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落書き帳(旧「皇居の落書き」)

皇室評論家に騙されるな

男系派の国会議員はちゃんと仕事をしなさい

2024-11-07 23:44:00 | 皇室の話(3)
令和6年11月5日17:00、夕刊フジより配信の「皇位継承に関する国連勧告に反論 松原仁氏「全く容認できない」日本国家の骨格否定「政府に外交力の欠落があったのでは」と題する記事がある。

松原仁氏の主張については、何を言っているのだろう、という感想しかない。

「皇位の男系継承は天皇の正統性の根拠であり、これが崩れるならば日本の国家の骨格の否定につながる」とのことだが、「日本の国家の骨格」とは、そんなことで崩れてしまうようなものなのだろうか。

思想・信条の問題ということかもしれないが、もし、本当にそう信じているのであれば、それならばそれで、もっと真剣に男系継承の維持について取り組むべきだと思うのだが、政治家としてそこまでの行動をしている様子は見られない。

男系継承の維持のためには、現皇室においては悠仁親王殿下が唯一の希望となるが、悠仁親王殿下の交際相手(お嫁さん候補)を探したりとか、やるべきことはいろいろあると思うのだが、何かしているのだろうか。
旧宮家の男系男子の子孫の養子案ということなら、説得に回って候補になってくれる方を探すとか、やってみればよいではないか。

それに見合うだけの行動を伴わないで「日本の国家の骨格」などと口にすれば、かえってその値打ちを下げてしまうことに気づかないのだろうか。

国民の一人である筆者として、「全く容認できない」話だ。

松原仁氏は、「政府は外交力の欠落があったのではないかと深く反省するべきだ。日本の国の長い歴史風土を諸外国に知ってもらうことは極めて重要だ」と述べているようだが、「日本の国の長い歴史風土」ということと男系継承とはどう繋がるのだろう。

あまりに説得力がなさすぎる。

結局、自分自身で何も理解できていないのではないだろうか。

男系継承を維持するべきという主張をするのであれば、何よりも必要となるのは男系継承の意義についての説得力ある説明ということになるであろう。

松原仁氏に限ったことではないが、国会議員というのは議論が仕事なのだから、もっとちゃんと仕事をしないとダメだ。
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愛子さまの順位についての正しい理解〈パート2〉 (河西秀哉氏のコメントで浮かび上がる秋篠宮殿下の異例性)

2024-11-06 22:11:10 | 皇室の話(3)
令和6年10月31日7:02、AERAdot.より配信の「愛子さま振袖姿で2回目の園遊会 皇族方の「並び」を超えてご一家の会話に思いを馳せてしまうワケ」と題する記事がある。

この中に、「象徴天皇制に詳しい」という河西秀哉氏のコメントが掲載されている。
-----引用開始-----
■悠仁さま出席なら愛子さまより前
「天皇陛下と皇后雅子さまの後に、皇位継承順位1位で皇嗣の秋篠宮さまと皇嗣妃の紀子さま、天皇家の内親王である愛子さま、そして皇嗣家の内親王である佳子さまという順番です。これは皇室典範にある“身位(しんい)”通りの並び順です。
 ご身位とは、日本の皇族の皇室内部での身分及び地位の差異を示す区分のこと。現代日本の皇室、皇族の身位は、天皇陛下、皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃、女王の順です」
 秋篠宮家の長男、悠仁さまは、9月6日に18歳の誕生日を迎え、成年に仲間入りされた。今回の園遊会には出席されなかったが、今後、ご出席される場合、このご身位からすると、「秋篠宮さまと紀子さまの間か、秋篠宮ご夫妻の隣か、いずれにしても愛子さまの前になります」と河西氏は付け加える。
-----引用終了-----

河西氏の言っているのがおかしいというのは、以前このブログで「愛子さまの順位についての正しい理解」という記事を書き、そこで示した通りなのだが、実に奇怪な考え方だ。

「これは皇室典範にある“身位(しんい)”通りの並び順です。」とあるのだが、河西氏は身位という言葉をどこから持ってきたのだろう。

皇室典範には「身位」という言葉は出てこない。

皇室典範の第5条には「皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃及び女王を皇族とする。」という規定があり、並べ方としては河西氏の言う「皇后、太皇太后、皇太后、親王、親王妃、内親王、王、王妃、女王の順」と合致している。

ただ、これらは「親王」「親王妃」「内親王」などの概念としての並べ方なのであって、具体的な個々の親王、親王妃、内親王の方々の並び順を示すものではない。

そのことは、例えば、歌会始の詠進歌の並び順を見ればよく分かる。

宮内庁のホームページに「お題一覧(昭和22年から)」というページがあり、これでどのような並び順になっているかが分かるのだ。

例えば、平成6年を見ると、当時の天皇の娘である清子「内親王」は、天皇の弟である正仁「親王」よりも先になっている。

個々の方々の並び順がどうなるかについては、皇族身位令という旧制度下の法令で定められており、現在も基本的には踏襲しているのである。

河西氏の謎なところは、「身位」という言葉を持ち出しつつ、どうも皇族身位令を読んでいないらしいところだ。

「皿婆」がどうのといったネット記事を読む前に、「皇族身位令」をまずは読まなくてはいけないのではないか。

皇族身位令については、このブログの「愛子さまの順位についての正しい理解」で紹介したところだが、個々の方々の並び順につき、天皇が最初というのは当然の前提とした上で、以下のように定めている。

皇族身位令(昭和22年5月2日廃止)
第一条 皇族ノ班位ハ左ノ順序ニ依ル
 第一 皇后
 第二 太皇太后
 第三 皇太后
 第四 皇太子
 第五 皇太子妃
 第六 皇太孫
 第七 皇太孫妃
 第八 親王親王妃内親王王王妃女王
第二条 親王王ノ班位ハ皇位継承ノ順序ニ従フ内親王女王ノ班位亦之ニ準ス
前項ノ規定ニ依リ同順位ニ在ル者ハ男ヲ先ニシ女ヲ後ニス
第三条 親王妃王妃ノ班位ハ夫ニ次ク内親王女王ニシテ親王妃王妃タル者亦同シ

他の条文もあるのだが、天皇御一家と秋篠宮家の関係であれば、この3つの条文で十分だろう。
第一条で「第八 親王親王妃内親王王王妃女王」とあるが、これだけでは個々の「親王」「親王妃」「内親王」の並び順が分からないので、それを説明したのが第二条と第三条である。

第二条で「親王」「王」は皇位継承の順序、「内親王」「女王」については皇位継承資格はないが皇位継承の順序に「準ス」(長系長子だが姉より弟が先)こととし、第三条で「妃」は夫の次という基本ルールが定められている。

これを踏まえて、天皇御一家、秋篠宮家(悠仁親王殿下を含む)の並び順を示すと以下のようになる。

 天皇陛下 
 皇后陛下
 愛子内親王殿下

 秋篠宮殿下
 秋篠宮妃殿下
 悠仁親王殿下
 佳子内親王殿下

これが皇室の伝統を踏まえた並び順として、本来の姿なのである。
自ずと家族単位となるのだ。

ただ、ややこしいのが秋篠宮殿下の扱いだ。
単なる皇嗣であれば上記のとおりなのだが、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法施行法」が影響してくる。
同法第5条で「皇太子の例による」と定められ、令和2年11月には立皇嗣の礼が行われた。
このことを踏まえ、秋篠宮殿下の配置を皇太子と同様にすることとした場合は、以下のようになる。
これが現在の並び順ということなのだろう(悠仁親王殿下については未実施)。

 天皇陛下 
 皇后陛下

 秋篠宮殿下(皇嗣)
 秋篠宮妃殿下(皇嗣妃)

 愛子内親王殿下

 悠仁親王殿下
 佳子内親王殿下

これは皇族身位令第一条で、「皇太子」「皇太子妃」の位置づけが「第八 親王親王妃内親王王王妃女王」グループとは別枠の先順位になっていることによる。

家族単位の並び順ではなくなってしまったが、それは、愛子内親王殿下が秋篠宮家の並びに入り込んだのではなく、秋篠宮殿下と秋篠宮妃殿下が天皇御一家の並びに入り込んだというのが実態である。

河西氏にしても家族単位の並びの方が望ましいという考え方のようだが、それを阻む原因は、天皇の退位等に関する皇室典範特例法施行法第5条と立皇嗣の礼なのであり、秋篠宮殿下と秋篠宮妃殿下の配置の異例さにあるのである。

河西氏は悠仁親王殿下につき「秋篠宮さまと紀子さまの間か、秋篠宮ご夫妻の隣か、いずれにしても愛子さまの前になります」と述べているが、まったく頓珍漢な話だ。

どこをどう解釈しても、そんな風にはならない。

並び順については、筆者としても、最終的にはその都度の儀式や行事に相応しいように決定すればいいと思うが、伝統を踏まえるということからは、天皇の退位等に関する皇室典範特例法施行法あるいは立皇嗣の礼を加味したとしても、令和の御代において、天皇陛下の子である愛子内親王殿下が秋篠宮家の悠仁親王殿下の後ろになるということはあり得ない

読者もほとんどいなくなってしまったこのブログでいくら言っても仕方のないことだが、専門家を名乗るのであればいいかげん恥を知りなさい

それにしても、河西氏は悠仁親王殿下の配置につき「秋篠宮さまと紀子さまの間か」とも述べているが、どこからそんな発想が出てくるのか全く不思議である。

個人的には、なんだか面白そうなので、これについてはやれるものならやってもらいたいところだ。
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平成の呪縛を打ち破れ。最強の真言「一本眉」

2024-11-04 12:32:27 | 皇室の話(3)
令和6年11月3日8:00、現代ビジネスより配信の「上皇と美智子さま、二人の「画期」となった「1975年の事件」をご存知ですか…そこで起きていたこと」と題する記事がある。

平成のお二人の物語の昭和時代編といった内容である。
よく知られた話ではあるのだが、改めて読んで見るとなかなか感動的だ。

ただ、当時のお二人の輝きというのは、昭和時代という背景があり、そこには昭和天皇の存在感というものがあった。
このお二人には、引退された今、次代を輝かせる方面での存在感を期待したいのだが、それは無理な注文なのだろうか。

それにしても、当時、これだけ素晴らしかったお二人が、50億円超豪邸の秋篠宮家を偏愛するというのは、いったいどういうことなのだろう。

宮家の立場で50億円超豪邸というのは、かなり破壊的な堕落である。
それを偏愛するというのであれば、同罪であろう。

若い頃は素晴らしかったのに、高齢になってから衰えて訳のわからない人になってしまったという、よくあるパターンなのだろうか。

そろそろ、平成の呪縛から、皇室も国民も、解き放たれるべきではないだろうか。
そのための最強の真言は、「一本眉」である。

自らを省みると、平成の呪縛のかなりの部分は美智子様の美貌に由来していたように感じる。
そして、「一本眉」を想起すると、その呪縛が薄まり、消えていくのを感じる。

実に効果的であるというのは、筆者の体験談である。
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女子差別撤廃条約の問題を契機に深く考えるべき

2024-10-31 22:07:07 | 皇室の話(3)
令和6年10月30日16:12、日テレNEWSより配信の「林長官「強く抗議」~国連委員会の皇室典範“改正勧告”に」と題する記事がある。

女子差別撤廃条約の問題については、二つの観点があり、一つ目は我が国の皇位の在り方については国連委員会が取り上げるべき筋合いのものではないということ、二つ目は女子差別撤廃条約に反するものではないということがあると思うが、林官房長官の言い方は主に一つ目の観点に立っているかのようである。

これは、二つ目の観点からの説明がなかなか苦しくなっているという実態が反映しているのだろうか。

二つ目の観点については、日本が条約を締結した昭和60年の国会において、以下のように説明されている。

-----昭和60年3月27日 参議院予算委員会-----
○久保田真苗君
 批准する場合に留保などすることを考えておられますか。
○政府委員(山田中正君)【外務省国際連合局長】      
 この条約につきましては留保は考えておりません。
○久保田真苗君
 留保する場合としない場合の効果の違いについて御説明ください。
○政府委員(山田中正君)
 一般的に申しまして、留保とは、ある国が多数国間条約の特定の規定につきまして、自国への適用上その法的効果を排除するか変更することを目的といたしまして一方的に行う意思表示でございます。多数国間条約に多くの国が入りまして一つの条約社会を構成するわけでございますが、その締約国の中で留保していない国同士では条約の全規定の適用があるわけでございますが、留保いたしました国についてはその条約の規定が留保を限度として変更された形で適用されるということになります。
○久保田真苗君
 ところで、皇室典範の第一条に「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。」とありまして、婦人に対する排除が行われているのですが、この点、外務省としては条約との関係でどうお考えになりますか。
○国務大臣(安倍晋太郎君)【外務大臣】
 皇位継承資格が皇室典範におきましては男系男子の皇族に限られておるわけであります。この点につきましては、本条約第一条に定義されております女子に対する差別には該当しない、こういうふうに条約の解釈として判断をいたしておるわけでございます。といいますのは、本条約に言うところの女子に対する差別というのは、性に基づく区別等によりまして女子の基本的自由及び人権を侵害するものを指しております。ここで言う人権及び基本的自由とはいわゆる基本的人権を意味するわけでございまして、皇位につく資格は基本的人権には含まれているものではないのでございまして、皇位継承資格が男系男子の皇族に限定されていても、女子の基本的人権を侵害されるということにはならない。したがって、本条約が撤廃の対象としている差別には該当しない、こういうふうに考えております。
○久保田真苗君
 世襲的な地位からの排除でございますから、私は女性であることによる排除は排除だと思いますが、そもそもなぜこれを男系男子に限らねばならないのか、この点についてお伺いします。
○政府委員(小和田恒君)【外務省条約局長】
 皇室典範の考え方の問題と条約の問題と一応区別して考えていく必要があると思いますが、条約との関係について申しますと、先ほど外務大臣から御答弁申し上げましたように、この条約が対象にしておりますのは第一条に規定があるわけです。つまり女子に対する差別というのは何であるかということについて第一条に規定がございまして、それは性に基づく区別、排除または制限であって、政治的、経済的、社会的、文化的、市民的その他の分野で、男女の平等を基礎として、人権及び基本的自由を認識し、享有しまたは行使することを害しまたは無効にするような効果または目的を持つものと、こういう定義でございますので、その中に入るか入らないかということで条約との関係は検討しているわけでございます。その見地から申しますと、確かに性に基づく区別ではございますけれども、ここで言っているような人権及び基本的自由を認識、享有、行使することを害し、無効にするような効果ないしは目的を持つものではない。したがって、性に基づく区別だという意味では一つの区別でございますけれども、条約の対象にしている第一条の定義に言うところの女子に対する差別には当たらないと、こういう考え方で条約との関係は成立しているわけでございます。
 他方、皇室典範において男系の継承権というものを規定しているのはどういうことかというお尋ねでございますれば、これは憲法ないしは国内法の問題としてお考えいただく。条約との関係におきましては私が先ほど申し上げたようなことであるというふうに御理解いただきたいと思います。
○久保田真苗君
 私が質問したのは、そもそもなぜ女子を排除しなければならないか、男子でなければならないかと、条約から離れて伺っております。
○政府委員(山本悟君)【宮内庁次長】
 御案内のとおり、日本の皇室の制度では男系の男子が皇室を継がれるということになっておりますが、これはまさにこの日本国憲法あるいはそれに基づく皇室典範が制定されました際にも大変に議論になったことでございますが、そのときの審議の経過その他を伺っておりますれば、これは我が国のまさに古来の伝統に従っている、それを採用するということによるの一言に尽きるわけでございまして、その点の変更のない限りまさにそういう制度であるというように存じております。
○久保田真苗君
 この問題で時間を費やす気はありませんが、伝統と言われるけれども、皆様が一生懸命参拝なさる伊勢神宮の神様は天照大神という女神なんですね。女帝もたくさん存在したんです。まさにはっきりと制度として女子を排除したのは明治以来のことなんです。ですから、私は今の御説明は御説明になってないし、日本の文化的伝統というものが非常に狭い意味で考えられるということは日本文化にとって嘆かわしいことだと思います。
 希望だけ申し上げておきます。天皇の地位は国の象徴でありますから、私は女性が排除されるということについては私の国民感情は許したくないのであります。また国民統合の象徴であれば、二分の一以上を占める女性、国民の統合の象徴である地位に対して女性を排除する理由は何らないと思います。今すぐに問題が起こるわけではございませんが、私は将来の課題として御検討願いたいと思います。
○政府委員(山本悟君)【宮内庁次長】
 確かに日本の歴史上、歴代天皇という中に十代、八方女帝がいらっしゃいます。これは事実でございます。しかしながら、その女帝が即位をされました事情と申しますのは、これはあくまでも男系という格好でのつなぎをするために、そのときに適当なる男系の方が小さなお子さんであるとかそういうような事情でもって女帝が継がれたというのがまさに実際の姿でございます。これは歴史上明らかだろうと思います。ということは、要するに男系であるということは一歩も歴史上崩れたことはございません。そうして男系であるということをとっていく限りにおいては、女帝というものを認めましてもそこから続くのであればこれは女系になってしまうのですから、全く男系というものと外れてまいります。したがって、過去の歴史上に女帝がいらっしゃったということと、現在の制度的な格好で、近代法としてのはっきりした格好での男系男子という格好で続くということはまさに余り本質は違わないことでございます。
 先生御案内のとおり、摂政の場合には皇后でも摂政の資格はあるわけでありまして、しかし摂政に皇后がなられたからといって女系になるわけじゃないわけであります。そういうような点は歴史上の問題でございまして、伝統がどうであったかということによるわけでございまして、日本国憲法及びそれに基づく皇室典範が制定されましたときの各種の御議論、国会におきます御議論等も拝見をいたしましても、やはり古来の日本の伝統に従うということが唯一最大の理由であろうと存じております。
○久保田真苗君
 非常に強い伝統解釈をなさるので、私も時間が惜しいんですが、突っかからないわけにいかないんですね。宮内庁次長の伝統論によってこの問題を律することはできないんですね。それはこの国会と国民がどう思うかということに律すべきなんです。そうじゃありませんか。
○政府委員(山本悟君)【宮内庁次長】
 したがいまして、皇室典範制定のときの御議論がそういうことであったと。これはもちろん国会でも御議論には出ているわけでありまして、私どもはそれを拝見して、そういう事情でもってでき上がったものというぐあいに理解しているところでございます。
○久保田真苗君
 その後いろいろな異論も出ておるのです。このことを強く申し上げておきます。この問題はこれで終わります。
-----------------

一つ目の観点を言うのであれば、条約締結時に留保を付けておけばよかったような気もするが、それは今更言っても仕方がないのだろう。

二つ目の観点の説明として、当時の安倍晋太郎外務大臣と小和田恒外務省条約局長の説明は、現在においても通用するものだろうと思う。

ただ、これらは、女子差別撤廃条約に反しないということにつき、同条約で言うところの差別とは何かということからのアプローチであり、国連委員会への反論としてはそれでよいのかもしれないが、内外への一般的な説明としては不十分な感じがする。

上記の久保田真苗君の「私が質問したのは、そもそもなぜ女子を排除しなければならないか、男子でなければならないかと、条約から離れて伺っております。」ということ。
まさにこれが、現在の多くの人の思いではないだろうか。

この問いへの答えとしては、山本悟宮内庁次長より、過去の女性天皇は中継ぎであった、歴史上男系が崩れたことはなかったといった説明がなされている(今の男系固執派と同じ論法)。

当時は、国内の世論調査で「天皇は男子に限るべきだ」という意見が多数であり、ヨーロッパの王室でも男子のみとか男子優先の国が多く、こういった論法でもある程度の説得力はあったのだろうと思うが、現在では状況が逆転(そして、それは不可逆的なものであろう)してしまっており、やっぱりさすがにきついのではないか。

それでも、頑なに従来のやり方を守るというのが、例えば、憲法が皇室に決定を委ねるという仕組みになっていて、皇室の自律法で男系男子を維持しているというのならまだしも、当事者たる皇室の考えとは別なところで法律が「男系男子」と定めているというのでは、自己決定権という観点からの正当化の根拠が見出せない。

日本は民主主義国家ということになっていて、民主主義というのが自己決定権ということを根本とするものであることからすれば、この状態は矛盾であろう。

さらには、その法律にしたところで、国民の意思の反映ということであれば、現在の世論では女性天皇、女系天皇へ賛成の方が多数になっているのだから、その放置は怠慢であり、やはり矛盾ということになるであろう。


あとがき
 女子差別撤廃条約締結当時、世論調査で「天皇は男子に限るべきだ」という意見が多数と述べましたが、その根拠は、平成17年の皇室典範に関する有識者会議報告書の52ページで確認することができます。

 「日本世論調査会」が実施した世論調査の結果
  昭和59年12月
   天皇に女子がなってもよい 26.8%
   天皇は男子に限るべきだ  52.2%
   特に関心がない      18.0%
   その他           0.2%
   わからない・無回答     2.8%


 平成17年の皇室典範に関する有識者会議報告書は、かなりよくできた報告書なので、関心のある方は読んでみることをお勧めしたい。
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「新しい日本」というならさ

2024-10-26 20:51:13 | 皇室の話(3)
令和6年10月25日のRAB青森放送のニュース
石破総理が就任後初の青森県入り 演説で語ったことは・・・

-----引用開始-----
石破総理はきょう自民党の公認候補を応援するため、青森市と黒石市で演説しました。
青い森公園ではおよそ800人を前に、人口減少を止めるためには若い人たちが結婚できる環境を地方で作っていく必要があるとし「地方から新しい日本を作る」と訴えました。
-----引用終了-----

地方創生ということなので、趣旨が違うかもしれないが。

「新しい日本を作る」気があるというなら、男系固執じゃダメだろうさ。

でもほんと、もし女系に前向きな姿勢を示していたならば、「新しい日本」という言葉の説得力、迫力は、
本物になったんだろうにね。

へたくそ。
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愛子内親王殿下を新たな女系の祖、女性天皇として待望する

2024-10-25 23:54:28 | 皇室の話(3)
今回は、かなりファナティックなタイトルにしたのだが、その意味は順次述べる。

来る令和6年10月27日は、第50回衆議院選挙が行われる。

ただ、皇位継承の在り方については、今後の大きな課題であると思うのだが、国民に訴える政策としては位置付けられていないようだ。

それでも、メディアによる候補者へのアンケートでは項目の一つとなっており、それによると、どうも女性・女系拡大には慎重な姿勢が多いらしい。

自分は保守なんです!そして保守である以上、男系派なんです!という図式が成立してしまっているかのようである。

何でこういう図式が成立しているかについては、

1 いわゆる保守の世界において、男系派というのは集団として明確なので、男系派であることを宣言すれば仲間、支持者を得やすい。

2 男系男子が現行ルールなので、苦労して制度改正しなくてよい。男系男子を変えようとする動きがあった場合にそれを阻止すれば、頑張って何かをしているような顔ができる。旧宮家の男系男子の養子案というのもあるが、悠仁親王殿下がいるので、当面は何かしなくてもいい。

といった、打算的な理由もあるだろうか。

ただ、それだけではなく、男系男子、特に男系は、守らなければならない皇室の伝統であると、結構本気で信じているところもあると思う。

こういうと何だか他人事のようであるが、このブログを昔から読んでくださっている方であれば分かると思うけれども、筆者も、もともとは男系派だったのである。

もし、かつての筆者が、現在の筆者の書いている記事を読めば、こいつは皇室を滅ぼそうとしているとか、国体を破壊しようとしているとか、そんなことを口にしたかもしれない。

かつての筆者が何故そんな考え方をしていたかについて、改めて振り返れば、筆者の皇室問題への関心の出発点が、昭和天皇を守ろうというところにあったからではないかと思う。

敗戦後、GHQの影響から日本国憲法が成立し、国民主権原理が明確にされる中、その存在をいかにして守るか。

敗戦により外部からの影響により変更されてしまうことをいかに阻止するか、という戦いの発想である。

筆者が読み漁った戦後の保守思想の書物というのも、こういう戦いを意識して書かれたものが多く、その影響をかなり受けていたのではないかと思う。

ある意味、戦後特有の事情と言えるだろうか。


このように考えると、明治の人々は、これとは全然違っていたのだろうなと思う。

明治の人々は、それまでの江戸幕府を否定するという立場なので、「変更を阻止」というのとはむしろ逆であり、これからの国づくりに役立つか否かという観点が考え方の根本にあったはずである。

より柔軟で現実的な検討が行われていたはずだ。

現に、旧皇室典範の起草に際し、初期の頃に作成された「皇室制規」では女系の可能性を明記していたし、それは井上毅により反対されたが、井上の論拠というのも、例えば「氏」の問題は観念論のようにも感じられるが、当時はその制度の確立期にあったという事情があり、また、ヨーロッパ諸国におけるサリカ法典との比較、国内の婦人参政権を認めていないことと整合性など、現実的な検討を経たものであったと言える。

明治22年、大日本帝国憲法により「皇男子孫」、旧皇室典範により「男系ノ男子」が定められ、それから135年。
これらは、ずっと守るべき法典として定められたものではあったが、それでも当時の人々が現在の状況を見たらどのように感じるだろうか。

思想的に楽をしていると感じるのではないだろうか。

さすがに、再検討の時期になっているのではないか。


そもそも、敗戦直後であれば、「変更を阻止」ということが、皇室を大事にすることとイコールという図式が成り立っていただろう。

しかし現在は、もう成り立たなくなっているのではないか。

側室制度のない中での男系男子は制度として非常に困難というのもそうだけれども、子を生まなければならない妃、后の立場にも、もっと思いを巡らせるべきではないだろうか。

かつて、香淳皇后は、生まれてきた子が4人とも連続女子で、5人目で男子(現在の上皇陛下)となったわけだが、本当に大変だったろうと思う。

生まれてくるのは男子か女子かという注目のされ方をしつづけ、女子が生まれたときには、何とも言えないがっかり感がただようというのは、もう本当に止めた方がいいと思う。

そういう配慮すらできないのであれば、お嫁さんは来なくなるであろう。

そしたら即、滅亡ではないか。

男系男子に固執するということが、皇室を大事にすることと、イコールであるとは到底言えない。


また、そもそも、男系男子、あるいは男系ということに、思想的な価値というものが本当にあるのだろうか。

長く続いてきたということは事実であろう。

しかし、近代以前の社会、家制度との関係、これらは男尊女卑ということになるであろうが、そういった男尊女卑以外に、何らかの思想的な価値というものはあるのだろうか。

いわゆる保守派は、男系継承は男尊女卑とは違うと言うけれども、では男尊女卑以外の思想的価値は何かとなれば、きちんと説明できないのではないか。


世襲制により長く続いてきたというのも、ずっと遡っていけば、天照大御神に行きつく。

女性神である。

いや、それは神話なんだ、初代神武天皇を基点にするべきで、最初は男性天皇だという。

しかし、神武天皇の権威は、祖先神の子孫ということに由来するのではないか。

ここで、筆者としても、神話の時代の話を、客観的な歴史的事実であるとまでは言うつもりはない。

ただ、神話を伝承してきた古代の人々の思いはリアルであったはずである。

もし、神話をフィクションというのであれば、なぜ祖先神を男神としなかったのか。

男系継承が絶対的に守らなければならないという信念が、本当に太古から存在していたのであれば、祖先神を男神とすればそれで決着である。

しかし、そうはなっていない。

ここを突かれると、いわゆる保守派は、天照大御神は実は男性だったとかヘンテコなことを言ったりする。

確かに、天照大御神とスサノオとの誓約(うけい)の場面については、夫婦の交わりを暗喩しているように読めなくもない。そして、天照大御神と誓約で生まれた男神との関係は、父子の関係であるように見えなくもない。

しかし、そのことをもって天照大御神を男性としてしまうと、スサノオが女性ということになってしまう。

それはさすがに変じゃないか。

かといって、天照大御神を男性とし、スサノオもやはり男性だとすると、男性同士の交わりでの子生みになってしまい、もっと変じゃないか。

ということで、いずれにしても破綻する。


やはり、日本の神話は、天照大御神が女性神であることを前提に成り立っているのであり、天照大御神が皇室の祖先神なのだから、そもそもの出発点は女系の祖ということになる。

このことは、非常にありがたいことなのではないだろうか。

太古の血なまぐさい戦いの世においては、必然的に男社会とならざるを得ず、男系継承はその帰結であったとも考えられるが、いつの日か、遠い未来に女系継承の必要が生じたとき、正統性あるものとして女系を導入することを可能とするための根拠が、予め神話上に組み込まれていたと言えるのではないか。

もちろん、天照大御神を前例として新たな女系の祖とするためには、それに見合うだけの聖性がなければならないだろう。

ただ、奇跡的に、現在は愛子内親王殿下という存在があり、そのような条件を満たしていると言えるのではないだろうか。

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「女性天皇はいいけど女系はダメ」はダメ

2024-10-24 21:36:48 | 皇室の話(3)
令和6年10月18日9:15、時事通信より配信の「夫婦別姓、皇室典範に言及 女性差別撤廃委が対日審査 国連」と題する記事がある。

国連の女性差別撤廃委員会が、皇室典範について指摘をするというのは、しばしばある話であり、これに対し、同委員会で取り扱うべき話ではないという政府の姿勢は、その通りであると思う。

ただ、「男系男子」という継承ルールは明らかに男女で差を設けているわけであるが、それを正当化する論理というものがちゃんとあるのかどうかは、国際的にも注目されるのではないか。

記事では「政府担当者は「歴史や伝統を背景に国民の支持を得て今日に至っている」」としているらしいが、一昔前であればこの言い方でよかったであろう。

しかし、最近は、世論調査において、女性天皇、さらに、女系天皇支持する意見の方が多数派となっており、「国民の支持」ということは根拠となり得なくなっているのではないか。

「国民の支持」が根拠となり得ない中で、なぜ維持し続けるのかについて、昔からずっとこうだったからというだけでは、まさにそういう発想があるからこそ、いつまでも差別は解消されないのだと、差別問題に関心のある人たちは感じるであろう。

保守の立場からは、これは一般の国民の生活の問題とは異なる特別な問題なのである!という反論になるのだろうけれども、法律で定めるルールにおいて男女の差別をしてもいい領域を認めるという発想こそが問題なのだというふうにしか、受けとられないだろう。

筆者としても、日本独自のものなのだし、国連の委員会の言いなりになる必要は全くないと思うのだが、昔からずっとこうだったからというだけでなく、維持し続けるのであればもっと中身のある理由が必要なのではないかと思う。

日本独自の問題だからこそ、国政を担おうとする者には、きちんとした見解が必要ははずなのである。


この問題に関して、しばしば、女性天皇はいいけれども、女系はダメという意見を見かけるが、筆者からすれば、議論として成り立ち得るのは、女性天皇の是非の方なのではないかと思う。

天皇のお務めの内容、生活様式について、女性にも相応しいか否か。

過去に女性天皇はおられたけれども、古い話ではあるので、現在の社会制度の下で問題は生じないかの確認的な検討は必要だろう。

その上で、女性にも相応しい(あるいは、女性の方が相応しい)となれば、男系・女系の「系」の問題というのは、子孫にその特質を継承させることができるかどうかだが、子の遺伝子は父の遺伝子と母の遺伝子とで成り立っているというのはもう常識なので、ダメということにはなり得ないのではないか。

かつて、渡部昇一氏は、畑と種の例えを用いていた。
これは、男系派の立場でなされた説明なのだが、男系思想を非常によく表していると言えるだろう。

すなわち、男が種、女は畑。
何が生まれ育つかは種で決まるのであり、畑で決まるのではない、という話である。
この思想に立てば、確かに男系絶対となるであろう。
そして、昔は多くの人がこの思想を持っていたのかもしれない。

しかし、現代においては、未開の俗信、迷信の類というほかない。


以上のことから、今は選挙の話題がいろいろあるが「女性天皇はいいけれども、女系はダメ」という発言をするような人は、社会制度を作る資格はないのではないかと思う。
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にっちもさっちもいかない皇室典範論議

2024-10-24 20:23:44 | 皇室の話(3)
皇位継承の議論について、世論では愛子天皇の実現を期待する人々が多数だが、そのためには法律の改正が必要になるところ、政治家でやる気のある人はあまりいない。

現状のままなら、いずれ悠仁親王殿下の即位となり、「ゆるがせにしてはならない」という保証がなされているようではあるが、どうも秋篠宮家は人気がない。

そうこうしているうちに、愛子内親王殿下が結婚してしまうかもしれない。

このままではどうにもまずいことになりそうなのに、どうすることもできないまま、時が過ぎていく。

このような状況はどうして生まれてしまったのか。

男系固執派の頑迷さか。

紀子妃殿下の上昇志向か。

それらがすぐに思いつくところであるし、要因として大きいと思われるのだが、それだけではないのだろう。

以下は、いつもの筆者の妄想である。

すでに、このブログで、同じようなことを何度か書いているところではあるのだが、改めてまとめ直してみると、以下のようになる。



<フィクション>
まず、そもそもどこまで遡るかとなれば、おそらくは、平成15年の当時の湯浅宮内庁長官による第3子発言となるのではないか。

この第3子発言とは、令和6年10月21日付け「女性宮家」実現に向けた天皇家からのメッセージ 成城大教授 森暢平」において、以下のように説明されている。

-----引用開始(下線は筆者)-----
 おそらく、皇太子ご夫妻(現在の天皇ご夫妻)がなかなか子宝に恵まれず、結婚8年後に授かったお子さまが、現行皇室典範では継承が認められない内親王であったことが、天皇の悩みの源泉にあったのではないか。思い起こすに、羽毛田の前任、湯浅利夫は03年6月10日、皇太子ご夫妻の第2子への期待について「はっきり言って一方ほしい」と発言している。同年12月11日にも、「皇室の繁栄を考えると、(秋篠宮家には)3人目を強く希望したい」と述べた
-----引用終了-----

この第3子発言につき、森暢平氏は「発言が、湯浅個人の考えだとは私には思えない。平成の天皇ご自身の思いが反映されていたのではないか。」と述べているが、筆者も同感である。

そして、そうであるとすると、その前段階として、秋篠宮家に思いが向けられる前に、「皇太子ご夫妻(現在の天皇ご夫妻)」に思いが向けられたという過程があったはずである。

すなわち、平成13年12月1日に愛子内親王殿下が御誕生になったが、その後、次はお世継ぎとなる男子を産んで欲しいといった思いが向けられたのではなかったか。

あり得る話であると思う。

ただ、その思いをめぐって、深刻なトラブルが生じたのであろう。

そのトラブルから、平成の天皇の側としては、「皇太子ご夫妻(現在の天皇ご夫妻)」にはお世継ぎの期待をしないという決断をすることとなり、平成15年の第3子発言につながったのではないか。

また、トラブルに際して「皇太子ご夫妻(現在の天皇ご夫妻)」への制裁的な動きというものも生じ、それが平成16年5月の当時の皇太子殿下の人格否定発言につながったのではないだろうか。

その後は、東宮家バッシングの時期が長く続くこととなり、やがて、小泉政権時における皇室典範論議が展開される。

これは、皇位継承資格を女系・女性に拡大するものであり、実現すれば愛子内親王殿下が皇太子になるというものである。

ただ、もともとの期待は、男子による継承ということであったのだろう。

将来の皇位継承の見通しがつかない状況の中、旧宮家の系統の男系男子よりは現皇室の系統の愛子内親王殿下がよいという考え方であったと思われるが、もちろん現皇室の系統の男子ならなおよいという考え方だったのではないか。

この当時の皇室典範論議においては、守るべき皇室の伝統とは何か、現行憲法上の象徴としての在り方とは何かといった、かなり本質的な議論が展開されたのだが、平成皇室サイドとしては、本気ではなかったということなのだろう。

このような状況の中で、平成18年2月の秋篠宮妃殿下のご懐妊報道である。

この報道で皇室典範論議が頓挫し、一番ほっとしていたのは、実は安倍晋三氏ではなく平成皇室だったのかもしれない。

そう考えなければ、この報道に際し、平成皇室サイドより、「今回のご懐妊に影響を受けることなく議論を進めて欲しい」旨のコメントが一切なかったことの説明がつかない。

コメントが一切なかったことにつき、誰か合理的な説明ができるだろうか。

そして、予定通りに秋篠宮家に男子(悠仁親王殿下)が誕生し、小泉政権が終わって皇室典範論議が忘れられた頃、平成皇室内において、おそらく以下のような合意が形成されたのではないだろうか。
1 皇位継承は、次は皇太子となるが、その次は皇太子の系統とはしない。皇太子が即位してもそれは「中継ぎ天皇」としてである。
2 皇太子の次は秋篠宮殿下であり、その次は悠仁親王殿下とする。
3 皇位継承は、悠仁親王殿下に至る系統を軸とし、女性皇族は補佐役として頑張ってもらう。

平成24年の野田政権時の女性宮家の議論というのも、結局はこの枠の中での議論だったのだろう。
女性宮家の議論は、男系固執派の反発、その後の政権交代で頓挫してしまったが、もともと皇位継承の在り方に影響を与えるものではなかった。

皇位継承の在り方、すなわち、悠仁親王殿下の即位実現に影響を与え得るのは、愛子内親王殿下の存在である。

愛子内親王殿下の即位の可能性を潰すためには、皇太子の次が秋篠宮殿下となるということを確実なものとしなければならない。

そのために最も効果的なのは、平成の天皇が退位し、皇太子を即位させるのとセットで秋篠宮殿下を新たな皇太子的立場に位置付けるという方法である。

ここで、皇太子的立場というのがポイントで、皇太子とはしない。
歴史上、天皇の弟が「皇太子」となる例はいくつか見られ、秋篠宮殿下を「皇太子」に位置付ける、制度上擬制するといったことはできなくはないが、それはしない。

というのは、秋篠宮殿下を「皇太子」に位置付けると、平成の皇太子を「中継ぎ天皇」とすることからズレてしまうからだ。

悠仁親王殿下の即位につき、傍系継承の上での即位ではなく、平成の天皇、その実子である秋篠宮殿下の即位、その実子である悠仁親王殿下の即位という直系継承としての即位であることを強調するためには、秋篠宮殿下を次の天皇(平成の皇太子)の皇太子とするわけにはいかないのである。

これらを実現することとなったのが、平成29年に成立した「天皇の退位等に伴う皇室典範特例法」である。
同法によって、平成の天皇の退位、皇太子の即位とセットで秋篠宮殿下を皇太子とすることなく皇太子的立場に位置付けることが実現した。
秋篠宮殿下は、平成の天皇から賜った秋篠宮の称号を保持したまま、「皇太子の例による」(同法第5条)という特別な立場も獲得することとなったのである。

残る課題は、女性皇族を将来の秋篠宮家、悠仁天皇の補佐役として確保するということであるが、もとより、女性皇族及びその子孫に皇位継承資格を持たせることは望んでおらず、そうであれば政治家の多くの男系固執派とも合意できる。

「今上陛下から秋篠宮皇嗣殿下、次世代の悠仁親王殿下という皇位継承の流れをゆるがせにしてはならない。」というのが、その合意の核心である。

額賀前衆議院議長も、そのように早合点したのだろう。

ところが、世の中の愛子内親王殿下の人気があまりに高い。
反面、秋篠宮家の人気があまりに低い。

皇室制度に手をつければ、ゆるがせになってしまう恐れがある。

にっちもさっちもいかない。



以上は、あくまで妄想である、

実は、筆者としては、酷いこじつけだ、根も葉もない話だ、真相は違うということであれば、むしろその方がうれしい。

この妄想ではあまりに救いがない。
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秋篠宮と共に沈む平成

2024-10-24 20:23:19 | 皇室の話(3)
令和6年10月22日に「にっちもさっちもいかない皇室典範論議」という記事を書いた。

平成の時代の問題を蒸し返すような感じになるのもどうかということで、逡巡していたが、以下のようなサイトもある。

ブログ「ドリンク片手にちょっとひといき
同ブログの「皇室関係」一覧

書いてあることが全て正しいかは、筆者の記事と同様、何とも言えないけれども、同じように観察し、感じている人は結構いるのだろう。

であれば、筆者のブログは数人しか読む人もいないし、筆者があまり気にするのも自意識過剰なようなであり、おかしいかもしれない。


「選択」2024年10月号の「皇室の風」という岩井克己氏の連載の「悠仁親王に救われて」と題する記事に、以下の記載がある。
-----引用開始-----
平成十六年(二〇〇四)五月、皇太子(現天皇)による「人格否定」発言は、皇太子妃(現皇后)にこれ以上「世継ぎ」を願うことを各方面に遠慮・断念せざるをえない方向を決定づけた。天皇(現上皇)の前立線がん再発もあり、皇位継承の安定的確保のため女性・女系天皇も容認して、「万世一系」と称揚されてきた「皇統」観を根底から覆す改正を試みた。
 しかし反対の声が澎湃と広がり、皇室が国論分裂を招きかねない事態に。天皇(現上皇)の心痛は募り、皇太子(現天皇)からも戸惑いが示されたが、勢いは止まらなかった。自民党が党議拘束をかける数日前、秋篠宮紀子妃の懐妊が報じられ、ようやく上程見送りとなった。
 筆者も前年夏頃から紀子妃が愛育病院に体調管理のため通うなどの動きは聞いていたが、これほど劇的な展開は想定外だった。
 そして平成十八年(二〇〇六)九月六日の誕生。北海道で行事に臨んでいた天皇(現上皇)が、出席者からの祝福に「どうもありがとう」と述べた際の、心から安堵し、万感を込めた声は記憶に鮮明だ。
 もし紀子妃懐妊の報があと数日遅ければ、典範改正は実現しても正統性をめぐる争論も深刻化の一途をたどっただろう。
-----引用終了-----

いかにも平成時代の千代田派らしい論法なのだが、論客として、最近の秋篠宮派とは格が違うなと感じる。
いずれ、愛子皇太子の可能性が完全につぶれることとなれば、この論法がメインの考え方となって、秋篠宮家の功績、悠仁親王殿下の正統性の強調が徹底的に図られることとなるのだろう。
そして、その反面、天皇御一家は貶められることとなる。

天皇御一家を守りたい方々は、警戒しておいた方がいい。

上記引用個所について言えば、平成16年の当時の皇太子殿下の「人格否定」発言から経緯を説き起こし、当時の皇太子殿下・皇太子妃殿下に問題があったので天皇(現上皇)が苦しむこととなり紀子妃殿下が懐妊によって救ったというストーリーになっているのだが、そもそも、当時の皇太子殿下の「人格否定」発言には、やむにやまれぬ事情があったはずである。
その事情は具体的には明らかにされていないし、今後も明らかにされることはないであろうが、平成15年の当時の湯浅宮内庁長官の第3子発言という、かなり異例の事態があったことは無視できないのではないか。

また、平成17年頃の「女性・女系天皇」の議論につき、「しかし反対の声が澎湃と広がり、皇室が国論分裂を招きかねない事態に。天皇(現上皇)の心痛は募り」などと言っているが、岩井克己氏は、当時「反対の声」を挙げている一人だったはずである。
自分自身、当時、「天皇(現上皇)の心痛」を募らせた側であったはずなのに、よくこういう風に書けるなと思う。

これも、当時のことをよく知っている人が少なくなってきたから可能なのだろうか。

ただ、年月の経過というものは、いろいろな効果をもたらすものであり、平成時代の天皇皇后両陛下の聖性というものは、急速に低下しつつあるように感じる。

その要因としては、隠居されたということもあると思うのだが、あれほど重んじていた秋篠宮家の駄目さ加減が、ウンザリするほど明らかになってきたということも大きいのではないか。

秋篠宮邸改修費の50億超というのは、かなり痛い。

どこが「国民と共に」なのか。

美しかった物語が、すべて嘘くさくなってくる。
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秋篠宮邸50億円超の堕落

2024-10-24 20:22:48 | 皇室の話(3)
令和6年10月15日11:15、NEWSポストセブン配信の「50億円改修工事が終わったはずの秋篠宮邸、はやくも新たな修繕工事の計画がスタート 宮内庁は工事の具体的な内容や価格などは明かさず」と題する記事がある。

タイトルを見て、もはや狂っているとしか思えない、というのが正直な感想である。

記事を読んでいくと、「10月1日、宮内庁のホームページが更新され、「秋篠宮邸各所修繕第2回工事」が明らかになった。」とある。

筆者には、宮内庁のホームページのどこに記載してあるのかが当初分からなかったが、「秋篠宮邸各所修繕第2回工事」で検索すると、以下のページが見つかった。

宮内庁管理部発注予定工事(令和6年度)(10月1日現在)

このページの9番のところに、確かに「秋篠宮邸各所修繕第2回工事」が掲載されている。
これによると、工事期間は「約5ヶ月」、工事概要は「内装、建具、電気設備、機械設備工事」とのことだ。

NEWSポストセブンの記事では、以下の皇室記者のコメントが紹介されている。
-----引用開始-----
「そもそも原資は税金なので、国民にとって工事内容や工事費用がわかりやすくなければいけません。しかし、工事や工期を細分化させ、長引かせることで、工事の全体像や総工費が明瞭でなくなります。より丁寧な情報の公開が必要でしょう」(前出・皇室記者)
-----引用終了-----

どうにもまずい話だ。

「工事や工期を細分化させ、長引かせることで、工事の全体像や総工費が明瞭でなくなります」というのは、世の中の人々が一番嫌う手法なのではないのか。

国が税金を投入する事業として、公共事業においては、事前に事業の目的、必要性、想定される費用とかを明らかにし、事後においては、目的が達成できたかとか、実際の費用がいくらで事前の想定と異なる場合はその理由は何かとか、そういったことを明らかにするのが通例になっているのではないか。

皇室の方々のお住まいについては、こういった公共事業の評価とは別枠になっているのかもしれないが、それでも限度というものがある。

筆者の感覚としては、宮家の皇族のお住まいということであれば、数億円まではいいかなと思うのだが、5億円で微妙な感じで、さすがに10億円を超えるような場合には、組織的にきちんと検討したというプロセスが必要だろうと感じる。

そういったプロセス無しで50億超というのは、さすがにまずいだろう。

*再掲
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