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落書き帳(旧「皇居の落書き」)

皇室評論家に騙されるな

八木秀次氏の完全なる間違いと自民党の愚劣

2025-05-30 21:23:10 | 八木秀次氏批判
令和7年5月30日14:14、テレ朝NEWSより配信の「小室眞子さんが第1子を出産 宮内庁が発表 出産時期や性別は公表せず」と題する記事がある。

良いニュースなのだが、どこか寂しい。
-----引用開始-----
出産の時期や性別などについては「皇室を離れた方の事柄であるので」として公表しませんでした。
-----引用終了-----

「皇室を離れた方の事柄」とあるが、過度な注目、批判、バッシングでPTSDになってしまわれたからということが大きいのだろう。

結婚に関連する皇室の伝統的な儀式、結婚式を挙げることもなく、日本を出てしまわれることとなった。

随分と可哀そうなことをしてしまった。
今はお幸せにお過ごしなのだろうか。

記事中に以下の記載がある。
-----引用開始-----
秋篠宮ご一家は「お喜びで御家族の幸せな日々を願われていらっしゃいます」ということです。
-----引用終了-----

家族として、当然の情だと思う。


今日もまた、こんな記事が配信されている。

令和7年5月30日6:07、デイリー新潮より配信の「「小室さんのお子さんが天皇になることを国民が認めるのか」 読売新聞の「女系天皇“容認”論」に専門家が苦言

以前、このブログの「八木秀次氏は秋篠宮家を大事にしていない」という記事で引用したのと同じ内容のようであるが、5月15日の読売新聞社提言への保守派の反応として、麗澤大学の八木秀次教授の以下のコメントがまた紹介されている。

-----引用開始-----
「私は21年のヒアリングで『女系継承では眞子内親王殿下(当時)のお相手との間に生まれたお子さまが天皇になる可能性もある』と述べました。女性宮家や女系天皇の議論は、小室圭さんのような人が皇族になる、あるいはそのお子さんが天皇になることを国民が認めるのかと考えれば、是非は明らかだと思います」
-----引用終了-----

記事のタイトルにある「専門家」とは八木秀次氏を指しているようだけれども、専門家などとはとても言えない間違いがある。

皇室典範が改正され、皇位継承資格が女性・女系に拡大されれば、内親王には皇位継承資格があることになり、現在の親王と同じ立場に立つことになる。
したがって、結婚されれば、配偶者である夫も皇族となり、子も皇族となり、子には皇位継承資格があることになる。

しかし、眞子内親王殿下のご結婚は、あくまで現行の皇室典範下でなされたものであり、民間の男性と結婚されれば、皇族の身分を離れるという制度下でのご結婚であった。
したがって、小室眞子様の子が、皇族、皇位継承資格者になるということはあり得ない。

話が全く違うのである。

八木秀次氏の説明は、完全な間違いである。

また、そもそも、皇位継承資格の女性・女系拡大というのは、現在の皇室の方々による皇位の継承を最重視し、そのために男系男子というルールを見直そうという考え方に立つものである。

現在の皇室の方々による皇位の継承を最重視しているのだから、皇籍を離れた方、ないし、その子孫を皇族とし、皇位継承資格を持たせようという考え方には立たない。

それをやろうとしているのは、むしろ男系派の方ではないか。
全くあべこべな話である。

八木秀次氏の説明は、言い訳不可能なレベルで間違いである。

また、人間性という観点でも、だいぶ問題があるのではないか。

「小室圭さんのような人が皇族になる、あるいはそのお子さんが天皇になることを国民が認めるのかと考えれば、是非は明らかだと思います」という言い方は、小室眞子様の結婚を悪い例として持ち出しているということであろう。

小室眞子様をPTSDに追い込んだ勢力をあてにしてのことであろうけれども、自説を補強するために見当違いな持ち出し方をするという行為に、人間性は感じられない。


八木秀次氏のような者がここまで影響力のある存在となってしまったのは、自民党の男系派、特に安倍系の連中が重用したからである。

自民党は許せない。
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八木秀次氏は秋篠宮家を大事にしていない

2025-05-22 02:15:08 | 八木秀次氏批判
令和7年5月21日11:55、デイリー新潮より「「小室夫妻のお子さんが天皇になる可能性が…」 読売新聞の「女系天皇“容認”論」に保守派が猛反発の理由」と題する記事がある。

この中で、八木秀次氏の以下のコメントが記載されている。
-----引用開始-----
「提言には事実誤認や論理矛盾が見られます。例えば社説には『与野党協議では、女性宮家の創設について各党の意見が概ね一致している』とありますが、全くの間違いです。話し合われているのはあくまで女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持する案に過ぎません」

 旧宮家の男系男子の皇族復帰案についても、

「社説では、長らく一般人として暮らしてきたことから『国民の理解が得られるのだろうか』としています。その一方、女性皇族の配偶者となる男性も一般人であるはずなのに、こちらは夫・子も皇族にとうたっている。そもそも旧宮家の男系男子の方が、よほど皇族としての正当性があるはずです」
-----引用終了-----
(上記中、「 」内が八木秀次氏のコメント)

「提言には事実誤認や論理矛盾が見られます。」とし、その例として「例えば社説には『与野党協議では、女性宮家の創設について各党の意見が概ね一致している』とありますが、全くの間違いです。話し合われているのはあくまで女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持する案に過ぎません」と述べている。

そこで、読売の社説の該当箇所を引用すると以下のとおりである。
-----引用開始-----
衆参両院議長の下で行われている与野党協議では、女性宮家の創設について各党の意見が概ね一致している。一方、女性皇族の夫と子を皇族とするかどうかを巡って意見が割れている。
-----引用終了-----
(下線部分は八木秀次氏が引用している箇所)

たしかに、概ねの一致は女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持するというところまでで、女性宮家の創設ということとイコールではないであろう。

ただ、社説では、「一方、女性皇族の夫と子を皇族とするかどうかを巡って意見が割れている。」ということも示しており、争点は争点として明記している。
この時の読売新聞社の提言を見ると、1面の記事では以下のような記載になっている。
-----引用開始-----
「与野党の協議では主に、①女性皇族の身分を結婚後も保持する ②旧宮家の男系男子を養子として皇室に迎える――の2案が議論され、夏の参院選前の取りまとめを目指している。
 このうち、①については各党・各会派がおおむね賛同しているが、女性皇族の夫と子に皇族の身分を付与するかどうかで意見が対立し、議論は現段階で行き詰まっている。
-----引用終了-----

ここでは正確な記載となっているが、どうも上記社説の箇所、提言の他の箇所などを見ると、女性皇族が結婚後も皇族としての身分を保持する場合につき、それを女性宮家創設ととらえているかのような節はある。

そのような記載については不正確ということにはなるであろうけれども、事実誤認とか論理矛盾ということになるのであろうか。

また、八木秀次氏は「社説では、長らく一般人として暮らしてきたことから『国民の理解が得られるのだろうか』としています。その一方、女性皇族の配偶者となる男性も一般人であるはずなのに、こちらは夫・子も皇族にとうたっている。そもそも旧宮家の男系男子の方が、よほど皇族としての正当性があるはずです」というが、皇族が自ら選んだ配偶者と子を皇族にするという話と、旧宮家の男系男子ということで選定した者を養子にして皇族にするということでは、全く別の話なのではないだろうか。

そのような全く別の話につき、「国民の理解が得られるだろうか」という捉え方と「皇族としての正当性があるはず」という捉え方というのは、価値観の違いといった話なのであって、事実誤認とか論理矛盾ということにはならないのではないか。

これらを事実誤認、論理矛盾として語るというのは、それこそ論理破綻なのではないだろうか。


さて、八木秀次氏は、さらに以下のように述べる。
-----引用開始-----
「私は21年のヒアリングで『女系継承では眞子内親王殿下(当時)のお相手との間に生まれたお子さまが天皇になる可能性もある』と述べました。女性宮家や女系天皇の議論は、小室圭さんのような人が皇族になる、あるいはそのお子さんが天皇になることを国民が認めるのかと考えれば、是非は明らかだと思います」(八木教授)
-----引用終了-----

ここで小室圭さんのことを持ち出すのはおかしいであろう。
眞子内親王殿下と小室圭氏の結婚は、眞子内親王殿下が皇籍離脱して共に民間人となることを前提として行われたものである。

「小室圭さんのような人が皇族になる、あるいはそのお子さんが天皇になる」という言い方は、どのような前提を失念(おそらく意図的に)したものであり、それこそ事実誤認の捉え方なのではないか。

また、小室圭氏について、何か悪い例として持ち出しているようであるけれども、同氏が何か悪いことをしたというのであろうか。400万円のトラブルというのは母親とその知人との間のものである。対世間の言動として、もう少しうまくやればと思えなくもないところはあったが、一人息子として母親をかばう側に立つというのは自然なことだろう。
そもそも、小室氏は私人であるというのに、大変なバッシングの中、よく耐え、眞子内親王殿下の幸せな生活の実現に至ったのであるから、十分立派なのではないだろうか。

それにしても、筆者として理解できないのは、八木秀次氏は男系派のはずであるけれども、何故に秋篠宮家を大事にしようとしないのであろうか。

男系派からすれば、秋篠宮家こそは最も大事にするべき存在なのではないのか。
皇嗣同妃両殿下が小室圭氏にどのような感情を抱いているかは筆者には分からないが、娘である小室眞子様のことは愛しておられるはずであるし、そうであれば小室眞子様の結婚について、悪い例であるかのように第三者に言われるのは心外であろう。
佳子内親王殿下、悠仁親王殿下におかれても、姉である小室眞子様のことは愛しておられるはずであるし、同様に心外であろう。

もうしばらくすれば、悠仁親王殿下の成年式が行われることとなる。
仮に筆者が男系派であれば、悠仁親王殿下の成年式を、悠仁親王殿下にとって幸せに満ちたものとするべく、小室眞子様の円滑な帰国が可能となるような主張を展開する。
帰国がかなわないとなれば、それはどこか悲しい影となって、悠仁親王殿下の心にも残ってしまうかもしれない。

男系派ではない筆者としてもこのように思うというのに、男系派である八木秀次氏は秋篠宮家を守ったり、秋篠宮家の人たちが人生に前向きになろうと思うような議論をせず、傷つけるような失礼な言動を展開するというのは、おかしな話である。


だから思うのだけれども、旧宮家の男系男子の方々も、気を付けた方がいい。
今は、男系派によって持ち上げられている状況かもしれないが、いざとなったら、彼らは助けようとしないかもしれない。
この仕打ちの状況を、よく見ておいた方がいい。
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八木秀次氏が明かした憲法改正の方向性

2014-04-02 23:42:01 | 八木秀次氏批判
「正論」平成26年5月号に,八木秀次氏の「憲法巡る両陛下ご発言 公表への違和感」と題する記事がある。

冒頭で,元内閣官房副長官の石原信雄氏との懇談についての紹介があるのだが,随分と偉くなったものである。
いわゆる保守系の知識人として,現政権に重用されていることの反映ということなのであろうか。

ただ,この紹介における石原氏の扱いは,少々気の毒な感じがしないでもない。
石原氏の経験として,「日本という大国の元首のご葬儀に相応しいものにしなければならないと考えた」と述べられたそうなのであるが,この懇談の内容を踏まえて,八木氏は以下のように述べる。
----引用開始----
昨年11月に宮内庁は天皇皇后両陛下のご喪儀と御陵についての見解,すなわちご喪儀の簡略化と御陵の縮小の方針を発表したが,石原氏は自分の経験した事実だけ語ると言いながら,今日の宮内庁のあり方を批判しているように感じられた。
石原氏の話はこれくらいにして,別の問題について宮内庁への違和感を述べておきたい。
----引用終了----

八木氏は,「石原氏は自分の経験した事実だけ語ると言いながら,今日の宮内庁のあり方を批判しているように感じられた」と述べ,自分に都合良く利用しながら,「石原氏の話はこれくらいにして」とポイッと放り投げるように切り替える。

筆者には,石原氏の真意は分からないし,八木氏の感じたように「ご喪儀の簡略化と御陵の縮小の方針」に批判する意識があったのかもしれないのだが,それにしても,それなりに大物であるはずの石原氏の扱いとして,随分粗末であるように感じたのである。

さて,このブログでは,これまでにも八木氏の主張について度々取り上げてきたところであるが,今回の記事についても,これまでと同様,八木氏の頭の悪さというものを改めて感じてしまった。

筆者が,この記事を読んで,まず,これは酷いと思ったのは,以下の箇所である。
----引用開始----
陛下が日本国憲法の価値観を高く評価されていることが窺える。私がここで指摘しておきたいのは,両陛下のご発言が,安倍内閣が進めようとしている憲法改正への懸念の表明のように国民に受け止められかねないことだ。なぜこのタイミングなのか。デリケートな問題であることを踏まえない宮内庁に危うさを覚える。
憲法改正は対立のあるテーマだ。その一方の立場に立たれれば,もはや「国民統合の象徴」ではなくなってしまう。宮内庁のマネージメントはどうなっているのか。
----引用終了----

「宮内庁のマネージメントはどうなっているのか。」とあるのだが,最近の「正論」の読者というのは,こういう言い方に違和感を抱かないのであろうか。
要するに,八木氏は,天皇皇后両陛下という御存在について,「宮内庁のマネージメント」の対象として捉えているわけである。
政府にとって好ましくないご発言がなされないように,政府の一部である宮内庁が両陛下の口を塞ぐべきということを言っているわけであるが,(いわゆる保守派のかねてよりの本音であったとしても)あまりにもあからさますぎる。

筆者としては,この「宮内庁のマネージメントはどうなっているのか。」という箇所がまず非常に印象的であったわけであるが,八木氏がそこまで問題視している天皇皇后両陛下のご発言を改めて読み返すと,いよいよ八木氏の頭の悪さというものが明らかになってきた。
正確を期するためにそれぞれ宮内庁HPから直接引用すると,八木氏が取り上げた両陛下のご発言は,以下のとおりである。

----皇后陛下のご発言(平成25年お誕生日に際し)----
5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で,市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。
----------------------------------

----天皇陛下のご発言(平成25年お誕生日に際し)----
戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。戦後60年を超す歳月を経,今日,日本には東日本大震災のような大きな災害に対しても,人と人との絆(きずな)を大切にし,冷静に事に対処し,復興に向かって尽力する人々が育っていることを,本当に心強く思っています。
----------------------------------

皇后陛下のご発言は,明治時代の早期において,非常に熱意と先見性のある日本人が存在したということに触れられたものであり,天皇陛下のご発言は,戦後の復興に向けた人々の尽力に触れられたものであり,いずれも深い洞察と感性を感じさせる内容であるが,現政権の憲法改正の方向性については,何も触れておられない。
当然であろう。

それなのに,八木氏は,以下のように述べるのである。
「私がここで指摘しておきたいのは,両陛下のご発言が,安倍内閣が進めようとしている憲法改正への懸念の表明のように国民に受け止められかねないことだ。」

これは,是非ともじっくりと考えてみるべき発言である。
すなわち,上記の両陛下のご発言が,「安倍内閣が進めようとしている憲法改正」のブレーキとして作用するということであるならば,逆に,そのようにブレーキがかけられるところの「安倍内閣が進めようとしている憲法改正」の方向性とは,一体どういうものなのか,ということである。

筆者としては,現行の日本国憲法については,その基本理念である基本的人権,民主主義,平和主義といったことについて,引き続き十分な尊重を行いつつも,現在の国内外の状況を踏まえた見直しを行っていくということは必要だと思うし,「安倍内閣が進めようとしている憲法改正」にしても,これらの基本理念の尊重は十分踏まえた上での見直しなのではないかと思っていたのであるが,どうもそうではないようだ。

続けて,八木氏は,「憲法改正は対立のあるテーマだ。その一方の立場に立たれれば,もはや「国民統合の象徴」ではなくなってしまう。」とまで述べる。

八木氏によれば,両陛下のご発言は「安倍内閣が進めようとしている憲法改正」の方向性と対立している「その一方の立場に立たれ」たものということのようであるが,両陛下のご発言が,基本的人権,民主主義,平和主義の十分な尊重ということであるとすれば,「安倍内閣が進めようとしている憲法改正」の方向性は,それとは対立するものということになる。
まさかとは思うが,八木氏の発言を踏まえれば,論理的には,このように考えざるを得なくなる。

以上を踏まえた上で,今回の八木氏の記事における後半部分を読み返すと,何とも滑稽である。
----引用開始----
仄聞するところによれば,両陛下は安倍内閣や自民党の憲法に関する見解を誤解されているという。皇后陛下は「新聞紙上」で憲法論議に触れられると述べておられる。確かに一部の新聞は,あたかも戦争の準備をし,国民の自由を抑圧するためにこそ憲法改正を企図しているかのように書き立てている。これは「ためにする」議論であることは言うまでもない。
(略)
それにしても両陛下の誤解を正す側近はいないのか。逆に誤った情報をすすんでお伝えしている者がいるのではとの疑念さえ湧いてくる。宮内庁への違和感と言ったのはそのような意味においてだ。
----引用終了----

八木氏は,「両陛下の誤解」というようなことを述べ,これまた,随分と両陛下を見くびっていると思うのであるが,ここで,筆者としては,「安倍内閣が進めようとしている憲法改正」の方向性そのものを知っているわけではないし,また,その方向性について両陛下がどのように受け止めておられるかについては分からないので,「誤解」が本当に存在するのかどうかは判断できない。

ただ,八木氏の言うところの「誤解」とは,上記引用箇所からすると,「安倍内閣が進めようとしている憲法改正」の方向性について,「あたかも戦争の準備をし,国民の自由を抑圧するためにこそ憲法改正を企図しているかのように」受け止めることを指しているように解される。

そして,この「誤解」について,八木氏は「それにしても両陛下の誤解を正す側近はいないのか。逆に誤った情報をすすんでお伝えしている者がいるのではとの疑念さえ湧いてくる。」と述べている。

まったくナンセンスとしか言いようがない。

両陛下の側近が「誤った情報をすすんでお伝えしている」と妄想しているわけであるが,筆者にしてみれば,(仮に本当に「誤解」が存在したとした場合の話だが)そのような「誤解」を生じさせているのは,むしろ八木氏の方なのではないか。

少しくどくなるが,両陛下のご発言と八木氏のコメントを見比べてみて欲しい。

----皇后陛下のご発言(平成25年お誕生日に際し)----
5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で,市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。
----------------------------------

----天皇陛下のご発言(平成25年お誕生日に際し)----
戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。戦後60年を超す歳月を経,今日,日本には東日本大震災のような大きな災害に対しても,人と人との絆(きずな)を大切にし,冷静に事に対処し,復興に向かって尽力する人々が育っていることを,本当に心強く思っています。
----------------------------------

両陛下のご発言に対する八木秀次氏の発言
「私がここで指摘しておきたいのは,両陛下のご発言が,安倍内閣が進めようとしている憲法改正への懸念の表明のように国民に受け止められかねないことだ。」

「憲法改正は対立のあるテーマだ。その一方の立場に立たれれば,もはや「国民統合の象徴」ではなくなってしまう。」

「宮内庁のマネージメントはどうなっているのか。」



まとめ
今回の八木氏の記事で判明したこと
①「誤解」が「誤解」であったとすれば,そのような「誤解」を招いているのは八木氏のような人たちであるということ
②「誤解」が「誤解」でなかったとすれば,「安倍内閣が進めようとしている憲法改正」の方向性は,基本的人権,民主主義,平和主義の最大限の尊重ということと対立的なものであるということ
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