皇居の落書き

乱臣賊子の戯言

女性天皇の議論について、一つの視点

2005-03-13 00:59:39 | 皇室の話
前回、平成17年3月10日付けにおいて、女性天皇の議論に関する筆者の悩みを述べたところであるが、それと関連して、この議論については、意識されるべき、一つの視点があるようだ。
皇位継承の在り方については、パターンとしては、限られてくる。
そして限られるパターンについて、それぞれ支持する立場があり、両者の溝は埋まる気配がない。
そうなってくると、多くの日本人が納得できるような解決に至るためには、どのパターンが合理的であるかという探求よりも、むしろ、どのような過程を経て結果としてのパターンに到達するか、ということの方が重要であるように思われるのである。
つまり、皇位継承の在り方について検討する、判断するという、その過程に対する信頼、納得ということである。
このことを改めて考えてみると、これはなかなか深刻な問題である。
皇位継承の在り方については、かつて、公の事項であると同時に、皇室内部の事項でもあった。
旧皇室典範も、いわば皇室の家内法であり、議会が関与する筋合いのものではなかったのである。
仮に、現在も、このように、家内法として、皇室として定める法であったならば、事情はだいぶ異なっていたのではないだろうか。
あくまでも男系を維持するために、旧宮家復活・養子案を採用するにしても、それが、皇室の主体的な意思決定として決まるのであれば、筆者のような者としても、そこに割り切れなさを感じることは、ないかもしれない。
前回述べた筆者の割り切れなさというのは、皇室の関与できない法律改正により、現在の皇室と別な方をお迎えするということが、どこか現在の皇室をないがしろにしてしまうように思われるところから生じるものであるのだが、当事者たる皇室のイニシアティブの下で行われるのであれば、そのようなことはないからである。
また、女系を導入することとしても、納得度が違うのではないだろうか。
皇位継承が男系で続いてきたということは歴史的な事実ではあるが、男系でなければならないということが明確なる規範として確立していたかというと、そうではないのだ。であるから、女系の導入に対して不安な声が沸き起こったとしても、仮に、当事者たる皇室の側より、皇位継承の在り方について、男系ということは絶対のルールではないのだということが示されれば、それで納得してしまうしかなく、また、納得できるのではないか。
男系論者の主張として、例えば小堀桂一郎氏の論を読んでみても、皇位継承の在り方が、現行の皇室典範として、すなわち一法律として、国民の手に委ねられているが故の主張であるように、そのような要素がかなり多いように、筆者には感じられるところがある。
皇位継承の在り方については、本来、皇室内部の話であり、そこに込められた原理がどういうものかなど、所詮、国民の側には分からない。そして、分からないながら、皇位継承の在り方を大切にしようとすれば、それはもう、今までの在り方を何より大事にせざるを得なくなるはずだ。
日本の歴史、文化の伝統を、相対化し、破壊しようとする勢力との戦いという立場からは、なおさらであろう。
ただ、皇室のイニシアティブの下で女系が導入されるのであれば、それは、そのような勢力によって皇位継承の在り方が踏みにじられるということではないので、完全に納得できないにしても、女系に対する警戒心というものは、だいぶ薄らぐのではないか。
さて、このように考えてみると、結局、日本人というものは、西洋式の民主主義には、なじまないのだなということを痛感する。
国の政治が国民の幸福を目指すべきであることは、誰もが異論のないところであろうが、何でも自分たちの意思で決めるということには、消極的でもあり苦手であるようである。むしろ、好ましくないという意識があるのかもしれない。
今の有識者会議に対する国民の印象、素人であるとか、浅はかであるとか、そのような印象というのは、民主主義の限界というものに対する日本人の正直な感想であるのかもしれない。そのようにも感じられる。
それでは結局どうすればいいのかということであるが、それは、皇室典範を、かつてのように皇室の家内法に戻すことである。
有識者会議も、内閣総理大臣の私的諮問機関ではなく、皇室の諮問機関として、枢密院のようなものとして設置すればよいであろう。
そこで、日本の叡智が結集し導き出された結論であれば、日本人も安心して受け入れられるだろう。
だいたい、皇室は国政に関与できない立場であるという前提があるのだから、誰が皇位に即くかについて、皇室の側の判断があってもよいではないか。
皇位継承順位というものは、皇室の方々の一生を、大きく左右するものなのであるから、皇室が関与できないというのは、如何にもフェアではない。
一方、判断を委ねられた国民にしたところで、どうすることもできず、困ってしまうのである。喜ぶのは、皇室の消滅を望む、朝日的なる思考の持ち主だけであろう。
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女性天皇の議論について,筆者の悩み

2005-03-10 21:28:12 | 皇室の話
平成17年3月31日の産経新聞において,「女性天皇について考える」というテーマで論文が募集されている。
未発表の作品という条件が付されているのだが,問題意識のある人というのは,既に何らかの形で,例えばブログなどで,自らの意見を書いてしまっていると思われ,なかなか厳しいところだ。
それにしても,どのような作品が応募されるのであろうか。
様々な議論を見る限りでは,男系を維持するべきだという論が,筋が通っており,また,説得力があるように思われる。
ただ,世間において交わされている議論を見るにつけ,肝心なことが語られていないように思われる。
男系を維持するべきだという立場としては,男系が何故重要であるのか,男系ということには,一体どのような意味があるのかということの説明が必要であろう。
歴史的な重み,男系を維持するための歴代皇室,日本人の苦心ということも,とても大きなものであるが,そこまでして男系を守ってきた理由は何かということが,まだ説明されていないように思われるのだ。
この点について,筆者なりの考えについては,今までにも何度か述べてきたが,世間に於ける立派な識者による,キチンとした説明が待ち遠しいところだ。
一方,女系を認めることを前提とした女性天皇容認の立場としても,男系ではいよいよ皇室の存続が難しくなっているということの説明が,十分になされていないように思われる。微妙な問題であるが,皇室において,もう男子の誕生が望めなくなっているという事情があるのか,また,旧宮家復活・養子について,現実的に困難な問題があるのか。
結局,核心となることが語られていないので,なかなか平行線というか,かみ合わない議論になってしまっているように思われる。
なお,筋の通っているのは,男系を維持するという立場の議論であると述べたが,この立場の議論が多くなることについて,筆者としては,少々悩むところがある。
それは,皇室という御存在を尊重しようという気持ちの中身にかかわる話である。
筆者としては,皇室との心の絆ということを重視する立場である。もちろん,この絆というものは,個人と個人の間の絆という訳ではなく,歴史的な背景を有する皇室と日本人との絆ということであるのだが,それでもやはり,絆である以上,今の皇室とは全く別な方を迎えるという案については,何というか,寂しいというか,そういう気持ちが生じてしまう。
少なくとも,それで全く問題ないという気持ちにはなれない。
世襲制ということについては,時間的な,縦の線における同一性が必要なのだということを以前論じたことがあるが,ただ,世襲制がそもそも何故始まったのかということを考えてみると,ある一族についての尊敬というか愛着というものがあり,その一族の実子による継承を願う気持ちがあればこそだったのではないかとも思われるのである。
かといって,女系を容認するべきだとも思わないのだが,国民と共に歩むことに努められてきた現在の皇室の方々のお姿を思い起こすと,なかなか割り切れない。
世間の議論について平行線などと言ってしまったが,筆者は筆者で,自らの立場をハッキリとさせることが出来ずにいるのである。
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