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【時事(爺)放論】岳道茶房

話題いろいろだがね~
気楽に立寄ってちょ~

10/22余録

2010年10月22日 | コラム
10/22余録 検察のパラドックス

 「クレタ人のウソ」というパラドックス(逆説)は有名である。「クレタ人はみなウソつきである」と詩人エピメニデスは述べた。だが彼はクレタ人だった。さてこの言葉は、本当なのか、ウソなのか。どっちにしても矛盾が生まれ、頭を抱える。

 だが三浦俊彦さんの「論理パラドクス」(二見書房)によると、「すべてのクレタ人はウソしか言わない」がウソならば、「クレタ人の中には真実を言う人もいる」だ。詩人はウソをついたということで、つじつまは合う。

 さてこの「クレタ人のウソ」の「クレタ人」を「検事」と置き換えたくなる成り行きとなった。証拠改ざんの隠ぺい事件で起訴された大阪地検の前特捜部長と元副部長の2人は、検察が起訴内容だとするストーリーはみんなウソだと全面対決の構えを見せているという。

 もともと郵便不正で無罪となった厚生労働省元局長を起訴した検察の虚構のストーリーに責任ある2人だ。だがそれに従った主任検事の証拠改ざんをめぐっては攻守所を変えた。うち一人が取り調べ可視化の必要に言及したのも「検事のウソ」を熟知しているからか。

 もちろん現実はパラドックスでも何でもない。身を賭して真実を追求する検事もいれば、ウソをつく検事もいる。公益の代表の誇りが社会の正義を守ることもあれば、保身や出世欲が組織をゆがめることもある。「ウソ」の所在は、今後法廷で明らかにされるだろう。

 この起訴に合わせて検事総長は国民に不祥事をわびた。検察もまた真実もいえば、ウソもつく人間の営みである。国民に信頼される検察は、その平凡な事実の上に立て直さなければならない。

10/21中日春秋

2010年10月21日 | コラム
10/21中日春秋

 見たこともない熱帯雨林の昆虫の百や二百が絶滅して、人間の生活に何の影響があるのか?

 こう聞かれると、答えが難しいと、総合地球環境学研究所教授の湯本貴和さんが本紙に書いていた。なるほど、双子の環境問題である地球温暖化が自然災害増などの形で比較的「見えやすい」のに比べ、生物多様性の危機は「見えにくい」問題かもしれない。

 だが、あの問いへの答えが明確に分からないという、そのこと自体が答えになるともいえる。湯本さんも書くように、生物多様性の意味を理解しないまま破壊するというところに「真の問題」はある。

 爆弾の構造を理解しないまま、複雑な配線の切断に踏み切るようなものだろう。解除できるかもしれないし何も起こらないかもしれない。だが、爆発するかもしれない。そんな時は、とりあえず手をつけないのが上策だ。長期的にどんな影響が人間に及ぶかはっきりしない遺伝子組み換え生物にも、似たことはいえる。

 こうした問題に関する「国連地球生きもの会議」が名古屋で開催中だ。だが、先に終わったMOP5では、遺伝子組み換え生物の是非論はなく、輸出入で被害が出た場合のルール作りが議題。進行中のCOP10でも、生物資源の利用で出る利益の配分ルール作りが主で、生物の絶滅を防ぐ手だての議論は従の感じだ。

 何か、国際的ビジネス会議の印象もある。

10/21産経抄

2010年10月21日 | コラム
10/21産経抄

 尾張徳川家19代当主だった徳川義親は、「虎狩りの殿様」として有名だった。もともと熱心だったのはクマ狩りの方だ。旧尾張藩士の移住先として祖父が北海道に造った開拓村で、ヒグマの害を減らすために行っていた。

 そんな縁から、猟師の全国組織「大日本猟友会」の会長を務めたこともある。その猟友会の会員が、全国で相次いでいるクマの出没で引っ張りだこだ。18日に北海道斜里町の市街地を歩き回っていたヒグマ2頭を射殺したのも、地元の会員だった。

 もっとも1970年代後半のピーク時には、40万人以上いた会員が、今では約10万人と激減している。会員の高齢化が進む一方で、若者の狩猟に対する興味は総じて低いようだ。銃の規制強化も影響している。

 このため、町中にクマが現れても会員の数がそろわず、取り逃がすケースもあった。シカやイノシシによる農産物の被害も、年々増えるばかりだ。各地の自治体では、職員に狩猟免許を取得させて駆除に乗り出す動きも出てきた。

 ところで義親に先んじて米国西部で、グリズリーと呼ばれた巨大なクマの狩猟に夢中になっていたのが、セオドア・ルーズベルトだ。第26代大統領在任中の1902年初冬、狩りの最中に捕まえた子グマを助けたエピソードが、新聞の漫画で紹介された。まもなく誕生したのが大統領の愛称がついた縫いぐるみ、「テディ・ベア」である。

 ハンターが、今も世界中の人々に愛される、クマのキャラクターを生んだことになる。そういえば、北海道のお土産として人気のある木彫りのクマの生みの親は、義親だった。もともとスイスの工芸品だったのを、村人の冬の現金収入とするために導入したという。

10/21余録

2010年10月21日 | コラム
10/21余録 羽田空港新ターミナル

 19世紀、世界の美しい港のベスト3に挙げられたのは、リオデジャネイロ、リスボン、コンスタンチノープルだった。しかし、幕末に来日したプロイセンの艦長ベルナーは書いている。「長崎の港口は、これら3港のすべてにまさっている」

 長崎港の景観美は鎖国下にあっても広く欧州に伝わっていた。だがベルナーは現実は期待をはるかに超えていたと述べ、「まるで自然がロマンチックな美しさ、愛らしさ、それに壮大さに関して成就しうるすべてをここに集中したかのように思われる」とまで記した。

 ただ景色とうらはらに、一行の上陸を嫌った日本の役人のホスピタリティー(歓待の姿勢)はひどかった。また鎖国の下では、江戸から遠い場所、今風にいえばアクセスの悪い方が幕府には好都合な「日本の玄関」だった。

 さて歳月は流れて、一人でも多くの外国からのお客を呼び込みたい21世紀の日本である。羽田空港の4本目の滑走路と国際線新ターミナルがきょう開業し、月末には実に32年ぶりに国際定期便が復活する。来春までには欧米もふくむ世界17都市と結ばれることになる。

 景観はどこも大差のない現代の空港だが、新ターミナルには江戸風の商業施設も作られ、外国人へのホスピタリティーでは負けない意気込みだ。何より都心へのアクセスの良い空港の国際化で出入国者増が見込まれ、その経済効果は1年で約1兆円との皮算用もある。

 先行する韓国やシンガポールの空港を追いかけ、成田と連携して国際拠点(ハブ)空港化へ踏み出した羽田空港である。訪れる外国人の手記で、世界の良港の筆頭に挙げられる日はやってくるのか。

10/20中日春秋

2010年10月20日 | コラム
10/20中日春秋

 たとえば「真夏の女王」の異名もある、こと座のベガは、地球から二十五光年の距離にある。つまり、今、私たちが見るベガの輝きは、今の輝きではない。二十五年前に星が発した光ということになる。

 少し、それと重なる気がするのが、ここ十年ほど増えている日本人のノーベル賞受賞者のこと。名古屋大の渡辺芳人副学長が語っていたように、多くの受賞者が評価されているのは「二十~三十年前の研究実績」だからだ。

 逆にいうなら、将来、ノーベル賞などの形で輝くには、今、光を発していなければならないわけだが、研究環境の現況はお寒いらしい。国立大学の独立行政法人化以降、国が出す運営費交付金も六年連続で減っている。

 貧すればナントカなのか、日本の学術論文数も二〇〇四年ごろから減り始め、〇六年には中国に抜かれた。独立行政法人化後、すぐに成果が見えるような研究を求められる傾向が強まったともいわれる。

 わが国の財政厳しく、無駄の削減が必要なのはその通り。しかし、この資源のない国の来し方を顧みれば、何が、守らねばならない日本の「強み」かは明白。科学研究費は未来への投資、という言い方がこれほどぴったりくる国もない。

 「ノーベル賞はいい。特に化学とか物理とかは」と語った理科系首相の手腕に期待しよう。日本という星が未来の夜空でも輝いていられるように。

10/20余録

2010年10月20日 | コラム
10/20余録 キノコ豊作の秋

 「高松のこの嶺(みね)も狭(せ)に笠(かさ)立てて 満ち盛りたる秋の香のよさ」。「万葉集」でただ一つキノコを詠んだ歌という。高松の嶺に所狭しとかさを立てて満ちあふれる秋のキノコのかぐわしさよ--との意味だからマツタケのことだと思われている。

 この時代からマツタケが珍重されてきたのも驚くが、それにもまして嶺を覆うようにかさが並んでいるという様もすごい。そんな万葉の昔の再来と喜んでいいのか、岩手県や長野県、広島県などマツタケ産地では今年はまるでシメジ並みに群生した場所もあるという。

 各地で「空前」ともいわれ、東京の市場でも何十年かぶりの大量入荷となったマツタケの大豊作だ。おかげで価格も例年の半値となり、産地ではさらに安値がついているという。これなら久々に国内の山中から運ばれる「満ち盛りたる秋の香」を家庭で楽しめそうだ。

 夏の猛暑で一時はマツタケの不作予想が飛び交ったこの秋口だった。しかし9月末からの気温低下により地中が適温となり、10月の降雨が菌類の生育に絶好の条件を作りだしたらしい。山中ではマツタケだけでなく他のキノコ類も近年にない豊作となったようである。

 というのも今季は各地で毒キノコによる中毒も前年に比べ激増しているのだ。長野県や新潟県では注意報や警報を出し、安全の確認されないキノコを口にしないように呼びかけている。首都圏をふくむいくつかの地方では毒キノコが誤って販売される事件も相次いだ。

 キノコ狩りに夢中になっての遭難も多発するキノコ豊作の秋である。「茸狩(たけがり)やあぶなきことに夕時雨」。これはマツタケ好きだったらしい芭蕉の句だ。

10/20編集手帳

2010年10月20日 | コラム
10/20編集手帳

 脚本家の倉本聰さんが北海道・富良野に移り住んだ頃という。芦別岳の森を歩きながら、案内人に恐る恐る尋ねた。クマは大丈夫でしょうね? 著書『左岸より』(理論社)に書いている。

 案内人が答えていわく、「なあに、ここらのクマは気だてがいいから」。さらに、「面長のクマだけ気ィつけてりゃいい。丸顔のクマは大丈夫なもンだ」。

 そういう語り伝えがあるのか。冗談か。面長が空腹による“面やつれ”を指すとすれば、その判別法も幾分かはうなずける。各地で人里にクマが出没している。襲われた人も出た。

 主食のドングリが不作で、餌を求めて人里に足を延ばすらしい。クマの暮らす山の森と、人里とを隔ててきた緩衝帯――「里山」の荒廃も影響しているといわれる。里山の再生など長い目でみた処方箋(せん)は処方箋として、まずは目先の危険を避けねばならない。冬眠に入る11月半ばまで、用心の上にも用心が要る。

 人間にたとえれば終戦後の食料不足にわが子を飢えさせぬため、危険をいとわず、すし詰め列車で買い出しをした人の心境なのかも知れない。思えば、面長のクマも気の毒である。

10/19中日春秋

2010年10月19日 | コラム
10/19中日春秋

 ようやく沈静化ムードが漂った日中関係に、またきしんだ音が大陸の奥の方から聞こえてきた。中国四川省などで三日連続で起きた大規模な反日デモは、中国人が経営する日本料理店を襲撃するなど一部が暴徒化した。

 本紙特派員によると、綿陽市のデモは地元の若者たちが計画。「釣魚島(尖閣諸島)は中国のものだ」と叫ぶ数百人規模の行進は、二、三万人規模に膨れ上がり、警察当局も制御できなくなった。

 群衆の一部は日系の商店などを次々に襲った。「同じ中国人じゃないの」と泣きながら懇願した日本料理店経営者の女性の話が胸を打つ。暴徒化した多くは、就職先のない若者など貧困層の人々だという。

 中国では、デモや集会は当局への事前申請が必要で、民主化要求などは許可されない。後からデモに合流した若者たちは、政府に対する不満のはけ口として、「反日」に便乗した面があるのだろう。

 <複雑な問題に単純な答えはありえない>。そう語ったのは米国のカーター元大統領だ。尖閣問題で見せた強権的な態度も、内部に抱えた大きな矛盾を隠すためと考えるなら、納得はできないが理解はできる。

 日本を抜いて世界二位の経済大国になろうとする隣国と、付き合いをやめることはできない。厄介なことではあるが、対等で良好な関係を築くには、双方が感情的な反発を抑える努力を続けるしかない。

10/19余録

2010年10月19日 | コラム
10/19余録 反日デモの“力学"

 ニコラ・ショーバンはナポレオン戦争などで17度も戦傷を負ったとされる仏陸軍の兵士である。しかし彼が歴史に名を残したのはその武勇のゆえではない。ナポレオンの没落後も彼を賛美して、熱狂的な愛国主義を説き続けたからだ。

 以来、排外的な愛国熱を「ショービニズム」と呼ぶようになる。彼の実在を疑う声もあるが、ナポレオンの栄光が過ぎ去った時代の多くの芝居に好戦的で愛国熱を鼓吹するキャラクターとして登場し、嘲笑(ちょうしょう)の的になった。

 さて尖閣諸島の漁船衝突事件をめぐる日中間のあつれきが修復局面に入ったと思われていたところで続発した中国内陸部諸都市での反日デモだった。その規模も参加者数万人と、この間のデモとはケタ違いに多い。一部は暴徒化して日系スーパーなどでの被害も出た。

 若者の動員は大学の学生会がかねて準備していたとの情報もある。「打倒小日本」などショービニズムをあおるスローガンも目立つが、大規模デモの同時発生は当局の関与を疑わせた。はて背景にどんな力学が働いたのか。

 一見、外国に反発を示すショービニズムだが、実はもっぱら「売国」などの毒々しい扇動で国内の政敵をおとしめる手段に利用されるのは世の常である。またそれが民衆の日常の不満を、誰も統御できぬ引火性のガスに変える怖さも責任ある指導者なら知っていよう。

 グローバルな相互依存が強まる今、ショービニズムの鼓吹が天につばする所業なのは、21世紀の大国を自任する国の若者なら理解せねばならない。周回遅れのショーバンたちに振り回されるような政治では、諸国民の尊敬を集められるはずもない。

10/19編集手帳

2010年10月19日 | コラム
10/19編集手帳

 永井荷風が東京・銀座の洋食店に入ると、先客に子供連れの一家がいた。躾(しつ)けがなっていない。1933年(昭和8年)の日記にある。

 〈子供は猿の如(ごと)く、室内を靴音高く走りまはり、食卓の上に飾りたる果物草花を取り、またはナイフにて壁を叩(たた)く〉。親は周囲の迷惑顔もどこ吹く風、叱(しか)りもしない。荷風は嘆いた。〈今の世の親たちは小児のしつけ方には全く頓着せざるが如し〉

 してよいこと、悪いことのけじめを教わらなかった子供は、どうなっただろう。おそらくはロクな大人に育たず、親を泣かせたに違いない。

 趣旨が「反日」であれ、何であれ、デモはしてよいことである。暴徒化し、日系企業を襲撃するのは、して悪いことである。そのけじめを教えず、実行犯を本気で摘発しようとしない中国当局は洋食店の親と変わらない。暴徒の標的が党本部や官庁に移ってから躾けを始めて間に合うとでも思っているのか。乱暴狼藉(ろうぜき)の放置は、市民に政権転覆の予行演習をさせているのと同じであることに気づいていい。

 俗に〈三つ叱って五つ褒め七つ教えて子は育つ〉。叱らずに、最後に泣くのは親である。

10/18中日春秋

2010年10月18日 | コラム
10/18中日春秋

 お寺が戒名や法号を決めるのに便利なパソコンのソフトがある。二字の戒名は二万四千語、院号付きは千二百語選定できる。経典や宗祖の言葉なども多く収録し、遺族に戒名の意味を説く時に活用できるという触れ込みだ。

 名前、仕事、人柄から戒名を選べるガイドブックもあり、重宝しているお寺もあるようだ。使っているのは一部かもしれないが、インスタント戒名に高い金を払い、ありがたがる遺族の姿を思うと、あまりいい感じはしない。

 大手スーパーのイオンが「安心の明瞭(めいりょう)会計」をうたい文句に葬儀事業を始め、お布施や戒名の値段をホームページに明示すると、仏教界から猛反発が起きたというニュースは記憶に新しい。

 「仏教の精神を踏みにじった」という理由のようだが、お寺からお布施の「相場」を言われたという人は多い。曖昧(あいまい)にしておきたかった相場をおおっぴらにされた困惑があるのかもしれない。

 戒名は仏典に根拠はない日本独特の制度。現実の社会にある格差や差別を「あの世」にも持ち込んでいるという批判も根強い。宗教学者の島田裕巳さんは、自著『戒名は、自分で決める』で戒名問題の解決が「葬式仏教」から脱却する近道だと訴えている。

 僧侶を呼ばない「直葬」も増えているという。悩める人をいかに支えるのか。宗教としてのあり方を根本から見直さなければお寺の未来は暗い。

10/18産経抄

2010年10月18日 | コラム
10/18産経抄

 航海術が発達した17世紀ごろから、欧州ではプラントハンター(植物の狩人)と呼ばれる人たちが、世界中に遠征していた。植物の種類の少ない欧州では、学術研究、あるいは観賞用として、珍しい植物を求める声が強かったからだ。

 幕末の日本を訪れたドイツ人医師、シーボルトもその一人だった。日本原産のアジサイを世界に広めたことでも知られるシーボルトは、1万点を超える動植物の標本や数百種の生きた植物を日本から欧州にもたらした。

 シーボルトは帰国の際、幕府から国外退去処分を受けた。といっても、国禁の日本地図を持っていたからで、植物の持ち帰りをとがめられたわけではない。新種の動植物を求めるハンティングは現代でも盛んに行われているものの、無断で持ち出すことは許されない。

 たとえば熱帯林の生物からは、さまざまな制がん剤のもとになる成分が見つかっている。欧米企業はそうした「生物資源」に対して、応分の対価を払ってこなかった、と途上国側の不満は強い。一方、先進国側からすれば、植民地時代に持ち出された生物資源についても、利益還元を求める途上国側の言い分は、とうてい受け入れられない。

 名古屋で開かれている生物多様性を保全するための一連の会議は序盤戦を終えた。きょうから始まる本番の「COP10」では、生物資源が生みだす利益をめぐって、先進国と途上国の利害が、真っ向から対立するのは必至だ。

 シーボルトは、貴重な生物資源を持ち帰った代わりに、近代医学を伝え、国を閉ざしていた日本の実情を欧州に紹介した。そんな歴史をもつ日本が議長国となるのも何かの縁である。双方が納得する妥協点を見いだしてほしい。

10/18編集手帳

2010年10月18日 | コラム
10/18編集手帳

 自動車会社で社長秘書をやるのかも…集団就職列車で心躍らせた少女の勤め先は、個人経営の小さな修理工場だった。1958年の東京を描いた映画「ALWAYS 三丁目の夕日」は、薄給にめげず働く地方出身者たちが印象的だ。

 日本の高度成長を支えた「金の卵」と状況は違うが、中国経済の急成長にも地方出身の労働者が貢献している。安い人件費などが国際競争で有利なのだ。

 経済学では、やがて「ルイスの転換点」が来て、低賃金の利点は薄れるとの説がある。人手不足で賃金が急上昇する時が、農業国から工業国への変わり目で、成長は鈍っても国民の収入が増えて豊かになる――と。日本の転換点は東京五輪があった60年代前半で、70年の大阪万博を経て高度成長を終えた。

 五輪や万博など時代背景の似る中国の場合はどうか。賃上げストが増え、高給を求めて全従業員の1割が毎月辞めていく日系メーカーもあるという。転換点は近いのかもしれない。

 自国のためなら為替操作や資源の売り惜しみも辞さぬのでは、信頼される経済大国への道は遠い。中国に欲しいのは独善からの「転換点」である。

10/17余録

2010年10月17日 | コラム
10/17余録 おおきな木

 シェル・シルヴァスタインの絵本「おおきな木」といえば、リンゴの木が我が身を削って少年に惜しみなく愛情を注ぐ物語だ。半世紀近く前に米国で出版され、世界30以上の言語に翻訳されて、子どもからお年寄りまで広く読み継がれてきた。この秋、村上春樹さんの新訳が出て、改めて手にした方も多かろう。

 大好きなリンゴの木に登ったり、果実を食べたり、木陰で眠ったり。少年は毎日、木の下にやってきて遊んだ。時が流れ、少年は木から遠ざかる。

 ある日、成長した少年は物を買う金をねだる。木はリンゴを売るよう勧める。少年が中年になると、家や船を無心する。木は枝を、最後は幹まで与える。やがて年老いた少年が休息を求めて戻ってくる。木は残った切り株に腰をおろすよう促す。「それで木はしあわせでした」(村上訳)。物語はそう結ばれる。

 リンゴの木を自然になぞらえれば、もはや人類による無分別な収奪は許されまい。「植物は生態系の生産者であり、人間は消費者、正しくは植物に寄生している」と自覚を促すのは、独特の植樹活動で知られる植物生態学者の宮脇昭さんだ。

 40年にわたり国内外1700カ所で地域の人たちと4000万本を植樹し「世界で最もたくさんの木を植えた男」の異名をとる82歳である。その植樹法は土地に合った樹種を混植・密植する「ふるさとの木による、ふるさとの森づくり」だ。自然の生態系を守り、災害にも強い。

 「競争しながら互いに少し我慢して共生し、共に発展する」。宮脇さんが生物社会から学んだ掟(おきて)である。「おおきな木」の物語の続きはそうした思いから始まるのだろう。

10/17中日春秋

2010年10月17日 | コラム
10/17中日春秋

 北米大陸に、数十億羽が生息していたとされるリョコウバトが絶滅したのは二十世紀初頭。

 ニッポニア・ニッポンの学名を持つトキも、今、自然繁殖が試みられているのは中国由来の個体で、日本のトキは既に絶滅している。こうした受難の鳥の象徴ともいえるのが、インド洋はモーリシャスに生息していた飛べない鳥、ドードーだ。

 はるか昔に絶滅しながら、なおその名が残るのは、英国の作家ルイス・キャロルが『不思議の国のアリス』に登場させたから。吃音(きつおん)だったキャロルは本名のドジソンと名乗る時、「ドードー、ドジソン」と発音しがちで、特に親しみを感じていたともいわれる(渡辺政隆著『一粒の柿の種』)。

 米CNN(電子版)によると、最近、NPOの生物多様性センターが、原油流出事故を起こした英石油大手BPの前最高経営責任者に、その名も「ゴム製ドードー賞」を贈ると発表した。「絶滅危惧(きぐ)種を絶滅に追いやることに最も貢献した人物」に贈られる賞だとか。確かに、あの汚染では鳥類などの生物にも大きな被害が出た。

 あすから名古屋で「国連地球生きもの会議」の中核、COP10(生物多様性条約締約国会議)が始まる。無論、いかにして生き物の絶滅に歯止めをかけるかが大きなテーマの一つだ。

 とことん知恵を絞ってほしい。人類が「ゴム製ドードー賞」をもらうことがないように。