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落書き帳(旧「皇居の落書き」)

皇室評論家に騙されるな

竹田恒泰氏の異質と壁

2025-05-29 21:32:39 | 皇室の話(3)
令和7年5月27日13:15、日刊スポーツより配信の「竹田恒泰氏“女系天皇”の問題点指摘「認める人と認めない人に分かれちゃう。象徴なのに…」」と題する記事がある。

以下の記載がある。
-----引用開始-----
 竹田氏はさらに、女系天皇誕生による悪影響も危惧。「もし男系の血筋を引かない者が天皇になった時に、認める人と認めない人に分かれちゃうんですよ。例えば、現在の天皇陛下が『天皇であることをおかしい』なんて言う人はいない。ところが、正統性が危ぶまれると、『オレはこんなの天皇として認めない』という人が一定数出てきちゃう。そうすると憲法第1条に『日本国の象徴、日本国民統合の象徴』って書いてあるのに、何割もの人が『こんなもの天皇じゃない』と言い始めたら、それは問題じゃないか」と提示した。
-----引用終了-----

筆者の感想を述べるとすると、これは竹田氏の素直な本心なのだろうと感じた。

竹田氏においては、男系の血筋を引いているということが、自我の核心部分となっているのだろう。
そして、そのような自我をもとに世界観が展開され、女系天皇誕生による悪影響というものを、本心から心配しているのだろう。

ただ、おそらく多くの人にとって、そのような自我というのは異質なものである。
だから竹田氏の心配は当たらないだろうし、むしろ逆なのではないか。
しかし、竹田氏にはそれは理解できないはずであろうし、そこには壁がある。

異質な自我というものは、ユニークさを生じることとなるので、竹田氏は人柄も良さそうだし、話も文章も上手なので、芸人的な存在としてそこそこ成功しているのだろう。

ただ、その成功と引き換えに、旧宮家の人々のイメージに、一定の色を与えてしまっているのは、皮肉なことだろうか。

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男系男子は男尊女卑であり女性差別であることを直視するべき

2025-05-28 22:03:16 | 皇室の話(3)
令和7年5月28日5:00、朝日新聞のサイトにて、「(社説)皇室制度のあり方 女性・女系 将来の道閉ざさずに」と題する記事が掲載されている。

すごくまっとうな内容だと思う。

こういう記事を読むと、今の全体会議の議論というものが、如何にペテンなものであるかが改めて実感させられる。

以下の記載がある。
-----引用開始-----
天皇が憲法1条にうたわれる「日本国民統合の象徴」である以上、天皇やそれを支える制度に、社会が克服しようとしている男女不平等が投影されるのは適切ではないのではないか。女性・女系天皇の可能性も排除せずに、全体として整合性のある議論を進めることが求められる。同時に、対象となる個人の人権にも十分留意する必要がある。
-----引用終了-----

皇室制度の在り方にかかる議論であるならば、このような観点は、大原則として踏まえなければならない。

皇位継承資格を男系男子に限定するのは、以下の点で、明らかな男尊女卑であり、女性差別である。

1 皇位には、女性は即くことはできない。
2 女性の身分は、配偶者となる男性の身分で上書きされるという従属的なものである。皇族女性は民間男性と結婚すれば民間となり、民間女性は皇族男性と結婚すれば皇族となる。
3 子の身分は結婚相手である男性の身分で決まる。女性の血統は、子に対して無価値。


男系派の中には、民間女性は皇族男性と結婚すれば皇族となれるが、民間男性は結婚で皇族となることはないので、男性排除なのであり、女性差別ではない、といった子供じみた屁理屈を言う者がいたりするが、それは上記2の上書きの話なのであり、女性の身分の従属性ということなのであるから、やはり差別というしかない。

現在、立法府の全体会議の議論において、皇族女性は民間男性と結婚しても皇族の身分を保持するという点で、まとまりかけているようだ。

これは、皇族女性の身分の従属性を改め、独立性を付与するというふうにとらえることもできる。
しかし、配偶者となる男性についてはあくまで民間のままという意見が多いようであり、男性の身分は従属的なものではあってはならないという考えが、根底に強くあるのだろう。

また、子の身分は民間とする意見が多いようであり、上記3は相変らずである。

原理レベルでの、かなり強固な男尊女卑、女性差別が組み込まれているということは、疑いようがない。

何故こうなったかについては、やはり儒教の影響が強いのだろう。

その影響については、非常に分かりやすいサイトがあったので、紹介したい。
性別分業と「男性が上」の考え方が広まったのは明治時代

北海学園大学名誉教授である中村敏子氏の説明なのだが、明治という時代の特殊性がよく分かる。

例えば以下の記載がある。
-----引用開始-----
 このように、中国的な考え方では「男性が父として偉い」。西洋的な考え方では「男性が夫として偉い」。いずれにせよ「男女の間では男が上である」という家父長制の考え方だった。この2つの系統の考え方を、明治政府は受け入れようとしました。復古とは、武家支配の前の律令制(律令を基本法とする古代日本の中央集権的政治制度およびそれに基づく政治体制)に戻ることですから、中国的な制度を取り入れることになります。同時に、新しく西洋的な考え方も取り入れたわけです。それが従来の「家」の上にかぶさりました。
-----引用終了-----

中村敏子氏の説明の中には、財布のヒモについての指摘など、女性の強かさ感じさせる面白い箇所もあるが、根の深い問題であると感じさせられる。

しかし、そろそろ、呪縛が呪縛であると気づいた上で、将来を見据えた議論が必要だと思う。
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まさか、皇室の総とっかえをしたいということなのか(自民党には任せられない)

2025-05-27 21:14:52 | 皇室の話(3)
前回の続きである。

皇族数の減少につき、自民党などが言っているのは、「旧 11 宮家の皇族男子の子孫である男系の男子を養子にする」という案であり、外から持ってくればいいという発想なのだが、男系男子を重視するということであれば、悠仁親王殿下を盛り立て、悠仁親王殿下の男系男子孫による継承の確保を期するための議論をするべきではないのだろうか。

天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議に基づく政府における検討結果の報告を受けた立法府の対応に関する全体会議での議論につき、各党・各会派の意見の要点を記した資料が、衆議院のサイトに掲載されている。

これを見ると、有識者会議報告書では、「今上陛下から秋篠宮皇嗣殿下、次世代の悠仁親王殿下という皇位継承の流れをゆるがせにしてはならない。」とあるのだが、自民党など男系派の意見を見ると、「悠仁親王殿下までの皇位継承の流れをゆるがせにしてはならない。」となっている。

両者は似ているようだが、違いはある。
有識者会議報告書では、ゆるがせにしてはならない流れの範囲として、「悠仁親王殿下までの」とはしていないが、自民党などは「悠仁親王殿下までの」と敢えて記している。

何故、「までの」と言うのであろうか。

悠仁親王殿下までの皇位継承については、現行の男系男子という規定を変えることをしなければ、確保される。
要するに、何もしなくても確保されるのである。

しかし、本当に男系男子による継承を維持したいということであれば、重要となるのは、悠仁親王殿下の次の世代の男系男子の確保ということになるはずである。

そのためには、
・悠仁親王殿下の妃となる方をどのように見つけるか
・妃殿下となる方につき、これまでの代々の皇太子妃の苦境を省みて、どのようにお守りするか
・お世継ぎ誕生のための御生活環境をどのように整えるか
ということも考えるべきではないのか。

すでに悠仁親王殿下は成人となられ、成年式も今年の9月ということなので、これらを考えるのに早すぎるということはないであろう。

これらの問題については、すべてが制度上の問題ではないけれども、制度上の問題として考えなければならないことも多いはずである。

筆者としては、皇室を本当に大事に考えているのであれば、現在の皇室の方々による継承の確保を、まずは最重視するべきではないかと思う。
男系男子に拘るのであれば、悠仁親王殿下を盛り立てるということを、まずは考えるべきではないのか。

それなのに、そのような議論の様子は見られない。
あれやこれやのバッシングに対し、男系派の議員たちは、妙に静かなのである。
それでいて、外から持ってくる案にばかりに声をあげている。

これではまるで、皇室の総とっかえを望んでいるかのようではないか。

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ペテンの議論(自民党には任せられない)

2025-05-27 21:12:09 | 皇室の話(3)
令和7年5月15日の読売新聞社提言に対する様々な反響があるけれども、今の議論の状況全体について、筆者には非常に不満がある。

「皇位継承の問題と切り離して、皇族数の確保を図ることが喫緊の課題」というのは、一見、現実的なようであり、もっともな感じがしなくもない。

ただ、皇族数の確保が課題になっているということは、皇族数の減少という現実があるからこそであるが、その現実の原因についての分析が、そもそもきちんとなされているのであろうか。

原因が何かを考えることなく、対策だけを考えるということに、果たして意味があるのだろうか。

それも、その原因が「皇位継承の問題」と無関係であるならば、切り離して検討してもよいのかもしれないが、関係が大いにあるということであれば、切り離していいということにはならないであろう。

何故、皇族数がこれだけ減少してしまったのか。

様々な原因があるであろうけれども、制度上の原因としては、
・皇位継承資格についての男系男子ルール
・上記ルールを基にした皇族身分の得失
ということになるであろう。

制度以外の原因としては、
・婚姻相手との出会いの難しさ
・晩婚化
・皇室という環境の生きにくさ
といったことがあるのではないか。

何が原因なのかということを突き詰めることなく、対策だけを論じることに意味があるとは思えない。
まして、主な原因を議論の対象から切り離し、対策だけを論じるというのは、ペテンというしかないだろう。

そして、その対策というのも、自民党などが言っているのは、これまた酷い。
「旧 11 宮家の皇族男子の子孫である男系の男子を養子にする」という案だが、足りなくなったら外から持ってくればいい、という発想である。

この発想というのは、まるで、少子化で労働者が減少するのであれば、外国人を呼んで働いてもらえばいいという発想と類似したものを感じてしまう。

外から持ってくればいいというのでは、根本的な解決から、ますます遠ざかってしまう。
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愛子天皇を阻む敵は神道政治連盟系自民党

2025-05-23 21:17:08 | 皇室の話(3)
令和7年5月21日19:31、産経新聞より配信の「自民懇談会「男系の皇位継承」の方針堅持を再確認 読売提言で「結束強まった」との見方も」と題する記事がある。

「読売提言で「結束強まった」との見方も」というのは、読売新聞社提言に対する嫌みが込められているのであろうか。

冒頭に以下の記載がある。
-----引用開始-----
皇室の課題を巡る与野党協議が大詰めを迎える中、自民党は21日、「安定的な皇位継承の確保に関する懇談会」(会長・麻生太郎最高顧問)の会合を開き、伝統的な男系継承を堅持する方針を再確認した。読売新聞は15日付朝刊で前例のない「女系天皇」の可能性も排除しない提言を打ち出したが、自民ベテラン議員は会合後「われわれは揺るがない」と述べた。
-----引用終了-----

だから、結局は、皇位継承の在り方につき、男系継承に拘るかどうかというところが、問題の本質ということなのだろう。

それにもかかわらず、「皇 位 継 承 の 問 題 と は 切 り 離 し た 上 で」ということを建前にし、皇位継承の問題に向き合うことを避け、実のところは男系継承を前提〔ゆるがせにしてはならない〕にした施策を強引に進めようとしているのは、国民に対する騙しであり、ペテンである。

議論の取りまとめが進まない原因は、立憲民主党のせいなのではなく、このペテンにこそあるのではないか。


それにしても、今回の読売新聞社提言により、自民党が男系継承ということで「結束強まった」ということが明確になったということは、今後の選挙に向けた参考情報として重要である。


ゴー宣道場の大須賀淳氏という情熱のある方のブログの記事
【自民党「公約書」への疑惑】再掲&加筆:15名中14名が「神道政治連盟国会議員懇談会」
を読んで知ったのだが、森暢平氏のXの投稿にて、神道政治連盟という団体の「公約書」というものがあることが明かされている。

森暢平氏のXの投稿では「公約書」の一部の写真となっているが、「『女系天皇』につながる『女性宮家』創設には反対します」ということが含まれているとのことだ。

筆者は、選挙における候補者の考えを知る手がかりとして、毎日新聞のアンケートに注目したことがあるのだが、それよりもこちらの方がはるかに確実と言えるだろう。

毎日新聞のアンケートでは、「皇族の女性が天皇になることに賛成ですか、反対ですか。」という問いがあったのだが、「無回答」、「非該当」の例も多い。また、そもそも単なるアンケートなので、その後の行動を縛るようなものとはなっていないのである。

それに対し、支援団体に対する「公約書」であれば、簡単には裏切れないものとなるであろう。

したがって、神道政治連盟との関係の有無ということで見ていけば、強固な男系派は誰か、仮に表面上は当たり障りのない姿勢を示していても結局は男系派となるのは誰か、といったことが高い精度で明らかになるであろう。

神道政治連盟のHPの中に神道政治連盟国会議員懇談会のメンバーを都道府県、比例ごとに紹介しているページがある。

「令和6年11月1日現在、213名の衆参国会議員が参加」とのことだ。
これを見て、やっぱり男系継承こそが大事であると思う人は、このメンバーに投票すればいい。
愛子天皇の実現を望む人は、少なくとのこのメンバーへの投票を避けるということが、その着実な第一歩となる。


それにしても、石破茂、岸田文雄、菅義偉も含まれている。
現総理、前総理、前々総理がメンバーというのは、なかなかしんどい話だ。

額賀福志郎、関口昌一も含まれている。
衆議院議長、参議院議長がメンバーというのでは、勝ち目がない感じもしてくる。

国民の多くがいくら愛子天皇の実現を望もうとも、神道政治連盟のメンバーを何とかしないことには、実現はしない。
これだけは確かだ。

着実な一歩こそが大事となる。


それにしても、皇位継承の議論に絡んでくる保守派の背後には、どうしてもこうも宗教団体が存在しているのだろうか。

読売新聞社提言への反響の一つとして、令和7年5月20日10時17分付け「安定的皇位継承で女性・女系天皇論を提言、もはや保守と呼べぬ読売」と題する世界日報の記事がある。

各紙の議論についてかなり遡り丁寧に拾ってあり、男系派としてかなり優秀な記事であると言えるのではないか。
今時のお粗末な男系派の議論を見ていると、思想的には世界日報の方が上位に存在しているかのような印象もある。
情けない話だ。

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八木秀次氏は秋篠宮家を大事にしていない

2025-05-22 02:15:08 | 皇室の話(3)
令和7年5月21日11:55、デイリー新潮より「「小室夫妻のお子さんが天皇になる可能性が…」 読売新聞の「女系天皇“容認”論」に保守派が猛反発の理由」と題する記事がある。

この中で、八木秀次氏の以下のコメントが記載されている。
-----引用開始-----
「提言には事実誤認や論理矛盾が見られます。例えば社説には『与野党協議では、女性宮家の創設について各党の意見が概ね一致している』とありますが、全くの間違いです。話し合われているのはあくまで女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持する案に過ぎません」

 旧宮家の男系男子の皇族復帰案についても、

「社説では、長らく一般人として暮らしてきたことから『国民の理解が得られるのだろうか』としています。その一方、女性皇族の配偶者となる男性も一般人であるはずなのに、こちらは夫・子も皇族にとうたっている。そもそも旧宮家の男系男子の方が、よほど皇族としての正当性があるはずです」
-----引用終了-----
(上記中、「 」内が八木秀次氏のコメント)

「提言には事実誤認や論理矛盾が見られます。」とし、その例として「例えば社説には『与野党協議では、女性宮家の創設について各党の意見が概ね一致している』とありますが、全くの間違いです。話し合われているのはあくまで女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持する案に過ぎません」と述べている。

そこで、読売の社説の該当箇所を引用すると以下のとおりである。
-----引用開始-----
衆参両院議長の下で行われている与野党協議では、女性宮家の創設について各党の意見が概ね一致している。一方、女性皇族の夫と子を皇族とするかどうかを巡って意見が割れている。
-----引用終了-----
(下線部分は八木秀次氏が引用している箇所)

たしかに、概ねの一致は女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持するというところまでで、女性宮家の創設ということとイコールではないであろう。

ただ、社説では、「一方、女性皇族の夫と子を皇族とするかどうかを巡って意見が割れている。」ということも示しており、争点は争点として明記している。
この時の読売新聞社の提言を見ると、1面の記事では以下のような記載になっている。
-----引用開始-----
「与野党の協議では主に、①女性皇族の身分を結婚後も保持する ②旧宮家の男系男子を養子として皇室に迎える――の2案が議論され、夏の参院選前の取りまとめを目指している。
 このうち、①については各党・各会派がおおむね賛同しているが、女性皇族の夫と子に皇族の身分を付与するかどうかで意見が対立し、議論は現段階で行き詰まっている。
-----引用終了-----

ここでは正確な記載となっているが、どうも上記社説の箇所、提言の他の箇所などを見ると、女性皇族が結婚後も皇族としての身分を保持する場合につき、それを女性宮家創設ととらえているかのような節はある。

そのような記載については不正確ということにはなるであろうけれども、事実誤認とか論理矛盾ということになるのであろうか。

また、八木秀次氏は「社説では、長らく一般人として暮らしてきたことから『国民の理解が得られるのだろうか』としています。その一方、女性皇族の配偶者となる男性も一般人であるはずなのに、こちらは夫・子も皇族にとうたっている。そもそも旧宮家の男系男子の方が、よほど皇族としての正当性があるはずです」というが、皇族が自ら選んだ配偶者と子を皇族にするという話と、旧宮家の男系男子ということで選定した者を養子にして皇族にするということでは、全く別の話なのではないだろうか。

そのような全く別の話につき、「国民の理解が得られるだろうか」という捉え方と「皇族としての正当性があるはず」という捉え方というのは、価値観の違いといった話なのであって、事実誤認とか論理矛盾ということにはならないのではないか。

これらを事実誤認、論理矛盾として語るというのは、それこそ論理破綻なのではないだろうか。


さて、八木秀次氏は、さらに以下のように述べる。
-----引用開始-----
「私は21年のヒアリングで『女系継承では眞子内親王殿下(当時)のお相手との間に生まれたお子さまが天皇になる可能性もある』と述べました。女性宮家や女系天皇の議論は、小室圭さんのような人が皇族になる、あるいはそのお子さんが天皇になることを国民が認めるのかと考えれば、是非は明らかだと思います」(八木教授)
-----引用終了-----

ここで小室圭さんのことを持ち出すのはおかしいであろう。
眞子内親王殿下と小室圭氏の結婚は、眞子内親王殿下が皇籍離脱して共に民間人となることを前提として行われたものである。

「小室圭さんのような人が皇族になる、あるいはそのお子さんが天皇になる」という言い方は、どのような前提を失念(おそらく意図的に)したものであり、それこそ事実誤認の捉え方なのではないか。

また、小室圭氏について、何か悪い例として持ち出しているようであるけれども、同氏が何か悪いことをしたというのであろうか。400万円のトラブルというのは母親とその知人との間のものである。対世間の言動として、もう少しうまくやればと思えなくもないところはあったが、一人息子として母親をかばう側に立つというのは自然なことだろう。
そもそも、小室氏は私人であるというのに、大変なバッシングの中、よく耐え、眞子内親王殿下の幸せな生活の実現に至ったのであるから、十分立派なのではないだろうか。

それにしても、筆者として理解できないのは、八木秀次氏は男系派のはずであるけれども、何故に秋篠宮家を大事にしようとしないのであろうか。

男系派からすれば、秋篠宮家こそは最も大事にするべき存在なのではないのか。
皇嗣同妃両殿下が小室圭氏にどのような感情を抱いているかは筆者には分からないが、娘である小室眞子様のことは愛しておられるはずであるし、そうであれば小室眞子様の結婚について、悪い例であるかのように第三者に言われるのは心外であろう。
佳子内親王殿下、悠仁親王殿下におかれても、姉である小室眞子様のことは愛しておられるはずであるし、同様に心外であろう。

もうしばらくすれば、悠仁親王殿下の成年式が行われることとなる。
仮に筆者が男系派であれば、悠仁親王殿下の成年式を、悠仁親王殿下にとって幸せに満ちたものとするべく、小室眞子様の円滑な帰国が可能となるような主張を展開する。
帰国がかなわないとなれば、それはどこか悲しい影となって、悠仁親王殿下の心にも残ってしまうかもしれない。

男系派ではない筆者としてもこのように思うというのに、男系派である八木秀次氏は秋篠宮家を守ったり、秋篠宮家の人たちが人生に前向きになろうと思うような議論をせず、傷つけるような失礼な言動を展開するというのは、おかしな話である。


だから思うのだけれども、旧宮家の男系男子の方々も、気を付けた方がいい。
今は、男系派によって持ち上げられている状況かもしれないが、いざとなったら、彼らは助けようとしないかもしれない。
この仕打ちの状況を、よく見ておいた方がいい。
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側室制度、一夫多妻制のえぐさ

2025-05-19 22:08:18 | 皇室の話(3)
令和7年5月19日7:37、日刊スポーツより配信の「「女系天皇などありえない」自民“コバホーク”が一言 読売の提言記事に政治家の反応相次ぐ」と題する記事がある。



何がコバホークだ、コノヤロウ!



と思ってしまった。

「女系天皇などありえない」という一言も、男系派の支持者に向けては十分なアピールになるのだろう。
仮に「あり得る」とか「あり得るかもしれない」などと発言しようものなら、たちまち既存の支持を失ってしまうであろうから、仕方がないのかもしれない。

よって、この議論、男系派の政治家は、この先何を言っても、その主張を変えるということはないであろう。
コバホークの反応で、このことだけはよく分かった。


さて、筆者としても、長い伝統は守るべきという基本的な発想というものはある。
なので、
・皇室の歴史は長い。
・その中には、長く続いてきた伝統がある。
・そのような伝統は、現在の価値観で簡単に変えてはいけない。
と言われれば、基本的には同意する。

多くの人も同じ思いだろうとは思うが、このように同意できるというのも、その伝統というものが無理なく続けられるものであるということを、無意識のうちに前提にしてしまっているのではないだろうか。

このことがポイントだろう。

大正天皇のときから側室はなくなり、戦後の皇室典範では一夫一婦制となったが、このような中では、お世継ぎを生むことのプレッシャーは皇太子妃に集中してしまう。
皇后陛下、上皇后陛下、香淳皇后の辛い状況については、既に広く知られていると思っていたのだが、改めて思い返してみる必要があるのではないか。
必ず男子を産まなければならないというのは、あまりに過酷である。


また、男系派の者たちは、筆者としてはとても不思議なのが、悠仁親王殿下の人生を充実させようといった議論よりも、旧11宮家の子孫の養子案の方にばかり夢中なようである。

しかし、旧11宮家の子孫の養子案は、男系継承を守るという点で、そんなに有効な方策なのであろうか。

そもそも旧11宮家とは何なのかであるが、平成17年11月24日付け皇室典範に関する有識者会議報告書の43ページを見ると、以下のように記載されている。



これによると、昭和22年10月に皇籍離脱した旧11宮家の方々は伏見宮16世の邦家親王を共通の祖としていることが分かる。

さて、以前このブログでも書いた記憶があるが、この邦家親王の子作りというのは、驚くべきものである。

なんと、邦家親王には10人の妻(妃1人、女房9人)がいて、生涯にわたって子作りに励み、32人の子(男子17人、女子15人)を儲けていたのである。

男系男子ということで男子に着目すると、最初の男子は、邦家親王が13歳の時(厳密には親王宣下前)で晃親王。
最後の17人目の男子は、邦家親王が64歳の時で依仁親王。
邦家親王は69歳で薨去しているので、まさに、生涯にわたっての子作りと言える。

側室制度、一夫多妻制というのは、当時は認められていたものだし、現在の感覚で評価するべきものではないということを前提にしても、

正直、えぐい
いくらなんでも、やりすぎだろう
まさかここまでとは


そして、このように、かつて、側室制度、一夫多妻制を極限まで活用した人がいたからこそ、昭和22年10月の離脱時点で旧11宮家ともなったわけであるが、今後、こんなことはもう不可能であるというのは誰の目から見ても明らかであろう。
(邦家親王と旧11宮家との関係について補足すると、邦家親王が21歳の時の4番目の男子に朝彦親王という方がおられ、この方が賀陽宮、久邇宮、梨本宮、朝香宮、東久邇宮の共通の祖となっている。)

旧11宮家の子孫といっても、一夫一婦制の下では、こんな風に増えるということは今後あり得ず、男系男子にこだわれば継承資格者は必ず減少していくのである。

であれば、旧11宮家の子孫の養子案というのは、時間稼ぎぐらいの意味しかなく、有効な方策であるとはとても思えない。
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自民党系保守は逆賊なのではないか

2025-05-17 21:36:11 | 皇室の話(3)
令和7年5月15日の読売新聞の記事については、いろいろな反響があったようであるが、男系派議員の反応というのは、ここまで劣化しているのかと、寒々しい気持ちになるものが多い。

令和7年5月16日7:00、産経新聞より配信の「「読売がこのような記事載せるとは」自民・松本尚氏が同紙提言に苦言「男系維持が最優先」」と題する記事がある。

自民・松本尚氏の発言として、以下の記載がある。
-----引用開始-----
「読売新聞がこのような記事と社説を載せるとは驚きました」
-----引用終了-----

この程度の発言であれば、単なる感想ということで、特に圧力というようなものではないのかもしれない。
しかし、「読売新聞がこのような」という言い方は、読売新聞であればある一定の論調の記事を載せるべきといった先入観があるということを意味しているであろう。

そういう論調に関する先入観というものは、思想のパッケージ化に繋がるものと言えるのではないか。

5月4日の志桜里応援DOJOにて、山尾志桜里さんが、このパッケージの問題を話していた記憶があるが、これはかなり深刻な問題だ。

これは、筆者としても、メディア、ネット空間の言論として、20年前よりずっと感じてきたことではある。

保守であればこの問題はこのように論じるべき、あの問題はあのように論じるべきといった、いつの間にやら形成さら基準のようなものがあって、それが手応えのある存在となっているのである。
まるで、論じる個々の人間を包摂する、保守という名の複合生命体が存在しているかのようである。

そういった複合生命体的な思想のパッケージ化というものが、政治家の世界でもあるということなのであろうか。

政治家の世界においては、裏金問題のように不正利益の構造化という病理があるとすると、これは劣化思想の構造化という病理であると言え、裏金問題よりも遥かに深刻な問題と言えるであろう。

さて、話を戻すと、 自民・松本尚氏の発言として、以下の記載がある。
-----引用開始-----
「まずは天皇の男系男子の維持が最優先事項です。その基本が分かっていません」
-----引用終了-----

自民・松本尚氏は、どのような根拠をもって、「男系男子の維持が最優先事項です」と考えているのであろうか。
「その基本が分かっていません」と認識したのであれば、その基本が分かるように説明を尽くすのが議員の仕事であると思うのだが、それはないのである。

これまでの皇位継承が男系という形をとっているということは、読売新聞にしたところで百も承知の話である。

20年前、小泉政権時の女性・女系天皇の議論の際には、男系継承ということは世の中に十分に知られていなかったであろうし、当時であれば、まずは男系継承を尊重するべきではないかという発想になることは筆者にも理解できる。

しかし、男系継承にこだわるということは、日本国、皇室、国民一般に、いったいどのような幸福をもたらすというのであろうか。

男系男子にこだわれば、皇室の方々、特に妃のお立場の方には、男子を産まないといけないという強度のプレッシャーがかかる。
生まれたのが女性(内親王、女王)であれば、その女性は自分自身の存在価値を見出しにくいことになる可能性が高い。

また、男系継承というのは、明らかな男系優位思想である。
それがもたらす日本国のイメージ,国民一般の人生観への影響を無視できないであろう。

このようなマイナス面を上回るような価値が男系継承にあるのであろうか。
いいかげん、昔からそうだったということ以上の説明を、そろそろするべきなのではないのだろうか。

また、以下の記載がある。
-----引用開始-----
松本氏は「旧皇族の男系男子の養子案を進めるべきだし、女性皇族の夫子は皇族にしてはいけないでしょう」と指摘。
-----引用終了-----

だから、なぜ「いけない」ということになるのか。
その説明なしくて、そもそも「指摘」と言えるのだろうか。

産経新聞という場においては、説明を要しない「指摘」なのであろうけれども、それでは議論にも何にもなりはしない。
議論を本分としているはずの国会議員として、これではあまりにも情けない。
恐るべき劣化思想の構造化である。

自民・松本尚氏の発言として、以下の記載がある。
-----引用開始-----
「皇族の公務が多ければ公務数を削ればいいだけのこと。天皇陛下は祭祀(さいし)の長であって、皇族方はこれを支えるのがお仕事です。それが国家、皇室の大原則」
-----引用終了-----

「皇族の公務が多ければ公務数を削ればいいだけのこと。」というのは、よくも言いやがったなという感じである。

平成の御代の天皇皇后両陛下、令和の御代の天皇皇后両陛下。
日本国、日本国民のために、どのように務めを果たすべきかにつき、日々追及して実践してこられたことは、誰もが認識していると思うのであるけれども、「公務数を削ればいいだけのこと」という言い方は、あまりに不敬であり、もはや逆賊というべきなのではないだろうか。

こんな人間が産経新聞「正論」の執筆メンバーとのことだが、この不敬、逆賊ぶりを見逃している産経新聞も、狂っているのではないのだろうか。

また、「公務数を削ればいいだけのこと。」というが、具体的にどの御公務を削ればよいのだろう。
削る対象となる御公務を示すことなく「公務数を削ればいい」というのは、あまりに無責任である。

筆者としても、天皇陛下の御公務の中で、時代的に役割を終えたものはあるとは思っている。
その一つに植樹祭がある。
昭和25年、戦後荒廃した国土の復興をめざして始まったものであるけれども、すでに当初の目的は終えていると言えるかもしれない。
植樹祭の大会会長は衆議院議長が務めているが、例えば、植樹祭へのお出ましについては役目を終えているので削ってもよいのではないかといった提言であれば、提言としての意味があると言える。

ただ、自民・松本尚氏の発言には、そういった中身がない。
しんどい検討、辛い検討を経た中身なくして、実にお手軽に「公務数を削ればいい」と述べる。
これが今時の保守なのか。
情けない。

また、「天皇陛下は祭祀(さいし)の長であって、皇族方はこれを支えるのがお仕事です。」とある。
保守の人たちは、しばしば天皇陛下は祭祀の長と言うが、どれだけ意味が分かっているのだろうか。

皇室の祭祀とは、国の平和、国民の安寧を祈るものである。
そして、この祈りの実践は、天皇皇后両陛下の御公務として具体化するのである。
このことが分かっているのだろうか。

自民・松本尚氏は、「公務数を削ればいい」というが、祭祀の重視と「公務数を削ればいい」ということは逆のベクトルとなっているのである。
まさか、所作だけの祈りをしていればいいという発想なのであろうか。

また、天皇陛下は祭祀の対象は、皇室の先祖であり、その先祖の始まりは天照大御神である。
そして、天照大御神は女性神なのであるから、歴代天皇から見て天照大御神との繋がりは女系ということが一番最初に来るのである。

天皇陛下は祭祀の長という言い方は、保守、男系派にしばしば見られるが、祖先神が天照大御神という女性神であることについて、どのように考えているのだろうか。

また、自民・松本尚氏は、「それが国家、皇室の大原則」と結んでいる。
国会議員であれば、国家の原則ということを述べることはあり得るとしても、「皇室の大原則」と述べるというのは、どのような権威の裏付けがあっての発言なのであろうか。

あまりに増長しているのではないだろうか。
そもそもこの議論は、天皇の退位等に関する皇室典範特例法にかかる附帯決議から始まっているものであるが、同法の第一条は以下のとおりである。

第一条 この法律は、天皇陛下が、昭和六十四年一月七日の御即位以来二十八年を超える長期にわたり、国事行為のほか、全国各地への御訪問、被災地のお見舞いをはじめとする象徴としての公的な御活動に精励してこられた中、八十三歳と御高齢になられ、今後これらの御活動を天皇として自ら続けられることが困難となることを深く案じておられること、これに対し、国民は、御高齢に至るまでこれらの御活動に精励されている天皇陛下を深く敬愛し、この天皇陛下のお気持ちを理解し、これに共感していること、さらに、皇嗣である皇太子殿下は、五十七歳となられ、これまで国事行為の臨時代行等の御公務に長期にわたり精勤されておられることという現下の状況に鑑み、皇室典範(昭和二十二年法律第三号)第四条の規定の特例として、天皇陛下の退位及び皇嗣の即位を実現するとともに、天皇陛下の退位後の地位その他の退位に伴い必要となる事項を定めるものとする。

自民・松本尚氏の一連の発言は、同条にいう天皇陛下のお気持ち、国民の敬愛ということを全く認識していないものなのではないのだろうか。

自民党系保守の劣化は酷い。
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皇室制度は国民投票で決めようよ

2025-05-17 00:51:11 | 皇室の話(3)
「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議に基づく政府における検討結果の報告を受けた立法府の対応に関する全体会議」について衆議院のサイトで議事録等が公開されている。

最新の情報は令和7年4月17日の会議のようであり、その議事録を見てみると、共産党の意見が一番まっとうなものに思われた。

少し長いが引用すると以下のとおりである。
-----引用開始-----
○ 参 議 院 議 員 ( 小 池 晃 君 )
 こ の 皇 統 に 属 す る 男 系 男 子 を 養 子 に 迎 え る と い う こ と に つ い て は 、 私 ど も は 重 大 な 問 題 が あ る と い う ふ う に 考 え て お り ま す の で 、 意 見 を 述 べ さ せ て い た だ き た い と 思 い ま す 。
 こ れ 、 そ も そ も 二 〇 〇 五 年 の 有 識 者 会 議 の 報 告 書 で 、 こ れ は 採 用 さ れ な い と 、 採 用 で き な い と 、 国 民 の 理 解 と 支 持 、 安 定 性 、 伝 統 の い ず れ の 視 点 か ら 見 て も 問 題 点 が あ る と い う ふ う に 指 摘 を さ れ て お り ま す 。
 そ の 際 、 具 体 的 に 有 識 者 会 議 で 様 々 指 摘 を さ れ て い る 問 題 、 今 日 の 論 点 と も 関 わ る と 思 い ま す が、や は り そ の 十 一 宮 家 と い い ま す が 、 六 百 年 前 の 室 町 時 代 ま で 遡 る 遠 い 血 筋 で あ る と い う こ と 、 そ れ か ら 、 皇 籍 へ の 復 帰 、 編 入 の 場 合 は 当 事 者 の 意 思 を 尊 重 す る 必 要 が あ る た め 、 こ の 方 策 に よ っ て 実 際 に 皇 位 継 承 資 格 者 の 存 在 が 確 保 さ れ る の か 、 ま た 、 確 保 さ れ る と し て そ れ が 何 人 程 度 に な る の か と い っ た 問 題 は 個 々 の 当 事 者 の 意 思 に 依 存 す る こ と に な る と い う こ と も 指 摘 を さ れ て い ま す 。
 そ も そ も 、 男 系 男 子 の 継 承 の た め の 努 力 、 す な わ ち 男 の 子 を 産 む と い う こ と を ひ た す ら 強 制 さ れ る と い う よ う な こ と を 選 択 す る の で あ ろ う か と 、 そ う い っ た こ と が あ っ て い い の だ ろ う か と 。 そ れ か ら 、 一 旦 皇 族 の 身 分 を 離 れ た 者 が 再 度 皇 族 と な る と い う よ う な こ と は 極 め て 歴 史 上 も 異 例 な こ と で あ る 等 々 、 指 摘 を さ れ て い ま す 。
と こ ろ が 、 こ う し た 論 点 が 二 〇 〇 五 年 の 有 識 者 会 議 で 確 認 さ れ て い る 、 報 告 さ れ て い る に も か か わ ら ず 、 今 回 、 全 く こ れ が 棚 上 げ さ れ て 提 案 さ れ て い る と い う こ と 。
 こ の 問 題 、 前 回 、 橘 衆 議 院 法 制 局 長 も 紹 介 さ れ ま し た が 、 こ の 四 年 前 の 有 識 者 会 議 で 意 見 を 述 べ た 憲 法 学 者 、 憲 法 上 の 疑 義 が あ る と い う 見 解 も 示 さ れ て い ま す 。
 東 京 大 学 の 宍 戸 常 寿 教 授 、 内 親 王 、 女 王 と の 婚 姻 を 通 じ た 皇 族 と の 身 分 関 係 の 設 定 に よ ら ず 、 一 般 国 民 で あ る 男 系 男 子 を 皇 族 と す る 制 度 を 設 け る と い う こ と は 、 門 地 に よ る 差 別 と し て 憲 法 上 疑 義 が あ る 。 京 都 大 学 の 大 石 眞 名 誉 教 授 も 、 養 子 縁 組 で あ る が 、 い ろ ん な 理 由 、 例 え ば 宗 系 の 紊 乱 を 招 く と い う こ と が あ る か ら や は り 避 け た 方 が い いんだ ろ う な と 。 こ う し た 意 見 が あ る わ け で あ り ま す 。
 と こ ろ が 、 前 回 の こ の 全 体 会 議 で 内 閣 法 制 局 の 佐 藤 第 一 部 長 は 、 養 子 縁 組 に よ り 皇 族 と す る 方 を 男 系 男 子 に 限 る と し て も 、 憲 法 十 四 条 第 一 項 に 抵 触 す る と い う 問 題 は 生 じ な い と 述 べ ら れ て お り ま す 。 し か し 、 憲 法 第 二 条 の 定 め る 世 襲 は 女 性 を 排 除 す る も の で は な い と い う の が 従 来 か ら の 政 府 見 解 だ と 思 い ま す 。
 こ れ は 、 憲 法 制 定 議 会 に お い て も 、 当 時 の 金 森 徳 次 郎 国 務 大 臣 が 、 憲 法 二 条 に つ い て 、 な ぜ 皇 男 子 孫 を 省 い た の か と い う 質 問 に 対 し て 、 根 本 的 な 支 障 が な い 限 り 男 女 の 差 別 を 置 か な い と い う の が 憲 法 の 考 え 方 だ と し て 、 二 条 に つ い て も 男 女 の 区 別 に つ き ま し て は 法 律 問 題 と し て 自 由 に 考 え て よ い と い う 立 場 で あ る と 答 弁 を さ れ て い ま す 。
 こ の 二 条 の 成 り 立 ち や 解 釈 を 無 視 を し て 男 系 男 子 限 定 が 憲 法 上 問 題 な い と い う の は 、 私 は 、 内 閣 法 制 局 の 前 回 の 発 言 い か が な も の か と い う ふ う に 言 わ ざ る を 得 ま せ ん 。
結 論 と し て 言 う と 、 政 府 報 告 書 を 前 提 と し て 議 論 す る の で は な く て 、 や は り 国 会 と し て 、 こ う い う 問 題 点 を 指 摘 し た 憲 法 学 者 な ど 、 有 識 者 、 国 民 の 意 見 を 直 接 聞 く こ と が 必 要 だ と 思 い ま す 。 そ れ が 国 会 と し て 日 本 国 民 の 総 意 に 基 づ く 天 皇 の 制 度 の 在 り 方 を 議 論 す る 上 で 不 可 欠 だ と い う ふ う に 思 い ま す 。
 男 系 男 子 継 承 と い う の を 不 動 の 原 則 に す る と い う こ と は 、 こ れ は 憲 法 の 精 神 に 反 す る も の で あ り 、 女 性 天 皇 を 支 持 す る 世 論 が 多 数 あ る 下 で 、 国 民 の 総 意 に も 反 す る こ と に な る と 思 い ま す 。
 改 め て 、 男 系 男 子 に よ る 継 承 を 不 動 の 原 則 と し た ま ま 議 論 す る の で は な く て 、 日 本 国 憲 法 の 条 項 と そ の 精 神 に 照 ら し て 合 理 性 を 持 つ 女 性 天 皇 に つ い て 正 面 か ら 検 討 す べ き だ と い う こ と を 申 し 上 げ て お き た い と 思 い ま す 。
 以 上 で す 。
-----引用終了-----

筆者からすれば、共産党は敵側勢力ということにはなるのだが、まさか共産党の見解が一番まともと感じる日が来るとは思わなかった。

仮に「現在の皇室制度に関する今の検討状況につき、憲法上の論点について述べよ」といった問題が出題されたとして、その模範解答というのはいくつかのパターンがあり得るとしても、上記共産党の主張内容というのはオーソドックスな模範解答の一つになるのではないだろうか。
おそらく、多くの法曹関係者にとってもそうであろうし、一般の国民にとってもそうであろうと思う。

全体会議の議論状況につき、いつまでも平行線ではいけないという意見もあるようだが、それであればこの際、国民投票に付するということで合意するというのはいかがであろうか。

この議論というのは「皇位継承の問題とは切り離して」ということを打ち出してはいるが、結局は、皇位継承資格につき、男系男子という原則にどこまでこだわるべきかという問題がついて回っているではないか。

そして、皇位については、憲法第1条において、「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と定められているのである。
この条項を持ち出すと、同条の「日本国民」とは観念的統一体としての国民であり現在の国民(有権者)のことではないといった指摘をする者もいるであろうけれども、全体会議の面々、正副議長のとりまとめといったことよりも、「日本国民の総意」により近いというのは間違いのないことであろう。

議論をつくして、平行線となれば、選択肢とそれらに関する論点を明らかにした上で、国民投票に付するというのが、憲法第1条にかなうのではないか。

また、この議論では旧11宮家の男系男子からの養子案が取り上げられているが、これについては憲法第14条との関係は、やはり問題になるであろう。

憲法の中には、確かに第2条で「皇位は、世襲のもの」と定められており、この規定との関係で第14条の例外もある程度は仕方ないとしても、従来は、国民と皇室の間における例外、皇室の内部における例外として認められてきたものであり、国民の中における例外(旧11宮家の男系男子である国民とそれ以外の国民との差別)については新しい問題のはずである。
この新しい問題を受け入れるか否かについては、屁理屈で正当化するのではなく、国民の総意を諮るというのが、もっとも納得を得やすい方法論なのではないか。

国民投票については、既に「日本国憲法の改正手続に関する法律」が制定されているのだから、これを援用する立法措置を行えば、できなくはないであろう。
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読売新聞がすごい

2025-05-15 21:04:11 | 皇室の話(3)
令和7年5月15日、読売新聞にて、皇位継承の議論に関する記事が大々的に掲載。
ネット上でも、以下の記事を見ることができる。



できれば紙面で読んだ方がいいと思う。
本質的な問題提起が多角的になされている。
言論はまだ生きていたんだなと実感した。



こちらは夕刊の内容のようだ
政治家のコメントはあまり信用できるものではないが、朝刊記事の反響を夕刊に載せるというのは珍しいように思う。
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