「不信感」がピークに達しているかのようだ。特に人間の側は、クマが強いばかりでなく頭が良く見えることもあって「獰猛(どうもう)」「狡猾(こうかつ)」といった言葉を勝手に押しつけてきた。

 クマにとっては迷惑千万な話だろうが、西欧ではさらにこのクマのイメージをロシアに重ねてきた。あくなき領土拡張で近隣諸国に脅威を与え、巧妙な外交で他国を翻弄(ほんろう)する。風刺漫画でも、そんなロシアをクマになぞらえるのが定番のようなものだった。

 しかし今の日本人にとっては、中国の方が「ロシア型のクマ」のように思える。経済発展に自信をつけ、歴史問題で日本を恫喝(どうかつ)する。東シナ海や南シナ海を自らの内海にするように艦船が動き回る。「傍若無人」としか言いようがない。

 尖閣諸島をめぐっては、反日デモなどでさんざん脅した後に「棚上げしよう」と言ってきているという。うっかり乗ると、長年の日本の固有の領土が「白紙」に戻ってしまう。その上で奪ってやろうという魂胆だろうから、何ともしたたかな戦略だ。

 歴史的にみても「遠くからそっとながめる」のがいい国なのかもしれない。だが今はそうもいかない、やっかいな隣人になった。むろん責任の一端は、ヒグマを縫いぐるみの子グマと勘違いして、安易に近づいた日本人にある。

10/24中日春秋

2010年10月24日 | コラム
10/24中日春秋

 子育てを妻任せにせず、積極的にかかわっている父親は、イクメンと呼ばれる。仕事を言い訳にして育児は妻に頼りっきりで、いまだに肩身が狭い者としては、自然体で子育てをするイクメンたちはまぶしい存在だ。

 休日に夫の家事・育児時間が長いほど第二子が生まれる割合が高いという調査結果もあるという。少子化対策にも効果的なイクメンを増やそうと、自治体の首長から育児休暇を積極的に取る動きが出てきた

 広島県の湯崎英彦知事は「子育て支援の象徴的なメッセージになる」と第三子の出産に合わせて、今月末から育休を取得する。長男(7つ)、長女(4つ)の世話や家事が必要な時間帯に限り、約一カ月間、一部の公務を休む。これに異を唱えたのが、七人の子どもの父親である大阪府の橋下徹知事だ

 自治体は組織も大きく、首長が育休を取っても支援を得られやすいが、世間ではそんな人は圧倒的に少ないと橋下知事。「休もうと思っても休めないのが現状。世間が育休をとれる環境をつくってから取るべきだ」と語った

 世間知らずとの苦言に、湯崎知事は「大きなお世話だ」と反論。自らが実践することで、男性が育休を取得しやすい環境づくりに取り組む考えを強調したという

 二人の知事の主張は、それぞれ理解できる。イクメンが当たり前の世の中にしていくためにも、論争の深まりを期待したい。

10/24余録

2010年10月24日 | コラム
10/24余録 パリティー

 カナダ人のひそかな願いは、1カナダドル=1米ドルになることだ。南の巨人アメリカ合衆国にはいつも力の差を思い知らされている。だから、通貨が同じ交換比率になると、理屈抜きでうれしい。

 近ごろ、それが実現した。「パリティー(等価)になった」と喜んでいる。米国が不況なのにカナダは世界的な金融危機の影響が小さかった。財政も先進国の中で最も健全。先進国ではまれな原油を輸出する国でもある。米ドルに並んで当然だ。

 日本とカナダにはよく似たところがある。米国の圧倒的な影響下にあるところだ。カナダの経済は米国抜きで成り立たない。そして、ときどき米国の強引さをうっとうしく思うところもそっくり。カナダ人が米国と通貨が並んで胸がスッとする気分はよくわかる。

 しかし、いまの日本にはカナダと異なり、円高をうれしがる牧歌的な気分はない。それどころか、どうやって円高を是正し円安方向にもっていくかに必死だ。いや、日本だけでない。世界各国が通貨安を競っている。「通貨戦争」などという物騒なことばも飛び交う。

 韓国で開かれたG20(主要20カ国・地域)の金融会議はこの「通貨戦争」に歯止めをかけるのを任務とした。しかし、うまくいったとは言い難い。会議を前に日本は中国・韓国が日常的に為替介入していることを批判し、中韓が激しく反発するなど雰囲気もよくなかった。

 通貨や金融の国際協調は、先進国だけのG7から中国やインドなど新興国を含むG20が担うようになったが、メンバーの間に国際的な秩序を引き受ける責任感がみられない。「国際協調」が難しい時代になった。

10/24編集手帳

2010年10月24日 | コラム
10/24編集手帳

 〈永遠に謙虚でなければならない。中国人は国際的なつきあいの面で、大国主義を断固として、徹底的に、きれいさっぱりと、ぜんぶ一掃しなければならない〉。さすがに良い事を仰(おっしゃ)るものだ。真っ赤な手帳サイズの本にその言葉は載っている。

 何年か前、北京の土産物屋で見つけた「毛主席語録」の古い日本語版だ。紹介した言葉は「愛国主義と国際主義」の章にある。1956年11月、「孫中山先生を記念する」と題して発表した見解の一部らしい。

 建国の父はいろいろと国の将来を予測し、かなり正確に心配もしていたのだと感心する。だが半世紀のちの彼(か)の国で、その言葉は生きているのだろうか。

 中国はレアアース(希土類)の輸出規制を、日本だけでなく欧米にも拡大した、と報じられている。この週末も各地で、反日デモを呼びかける不穏な動きが続いているようだ。大国として振る舞い、力を見せつけるのは、さぞ誇らしかろう。

 外国語版のみならず、中国語版の毛沢東語録も無造作に積まれ、土産物として安価で売られていた。今の中国で、あまり大切に扱われていないことは確かなようである。

10/23余録

2010年10月23日 | コラム
10/23余録 星野仙一さん

 東北楽天の元監督、野村克也さんは、プロ野球選手を意のままに動かせるかどうかが、名監督の条件だと著書「あぁ、監督」(角川書店)に書いている。その上で選手を動かす手法を6通りに分類している。

 (1)恐怖で動かす(2)強制して動かす(3)理解して動かす(4)情感で動かす(5)報酬で動かす(6)自主的に動かす。名監督たちは、これらを状況や相手に応じて巧みに組み合わせ、選手と接しているわけだが、(1)から(6)のどこに中心軸を置くかによって監督の個性が表れる。

 (1)の恐怖で動かすタイプの代表として紹介したのが中日、阪神で監督をした星野仙一さんだ。現役時代から闘志を前面に出し、「燃える男」の異名をとった熱血漢は、監督としても鉄拳制裁を辞さない強力なリーダーシップでチームを統率、選手の力を引き出した。

 もちろん「恐怖」だけでは選手は動かない。星野さんの場合、こわもての一方で選手の面倒見がよく、選手の夫人の誕生日に花束を贈るなど、(4)の「情感」に訴えるすべも巧みだった。6分類に含まれない卓越した「政治力」も持ち合わせていると野村さんは分析する。

 その星野さんが来シーズンから東北楽天の指揮を執る。03年に阪神監督を退いて以来8年ぶりの復帰だ。「野球がしたいという思いがものすごく芽生えた」。早くも内なる炎を真っ赤に燃やしている。北京五輪の代表監督でメダルを逃した悔しさを晴らしたい思いもあろう。

 来年1月で64歳。現役最年長監督がどんな手法を駆使して選手を動かし、野村さんがやり残したリーグ優勝への道筋をつけるのか。まずはお手並み拝見。気が早いが、来季が楽しみだ。

10/23中日春秋

2010年10月23日 | コラム
10/23中日春秋

 容疑者は逮捕後も、一貫して容疑を否認。だが、検察は、部下である別の容疑者の供述を支えに起訴…。

 例の証拠改ざん事件で、犯人隠避の罪で起訴された大阪地検特捜部の元部長、副部長の話だ。だが、この図式は“そもそもの事件”とかなりダブる。郵便不正にからむ厚労省の文書偽造事件で同省の局長が逮捕、起訴された一件である。

 その件でも、局長は一貫して否認していたが、特捜部は、部下である別の容疑者の供述を支えに起訴した。だが、裁判では供述の誘導などずさんな捜査を指摘され、局長は無罪に。描いた「ストーリー」に合わせる乱暴な捜査が批判された。

 その中で起きたのが、主任検事による証拠改ざん事件だ。最高検は、部下である主任検事の供述を基に、元部長らが故意の改ざんを認識しながら、それを隠ぺいしたとする。だが、元部長らは、それこそ最高検が作った「ストーリー」だ、と。

 確かに、主任検事の改ざんの動機など腹に落ちない点もある。それに“そもそもの事件”で得たばかりのほやほやの教訓とは、検察の「ストーリー」を鵜呑(うの)みにするな、ではないか。

 答えは裁判で出るが、疑心から暗鬼を生じ、羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹くのが人間だ。容疑者否認、供述頼みの場合には、常に捜査に不信の目が向こう。それが検察の受ける、幹部の処分などよりずっと重い“罰”かもしれない。

10/23産経抄

2010年10月23日 | コラム
10/23産経抄

 勝負ごとの世界では、心血を注いで競い合ったライバルでも引退したり年を経れば、仲が良くなるということが多い。私見ながら、野球の長嶋茂雄氏と王貞治氏、相撲の栃錦関と若乃花関などそう見えた。囲碁や将棋の世界にも多いようだ。

 だが、坂田栄男さんと藤沢秀行さんの場合だけは違った。ともに第一線を離れた後も「和解」などしようとはしなかった。互いに「自分の方が強い」とがんばっていたらしく、囲碁の新聞が正月用紙面で対談を企画しても実現しなかったという。

 2人の好敵手意識が最も燃えたのは、昭和38年の名人戦七番勝負だった。藤沢名人に5歳年上の坂田さんが挑戦し、最初の2番を連勝した。坂田さんが「鎧袖(がいしゅう)一触。もう4連勝だ。まるで芸が違う」と胸をはれば、藤沢さんも「これで五分の勝負になった」と応酬する。

 結局は坂田さんが4-3で名人位を奪取するが、ピリピリした関係は終生続く。性格的にも藤沢さんが開けっぴろげで、酒や賭け事、何でもござれだったのに対し、坂田さんは「カミソリ」の異名のごとく「寄らば切るぞ」の孤高を漂わせていた。

 棋風も好対照だったといい、これほどライバルの条件を備えた組み合わせはなかった。しかしこの2人の対決が昭和後期の囲碁界をもり立てたことは間違いない。勝負の世界から政治までどこか「なれ合い」が気になる今、新鮮でさわやかにさえ思い起こされる。

 その坂田さんが昨年5月の藤沢さんを追いかけるように逝った。本紙主催「十段戦」の解説をされたとき、抄子が予想した「次の一手」に相好(そうごう)を崩し「それはないでしょう」と、大笑いされた。個人的に一度だけの「カミソリ坂田」との思い出だ。

10/23編集手帳

2010年10月23日 | コラム
10/23編集手帳

 〈昔の噺(はなし)家(か)は所帯を持つとき、「米だけはいいのを買いなよ」と先輩に言われたものです〉。吉川潮さんの『人生、成り行き 談志一代記』(新潮社)のなかで立川談志さんが語っている。〈そうすりゃ副食物(おかず)に金をかけずにすむというわけでね〉

 ふっくら炊けたおいしいご飯があれば、おかずに文句は言わない――うなずくご飯好きは多かろう。食卓に向かうのがうれしい新米の季節がめぐってきた。

 …と、いつもの秋のようには喜んでもいられないらしい。最も品質の高い「1等米」の比率が、今年は激減しそうだという。

 9月末時点で64・4%(前年同期83・0%)と、比較可能な過去12年間で最低となった。記録的な猛暑は人の身体のみならず稲の生育にも影響したようで、コメどころの新潟県も19・7%と打撃が大きい。2等米以下の比率が増して米価の行方が心配な農家も気の毒だが、ご飯好きとしても品質の低下は心細い。

 国文学者の沼波瓊音(ぬなみけいおん)に1等米の句がある。〈秋刀魚(さんま)出(い)でたり一等米をあつらへよ〉。食欲のほとばしる命令形だが、この秋は少しばかり遠慮がちに言わねばならないようである。

10/22中日春秋

2010年10月22日 | コラム
10/22中日春秋

 演劇では、舞台の照明が落ちて暗くなる「暗転」の手法がよく使われる。その時はまだぼんやりと役者や舞台装置の影が見えることが多いが、誰かにスポットライトが当たった瞬間、その人以外の一切は、闇に沈みステージからかき消される。

 それに似たことは現実世界にもある。例えば昨年の世界保健機関(WHO)年次総会。ここで強烈な光が当たったのは例の新型インフルエンザ。会議はその対策一色となり、その結果、いくつかの深刻な病気の対策は議題からふるい落とされてしまった。

 ある大災害への関心が次の大災害によって一気に薄れてしまうのもしかり。強い光は、それが当たるものを浮き立たせるだけでなく「それ以外」をかえって暗く沈める。

 チリの落盤事故で地下七百メートルに閉じ込められた作業員らの生還劇はまだ記憶に新しい。「奇跡」のドラマで主人公となった三十三人は、これ以上ないほどのスポットライトを浴びたが、ここにも「それ以外」がある。

 同僚たちだ。三百人以上が働いていた現場の鉱山は事故で閉鎖され、失業状態。失業手当や賃金の支払いを求めて抗議を行っている。「作業員は三十三人だけじゃない」と訴えるが、大きな注目を集めることはない。

 高額のインタビュー料を稼ぐなど、今や「セレブ並み」とも評される生還者たちだ。それとの対照を思えば、同情を禁じ得ない。

10/22産経抄

2010年10月22日 | コラム
10/22産経抄

 同じ劇団のリーダーだった最初の夫と結婚したのは、昭和7年、24歳のときだ。結婚式の翌朝早く、新居の玄関に緊張した面持ちの母親の姿があった。「おまえのことだから、憤(おこ)って家を飛び出したりしないかと思って…」。 

 性に疎い娘のことが心配で、訪ねてきたというのだ(『夫からの贈りもの』草思社)。18日に102歳の天寿を全うした女優、演出家の長岡輝子さんの回想記には、「まさか!」と声を上げたくなるような、驚きのエピソードが満載だ。

 文化学院では、与謝野晶子に『源氏物語』を、堀口大学にフランス近代詩を習った。まもなく築地小劇場の試験に受かると、英語教師だった父親から、思いがけない提案がある。「女優になる前に、本場の芝居を見てきたらどうか」。パリでは藤田嗣治の不良ぶりにあきれ、岡本太郎からはラブレターを受け取った。

 三島由紀夫とは、作家と演出家というより、家族ぐるみの付き合いだった。川端康成がノーベル賞を受賞したとき、くやしがる様子も、目の当たりにしている。なんと贅沢(ぜいたく)な人生だろう。量、質ともに人並みはずれた経験の積み重ねが、芳醇(ほうじゅん)なワインのような芸を生み出したといえる。90歳を超えてからも、宮沢賢治の朗読会などに大勢のファンが駆けつけた。

 夫と死別した長岡さんが、一人息子を連れて再婚を決意したのは、戦争のさなかだった。気がかりなのは、彼が金持ちだったことだ。自分に邪心がないか、トランプで占うと、3度とも成功した。ほっとして亡くなった夫の写真を見上げると、「君は間違ってない」とけしかけているようだった、という。 

 天国で再会したふたりの夫との、思い出話はつきることがないだろう。