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落書き帳(旧「皇居の落書き」)

皇室評論家に騙されるな

誰も分かってくれない皇室論

2025-08-06 21:10:30 | 皇室の話(3)
令和7年7月25日8:17、PRESIDENT Onlineより配信の「ゆくゆくは愛子に天皇になってほしい」そう願う上皇陛下の心を無にした…悠仁さま誕生を利用した政府の罪」と題する記事がある。

高森明勅氏の主張が展開されているが、その中に以下の記載がある。
-----引用開始-----
 さらに上皇陛下は、次のようにおっしゃっていたことが伝えられている(奥野修司氏『天皇の憂鬱』平成31年[2019年])。

----------
「ゆくゆくは愛子(内親王)に天皇になってほしい。だけど自分も長く元気ではいられないだろうから、早く議論を進めてほしい」
----------

 それが年齢を重ねられた上皇陛下の強い願いだった。
-----引用終了-----

これは本当なんだろうか。
本当だったとしたら、どんなにいいことか。

皇位継承の在り方の議論につき、国民の多くが愛子天皇を望んでいるとしても、なかなか出口が見えない状況というのは、皇室の意向がどうなのかがよく分からないというのが原因であろう。

先般の附帯決議に関する有識者会議の報告で、「今上陛下から秋篠宮皇嗣殿下、次世代の悠仁親王殿下という皇位継承の流れをゆるがせにしてはならない。」というのがあって、このブログでも随分批判的に取り上げたけれども、悠仁親王殿下に皇位を継承させるというところまでは皇室の総意になっているように、どうしても見えてしまうのである。

上皇上皇后両陛下のご意向は?
もう20年以上前になってしまうが、平成15年12月に当時の湯浅宮内庁長官の「天皇皇后両陛下のお孫さんはお三方ということですから,これからの皇室の繁栄を考えた場合には,私は3人目のご出産を強く希望したい」という発言があった。
平成16年11月25日文仁同妃両殿下の記者会見より

当時の天皇皇后両陛下の孫は、御誕生順に、眞子内親王殿下、佳子内親王殿下、愛子内親王殿下であり、皆女性だったので、皇位継承資格者はない。
そこで、皇位継承資格者となり得る男子を秋篠宮家のところで産んで欲しいという趣旨であると筆者は理解したし、一般の人にもそのようにしか理解できないだろう。

そして、この発言は、湯浅宮内庁長官自身の考えということにはなっているけれども、当時の天皇皇后両陛下の意向が背景にあったという風に筆者は感じたし、一般の人にもそのように感じられたのではなかったか。

その後、平成18年2月7日に秋篠宮妃殿下の御懐妊ニュースがあったわけであるが、これは当時の天皇皇后両陛下の期待に応えたという風に思えてしまう。

翌8日、朝日新聞の記事で、「東宮さまのほうに遠慮していたが、『もうそろそろいいよ』とのお許しがあったので……」秋篠宮さまは、親しい人にこんな話をもらしたことがあるという。」ということが紹介されたが、この「お許し」の主体はいったい誰なのか。やっぱり、当時の天皇陛下であるとしか思えない。

平成18年9月6日に悠仁親王殿下が誕生になったわけだが、当時の天皇皇后両陛下の希望を叶えたという風に思えてしまう。

その後、当時の天皇皇后両陛下は、葉山御用邸で、和船に悠仁親王殿下を乗せられたりしており、孫の中でも格別に可愛がっておられるように見える。
(平成21年9月14日 時事通信 和船に乗られた天皇、皇后両陛下と秋篠宮妃紀子さま、悠仁さま(神奈川県葉山町)

また、悠仁親王殿下の出産時、秋篠宮妃殿下はほぼ40歳であったことを考えれば、当時の天皇皇后両陛下は秋篠宮妃殿下に頭が上がらないのではないだろうか。
義理的な観点で考えてみても、今更皇位継承させないなんて言えないだろう。

したがって、上皇上皇后両陛下は、悠仁親王殿下の皇位継承を望んでいると、どうしてもそう見えてしまう。

秋篠宮同妃両殿下のご意向は?
もちろん、秋篠宮妃殿下にしても、ほぼ40歳で出産した男子皇族なわけだから、今更皇位継承させないなんてことになったら、ふざけるな、という話になるのではないか。
どうしても、そう見えてしまう。

秋篠宮殿下にしても、悠仁親王殿下の誕生直後は、まずは秋篠宮家の後継ぎという考えがあったかもしれないが、令和2年に立皇嗣の礼を経ている。

立皇嗣の礼自体は国事行為であり、内閣の主導で決められたものであるとしても、様々な関連行事が皇室行事として行われている。
壺切御剣親授なども行われているのである。

もし、「今上陛下から秋篠宮皇嗣殿下、次世代の悠仁親王殿下という皇位継承の流れ」につき、秋篠宮殿下が不本意であったというのであれば、壺切御剣親授といった皇室行事を省略するという方途もあったはずだが、それはしていない。

そう考えると、秋篠宮殿下にしても、将来、悠仁親王殿下が皇位継承することを予定し、望んでおられるように見える。

天皇皇后両陛下のご意向は?
では、現在の天皇皇后両陛下のご意向はどうなのだろう。

<お代替わり前>
結局のところは、どこまでも、そう見える、そう感じられるといった話にしかならないわけであるが、まず、お代替わりの前、皇太子同妃両殿下の頃においては、愛子内親王殿下に皇位継承して欲しいという考えはなかったのではないかと、筆者は思ってきた。

皇太子同妃両殿下のお人柄からして、野心のようなものが感じられない。
最も相応しい者が皇位継承するべきという考え方はあったと思われるが、それが我が子でなければならないという考え方は、無いように感じられるのである。

当時の天皇皇后両陛下や秋篠宮同妃両殿下が、悠仁親王殿下の皇位継承を望んでいるということであれば、それを受け入れておられたのではないか。

立皇嗣の礼を行うことは、お代替わりの前に決定されていたし、それを踏まえて、国事行為だけでなく、皇室行事も行われたので、「今上陛下から秋篠宮皇嗣殿下、次世代の悠仁親王殿下という皇位継承の流れ」については、受け入れておられたように見える。

また、長く過酷な東宮バッシングの時代において、愛子内親王殿下の幸福を願うのであれば、皇室に留まるよりも、外の世界に希望を感じられるのではないかと、そんな風にも思えたのである。

<お代替わり後>
ただ、お代替わり後はどうなのだろう。

自ら天皇というお立場になられれば、最も相応しい者が皇位継承するべきという考え方は、日本国への責任感という観点から、以前とは比較にならないほど強まったのではないだろうか。

そういう責任感という観点からすれば、一番ふさわしいのは愛子内親王殿下ということになるのではないだろうか。

秋篠宮家は、いろいろな話のどれが真実なのかははっきりとしないが、宮邸の改修費について、令和5年9月の時点で「これでお代替わりに伴う秋篠宮さまの住まいの整備費用は関連施設を含めて50億円を超えました。」といった報道もある。
国民と共に歩む皇室ということから、かなりズレているのではないか。

なかなかティアラを新調されようとしない愛子内親王殿下とは随分と違う印象である。

これから、国民生活は更に厳しくしかならないであろうし、秋篠宮家に流れるという既定路線で本当にいいのだろうか、という思いは、どうしても湧き上がってくるのではないのだろうか。

しかしそうは言っても、我が子が最も相応しいとは、内々であっても決して言えないであろうと想像する。

皇室の総意の見え方
このように考えてくると、今後の皇位継承について、「今上陛下から秋篠宮皇嗣殿下、次世代の悠仁親王殿下という皇位継承の流れ」というものが、皇室の総意として落ち着いてしまっているように見える。

皇位継承の仕組みという観点からは、男系男子の固執ではいずれ破綻するということは、共通のご認識になっていると思うのだけれども、それぞれの拘り方、その強さには違いがあるとしても、悠仁親王殿下の皇位継承というところは合意されているように見えてしまうのである。

高森明勅氏の記事にある「ゆくゆくは愛子(内親王)に天皇になってほしい。」という願いは嘘ではないのかもしれないが、ブレたり揺れたりしつつ、結局、既定路線となっているのではないのだろうか。

というのも、愛子天皇を実現するための制度改正というのは、相当なエネルギーを要する大事業なわけであるが、そういう大事業を望んでいるような感じが、あまりしない。

大事業をしないとなれば、既定路線で行くしかない。

皇室のスタンスというのは、どこか他人事みたいなようにも見える。
それは、国政に関与できないというお立場だから仕方がないのだろう。

ただ、そうはいっても、国会議員にしても、一般の国民にしても、皇位継承の当事者ではないのであり、当事者でない立場でどこまで議論できるかという問題はあるのである。
当事者である皇室のお考えを無視してもいいという立場なら悩む必要はないのだけれども、多くの人は困ってしまうのである。

9月6日には、悠仁親王殿下の成年式が執り行われる。
女性皇族の場合は、成年になってもこのような成年式というものは無く、この違いは、皇位継承資格を有しているか否かということに由来するのだろう。

であれば、悠仁親王殿下の成年式に際し、天皇皇后両陛下を始め皇室全体が寿ぐという場面が打ち出されれば、悠仁親王殿下の皇位継承は皇室内で合意されているという印象は、かなり強化・固定されることになるのではないか。

そろそろ手がかりを示して欲しい
もしも本当に違うのであれば、それが分かるような手がかりを何らか示して欲しいところだ。

平成17年11月24日の皇室典範に関する有識者会議報告書では、基本的な視点として、
①国民の理解と支持を得られるものであること
②伝統を踏まえたものであること
③制度として安定したものであること
が示されているが、こんな感じのものでも手掛かりにはなると思う。

何の手がかりもないのであれば、制度改正は無理だろう。
制度改正というのは、波風を立てないままで実行できるものではないからだ。

皇位継承の在り方につき、男系男子のママがよいのか、女性・女系拡大に改めるべきか。
どう思っておられるのだろう。

このままズルズルと行って、既定路線のまま進むのか。
その場合、うまく立ち回った図々しい人が全てを手にするというストーリーのように見えてしまい、そういうストーリーは、日本人には受け入れ難いのではないかと思う。

遠くないうちに、皇室は終わることになるのではないか。

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男系継承原理というまぼろし

2025-07-18 00:17:57 | 皇室の話(3)
今回の参議院選挙は、これまでと異なり、いろいろな注目がされているけれども、
皇位継承の問題というのは、あまり争点になっていないようだ。

皇位継承の在り方というものは、日本の国の歴史、文化、精神性などにも関わってくるはずなので、残念な状況である。

メディア等による政党、候補者へのアンケートの結果などを見ると、男系継承に拘る考え方が多数を占め、根強いものがあるようだ。


しかし、男系継承を維持したとして、それでいったい何になるというのだろう。

皇室の方々にしてみれば、男子を産まなければならないというプレッシャー、生まれたのが女子であった際の周囲の落胆、我が子への申し訳なさ。

国民にとっても、男系継承だからといって、生活レベルが上がるわけではない。そんな俗っぽい話ではなく、もっと精神的な価値があるのだという人もいるかもしれないが、その価値とは何なのか。

おそらくは、男系継承に価値があると考えている人たちというのは、男系で継承するべきという原理が古来存在し、それをずっと守ってきたのだから、自分たちも守るべきだし、皇室の方々も守って欲しいという発想なのだろう。

政府の答弁でも、「男系継承が古来例外なく維持されてきたことの重み」といった表現がお決まりのフレーズとして用いられているようだけれども、「維持されてきた」という言い方は、維持するべきものとして意識されてきたということを前提にしているのだから、男系で継承するべきという原理がまずあって、それを守ってきたという発想になっていると言えよう。

しかしである。

そもそも、男系で継承するべきという原理というものが、存在するのだろうか。
それは思い込みなのではないか。

これまでの皇位の継承の事実関係を踏まえると、男系という法則について、それが原理であるかのように当てはめることができるというのは、その通りなのだろう。

しかし、だからといって、男系という原理が古来存在し、それを皇室も日本人も古来守ってきたと考えるのは、飛躍であり、短絡にすぎる。

というのは、皇位の継承というのは、自然科学の事象ではなく、社会的なシステム上の事柄であるのだから、そこに原理というものがあるとすれば、それを定めた者の存在がなければならない。

男系という原理について、そのような制定者が本当に存在するのか。

例えば、様々な宗教において、守るべき原理というものはいろいろあるであろう。
そのような原理には、創始者の言葉、あるいは、神の言葉といった裏付けがある。

もし、そういう裏付けがあれば、それが合理的であるか、不合理であるかの議論は別として、原理として存在しているということは、確かに言えるであろう。

しかし、男系という原理については、そのような裏付けがあるのか。

いくら探しても、どこにも見つからないのではないか。


そもそもが、皇室の祖先神は、天照大御神という女性神である。

皇位の権威の裏付けは、天照大御神の天壌無窮の神勅にあるであろう。

「葦原千五百秋之瑞穂国、是吾子孫可レ王之地也。宜爾皇孫、就而治焉。行矣。宝祚之隆、当与二天壌一無レ窮者矣」

吾が子孫の王たるべき、ということなのであって、先祖として遡れば、天照大御神に行きつかなければならない。

しかし、男系を貫いたら行きつけないことになっているのである。


考えれば考えるほど、男系という原理というものは、根拠がない。
まぼろしなのではないか。

政府にしても、保守系政治家にしても、このまぼろしがまぼろしであることに気が付かず、まぼろしに騙されているのではないのか。


明治の大日本帝国憲法、明治の皇室典範において、法文化されることにより、男系継承は法的な原理となった。
そこには、制定者の存在もある。
これは分かりやすい。

ただ、それが有効なのは、明治の大日本帝国憲法、明治の皇室典範の効力下においての話であり、それらが制定されるよりも遥か過去から、原理としてあったとみなすのは間違いであり、少なくとも根拠はない。


まぼろしからは、目を覚ますべきだ。
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秋篠宮殿下へのご忠言

2025-07-11 22:07:35 | 皇室の話(3)
令和7年7月11日16:53、毎日新聞より「秋篠宮ご一家が写真展「ヒロシマ1945」を見学 東京都写真美術館」と題する記事が配信されている。

見学されたのはよいことだと思うけれども・・・。

その場で何か気の利いたことを言わないといけないというのは、なかなか大変だろうし、
そればっかり意識してもよくないかもしれないけれども・・・。

-----引用開始-----
秋篠宮さまは原爆が長期間、被害を与え続けていることを踏まえ「やっぱり核はなくならないといけないですね」
-----引用終了-----

それはそうだけどさ。

普段何も考えていない人が、何か言わないといけない感じになって、とっさに口にする言葉の場合も、同じような内容になるのではないのだろうか。

殿下が普段どのように考えているかは分からないけれども、報じられているコメントだけを見ると、なんともかんとも。

-----引用開始-----
長男の悠仁さまは「写真や映像が持つ情報の多さや力を感じた」
-----引用終了-----

そういうことではないのではないか。

これは、公的な身分をお持ちの方でなく、単なる個人としての場合でも、
「ちょっとこの人変だな」と思ってしまうような。
何かが欠けている気がする。
報じられている以外に、もう少し発言があったのかもしれないけれども。

-----引用開始-----
次女の佳子さまは「写っている方たちの苦しみ、撮影者の葛藤を知ることができた」
-----引用終了-----

写っている方だけでなく、撮影者の内面にも思いを馳せておられる。
三十路になられた方らしい、深みのあるコメントだ。

-----引用開始-----
秋篠宮妃紀子さまは収容された遺体の写真に手を合わせていたという。
-----引用終了-----

表現のしようのない気持ちが沸き上がった時、
その表し方として、何か言葉を発するよりも、手を合わせるしかない、
というのは、筆者にも分かる。

この見学については、複数のメディアで報じられているが、産経新聞のはかなり微妙な感じである。

令和7年7月11日16:25、産経新聞より配信「秋篠宮ご一家、広島原爆写真展ご覧に 悠仁さま「写真が持つ力を感じました」

この記事では、秋篠宮殿下と悠仁親王殿下のコメントしか紹介されていない。

毎日新聞の記事では、秋篠宮妃殿下の所作と佳子内親王殿下のコメントも紹介されており、
いい方向にカバーされていると思うのだが、それらを落としてしまっている。

女性皇族について省いているというのは、男尊女卑的な思想のためのだろうか。

しかし、産経新聞としては、秋篠宮家を盛り上げないといけないのではないのだろうか。


さて、いろいろ述べてしまったが、それでは筆者として、どのようなコメントを期待するかであるが、
「このような悲惨なことは、いかなる理由をもってしても正当化はできない」
というぐらいのことは言って欲しかった。


原爆の写真を見て、このようなことを述べれば、問題にはなってしまうであろうか。

しかし、これぐらいは、被爆国としてのの大義として、言うべきではないのだろうか。

原爆の写真をご覧になった感想が、「やっぱり核はなくならないといけないですね」というのでは、

被爆国としての怒り、悲しみというものが全く感じられない。

世界の人々がこれを知ったとき、
唯一の被爆国の次の天皇になるはずの方が「やっぱり核はなくならないといけないですね」としか言えないと知ったとき、
どのように思われることとなるのだろうか?

「その程度なのか。」「そんなに怒っているわけじゃないんだ。」と思われてしまうのではないか。

こんなことではダメなのではないか。
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週刊金曜日の面白い投稿記事

2025-07-11 22:03:15 | 皇室の話(3)
「週刊金曜日」令和7年7月4日号の「言葉の広場」というコーナーがあり、読者の投稿欄のようなのだが、その中に、宗岡俊二氏という方の投稿(タイトルは「読み応えあった特集「象徴天皇制を問う」」)の中に面白い記載がある。

抜粋すると、
-----引用開始-----
マスコミ、新聞報道に流されてしまって、女性、女系でいいじゃないか、などとぼんやり思っていた。
 ところが、むしろそのことが天皇制を手ごわいものにすると教えられ、頭をぶん殴られた思いがした。肝は天皇制の廃止だと、もう一度腹に落とし込もう。
-----引用終了-----

「女性、女系」を認めると、「むしろそのことが天皇制を手ごわいものにすると教えられ、頭をぶん殴られた思いがした。」というのは、よく分かっているなという感じである。

立場、価値観は違うけれども、状況認識は共感できる。

保守系の雑誌よりも、何だか面白い。
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秋篠宮家の野望

2025-06-27 22:46:11 | 皇室の話(3)
令和7年6月29日は秋篠宮同妃両殿下の結婚35周年となるようで、秋篠宮家についての記事を最近見かける。

「週刊女性」令和7年7月1日・8日号に「人間ドキュメント/秋篠宮さま(59)紀子さま(58)」と題する記事が掲載されている。

江森啓治氏による記事だ。

どうでもいいと言えばどうでもいい話だが、記事の「人間ドキュメント」の題字は永六輔氏とある。
永六輔氏と言えば、秋篠宮殿下は加茂さくらの子だというデマを流した人として有名だけれども、この記事の編集者は知らなかったのだろうか。
ちょっと微妙な気持ちになってしまった。

さて、記事を読み進めると、紀子妃殿下は、皇室の世界に入って、あまり相談できる相手もいない中、一生懸命やってこられたのだろうなというのが実感させられる。
難しい人生を歩んでおられるのは間違いないであろう。

ただ、皇室典範改正の関係で、以下の記載がある。

-----引用開始-----
しかし、これに待ったをかけたのが、紀子さまの懐妊だった。‘06年2月、紀子さまが第3子を懐妊したことが判明すると、改正に慎重な意見が増え、政府は通常国会への改正案提出を見送った。そして、同じ年の9月6日、悠仁さまが誕生すると政府は皇室典範改正を断念した。
-----引用終了-----

皇室制度に関する議論がなかなか進まないのは、国会議員の怠慢というだけではなく、皇室の側が何を考えているのかが分からない、というのが最大の原因ではないだろうか。

これまでの皇室のご活動、ご発言を見れば、男系固執のようには思われない。
しかし、重要なタイミングで、ご懐妊して、男子を出産してしまう。

皇室のお考えをできるだけ踏まえたという人々にとっては、非常に困ったことなのである。

さて、この男子の誕生の関係で、以下の記載がある。
-----引用開始-----
 上皇さまの生前退位が認められ、兄が天皇陛下となると、弟の秋篠宮さまは皇位継承順位が第1位の皇嗣となり、悠仁さまは第2位となった。こうした急展開は秋篠宮家にとって、とても大きな出来事だった。
 なぜなら、皇位継承問題は、あくまで、長男である兄、天皇陛下の領域であって、次男の秋篠宮さまは、口を出すべきものでもなかったからである。こうした両親の厳格な教えのもと、秋篠宮さまは育っている。そして、弟としての強い自覚を持っている。一見、自由奔放そうに見えながらも秋篠宮さまは、自分の分限をわきまえ、次男としての分を頑ななまでに守り通して成長した。
 女の子が続けて生まれたことで、秋篠宮さまの周囲で、「早く男の子を」という声が上がったことがある。しかし、それはあくまでも秋篠宮家の後継ぎとしての男子であり、将来、天皇を継承する、というような大それた話ではなかった。
-----引用終了-----

これは、ちょっと意味のよく分からない内容である。
秋篠宮殿下には、自らの子に皇位継承させようという野心があったわけではないと言いたいということであろうか。
仮に「それはあくまでも秋篠宮家の後継ぎとしての男子であり、将来、天皇を継承するというような大それた話ではなかった。」というのが本当であれば、そのように表明するべきであったろう。
しかし、男子がいない状態の中で、男子を出産すれば、生前退位があろうがなかろうが、いずれそういう順位になるということは、現行の皇室典範から予想されることである。
そんなつもりはなかったというのは、あまりにもとぼけすぎであり、とぼけていないとすれば頭が悪すぎである。

最後の方に、以下の記載がある。
-----引用開始-----
 もし、悠仁さまが秋篠宮さまと同じく、24歳で結婚して、すぐに男の子が生まれたとしたら、現状の皇位継承などのモヤモヤは速やかに解消されるだろう。悠仁さまの教育や養育を両親任せにするのではなく、国民もわが子のように案じながら、悠仁さまへの助言や声援を、世論という形で反映させてほしい。
-----引用終了-----

「もし、悠仁さまが秋篠宮さまと同じく、24歳で結婚して、すぐに男の子が生まれたとしたら、現状の皇位継承などのモヤモヤは速やかに解消されるだろう。」というのを読んだとき、なるほど、確かにそうなるだろうな、というのが筆者の実感であった。

今後も、皇位継承資格の女性・女系拡大の意義は損なわれることはなく、愛子天皇への人々の期待は変わらないだろうとは思う。

ただ、制度改正をするための政治的ハードルは非常に高い。
そのような中、悠仁親王殿下に男子が誕生されれば、長い将来に向けて、男系男子の継承の見通しが立つことになり、男系男子規定を変えることは、現実的には不可能になってしまうであろう。
女性皇族の身分の問題は、今以上に副次的なものとして論じられることになるだろう。
権威が全て集中し、秋篠宮家の一人勝ちとなる。

ただ、そうなった場合、国民的な議論の機会が奪われることとなり、しらけてしまう可能性も高いだろう。

象徴天皇制が国民の支持を得続けることができるかどうかという、より深刻な問題が生じることになるかもしれない。
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天皇としての宿命を受け継がれる愛子内親王殿下

2025-06-21 21:15:00 | 皇室の話(3)
令和7年、今年は戦後80年であり、広島にお出ましになっておられるが、
改めて、天皇陛下のお立場は重い。

天皇陛下による慰霊は、どのような政治指導者とも異なる特別な重みがある。

この重みというものを考えるとき、皇室の長い歴史の中でも、近代以降のお立場の特殊性があるようにも思われる。

それを端的に表すものとしては、「天皇陛下万歳」という言葉があるであろうか。

決死の場面でのその叫び。

しばしば、死ぬ時に「天皇陛下万歳」なんて言わない、「お母さん」と言うんだという話もあり、それはそれで説得力があるのだけれども、「天皇陛下万歳」と叫んだ人も多かったはずだ。

平成17年に上皇上皇后両陛下はサイパンに慰霊のために訪れておられるが、そこには「バンザイクリフ」もあったのである。

また、以下のような記事もある。

平成24年2月9日、長崎新聞のサイトに掲載「「万歳」叫び 息絶えた少年

被爆された方の証言なのだが、その中に以下の記載がある。

-----引用開始-----
近くの壕に避難。しばらくすると、全身の皮がずるりとむけて垂れ下がった中学生ぐらいの男の子が入ってきた。「ちくしょう、ちくしょう」と言いながら横たわり、「天皇陛下、万歳」と叫び、数分もしないうちに息絶えた。不謹慎かもしれないが、男子は死ぬとき本当にこのようなことを口にするのだな、と内心驚いた。
-----引用終了-----

家庭、学校といった環境の中で、「天皇陛下」を敬うべきという教えが徹底されており、最後の心のよりどころになっていたということであろうか。

そして、そのような叫びの対象として在ることの重圧。
それは、どれほどのものなのだろう。
とうてい、人間として背負いきれるものではないであろう。
しかし、それでも背負わなければならない。
その宿命。

戦後においては、非常に多義的であり筆者は好きではないけれども、「戦争責任」という言葉で表現されることもあるであろうか。

そして、その宿命に向き合い続けることこそが、昭和22年に施行された憲法に定める象徴天皇としての徳の本質ではないかと、筆者は感じている。

であれば、憲法第2条において「皇位は、世襲のもの」であると定めているが、世襲で必要となるのは単なる自然血統ということだけではなく、そのような宿命を次の代に伝えられるかということが、重要なのではないか。

そして、人間として背負いきれるものではない宿命の継承というものは、極めて非人間的なことであり、基本的人権の世界の中では不可能であり、根拠づけることもできない。

それは、基本的人権の世界とは隔絶された世界の中、絶対的な愛と信頼の人間関係、すなわち親と子の絆の中でこそ、可能となるのではないか。

令和7年6月19日13:13、FNNプライムオンラインより配信の「「天皇ご一家の重い歴史」 上皇さまから愛子さまへ親子3代に受け継がれる平和への強い思い 元広島市長が考える両陛下の広島訪問の意味」と題する記事がある。

かなり決定的な内容だと思う。
以下の記載がある。

-----引用開始-----
原爆投下から4年後の昭和24年、当時15歳の上皇さまは初めて広島を訪れ、市民に呼びかけられました。

上皇さま:
その惨劇に二度と人類をおとしめぬよう、大きな力とならなければならないと思います。

その後も10回広島訪問を重ね、犠牲者に祈りをささげ続けられた上皇さま。
愛子さまもまた、中学3年の修学旅行で広島を訪れ、「世界の平和を願って」と題した作文を寄せられています。

平和への強い思いは、孫の愛子さまへ、受け継がれています。

元広島市長・平岡敬氏:
愛子さまもそういう思いがあるからこそ、平和が大事だと言われたのだと思います。
-----引用終了-----

今回の広島御訪問においては、愛子内親王殿下は同行されておられないが、それでもこのように言及されるというのは、世の中から、宿命の継承者として認識されているということなのだろう。
そしてまた、そのように天皇皇后両陛下がお育てになった、ということでもあるのだろう。

天皇陛下の宿命を受け継ぐことができるのは、愛子内親王殿下をおいてほかにいない。

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佳子内親王殿下、ブラジル国御訪問、お疲れ様でした!

2025-06-17 21:29:33 | 皇室の話(3)
令和7年6月17日、佳子内親王殿下がブラジル国から御帰国になった。

御訪問中、その御活動については、日本のメディアでも様々に報じられたけれども、筆者の印象としては淡泊な行動観察記のようなものが多く、あとはファッションについての記事であろうか。

これは、日本のメディアにおける現地の事情、歴史、人々の思いについての理解の限界というものもあるであろうし、読み手の興味・関心といったこともあるのであろう。

それぞれに必然性と意味はあると思うのだが、そういった日本のメディアの報道が、御訪問そのもののイメージに繋がるとしたら、それは残念なことである。

今回、ブラジル国への御訪問につき、その意義をもっともよく伝えているのは、先日も紹介したけれども、やはりブラジル日報の記事であろうか。

例えば、2025年6月17日付け「《記者コラム》佳子さまの連邦議会でのお言葉=モッタ下院議長、西森議連会長も=130周年の式典ハイライト」と題する記事がある。

これはブラジリアの連邦議会での佳子内親王殿下のお言葉、ウーゴ・モッタ連邦下院議長の挨拶、西森ルイス伯日友好議員連盟会長の挨拶を紹介した記事なのだが、書き手による冒頭の以下の説明によって、如何に意義深いものであるかがよく分かる。

-----引用開始-----
 佳子さまのブラジルご訪問のハイライトは首都ブラジリアの連邦議会における式典なので、その挨拶文をここに再録する。
 本来ならダヴィ・アルコンブレ上院議長も出席予定だったが、直前にルーラ大統領との緊急会合が入ってドタキャンになったという。だが昨年上院にも伯日議連が発足し、今回もテレザ・クリスチナ上議(元農務大臣)が議連会長代理として出席するなど、政界での日本勢の存在感は高まりを見せている。
 日系社会がない北東伯パライバ州出身の、35歳の若き下院議長モッタ氏が、彼が生まれる前に活躍した日系初の下院議員・田村幸重氏に言及する挨拶をしたのにも驚いた。
 わずか30歳の日本人女性がこれだけの過密な日程、かつ重要な公務の連続を立派にこなされ、行く先々で現地の日本移民はもちろん、日系子孫、ブラジル人から称賛されている姿を見るにつけ、同じ日本人として強い誇りを感じる。
 若いながらも洗練された物腰で、相手の目線より低い位置を常に意識して挨拶し、相手によって言葉を選んで声をかけられていた。これを多数の人々と実際にやるのは相当難しい。挨拶の言葉ひとつとっても実に丁寧で、わかりやすく発音され、喋りながら周りに目を配る様は、訓練と経験がなせる熟練の技だ。
 今回の10日間で8都市を回る中で、数えきれないほどの日系人や現地人に声をかけられ、握手をされた。日系社会の功労者はもちろん、日本語学校や連邦大学もご訪問され、日本文化を愛する人や日本語を学ぶブラジル人にも幅広く接させれた。今回、佳子さまが蒔かれた種子は、きっと5、10年後に花を咲かせるに違いない。
-----引用終了-----

実は、このブラジル日報の記事は、ヤフーニュースのサイトでも掲載されているのだが、ブラジル日報のサイトで見た方が、動画も掲載されているし、写真のカットのセンスもよく、現地の雰囲気がよく分かる。

非常に大変なお役目を、大役を果たされたと思う。
本当に、お疲れ様でした!
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公式の世論調査をしてはどうか(皇室制度)

2025-06-16 21:18:53 | 皇室の話(3)
令和7年6月15日19:02、JIJI.COMより配信の「皇位継承、自・立埋まらぬ溝 参院選後も進展不透明」と題する記事がある。

政党間の協議でまとまるなら、結構なことだと思うけれども、難しいのではないか。

-----引用開始-----
 複数の関係者によると、6月22日の国会会期末が迫る中、野田氏は皇室会議案にこだわっていたものの、女性皇族の配偶者と子に皇族の身分を付与するかどうかは棚上げし、女性皇族の身分保持についてまとめることで麻生氏と折り合ったという。
 だが、ここで食い違いが生じる。麻生氏は(2)の養子案についても合意したと受け止めたが、野田氏は先送りと認識していた。衆院事務局が作成した合意案には養子案が含まれていなかったため、麻生氏は態度を硬化。5月末、額賀氏が玄葉氏に合意はできないと通告した。
 麻生氏は5日の自民党麻生派例会で「養子案を棚に上げるのは不自然で、まかりならない」と批判。野田氏は6日の記者会見で、女性皇族の身分保持のみ先行してまとめる合意があったとして「ちゃぶ台返し」だとやり返した。
-----引用終了-----

どんな言葉で話し合われたのかは間接的にしか分からないので、野田氏と麻生氏のどちらに落ち度があったのかは分からないけれども、仮に、「女性皇族の配偶者と子に皇族の身分を付与するかどうかは棚上げし、女性皇族の身分保持についてまとめること」で折り合ったとしても、中途半端というしかないであろう。

女性皇族が結婚をして、皇族の身分を保持することはできますと、ただ、配偶者と子の身分がどうなるかは棚上げします、というのでは、具体的な制度化には繋がらない。

そして、「配偶者と子の身分」の扱いについては、結局、皇位継承の在り方につき、男系継承にどこまでこだわるのかという問題に行きついてしまう。

そして、この問題については、自民党系の保守派が妥協できるはずもなく、まとまるはずがないと思う。

そうは言っても、附帯決議のこともなるし、何か進めた感じにしないといけない、ということかもしれないが、この先、進展するという可能性が全然見えないのは困ったことである。

こういう膠着状態を打開するためには、より上位の権威者の意向を伺うのがよいと思う。

上位の権威者としては、歴史的な観点からすれば、皇室、何より天皇陛下ということになると思われるが、それができないとなれば、憲法論的に考えて、主権者である国民の意向ということになると思う。

ここで、このブログの令和7年5月17日の「皇室制度は国民投票で決めようよ」という記事で国民投票ということを述べたけれども、改めて考えると、憲法第41条で国会を「国の唯一の立法機関である」と定めていることと抵触してしまうかもしれない。

憲法改正は憲法自体で規定しているし、第41条の「立法」の範囲外と言えると考えられるが、皇室典範は法律なので、憲法改正と同じ手続というわけにはいかない。

ただ、国民の意向を反映させるための方法として、世論調査ならありなのではないか。

皇室制度、皇位継承の在り方の問題につき、これまでにも世論調査はあったけれども、報道機関による調査がほとんどで、政府による世論調査は行われていなかった。

これも、考えてみればおかしな話である。

これだけ憲法論にも関わるような重大な問題であり、かつ、政治マターになじむものではないというのであれば、政府による公式の世論調査をしてみてもよいのではないか。

1回だけでなく、年に1回、あるいは、半年に1回。何回かやってみて、国民の意向はこうだというのを公式に確認してみるというのが有効なのではないか。

公式の世論調査が実施されるとなれば、様々な立場からの議論も深まるであろうし、そのような過程を経てこそ、永続的な制度としてふさわしい在り方に落ち着くこととなるのではないだろうか。
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竹田恒泰は頭が悪いのではないか

2025-06-11 21:32:40 | 皇室の話(3)
令和7年6月11日09:43、産経新聞のサイトに「夫婦別姓「賛成する人たちは、ほぼ例外なく女性天皇、女系天皇を主張する」竹田恒泰氏 ごまかしの選択的夫婦別姓議論」と題する記事が掲載されている。

今回の記事は、
-----引用開始-----
作家の竹田恒泰氏は10日の衆院法務委員会に参考人として出席し、選択的夫婦別姓について「日本の1億2千万人が家族としての一体感をどんどん失っていく。払うべき代償があまりにも大きい」と述べ、改めて否定的な見解を示した。参政党の吉川里奈氏の質問に答えた。
-----引用終了-----
とのことで、竹田恒泰氏の答えについて紹介されているが、記事のタイトルの基になっているのは、以下の答えである。

-----引用開始-----
竹田氏は「選択的夫婦別姓に賛成する方たちは、ほぼ例外なく女性天皇、女系天皇を主張する」と述べた。「皇室で選択的夫婦別姓が具体的に選択されたらどうなるのか。また、LGBTにしても、とことん尊重するということになれば、女性なのに『私は内面が男だ』という公族が誕生した時に、皇位継承権はどうなるのか。いろいろなことがある。皇室に選択的夫婦別姓やLGBTなどを持ち込んでいけば、混乱する。そういう意図があって言っているかは分からないが」と語った。
-----引用終了------

え?

筆者は、皇位継承資格につき、女性・女系拡大支持の立場だけれども、選択的夫婦別姓の問題についてはあまり関心がない。

そのため、よく分からないのだが、選択的夫婦別姓ということから、女性天皇、女系天皇の主張につながるということがあり得るのだろうか。


皇位継承資格につき、女性・女系拡大となれば、女性皇族と結婚した民間男性は皇族となり、姓を失う。生まれてきた子は生まれながらの皇族で姓を持たない。

姓がないという点で夫婦は同じとなるのであって、夫婦別姓とはむしろ逆なのではないか。

筆者がかねてより不思議であったのは、自民党などのいわゆる保守派は、女性皇族の身分の問題につき、女系天皇への警戒から、配偶者となる男性と子には皇族としての身分を付与せず、要するに姓を保持したままとするという主張なのではないか。
要するに、皇室内における夫婦別姓(夫は姓あり、婦は姓なし)である。
それであるのに、自民党などのいわゆる保守派は、選択的夫婦別姓には反対のようであり、考え方が一貫していない。

この保守派の考え方のあべこべさ加減に気づくことなく、「選択的夫婦別姓に賛成する方たちは、ほぼ例外なく女性天皇、女系天皇を主張する」とはどういうことなのだろう。

実際に、そういう主張をしている者がいるのだろうか。

しかし、女性天皇、女系天皇の主張というのは、配偶者である男性を皇族として姓を失わせるということなのであって、少なくとも夫婦別姓とは逆である。

竹田氏は「皇室に選択的夫婦別姓やLGBTなどを持ち込んでいけば、混乱する。」などと言っているが、皇室に夫婦別姓を持ち込もうとしているのは保守派の方であろう。

こんなでたらめな話を法務委員会でしゃべっていいのだろうか。

頭が悪いのではないか。
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佳子内親王殿下にも残って欲しい

2025-06-10 21:07:43 | 皇室の話(3)
佳子内親王殿下がブラジルに御訪問中で、連日報道されている。

かなり精力的に頑張っておられ、立派だなと思う。

日本のメディアによる報道も多いけれども、ブラジルということであれば、

ブラジル日報の記事が面白い。

ブラジル日系社会向けの新聞であるが、現地の方々の思いがよく伝わる記事が多い。

例えば、2025年6月10日付け「《記者コラム》佳子さまご来伯で共感広まる=予想凌駕するシンパシーご発揮=世代交代する大志万学院で」と題する記事がある。

この記事は、以下の記載で始まっている。
-----引用開始-----
16歳生徒「日本語を勉強してきて良かった」
 「すごく緊張していましたが、佳子さまの優しそうな目を見たら、落ち着きました。私の挨拶に大きな拍手をしてくだされ、本当に嬉しかった。とっても明るい顔をされていたのが印象的でした。日本語を勉強してきて良かったと心の底から思いました」--7日午後、サンパウロ市の大志万学院(川村真由実校長)をご訪問された佳子さまに、歓迎の言葉を日本語で述べた生徒、一色(いっしき)アギアル・幸江(ゆきえ)・ラウラさん(16歳、3世)にお会いした感想を聞くと、目を輝かせながらそう答えた。
-----引用終了-----

冒頭からこのような感じで、歓迎の熱気がひしひしと伝わってくる。
ブラジル日報は、実に読み応えがある。

佳子内親王殿下の人々への接し方が、そのまま国際親善に結びついている。
-----引用開始-----
子供4人を同校に通わせたPTA会長の石井ケルソンさん(58歳、2世)は、「佳子さまは生徒と直接に話していただき、とても嬉しかった。とても高貴な方なのに、我々の目線で接してくれ、温かみと親近感を感じた。子供達に与える教育的な影響は計り知れない。普段、日本が遠いと思っている生徒に、日本語や日本文化に興味を持たせる強い動機を与えてくれた」と感謝していた。
-----引用終了-----

記事の最後では、重要な提言がされている。
-----引用開始-----
ご結婚後も公務続けられるよう法改正を
 冒頭の幸江さんは「もっと堅苦しい方かと予想していましたが、全然違いました」とも語っていた。佳子さまは、予想を遥かに上回るシンパシー(共感性)を発揮され、日系人を各地で魅了している。ブラジルには世界から各国の王室が視察にくるが、日本の皇室のように身近に接している様子は寡聞にして聞かない。
 270万人のブラジル日系社会にとって、日本の皇室の役割はとてもグローバルで重要だ。総理大臣が来ようが、外務大臣が来ようが、現在、佳子さまが行われているような日系人への動機づけは不可能だ。だが、現在の皇室典範では、女性皇族(内親王・女王)は結婚と同時に皇族籍を失い、一般人扱いになると定められている。佳子さまのような高い社交性を持つ皇族が、ご結婚後もご公務を続けられるような法整備を心から期待したい。(深)
-----引用終了-----

「総理大臣が来ようが、外務大臣が来ようが、現在、佳子さまが行われているような日系人への動機づけは不可能だ。」というのは、本当にそうだと思う。

このような存在が失われるとしたら、日本にとって大きな損失だろう。
そのことは、佳子内親王殿下の御訪問に対する現地の人々の反応で、改めて明らかになったと思う。

このことが、そのまま「佳子さまのような高い社交性を持つ皇族が、ご結婚後もご公務を続けられるような法整備を心から期待したい。」という提言につながっており、非常に大きな説得力を持たせている。

皇室制度の在り方については、御活動に務められるお姿をきちんと見て、その御存在の意義をリアルに感じて、その上で相応しい仕組みを考えるということが、必要だろうと思う。
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