政府においても「男系継承が古来例外なく維持されてきたことの重み」ということがよく言われるけれども、その「重み」とは何なのだろうか。
そもそも、「男系継承が古来例外なく維持されてきた」という言い方は、古来、継承原理としての「男系」というものがあり、それを日本人がずっと守ってきたという考え方を前提にしているかのようであるが、本当に前提にしてしまってよいのだろうか。
明治になって、西洋風の法典として皇室典範を制定するという段階になって、皇位継承の原理のようなものがないかということになり、これまでの継承の在り方を観察した際、「男系」ということが読み取れるということであったのだろう。
ただ、そのことから、それまでの日本人が「男系」を原理として認識して守ってきたという思考につなげるのは、飛躍があるというべきである。
それまでの日本人は、「男系」原理というものを認識はしていなかったはずだ。
なぜなら、本当に原理として認識されていたのであれば、その旨が何かしら、律令なり何らに記載されてしかるべきであるが、そのようなものは見つかっていないのである。
皇位の正統性ということで、古来、認識されてきたのは天壌無窮の神勅であろう。
すなわち、皇位、すなわち日本国の統治者の地位の正統性の根拠は、天照大御神の子孫ということにあるのである。
そして、天照大御神は女性神なのだ。
この点について、男系派の人たちは、スタート時点を神武天皇から、あるいは、ニニギノミコトから限定するといった屁理屈を述べる。
それにしたところで、神武天皇、ニニギノミコトの権威は、何を根拠とするかと言えば、結局、天照大御神の子孫ということに根拠を求めるしかない。
もちろん、天照大御神は神話上の存在、直ちに歴史上の事実と考えることは難しいかもしれないが、神話というものは古代人の伝承なのであり、そこには価値観の反映というものがある。
本当に「男系」原理というものが存在していたのであれば、皇祖たる神を男性神とすればよかったのに、そうなっていない。
苦労して理屈をこねればこねるほど、屁理屈にしか思えない。
天照大御神は男神だったとする珍説もあるが、そんな珍説は歴史上、支持されてこなかった。
そこにこそ、歴史の重みがあるのではないのだろうか。
ただ、皇位継承につき、双系だったとは言えないと思う。
女性天皇から女性天皇への継承というのは、元明天皇から元正天皇への継承の例しかない。
また、この継承についても、元正天皇は元明天皇と草壁皇子の子であることから、男系継承という側面も有してしまっている。
双系とは言い難いような、非対称性は認めざるを得ない。
それでは、この非対称性は何に由来するのであろうか。
それは、子孫確保のための婚姻の在り方としての一夫多妻制にあったのではないか。
乳児死亡率の高かった時代においては、一夫一婦制では立ち行かない。
配偶者を複数にしようとして、一人の女性が複数の配偶者を持つとした場合は、子の父親が誰なのか、はっきりしないという問題がある。
また、そもそも、子どもを産む女性にとっても出産は命がけであり、神話のイザナミだって、出産が原因で命を落としている。
一人の男性が複数の妻をめとるという方が、子孫確保のためには合理的なのである。
さらに、複数の有力な家から妻をめとるということは、政治的なメリットが大きい。
このような一夫多妻制については、后、妃の地位ということで、律令上にも記されているところだ。
また、夫婦の役割分担の意識は、現在よりもはるかに強固であっただろう。
男性は外で戦い、女性は家庭で子供を産み育てる。
表は男性、奥は女性という観念である。
これを単純に男尊女卑と言ってよいのかは、筆者には分からない。
ただ、神話の話に遡ると、イザナギ、イザナミの国生みの場面にて、男性が先、女性が後という観念は古来あったものと言い得るのではないか。
となれば、天皇という地位は表の世界の最高位なので、女性が皇位に即いた場合、その夫の扱いについては非常に困ることになる。
それゆえに、過去の女性天皇は寡婦ないし独身だったのだろう。
さて、婚姻制度としての一夫多妻制、女性天皇は寡婦ないし独身ということがあれば、これらに基づく継承がどうなるかを観察すると、男系継承という結果になるのである。
一夫多妻制でなければ男系継承を維持できないという言い方がされることがあるが、目的と手段の関係にあるわけではなく、古来、日本人が意識してきたのは、一夫多妻制ということと、表の世界では夫は妻よりも上ということであり、それがイコール男系継承という結果になったのではないか。
男系継承の原理というものは、本当に歴史上存在していたのか。
今の議論の状況というのは、相当間抜けなことになっているのではないか。
そろそろ、これまでずっと男系だったからこの先も男系でとか、そういった議論はそろそろ卒業するべきであろう。
そもそも、「男系継承が古来例外なく維持されてきた」という言い方は、古来、継承原理としての「男系」というものがあり、それを日本人がずっと守ってきたという考え方を前提にしているかのようであるが、本当に前提にしてしまってよいのだろうか。
明治になって、西洋風の法典として皇室典範を制定するという段階になって、皇位継承の原理のようなものがないかということになり、これまでの継承の在り方を観察した際、「男系」ということが読み取れるということであったのだろう。
ただ、そのことから、それまでの日本人が「男系」を原理として認識して守ってきたという思考につなげるのは、飛躍があるというべきである。
それまでの日本人は、「男系」原理というものを認識はしていなかったはずだ。
なぜなら、本当に原理として認識されていたのであれば、その旨が何かしら、律令なり何らに記載されてしかるべきであるが、そのようなものは見つかっていないのである。
皇位の正統性ということで、古来、認識されてきたのは天壌無窮の神勅であろう。
すなわち、皇位、すなわち日本国の統治者の地位の正統性の根拠は、天照大御神の子孫ということにあるのである。
そして、天照大御神は女性神なのだ。
この点について、男系派の人たちは、スタート時点を神武天皇から、あるいは、ニニギノミコトから限定するといった屁理屈を述べる。
それにしたところで、神武天皇、ニニギノミコトの権威は、何を根拠とするかと言えば、結局、天照大御神の子孫ということに根拠を求めるしかない。
もちろん、天照大御神は神話上の存在、直ちに歴史上の事実と考えることは難しいかもしれないが、神話というものは古代人の伝承なのであり、そこには価値観の反映というものがある。
本当に「男系」原理というものが存在していたのであれば、皇祖たる神を男性神とすればよかったのに、そうなっていない。
苦労して理屈をこねればこねるほど、屁理屈にしか思えない。
天照大御神は男神だったとする珍説もあるが、そんな珍説は歴史上、支持されてこなかった。
そこにこそ、歴史の重みがあるのではないのだろうか。
ただ、皇位継承につき、双系だったとは言えないと思う。
女性天皇から女性天皇への継承というのは、元明天皇から元正天皇への継承の例しかない。
また、この継承についても、元正天皇は元明天皇と草壁皇子の子であることから、男系継承という側面も有してしまっている。
双系とは言い難いような、非対称性は認めざるを得ない。
それでは、この非対称性は何に由来するのであろうか。
それは、子孫確保のための婚姻の在り方としての一夫多妻制にあったのではないか。
乳児死亡率の高かった時代においては、一夫一婦制では立ち行かない。
配偶者を複数にしようとして、一人の女性が複数の配偶者を持つとした場合は、子の父親が誰なのか、はっきりしないという問題がある。
また、そもそも、子どもを産む女性にとっても出産は命がけであり、神話のイザナミだって、出産が原因で命を落としている。
一人の男性が複数の妻をめとるという方が、子孫確保のためには合理的なのである。
さらに、複数の有力な家から妻をめとるということは、政治的なメリットが大きい。
このような一夫多妻制については、后、妃の地位ということで、律令上にも記されているところだ。
また、夫婦の役割分担の意識は、現在よりもはるかに強固であっただろう。
男性は外で戦い、女性は家庭で子供を産み育てる。
表は男性、奥は女性という観念である。
これを単純に男尊女卑と言ってよいのかは、筆者には分からない。
ただ、神話の話に遡ると、イザナギ、イザナミの国生みの場面にて、男性が先、女性が後という観念は古来あったものと言い得るのではないか。
となれば、天皇という地位は表の世界の最高位なので、女性が皇位に即いた場合、その夫の扱いについては非常に困ることになる。
それゆえに、過去の女性天皇は寡婦ないし独身だったのだろう。
さて、婚姻制度としての一夫多妻制、女性天皇は寡婦ないし独身ということがあれば、これらに基づく継承がどうなるかを観察すると、男系継承という結果になるのである。
一夫多妻制でなければ男系継承を維持できないという言い方がされることがあるが、目的と手段の関係にあるわけではなく、古来、日本人が意識してきたのは、一夫多妻制ということと、表の世界では夫は妻よりも上ということであり、それがイコール男系継承という結果になったのではないか。
男系継承の原理というものは、本当に歴史上存在していたのか。
今の議論の状況というのは、相当間抜けなことになっているのではないか。
そろそろ、これまでずっと男系だったからこの先も男系でとか、そういった議論はそろそろ卒業するべきであろう。