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落書き帳(旧「皇居の落書き」)

皇室評論家に騙されるな

千田有紀氏の的確過ぎる表現

2025-05-08 21:42:57 | 皇室の話(3)
令和7年5月8日9:17、PRESIDENTOnlineより配信の「なぜ優秀な跡取り娘がいるのに甥っ子に継がせるのか…「"愛子天皇"待望論」沸騰の背景に庶民の素朴な疑問」と題する記事がある。

武蔵大学社会学部教授の千田有紀氏の記事である。

内容は、千田氏の自身の感覚、千田氏が捉えるところの庶民の感覚をもとに展開されており、そういう意味では主観的な主張ということになるかもしれないが、その感覚はものすごく的確なものであり、現在の皇位継承をめぐる問題の核心を突いていると思う。

是非、本文を直接読んでもらいたいところであるが、とりあえず小見出しを引用すると以下のとおりである。

■国会の議論は根本的な問題を先送りしている
■「優秀な跡取り娘がいるのに甥っ子に継がせる」ことへの素朴な疑問
■絶望的にセンスがない旧宮家復帰案
■“曖昧な存在”を作る女性宮家創設案
■悠仁さまの肩にかかる重圧

いずれも、本当にそのとおりだなぁと思う。
旧宮家復帰案につき「絶望的にセンスがない」という表現には、あまりに的確過ぎて思わず笑ってしまったが、国会の全体会議の面々には理解できないのだろうか。

こんな人たちがこの国の指導層というのは、ウンザリとしてしまう話である。
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旧11宮家の子孫の養子案、やれるものならやってみたら

2025-05-08 21:34:53 | 皇室の話(3)
令和7年5月7日21:00、共同通信より配信の「【独自】立民、皇族養子を期間限定で容認 自民に修正案提示」と題する記事がある。

以下の記載がある。
-----引用開始-----
自民が主張する旧11宮家の子孫を養子に迎える案に対し、一定の期間を区切ることで容認する。関係者が7日明らかにした。立民はこれまで養子案に慎重な立場だったが、自民との合意に向け歩み寄った形だ。麻生氏は持ち帰った。
-----引用終了-----

一定の期間を区切ることで容認というのは、どういう考え方に基づくものなのだろう。

国民のうち、旧11宮家の子孫のみを養子になれる存在と位置付けることは、憲法第14条の平等原則との関係で問題があると言える。

立憲民主党と名乗るのであれば、憲法論上の筋には拘って欲しかったところである。


ただ、旧11宮家の子孫の養子案につき、これが国民にとって受け入れ難いものであるということをはっきりさせるためには、その具体化を図るということは、むしろ有効なのかもしれない。

「旧11宮家の子孫」と言われると、現在の多くの人々は、現在の皇室の方々のお姿を基にして、つつましく、誠実に、公のためにお過ごしの方々なのだというイメージを展開してしまうのかもしれない。

ただ、この養子案についての合意がなされ、いよいよ具体化となれば、「旧11宮家の子孫」の実態に注目が集まることとなるであろう。


その場合、皇族候補という目で見られた場合のハードルというものはものすごく高い。

常識人レベルでは立派とされる人であっても、皇族候補という目で見られた場合には、物足りない人物ということになってしまうのではないか。

不祥事事案があろうものなら、多くの人は勘弁してくれと思うこととなるであろう。

「旧11宮家の子孫」の方々につき、筆者も全員を具体的に知っているわけではないのであるが、国民が喜んで受け入れるということになる可能性は、かなり低いのではないのだろうか。
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男系継承の原理というものは、歴史上存在していたのか

2025-04-30 23:01:48 | 皇室の話(3)
政府においても「男系継承が古来例外なく維持されてきたことの重み」ということがよく言われるけれども、その「重み」とは何なのだろうか。

そもそも、「男系継承が古来例外なく維持されてきた」という言い方は、古来、継承原理としての「男系」というものがあり、それを日本人がずっと守ってきたという考え方を前提にしているかのようであるが、本当に前提にしてしまってよいのだろうか。

明治になって、西洋風の法典として皇室典範を制定するという段階になって、皇位継承の原理のようなものがないかということになり、これまでの継承の在り方を観察した際、「男系」ということが読み取れるということであったのだろう。

ただ、そのことから、それまでの日本人が「男系」を原理として認識して守ってきたという思考につなげるのは、飛躍があるというべきである。

それまでの日本人は、「男系」原理というものを認識はしていなかったはずだ。

なぜなら、本当に原理として認識されていたのであれば、その旨が何かしら、律令なり何らに記載されてしかるべきであるが、そのようなものは見つかっていないのである。

皇位の正統性ということで、古来、認識されてきたのは天壌無窮の神勅であろう。
すなわち、皇位、すなわち日本国の統治者の地位の正統性の根拠は、天照大御神の子孫ということにあるのである。
そして、天照大御神は女性神なのだ。

この点について、男系派の人たちは、スタート時点を神武天皇から、あるいは、ニニギノミコトから限定するといった屁理屈を述べる。

それにしたところで、神武天皇、ニニギノミコトの権威は、何を根拠とするかと言えば、結局、天照大御神の子孫ということに根拠を求めるしかない。

もちろん、天照大御神は神話上の存在、直ちに歴史上の事実と考えることは難しいかもしれないが、神話というものは古代人の伝承なのであり、そこには価値観の反映というものがある。

本当に「男系」原理というものが存在していたのであれば、皇祖たる神を男性神とすればよかったのに、そうなっていない。
苦労して理屈をこねればこねるほど、屁理屈にしか思えない。
天照大御神は男神だったとする珍説もあるが、そんな珍説は歴史上、支持されてこなかった。
そこにこそ、歴史の重みがあるのではないのだろうか。

ただ、皇位継承につき、双系だったとは言えないと思う。
女性天皇から女性天皇への継承というのは、元明天皇から元正天皇への継承の例しかない。
また、この継承についても、元正天皇は元明天皇と草壁皇子の子であることから、男系継承という側面も有してしまっている。

双系とは言い難いような、非対称性は認めざるを得ない。

それでは、この非対称性は何に由来するのであろうか。
それは、子孫確保のための婚姻の在り方としての一夫多妻制にあったのではないか。

乳児死亡率の高かった時代においては、一夫一婦制では立ち行かない。

配偶者を複数にしようとして、一人の女性が複数の配偶者を持つとした場合は、子の父親が誰なのか、はっきりしないという問題がある。
また、そもそも、子どもを産む女性にとっても出産は命がけであり、神話のイザナミだって、出産が原因で命を落としている。

一人の男性が複数の妻をめとるという方が、子孫確保のためには合理的なのである。

さらに、複数の有力な家から妻をめとるということは、政治的なメリットが大きい。

このような一夫多妻制については、后、妃の地位ということで、律令上にも記されているところだ。


また、夫婦の役割分担の意識は、現在よりもはるかに強固であっただろう。
男性は外で戦い、女性は家庭で子供を産み育てる。

表は男性、奥は女性という観念である。

これを単純に男尊女卑と言ってよいのかは、筆者には分からない。
ただ、神話の話に遡ると、イザナギ、イザナミの国生みの場面にて、男性が先、女性が後という観念は古来あったものと言い得るのではないか。

となれば、天皇という地位は表の世界の最高位なので、女性が皇位に即いた場合、その夫の扱いについては非常に困ることになる。
それゆえに、過去の女性天皇は寡婦ないし独身だったのだろう。


さて、婚姻制度としての一夫多妻制、女性天皇は寡婦ないし独身ということがあれば、これらに基づく継承がどうなるかを観察すると、男系継承という結果になるのである。

一夫多妻制でなければ男系継承を維持できないという言い方がされることがあるが、目的と手段の関係にあるわけではなく、古来、日本人が意識してきたのは、一夫多妻制ということと、表の世界では夫は妻よりも上ということであり、それがイコール男系継承という結果になったのではないか。


男系継承の原理というものは、本当に歴史上存在していたのか。
今の議論の状況というのは、相当間抜けなことになっているのではないか。

そろそろ、これまでずっと男系だったからこの先も男系でとか、そういった議論はそろそろ卒業するべきであろう。

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皇室会議で決定する案について

2025-04-30 22:48:54 | 皇室の話(3)
令和7年4月26日1:00、毎日新聞より「女性皇族の夫と子の身分、皇室会議で決定する案 正副議長調整」と題する記事が配信されている。

立憲民主党の野田佳彦代表が提示した案のようだ。
そういうこともあってか、小林よしのりさんたちはこの案を支持しているようだけれども、
筆者としては、ヤフーニュースにおける鈴木洋仁氏のコメント「苦しまぎれ、もしくは、先送りの印象を強くしました。」と同じ感想をいだいた。

皇室典範の第10条で「立后及び皇族男子の婚姻は、皇室会議の議を経ることを要する。」と定められている。
男性皇族と民間の女性が婚姻した場合、当該女性は皇族としての身分を取得することになるが、婚姻につき皇族会議の議を要件とすることで、皇族としての身分を取得させてもよいのかにつき、チェックするという機能もあるのであろう。

であれば、女性皇族が民間の男性と婚姻する場合において、当該男性に皇族としての身分を取得させるに際しては、皇室会議の議を要するというのは、筋としては理解できるところではある。

ただ、この案による場合、皇室会議はどのような観点で審議を行うことになるのであろうか。

皇室典範第10条の場合は男性皇族の結婚相手としてふさわしいという観点からの審議となるが、
この案の場合、結婚そのものについての審議はせず、夫と子の身分につき、民間のままとするか、それとも皇族とするかの審議ということになるのであろうけれども、いったい、何に基づいて判断・決定することになるのだろう。

実は、「婚姻は両性の合意のみに基いて成立」としている憲法24条との関係からすれば、皇室典範第10条の方が制度としては問題があると言え、結婚そのものには関与せず、夫と子への身分についてのみ審議するという仕組みの方が、憲法第24条の趣旨に沿っていると言えるかもしれない。

ただ、夫と子の身分につき、どういう場合が民間のままで、どういう場合が皇族となるのであろうか。

まず、当事者の意向というものがあるであろう。

夫となる方の職業、社会的な活動、信条などにより、婚姻後も民間のままの身分を希望するということであれば、皇室会議において民間のままと決定するのは難しいことではない。

しかし、当事者の意向に反するような決定。例えば、夫婦一緒に皇族の御公務に取り組みたいので、夫となる方の皇族身分の取得を希望するという場合において、皇室会議においてそれを認めないとする決定は、どのような根拠に基づいて行うことができるのだろう。

皇族身分付与のための客観的な要件として、夫となる者が日本国籍を有するということは必須であろう。
それ以外に、旧宮家の子孫であるか否かということは、要件となり得るだろうか。

皇室会議で決定するという案を男系派が受け入れる場合があるとすれば、皇室会議における審議において、旧宮家の子孫という血統を要件にすればよいという考え方になるのだろうけれど、立憲民主党がこのような考え方をしているとは思えない。

そうすると、もしこの案が採用されることがあるとすれは、考え方の相違にベールを被せたまま、取りあえず先に進めましょうといったような話であり、いずれは破綻することになるのではないか。

結局のところ、男系継承というものが本当にこだわるべき原理であるのかにつき、正面からの議論が必要なのではないか。
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自民党は、女性皇族の人生を汚すな

2025-04-24 21:52:50 | 皇室の話(3)
令和7年4月24日6::00、共同通信より配信の「女性皇族確保へ修正案 旧11宮家配偶者に身分」と題する記事がある。

-----引用終了-----
 自民党が皇族数確保策を巡り、立憲民主党との合意に向け修正案を検討していることが分かった。具体的には「女性皇族が婚姻後も皇族の身分を保持する案」に関し、これまで反対していた配偶者と子への皇族身分付与を、旧11宮家に限り認める案が浮上している。
-----引用終了-----

皇族数が減少しているという危機感の中で、このような案が導入されることとなれば、女性皇族の結婚の相手方について、事実上、旧宮家の男系男子から選ばなければならないような圧力を生じることとなるのではないか。

心底、むかつく。

案として、そもそも汚らしいのである。



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旧宮家の方々はそろそろ態度表明するべきではないか

2025-04-23 20:57:17 | 皇室の話(3)
令和7年4月23日12:00、デイリー新潮より配信の「旧宮家の皇籍復帰で注目の「東久邇家」に話を聞くと… 現当主には高校生と小学生の男子が」と題する記事がある。

この中で,以下の記載がある。
-----引用開始-----
 2人の男子を孫にもつ基博氏に、皇籍復帰について尋ねると、

「その質問にはお答えしないことにしています」

 とのことで、眞彦氏の長男である照彦氏も、

「こちらからお話しできることはありません」

 と同様の回答だった。
-----引用終了-----

「その質問にはお答えしないことにしています」というのは、どういうつもりなのだろう。

皇室の方々であれば、天皇陛下の象徴としてのお立場ということから、政策に関する事柄への言及には憲法上の制約があることになるが、旧宮家の方々にはそれはない。

もちろん、一般国民として、どのような発言をするか、発言をしないかについては、全く自由である。

その自由の行使として、「その質問にはお答えしないことにしています」という答え方は、法的にはなんら問題は無い。

しかしである。

皇位継承の議論につき、旧宮家の男系男子の養子案というものがすでに政府・国会の議論の対象となっていることは公になっているではないか。

そして、この議論がいつまでもいまいち進捗しない要因としては、男系派の主張する旧宮家の男系男子として、どういう人物が存在しているのか、どういう意向をお持ちなのかがはっきりしないということが、かなり大きいのではないのだろうか。

そして、この進捗しない状況というのが、皇室の方々を苦しめているのではないのだろうか。

であれば、旧宮家の方々が、本当に皇室に近い立場にあり、皇室の方々を大事にしているというのであれば、「その質問にはお答えしないことにしています」という答え方は、筆者には理解できない。

皇籍復帰の議論につき、「応じるつもりはありません」とか、「お役に立てるのであれば最善を尽くしたい」とか、そろそろ何らかの態度表明をするべきなのではないだろうか。

「その質問にはお答えしないことにしています」という答え方は、安全であろうし、都合がよいということかもしれないが、今の状況でこのままのスタンスというのは、ちょっとずるいのではないかという気がする。
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ブログ終了を控えて

2025-04-15 22:13:46 | 皇室の話(3)
gooブログのサービスが終了することになった。

このブログの記事も、いずれ消滅してしまう。

このブログは、すでに役割を終えた感じになっているが、

かつての東宮バッシングの異常性を目の当たりにした者の記録としては、

意味があったと思うのだ。

積極的に蒸し返すつもりはないのだけれど、

いい加減な皇室評論家によって、

軽々しく相対化されるようなことは、

我慢ならないところではある。

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旧宮家養子案対象者の意思確認の問題

2025-04-14 21:37:35 | 皇室の話(3)
令和7年4月14日16:55、サンデー毎日×エコノミストより配信の「国会審議なき縁組が可能 養子案は「暗黒」の制度 成城大教授・森暢平」と題する記事がある。

森暢平氏は、国会審議なき縁組ということを問題にしているようだけれども、養子の対象となる方々につき、国会の場で明らかにして、その適否を論じるべきという主張なのだろうか。

筆者としては、その主張については、無理があるのではないかと思う。


養子縁組を可能とする法的仕組みについて、筆者は具体的には把握していないけれども、おそらく皇室会議の議を経させることになるのではないかと思う。

民間の女性が皇族男子を婚姻して皇族の身分を得ることになる場合(皇室典範第10条)と同じような仕組みである。

皇室典範
第十条 立后及び皇族男子の婚姻は、皇室会議の議を経ることを要する。

皇族の身分を取得させるに際し、皇室会議の議を経ることを不要とするのであれば、さすがに問題だと思うけれども、そうはならないのではないか。

そして、具体的な人物の適否の問題について、皇室会議ではなく国会の場で審議というのは、それはあまりに過剰というべきだろう。


ただ、森氏の問題意識は、養子制度につき、対象になり得る者の存在とその意思につき、政府が確認していない状況について向けられたものなのだろう。

確かに以下の箇所における内閣官房参与の山﨑重孝氏の説明は、奇妙である。
-----引用個所-----
衆参両院の各党・会派による全体会議(3月10日)で、立憲民主党の馬淵澄夫は、1947年に皇籍離脱した旧11宮家の子孫の「現状」、そして皇籍復帰の「意思」について政府は確認しないのかと追及した。これに対し内閣官房参与の山﨑重孝は、「意思」の確認は制度ができる前には実施できないと答えた。現皇室典範では養子が禁止されており、今、「意思」確認をすることは、違法な行為を前提に聞くことになるためだという。将来の法改正後の「意思」を法改正前に聞くことが本当に許されないのかという疑問がわくが、それは措(お)き、「現状」の確認の方はどうか。
-----引用終了-----

「現皇室典範では養子が禁止されており、今、「意思」確認をすることは、違法な行為を前提に聞くことになるためだという」というのは、「違法」という文言の多義性をヴェールにした言い訳のように思えてしまう。

「違法な行為」といっても、法的な根拠がないというだけのことで、行為そのものが悪質(自然犯)というわけではないのではないか。

要するに、法的に規制されているという現状があるのであって、それを緩和するかどうかといった議論なわけであろう。

そして、規制緩和の議論をするに際しては、規制の対象者の意向というものは、むしろ踏まえるのが当然なのではないだろうか。

「現皇室典範では養子が禁止されており」ということがどうしても気になるのであれば、禁止が解除された場合についてという仮定の下で意思を確認すればよいだけの話なのではないだろうか。

もちろん、誰に確認したか、誰がどのような意思表示をしたかについて、どこまで明らかにすることが適切かといった問題はある。
プライバシー、生活の平穏の確保といった要請もあるであろう。

しかし、法的な仕組みを作ってしまった後に、事実上、養子になってもらうように追い込むというのは、それはそれで問題であろう。

事前に意思の確認を行い、もしも対象者がいないのであればそのことを明らかにし、別な選択肢の方に検討を切り替えるべきではないのだろうか。
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やっぱり自民党はダメだね(いったいどなたの養子になっていただくのさ)

2025-04-09 00:01:35 | 皇室の話(3)
前回の記事の続きであるが、自民党・麻生太郎最高顧問の発言で、「方策として、まず、皇族に禁じられている養子を行えるようにし、皇統に属する男系男子、いわゆる旧11宮家の子孫の方々に皇族になっていただくことは極めて重要だ。」とある。

旧宮家の子孫の養子案なのだが、この案については、養子になるにふさわしい資質・意思を有する「子孫」が、本当に存在するのかという問題については、以前より指摘されてきたところである。

ただ、そのような「子孫」が本当に存在するかという問題も大きいけれども、養子縁組というのは養親となる側の存在も必要となる。
果たして、養親となってくださる方が、現皇室の中におられるのだろうか。

まさか、上皇上皇后両陛下、天皇皇后両陛下の養子ということはあり得ないと思う。
皇嗣同妃両殿下についても、悠仁親王殿下、佳子内親王殿下がおられるのだから、あり得ないだろう。

候補となり得るのは、常陸宮同妃両殿下だろうか。
しかし、かなり御高齢であり、今更そんなことを望まれるだろうか。

あとは、宮家としては、三笠宮家と高円宮家があるけれども、今の三笠宮家はそれどころではないであろう。
そもそも、いずれの宮家においても男子皇族の当主はおられない。

自民党・麻生太郎最高顧問によれば、女性皇族は、婚姻後も皇族の身分を失わないようにすることとした場合でも、配偶者・子どもは皇族としないという考えなのであろう。
であれば、女王殿下方が養親となって、その養子を皇族とするというのは、筋が通らない。

まさか、妃殿下方は民間出身なのであるから、その単独養子を皇族とするというのも、おかしな話である。

男系男子を重視しておられた寛仁親王殿下が御存命であったならば、もしかしたらという可能性があったかもしれないが、現状では、養親となり得る方はおられないというのが実態なのではないか。

案としては、破綻しているのではないだろうか。
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自民党はダメだね(皇位継承問題)

2025-04-08 23:54:50 | 皇室の話(3)
令和7年4月7日20:50、朝日新聞より配信の「自民・麻生太郎最高顧問 安定した皇位継承「今国会中に法成立を」と題する記事がある。

この問題については、立場を変える発言をしてしまうと、あっと言う間に支持を失ってしまうであろうから、同じことを言い続けるというのも分からなくはないが、もう少し真面目に考えたらどうなのだろう。

----引用開始----
 皇族数の確保は喫緊の課題だ。方策として、まず、皇族に禁じられている養子を行えるようにし、皇統に属する男系男子、いわゆる旧11宮家の子孫の方々に皇族になっていただくことは極めて重要だ。
 (女性皇族が)婚姻後も皇族の身分を失わないようにすることも考えなければならない。ただし、配偶者・子どもは皇族としないことが重要だ。皇統に属する男系の男子を法律により直接皇族にする方策もあるが、自民党として引き続き検討していきたい。
----引用終了----

最初に「皇族数の確保は喫緊の課題だ」と言っているのだけれども、皇族数の確保につき、どういう観点で重視しているのだろうか。

1 皇位継承資格者である皇族の数の確保が重要ということなのか。
2 皇族と家庭を共にするメンバーとしての皇族の数の確保が重要ということなのか。

もし、1と2の両方の観点で重要ということならば、「(女性皇族が)婚姻後も皇族の身分を失わないようにすることも考えなければならない。ただし、配偶者・子どもは皇族としないことが重要だ。」ということには結びつかないはずだ。

近代より前は、皇族としての身分の得喪は必ずしも婚姻によっては生じないようであったが、明治の旧皇室典範以降、夫婦と子供で同じ身分ということになっていたはずである。

女性皇族につき、婚姻後も皇族のままとするのであれば、配偶者と子も皇族としなければ、近代以降の皇族の概念は、いったい何だったか、ということになるのではないか。

また、女性皇族の結婚相手につき、民間の身分のままということで、本当にうまくいくのだろうか。
結婚相手が民間の身分のままであれば、営利活動、政治活動、宗教活動は自由ということになる。
世間的な常識人の範疇であったとしても、これらの自由の行使は皇族の配偶者という立場では問題になることがあるのではないか。
「そんなことは無いはずだ」というのは、そういう立場に立った人間に対し、際限のない自制を求めるということになるのだろうけれど、皇族としての身分の保障なくして個人の自制心に依存するというのは、制度設計としてあまりにお粗末なのではないだろうか。

そもそも、なぜ皇族の数が、ここまで減ることになってしまったのか。
そのことをもっとちゃんと考えて、策を講じる議論をするべきなのではないのか。

筆者としては、やはり、皇族としての人生が、非常に生きづらいものであり、その生きづらさはますます加速しているという問題があると思う。

もちろん、衣・食・住については、とても手厚い。
しかし、プライバシーの確保という点では、悪化の一途である。
特に、未成年の頃から、非常な注目を集めてしまい、あれこれと論じられてしまうという最近の状況は異常である。
皇室の歴史の中でも、極めて異常な状況になっているということは、もっと意識されるべきであり、どうせ皇室に関する法制度の議論をするのであれば、皇室のプライバシー確保のための法的措置につき、検討をして欲しいものである。

このプライバシーの確保の問題には、異性との交際という問題もあり、若い皇族の方々にとって、この問題はとてつもなく大きいのではないだろうか。

世襲、世襲と言いながら、これだけ異性とのお付き合いが難しくなってしまった時代というのは、かつて無かったのではないだろうか。
小さいころから、あまりに注目され過ぎてしまっている。

大人になって、公的な御活動が始まると、それに応じて公的な存在という側面が強くなっていくであろうから、出会いも難しくなっていくであろう。
できれば、成人する前に、自分と自分の人生に相応しい伴侶を見つけられるようにするのがベストだろう。

そのためには、制度上の手当だけでは不十分であり、皇族という特殊な人生に対する世間の意識改革も必要になるであろう。
そういう面においてこそ、政治家としての役割があるのではないのだろうか。
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