皇居の落書き

乱臣賊子の戯言

八木秀次氏が明かした憲法改正の方向性

2014-04-02 23:42:01 | 八木秀次氏批判
「正論」平成26年5月号に,八木秀次氏の「憲法巡る両陛下ご発言 公表への違和感」と題する記事がある。

冒頭で,元内閣官房副長官の石原信雄氏との懇談についての紹介があるのだが,随分と偉くなったものである。
いわゆる保守系の知識人として,現政権に重用されていることの反映ということなのであろうか。

ただ,この紹介における石原氏の扱いは,少々気の毒な感じがしないでもない。
石原氏の経験として,「日本という大国の元首のご葬儀に相応しいものにしなければならないと考えた」と述べられたそうなのであるが,この懇談の内容を踏まえて,八木氏は以下のように述べる。
----引用開始----
昨年11月に宮内庁は天皇皇后両陛下のご喪儀と御陵についての見解,すなわちご喪儀の簡略化と御陵の縮小の方針を発表したが,石原氏は自分の経験した事実だけ語ると言いながら,今日の宮内庁のあり方を批判しているように感じられた。
石原氏の話はこれくらいにして,別の問題について宮内庁への違和感を述べておきたい。
----引用終了----

八木氏は,「石原氏は自分の経験した事実だけ語ると言いながら,今日の宮内庁のあり方を批判しているように感じられた」と述べ,自分に都合良く利用しながら,「石原氏の話はこれくらいにして」とポイッと放り投げるように切り替える。

筆者には,石原氏の真意は分からないし,八木氏の感じたように「ご喪儀の簡略化と御陵の縮小の方針」に批判する意識があったのかもしれないのだが,それにしても,それなりに大物であるはずの石原氏の扱いとして,随分粗末であるように感じたのである。

さて,このブログでは,これまでにも八木氏の主張について度々取り上げてきたところであるが,今回の記事についても,これまでと同様,八木氏の頭の悪さというものを改めて感じてしまった。

筆者が,この記事を読んで,まず,これは酷いと思ったのは,以下の箇所である。
----引用開始----
陛下が日本国憲法の価値観を高く評価されていることが窺える。私がここで指摘しておきたいのは,両陛下のご発言が,安倍内閣が進めようとしている憲法改正への懸念の表明のように国民に受け止められかねないことだ。なぜこのタイミングなのか。デリケートな問題であることを踏まえない宮内庁に危うさを覚える。
憲法改正は対立のあるテーマだ。その一方の立場に立たれれば,もはや「国民統合の象徴」ではなくなってしまう。宮内庁のマネージメントはどうなっているのか。
----引用終了----

「宮内庁のマネージメントはどうなっているのか。」とあるのだが,最近の「正論」の読者というのは,こういう言い方に違和感を抱かないのであろうか。
要するに,八木氏は,天皇皇后両陛下という御存在について,「宮内庁のマネージメント」の対象として捉えているわけである。
政府にとって好ましくないご発言がなされないように,政府の一部である宮内庁が両陛下の口を塞ぐべきということを言っているわけであるが,(いわゆる保守派のかねてよりの本音であったとしても)あまりにもあからさますぎる。

筆者としては,この「宮内庁のマネージメントはどうなっているのか。」という箇所がまず非常に印象的であったわけであるが,八木氏がそこまで問題視している天皇皇后両陛下のご発言を改めて読み返すと,いよいよ八木氏の頭の悪さというものが明らかになってきた。
正確を期するためにそれぞれ宮内庁HPから直接引用すると,八木氏が取り上げた両陛下のご発言は,以下のとおりである。

----皇后陛下のご発言(平成25年お誕生日に際し)----
5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で,市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。
----------------------------------

----天皇陛下のご発言(平成25年お誕生日に際し)----
戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。戦後60年を超す歳月を経,今日,日本には東日本大震災のような大きな災害に対しても,人と人との絆(きずな)を大切にし,冷静に事に対処し,復興に向かって尽力する人々が育っていることを,本当に心強く思っています。
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皇后陛下のご発言は,明治時代の早期において,非常に熱意と先見性のある日本人が存在したということに触れられたものであり,天皇陛下のご発言は,戦後の復興に向けた人々の尽力に触れられたものであり,いずれも深い洞察と感性を感じさせる内容であるが,現政権の憲法改正の方向性については,何も触れておられない。
当然であろう。

それなのに,八木氏は,以下のように述べるのである。
「私がここで指摘しておきたいのは,両陛下のご発言が,安倍内閣が進めようとしている憲法改正への懸念の表明のように国民に受け止められかねないことだ。」

これは,是非ともじっくりと考えてみるべき発言である。
すなわち,上記の両陛下のご発言が,「安倍内閣が進めようとしている憲法改正」のブレーキとして作用するということであるならば,逆に,そのようにブレーキがかけられるところの「安倍内閣が進めようとしている憲法改正」の方向性とは,一体どういうものなのか,ということである。

筆者としては,現行の日本国憲法については,その基本理念である基本的人権,民主主義,平和主義といったことについて,引き続き十分な尊重を行いつつも,現在の国内外の状況を踏まえた見直しを行っていくということは必要だと思うし,「安倍内閣が進めようとしている憲法改正」にしても,これらの基本理念の尊重は十分踏まえた上での見直しなのではないかと思っていたのであるが,どうもそうではないようだ。

続けて,八木氏は,「憲法改正は対立のあるテーマだ。その一方の立場に立たれれば,もはや「国民統合の象徴」ではなくなってしまう。」とまで述べる。

八木氏によれば,両陛下のご発言は「安倍内閣が進めようとしている憲法改正」の方向性と対立している「その一方の立場に立たれ」たものということのようであるが,両陛下のご発言が,基本的人権,民主主義,平和主義の十分な尊重ということであるとすれば,「安倍内閣が進めようとしている憲法改正」の方向性は,それとは対立するものということになる。
まさかとは思うが,八木氏の発言を踏まえれば,論理的には,このように考えざるを得なくなる。

以上を踏まえた上で,今回の八木氏の記事における後半部分を読み返すと,何とも滑稽である。
----引用開始----
仄聞するところによれば,両陛下は安倍内閣や自民党の憲法に関する見解を誤解されているという。皇后陛下は「新聞紙上」で憲法論議に触れられると述べておられる。確かに一部の新聞は,あたかも戦争の準備をし,国民の自由を抑圧するためにこそ憲法改正を企図しているかのように書き立てている。これは「ためにする」議論であることは言うまでもない。
(略)
それにしても両陛下の誤解を正す側近はいないのか。逆に誤った情報をすすんでお伝えしている者がいるのではとの疑念さえ湧いてくる。宮内庁への違和感と言ったのはそのような意味においてだ。
----引用終了----

八木氏は,「両陛下の誤解」というようなことを述べ,これまた,随分と両陛下を見くびっていると思うのであるが,ここで,筆者としては,「安倍内閣が進めようとしている憲法改正」の方向性そのものを知っているわけではないし,また,その方向性について両陛下がどのように受け止めておられるかについては分からないので,「誤解」が本当に存在するのかどうかは判断できない。

ただ,八木氏の言うところの「誤解」とは,上記引用箇所からすると,「安倍内閣が進めようとしている憲法改正」の方向性について,「あたかも戦争の準備をし,国民の自由を抑圧するためにこそ憲法改正を企図しているかのように」受け止めることを指しているように解される。

そして,この「誤解」について,八木氏は「それにしても両陛下の誤解を正す側近はいないのか。逆に誤った情報をすすんでお伝えしている者がいるのではとの疑念さえ湧いてくる。」と述べている。

まったくナンセンスとしか言いようがない。

両陛下の側近が「誤った情報をすすんでお伝えしている」と妄想しているわけであるが,筆者にしてみれば,(仮に本当に「誤解」が存在したとした場合の話だが)そのような「誤解」を生じさせているのは,むしろ八木氏の方なのではないか。

少しくどくなるが,両陛下のご発言と八木氏のコメントを見比べてみて欲しい。

----皇后陛下のご発言(平成25年お誕生日に際し)----
5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で,市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。
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----天皇陛下のご発言(平成25年お誕生日に際し)----
戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。戦後60年を超す歳月を経,今日,日本には東日本大震災のような大きな災害に対しても,人と人との絆(きずな)を大切にし,冷静に事に対処し,復興に向かって尽力する人々が育っていることを,本当に心強く思っています。
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両陛下のご発言に対する八木秀次氏の発言
「私がここで指摘しておきたいのは,両陛下のご発言が,安倍内閣が進めようとしている憲法改正への懸念の表明のように国民に受け止められかねないことだ。」

「憲法改正は対立のあるテーマだ。その一方の立場に立たれれば,もはや「国民統合の象徴」ではなくなってしまう。」

「宮内庁のマネージメントはどうなっているのか。」



まとめ
今回の八木氏の記事で判明したこと
①「誤解」が「誤解」であったとすれば,そのような「誤解」を招いているのは八木氏のような人たちであるということ
②「誤解」が「誤解」でなかったとすれば,「安倍内閣が進めようとしている憲法改正」の方向性は,基本的人権,民主主義,平和主義の最大限の尊重ということと対立的なものであるということ
コメント (4)
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